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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第5章 境界の祈り編 (クラリス)

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第174話 運び手の夜

夜は、善意の顔を外す。


昼の慈善は笑う。

夜の慈善は数える。


数える音は小さい。

小さいから、聞こえる者にしか聞こえない。


クラリスは部屋で待った。

待つのは怯えではない。

“ここで動かない”という手順だ。


動かない手順は、相手を動かす。



刻が少し過ぎた頃。


御者が控えの間に入る。

一歩だけ。

音を立てない。


「来ました」


クラリスは頷いた。


「慈善院?」


「はい。裏門です」

「荷車が一台。人影は二つ」


二つ。

多すぎない。

多すぎないのは、慣れている証拠だ。


クラリスは外套の襟を整えた。

名は出さない。

顔も出さない。


出すのは――線だけ。


「行くのは私じゃない」

「あなたが行く」


御者が頷く。


「見失わない程度に」

「近づきすぎない」

「声はかけない」


「承知しました」



馬車は動かない。


動かない馬車の中で、クラリスは窓の闇を見た。

闇は境界が見えやすい。

光がないから、線が浮く。


荷車が裏門を出る。

車輪が石に当たる音。

布を被せた箱の音。


そして――封の匂い。

灰色の匂いが、風に乗る。


(やっぱり)


慈善院の中で見えた“棚の下”の擦れ。

あれは箱の影だった。

箱が動けば、擦れも動く。


クラリスは指先で、境界の紙をなぞる。

紙は祈りではない。

線を残すための道具だ。


御者の影が、遠くで同じ速度を保っている。

追うのは足ではない。

距離だ。


距離を保てば、相手は油断する。

油断すれば、手順が崩れる。

崩れれば、記録になる。



荷車は施療小屋へは行かなかった。


施療小屋は表の流れだ。

今夜の荷は、裏の流れ。


荷車が曲がる。

神殿の白へは近づかない。

伯爵家の診療所へも近づかない。


監視の薄い道。

だから混ぜやすい。


御者が戻ってくる。

戻る足が速い。

速いのは焦りではない。

確信だ。


「止まりました」


「どこで」


「川沿いです。廃屋の倉です」

「人が三人、増えました。荷車の二人に合流」

「箱を下ろしています」


三人増える。

増えるのは、“受け取り手”がいるからだ。


クラリスは頷く。


「箱は?」


「二つありました。片方は小さい」

「小さい方を、先に奥へ入れました」


小さい方。

中身が濃い。

混ぜものはいつも小さい。


クラリスは窓を閉めた。

閉めるのは恐れではない。

音を外へ漏らさないためだ。


「顔は見えた?」


御者が首を横に振る。


「覆面です。ですが――」

「手が荒れていません。帳簿の手です」


帳簿の手。

また金の手。


クラリスはそこで一つだけ、線を太くする言葉を置く。


「印は」


御者が短く答える。


「ありました」

「袖口から、印章の紐が見えました」


印がある。

名がなくても、印は残る。

印が残れば、同じ者を追える。


クラリスは息を吸って整える。

ここで踏み込めば、火が上がる。

火が上がれば、街が焼ける。


だから、今夜は刃を出さない。

出すのは爪の音だけ。


「帰る」


御者が一瞬だけ目を瞬かせる。


「……踏み込みませんか」


クラリスは首を横に振った。


「踏み込めば、隠す」

「隠せば、線が消える」


一拍。


「線が残るうちに、線の先を押さえる」

「押さえるのは、私じゃない」


御者が理解した。

理解が早いのは、伯爵家の命令が追いついた理由と同じだ。


「伯爵家へ。医師長と……レナートに?」


クラリスは頷く。


「“箱は慈善院から夜に出た”」

「“受け取りは川沿いの廃倉”」

「“印章の紐が見えた。帳簿の手”」


結論は渡さない。

結論を渡せば、先走る。

先走れば、運び手が逃げる。


「それと――」

クラリスは声を落とした。


「灰の司祭に、動きを知らせない」

「知らせれば、彼は先に刺す。先に刺せば、こちらの線が折れる」


御者が眉を寄せる。

だが、頷いた。


「承知しました」



馬車が屋敷へ戻る。


戻る道すがら、クラリスは胸の奥で一つだけ確信を置いた。


慈善院が“流通”の皮を被っている。

そして流通の先に、祈りの壁が置かれている。


壁は、祈りを弾くためではない。


祈りが届かない者を選別し、

届くはずの場所を狙い、

医療の信用を揺らすための壁だ。


揺らせば、伯爵家の白が折れる。

折れれば、掌握できる。


(狙いは、伯爵家)


クラリスは手袋の上から指先を握る。


白猫は、飛びかからない。


飛びかからずに、獲物の帰り道だけを塞ぐ。


今夜は、線を拾った。


明日は、その線に

“名の代わりの印”を刺す。


白猫の尻尾が、見えないところで静かに揺れた。


――夜の帳は、もうめくれている。

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