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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第6章 孤児院編(灰の司祭/レナート)

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第183話 欠けの印

戻り道は、遠回りにする。


近道は便利だが、便利な道には誰かの目がいる。

火消しは、便利さで燃える。


灰の司祭は路地を三つ越え、壁際を滑るように歩いた。

背後に足音が増えないことを確認してから、ようやく止まる。


止まった場所は、小さな行商の屋台の陰。

甘い菓子の匂いがする。

匂いは人を油断させる。

油断は、記録より先に口を開かせる。



灰の司祭は、袖の内に隠していた薄い紙を取り出した。


紙は真っ白ではない。

少しだけ灰が混じった色。

神殿の紙質でも、王宮の紙質でもない。


“外”の紙だ。


端に、半月の欠け。


欠けは印。

印は、言葉より確実だ。


文は短い。


——鐘が三度。右手袋、白だけ。

——礼拝堂裏、灰封。袋は三。

——供給ありがとう。


供給ありがとう。


またその言葉だ。

言葉は軽いのに、置かれる場所が重い。


灰の司祭は紙を畳み、指先で欠けをなぞる。


(この欠けが付く箇所は、事実)


姐さんのやり方だ。

物語に混ぜて、事実だけを残す。

残した事実だけが、火消しの導線になる。


灰の司祭は、紙を燃やさない。

燃やせば楽になる。

だが、楽は火種だ。


代わりに、別の紙へ写す。

写しは、いつも面倒だ。

面倒の方が嘘は混ざりにくい。



茶屋の二階。


灰の司祭は戸を叩かない。

叩けば“ここに来た”が残る。


窓の鍵穴に、細い針金を差し込み、音を立てずに開けた。

中に入ると、灯りは一つ。

机の上に、封のない封筒。


宛名はない。

それでも、これは自分宛だ。


封筒の中は、領収書の束。


寄付。

奉納。

布。

薬草。

香。


そして、余白に一行。


——供給ありがとう。


(……同じ言葉を、同じ癖で置く)


姐さんは姿を見せない。

見せないほど強い。

見せれば人になる。

人になれば捕まる。


“余白”の方が捕まらない。


灰の司祭は領収書を一枚ずつ見ていく。

印章。

日付。

宛先。


宛先の名は、ばらけている。

孤児院。

礼拝堂。

施療小屋。

行商。

香料屋。


ばらけているから、善意に見える。

だが、善意に見せるには統一が必要だ。


統一されているのは、印だ。


赤。

白。

灰。


三段階。


(……三段階で火を消す、か)


誰が設計した。

誰が許可した。

誰が黙認した。


その答えは、まだ出さない。

出せば火が上がる。

火が上がれば、子どもが焼ける。


灰の司祭は、紙を束ね直す。


束ねるのは、責任の線だ。

線が束ねば、切れる。



外で、馬車の音がした。

軽い。

しかし速い。


伯爵家の馬車ではない。

王家の馬車でもない。

社交用の、柔らかい揺れ。


夜会に向かう者の馬車だ。


灰の司祭は窓から見ない。

見れば、目撃になる。

目撃は“争点”になる。


灰の司祭は、代わりに耳を使う。


石畳を叩く蹄。

止まる。

扉が開く。

衣擦れ。


香が一瞬だけ、冷えた夜気に混じった。


(……貴族の香)


貴族がここへ来る理由は一つではない。

だが、火種が貴族へ繋がるなら、理由は十分だ。


灰の司祭は、封筒を二つに分けた。


ひとつは、大司教宛。

もうひとつは、王宛。


どちらも短く。

成果だけ。

結論は書かない。


結論は刃物になる。

刃物は、必要なときに抜く。


灰の司祭は封を閉じ、刻印を押さない。

刻印は“所属”だ。

所属は、敵を呼ぶ。


火消しは、所属しない。



階段を降りる前に、灰の司祭は一度だけ立ち止まった。


姐さんは姿を見せない。

だが、余白でここまで線を繋げた。


そして、最後に同じ言葉を置いた。


——供給ありがとう。


供給とは、物ではない。


供給とは、火種だ。

火種とは、情報だ。


灰の司祭は、喉の奥で小さく息を吐く。


(……姐さん)


(面白がるふりが上手いですね)


面白がっているからこそ、危険でもある。

だが、危険だからこそ、火は消える。


灰の司祭は戸口で振り返らず、外へ出た。


次は夜会だ。


鐘の三度より先に、

白い手袋の右手を、記録で縛る。


灰は、燃える前に縛る。

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