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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第6章 孤児院編(灰の司祭/レナート)

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第182話 余白の合図

夜は、慈善に優しい。


暗いほど、善意は美しく見える。

美しく見えるほど、箱は疑われない。


灰の司祭は孤児院の門から離れ、通りの影に身を沈めた。

歩かない。

走らない。

“いる”のに、“いない”ふりをする。


火消しの基本だ。



鐘はまだ鳴らない。


鳴らないうちに動くものは、急ぎではない。

習慣だ。


裏口が開く音。

木が擦れる音。

箱が床を滑る音。


運ぶのは、孤児院の者ではない。


足取りが軽い。

手が汚れていない。

布が新しい。


(帳簿の手)


男が二人。

箱はひとつ。

封は灰。


そして、右手だけ白い手袋。


片方だけ白いのは、意味がある。

白は“正しさ”の仮面だ。

片手だけなら、作業がしやすい。


箱は荷台へ載せられ、布が被せられた。


布は慈善の印。

誰が見ても“善意”に見える。


灰の司祭は距離を保ち、追う。


近づかない。

近づかないまま、逃げ道だけ塞ぐ。


曲がり角。

灯りの少ない通り。

祈りの小祠が並ぶ裏道。


神殿の白の目は届かない。

伯爵家の白衣の目も薄い。


だからここに流れる。



荷台は、市壁の内側で止まった。


倉庫ではない。

酒場でもない。


小さな礼拝堂の裏手。

表は祈りの場、裏は物資の場。


便利な構造だ。

疑う者は“祈りを疑う”ことになる。


男たちが布を外し、箱を下ろす。

扉の鍵が回る音。


鍵。


また鍵だ。


灰の司祭は息を殺し、扉の隙間を見る。

中は暗い。

だが、暗闇に白が浮く。


白い袋。

白い粉。

筒状の金属。


(……祈りを弾く“壁”の部品)


神殿の祈祷室で見えたものと、匂いが同じだ。

違うのは、ここでは“祈り”の言い訳が先に立つこと。


男の一人が言う。


「急げ。鐘が鳴る」


鐘が鳴けば、祈りの時間だ。

祈りの時間は、人の目が別の場所を見る時間でもある。


灰の司祭は動かない。

動けば見つかる。

見つかれば、箱が消える。


消えれば、線が細くなる。


灰の司祭は、別の線を拾う。


礼拝堂の裏庭。

踏み固められた土。

車輪の跡。

そして――灰色の封蝋片。


封蝋片は、落ちると隠せない。


灰の司祭は封蝋片を拾わない。

拾えば“触った”が残る。


代わりに、目で形を覚える。


欠け。

半月の欠け。


(……また、欠け)


誰かが、わざと落とした。

落とすのは、合図だ。


合図は、次の場所を呼ぶ。



鐘が一度鳴った。


男たちの動きが速くなる。

袋が奥へ運ばれ、金属筒が木箱に入れられる。


そして、紙束。

薄い紙束。


紙束は、祈りより危険だ。

紙は燃え残る。

燃え残るから、責任が残る。


男の一人が紙束に封をする。

封蝋は灰。

刻印は――見えない。


見えない角度。

見えない位置。


(刻印を見せない封は、見せたくない相手がいる)


二度目の鐘。


男たちが扉を閉める。

鍵が回る。

鍵が握られる。


その瞬間、裏道の奥で別の足音がした。


一人。

軽い。

しかし、迷わない。


“ここを知っている”足取り。


男たちが身構える。

だが、相手は身構えない。


足音が止まり、声が落ちる。


「今日は、ひとつだけ」


声は女。

若くはない。

老いてもいない。

柔らかいのに、切れる。


(……姿は見せない)


姿を見せずに、言葉だけを置く。

言葉だけを置けば、誰も顔を証言できない。


灰の司祭は、その声を追わない。

追えば、こちらが露出する。


露出より先に、必要なのは“確定”だ。


三度目の鐘。


礼拝堂の中で祈りが始まる。

外は静かになる。


静かになった瞬間、嘘の音が浮く。


灰の司祭は、心の中で結論を一つだけ置いた。


孤児院は入口。

礼拝堂は中継。

そして――箱の先は、貴族の食卓だ。


火は、もう貴族の足元にある。


灰の司祭は笑わずに、踵を返す。


今夜は見ただけで十分だ。

次は――“記録”に変える。


灰は、火が上がる場所を選ぶ。


選ばせないために。


鐘の余韻の中、

灰の司祭は足音を消して去った。

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