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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第5章 境界の祈り編 (クラリス)

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第175話 名の代わりの印

朝は、善意の顔を被る。


夜に数えた者ほど、朝は祈るふりが上手い。

祈るふりが上手い者ほど、帳簿の字が綺麗だ。


クラリスは朝の光で、昨夜の線を紙に起こした。

地図ではない。

境界の紙だ。


「倉の位置」

「慈善院の裏門」

「荷車の出入り」

「印章の紐」


名は、ない。

だが、名より強いものがある。


“使い方”。


印章は、使い方で人が出る。



伯爵家からの返事は早かった。


医師長の使いが、封の薄い書付を持ってきた。

余計な言葉はない。

現場の手の紙だ。


――検分室、未開封箱の封蝋一致。

――灰色封、神殿会計室と同系。

――白色微粉末、金属筒と同型。危険性あり、隔離継続。


隔離。

現場が生きている証拠。


クラリスはその紙を折り、侍女へ渡す。


「燃やさないで。保管」

「燃やせば楽だけど、楽は嘘を混ぜる」


侍女が頷く。


「……倉の方は?」


クラリスは窓の外を見た。

昼になれば、倉は“何もない顔”をする。


「倉は、今は触らない」

「触れば、相手は次から倉を変える」


一拍。


「変えさせるのは最後」

「今は、“運び手”を残す」



御者が戻ってきた。

昨夜と同じ顔をしているが、目が少しだけ硬い。


「印章の紐」

クラリスが言う。


御者は頷いた。


「紐の結び方が、伯爵家のものに似ていました」

「ただし……紐は新しい。手は慣れていない」


似ている。

だが、慣れていない。


(真似)


伯爵家の名を借りて、

伯爵家の領分に手を伸ばす。


まさに、狙い通りの手口だ。


クラリスは言葉を丁寧に整える。


「伯爵家の者なら、紐の結びで迷わない」

「迷うのは、外の者」

「外の者が伯爵家の印を使うなら――」


侍女が息を呑む。


「偽装……」


クラリスは頷く。

頷くが、断定はしない。


断定は刃になる。

刃は必要なときに抜く。


「偽装の可能性」

「だから、名ではなく“使い方”で追う」



昼。


クラリスは屋敷の中で動いた。

外へ出ない。

出れば名が立つ。


代わりに、名の立たない手を走らせる。


侍女へ。


「施療小屋の薬師に、文を」

「“昨夜から未開封箱は隔離のままか”だけ確認」

「返事は口頭で。紙に残さない」


御者へ。


「慈善院の奉納帳の“形式”を調べて」

「誰が帳を作るか」

「帳の紙質と、封の色」


形式。

形式が線になる。


そして線は、切れる。



夕刻。


返事が揃う。


施療小屋は、隔離を守っている。

未開封箱は触られていない。

立会いも維持。


現場は、折れていない。


慈善院の奉納帳は――妙に整っている。


御者が短く言う。


「紙が良すぎます」

「慈善院の帳にしては、上物です」


上物の紙は、上の流れ。

上の流れは、神殿へ近い。


クラリスはそこで、ひとつだけ“手触り”を拾う。


「封の色は」


「灰です」

「神殿会計室の灰に、近い」


繋がった。

慈善院と会計の灰。


だが、灰の司祭がいる。

あの灰は、火を消す灰だ。

火を起こす灰ではない。


(灰が二つある)


同じ色でも、意味が違う。

ORDとORDOが違うように。


クラリスは境界の紙に線を重ねた。


慈善院――施療小屋――倉――印章の紐。


線の中心に、伯爵家の白がある。


(狙いは、信用)


祈りを弾かせる。

現場を疑わせる。

白を弱らせる。

弱れば、掌握できる。


“医療”は、金より強い。

だから奪う価値がある。



夜。


クラリスは、最後の手順を置く。


「明日」

クラリスは侍女に言った。


「慈善院へ“奉納の確認”をもう一度」

「今度は、帳の写しを取らない」

「封蝋の“欠け”だけ見る」


侍女が眉を寄せる。


「欠け、ですか」


「封蝋は、押した印が欠ける」

「欠け方は、道具の癖」

「癖は、人を裏切らない」


名は隠せる。

だが癖は隠しにくい。


クラリスは白猫の笑みを薄く戻す。

優しい笑みではない。


獲物の足跡を見つけた笑みだ。


「明日は、名を追わない」

「印の“癖”を追う」


その癖が、神殿へ続くのか。

伯爵家へ続くのか。

それとも――もっと外の“貴族”へ続くのか。


白猫はまだ鳴かない。


鳴けば、逃げる。


鳴かずに、爪だけを出す。


――爪の先は、もう境界に触れている。

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