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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第6章 孤児院編(灰の司祭/レナート)

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第180話 鐘が鳴る前

夜会の準備は、夜会の当日では遅い。


当日は、香りと笑いと布の擦れる音に紛れて、

“正しい顔”がいくらでも作れる。


だから火消しは、鐘が鳴る前に動く。



灰の司祭は夜明け前の神殿へ入った。


白でも灰でも入れる。

それがこの国の神殿の構造だ。


主神の白。

境界の線。

どの祈りも、同じ屋根の下を通る。


そして――同じ屋根の下ほど、混ぜものが通りやすい。


灰の司祭は祈祷室へ向かわない。

会計室へも向かわない。


向かうのは、その二つの“間”だ。


記録庫。

写しが集まる場所。

綺麗に整えられた嘘が並ぶ場所。


扉の前で、年配の書記が立ち止まらせようとした。


「こちらは――」


灰の司祭は笑って、礼をする。


「迷いました。すみません」


礼が丁寧だと、相手は一瞬だけ気を抜く。

気を抜いた瞬間、視線が外れる。

視線が外れた隙に、灰は中へ入る。


火消しは、争わない。

争うと記録が残る。


残したい記録は、“相手の”だ。



記録庫の中は紙の匂いがする。


乾いた匂い。

墨の匂い。

そして、古い封蝋の匂い。


灰の司祭は棚を一つずつ見ない。

見れば時間がかかる。

時間がかかれば目立つ。


探すのは、癖だ。


“同じ薄さ”。

“同じ欠け”。

“同じ余白”。


写しは、誰が作っても同じにならない。

同じになるのは、意図がある時だけだ。


灰の司祭は、奉納帳の写しの束を一つ抜いた。

抜いた瞬間、紙の端が指に触れる。


ざらり。


このざらりは、紙ではない。

墨の粉でもない。


封蝋の粉だ。


灰色。

わずかに青み。


会計室の封の色。


(……写しに封蝋の粉?)


普通は付かない。

付くとしたら、封の箱の上で写しを作った時だ。


灰の司祭は紙を戻し、指先を袖で拭った。

拭うのは痕を消すためではない。

余計な線を自分につけないためだ。


棚の一番下。


奉納の取りまとめ。

孤児院宛の控え。

受領の写し。


その束の一番上に、印がある。


赤・白・灰。


三段階の印章。

そして――灰の印が、綺麗すぎる。


綺麗すぎる印は、押した者が“慣れている”。


慣れている者は、日常で押している。

つまり、孤児院の中に押し手がいるか、

孤児院が外の押し手の“机”になっている。


灰の司祭は紙を一枚だけ抜き、光へ透かした。


透かすと、筆圧が見える。

筆圧は、性格だ。


押しつける筆圧。

ためらわない筆圧。


帳簿の手。

だが、現場の帳簿係の筆圧ではない。


“責任を負わない帳簿”の筆圧だ。


(上の手だ)


灰の司祭は紙を戻した。

持ち出さない。

持ち出すと火が上がる。


火を上げるのは、鐘が鳴ってからでいい。


今は――鐘の鳴る場所を決める。



記録庫を出る時、年配の書記が視線を上げた。


「……何かお探しでしたか」


灰の司祭は笑って、誤魔化す。


「紙の匂いが好きで」


書記が眉をひそめる。

理解できないものは、追わない。


追わない方が、灰には都合がいい。



外に出ると、神殿の中庭に白い鳩が降りていた。


鳩は祈りの象徴だ。

祈りは、時に便利な道具だ。


灰の司祭は鳩を見ず、壁の影を見た。


影は伸びている。

影が伸びるのは、日が上がる前だ。


日が上がる前に動く者は、火消しか、放火だ。


灰の司祭は心の中で結論を置く。


(孤児院は、入口だ)


入口なら、出口もある。

出口は夜会に繋がる。


鐘が三度。

右手だけ白い手袋。


そして――名簿と席順。


灰の司祭は足を止めず、歩き出す。


今日は誰にも会わない。

会えば余計な会話が増える。


会話は甘くなる。

甘い会話は、姐さんの餌になる。


餌になれば、余白が増える。


余白が増えるのは嫌いだ。

だが、余白があるから火が消えることもある。


灰の司祭は小さく息を吐いた。


(……面倒ですね)


面倒の方が、嘘は混ざりにくい。


鐘が鳴る前に、

嘘が混ざる机の場所を突き止める。


灰の司祭は、次の場所を思い浮かべた。


孤児院。


慈善の箱。

祈りの箱。

正しい箱。


正しい箱に見せかけた、混ぜものの箱。


灰は笑わない。


笑わないまま、

火が上がる場所へ向かうだけだ。

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