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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第6章 孤児院編(灰の司祭/レナート)

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第179話 供給の余白

夜は、神殿の外の方が静かだ。


静かな場所ほど、紙の擦れる音がよく響く。

人の声は消せても、紙は消しにくい。


灰の司祭は灯りの落ちた廊下を歩きながら、手元の写しを一枚だけ指で押さえた。

奉納帳の写し。

施療小屋の帳。

孤児院の取りまとめの控え。


どれも、善意の皮を被っている。


善意は疑われにくい。

疑われにくいものほど、混ぜやすい。


(箱を混ぜるには、正しい箱に見せかける必要がある)



クラリスが言葉にした線が、まだ頭の中に残っている。

彼女は紙の上で線を引く。

こちらは、線の外側で火を消す。


火消しは、火を見ない。

火種を見る。



灰の司祭は角を曲がり、薄い灯りの茶屋に入った。

夜更けの客は少ない。

少ないから、目立たない。


二階の奥。

窓際の席。

そこに人影はない。


いるはずの“姐さん”が、いない。


その代わり、机の上に封のない薄い紙が一枚だけ置かれていた。

署名も紋章もない。

ただ、筆圧だけがやけに元気だ。



灰の司祭は椅子に座らず、紙だけを指先で押さえる。

触れるのは一度。

余計に触れれば、余計な線が増える。



紙の余白に、一行。


——供給ありがとう。


(……またそれですか)



姐さんは姿を見せない。

姿を見せずに、癖だけを見せる。


癖は、合図になる。

合図は、動きを呼ぶ。



灰の司祭はその一行の下に、さらに小さな文字を見つけた。

目を凝らさないと読めない程度の薄さ。

薄いが、消えていない。



——鐘が三度。白い手袋、右だけ。


夜会。

三日後。


右手だけ白い手袋の人物。

神殿の“白”の中でも、もっとも見せかけが上手い手だ。



灰の司祭は息を吐いた。

吐いた息が冷える。

冷えるから、現実になる。


(面白がって混ぜたのではなく、混ぜたくて面白がった)


姐さんの仕事は、いつも順番が逆だ。

逆だから、厄介で、強い。


灰の司祭は紙を折らず、そのまま裏返した。

裏に、もう一行がある。


——孤児院。奉納の取りまとめ。灰の封。



灰。


封の色。

封の癖。

封の箱。



神殿の会計室で見た“灰”と、同じ匂いがする。

だが、同じ匂いほど危険だ。

同じ匂いは、偽装にも使える。


(孤児院を隠れ蓑にするなら、奉納の流れは最適です)


奉納は、善意だ。

善意は、検閲されにくい。

検閲されにくいものほど、帳簿が甘くなる。


帳簿が甘い場所に、混ぜものは残る。



灰の司祭は紙を元に戻し、机の端に置いた。

持ち帰らない。

持ち帰れば、痕が増える。


必要なのは紙ではない。

線だ。



灰の司祭は茶屋の階段を降り、夜へ出た。


外の空気は冷たい。

冷たいほど、香りが立つ。


薬湯の匂い。

濡れ布の匂い。

そして、わずかな金属の匂い。


(……ここにも混ざっている)


祈りを弾く“壁”は、神殿の中だけに立っていない。

壁は移動する。

壁は運ばれる。


運ばれるなら、運び手がいる。


運び手は、必ず一度、足を止める。

足を止める場所は、必ず“正しい顔”の場所だ。



孤児院。

慈善。

祈り。



正しい顔ほど、悪いものが入りやすい。


灰の司祭は歩きながら、頭の中で手順を並べた。



三日後、夜会。

右手だけ白い手袋。

その人物の席順と、動線。

鐘が三度の時刻。

その時刻に、どの箱がどこを通るか。



そして――孤児院。


孤児院は、表の顔だ。

表の顔に刺すには、刃物が要る。


刃物は、記録だ。

記録は、まだ足りない。



灰の司祭は立ち止まり、夜の路地の端で一度だけ振り返った。

背後に誰もいない。

だが、いないはずの気配がある。



「……供給、とは何でしょうか」


誰にでもなく呟く。

返事はない。


返事がない方が、正しい。


姐さんは返事をしない。

返事の代わりに、余白を置く。


余白に置かれた言葉は、燃えにくい。

燃えにくいから、火消しの手に残る。


灰の司祭は視線を前に戻す。


火は、まだ消えていない。

だが、火種の場所は見えた。


灰は笑わない。

笑わないまま、足音を消した。


次に踏むのは、鐘が三度鳴る床だ。

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