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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第5章 境界の祈り編 (クラリス)

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第172話 検分室の白

検分室の空気は、静かだった。


静かで、乾いていて、だからこそ血の匂いが消えない。

祈りの香は、ここにはない。

あるのは、薬草の粉と、煮沸した布の匂いと――手順の匂いだ。


扉の前で、伯爵家の白衣が二人、短く礼をした。

片方は若い。

片方は年配で、目の下の影が深い。


「公爵令嬢様」


名を呼ばれた瞬間、クラリスは首を振った。


「名は要らないわ」

「奉納の確認で来た。――ここでは、それで通して」


白衣は一拍置く。

そして頷いた。


「承知しました。……現場の線を守る形で」


線。

言葉が合うのは、ここまでの仕事が噛み合っている証だ。



箱は、机の上に置かれていた。


未開封。

封蝋は崩れていない。

立会い二名、記録二通。

――それだけで、現場は勝っている。


年配の白衣が、封蝋に触れずに言った。


「封は“灰”ですね」


クラリスは頷く。


「神殿の会計室と同じ色」

「同じなら、同じ手順で辿れる」


若い白衣が唾を飲む。

封に触れず、紙を一枚出した。


「回収経路の写しです。施療小屋、奉納の取りまとめ、そして……孤児院」


孤児院。


そこに寄った瞬間、空気が少し重くなる。

疑いにくい言葉ほど、厄介だ。


年配の白衣が言葉を整える。


「混ぜ物が“祈り”に干渉している可能性がある、と」

「その前提で、検分の手順を組みます」


クラリスは、そこで頷かない。

頷けば、断定になる。


断定は刃だ。

刃は、必要なときに抜く。


「私は現象だけを拾う」

「判断は、あなたたちの白で」


年配の白衣の口元が、わずかに硬くなる。

伯爵家の白は、礼を尽くされるより、責任を渡される方が重い。


「承りました」



若い白衣が、別の机へ案内した。

そこには“開封済み”の小さな包みがある。


布で二重。

さらに油紙。

それでも、匂いは漏れていた。


香――ではない。


甘いようで、すぐに金属が刺す。

鼻の奥に冷える匂い。

祈りの香に似せようとして、似せきれていない匂い。


「これが、開けられた方です」


若い白衣の声が乾く。


「現場では使っていません。使う前に止めました」


クラリスは心の中で息を吐く。

間に合った。


だが、間に合ったのは“ここ”だけだ。

他は分からない。


年配の白衣が、手袋を二枚重ね、さらに布越しに包みを押さえた。

直接は触れない。

立会いがいる。

記録がいる。


その動きは、神殿の白より静かで、堅い。


「……混ぜ方が雑ですね」


「分かるの?」


クラリスが問うと、年配の白衣は淡々と答える。


「祈りの香は“揮発”します」

「これは揮発しない成分が残る。――残る匂いです」


残る。

残るから、追える。


クラリスは、視線を机の端へ移した。

そこに置かれた小皿。

灰が少し乗っている。


銀色の粒子。


「神殿の祈祷室で出たものと、似ている」


年配の白衣が、粒子を見たまま頷く。


「似ている、では足りません」

「一致を取ります。……ただし“化学”という言葉は使いません」


クラリスの口元が、ほんの少しだけ上がる。


「言葉は要らない。結果だけでいい」


年配の白衣は、銀色粒子を別の紙に移さず、皿ごと封をした。

封をして、封の外に置いた。


「触った、が増えると嘘が混ざります」


嘘が混ざりにくい。

面倒の方が嘘は混ざりにくい。


神殿で聞いた言葉が、ここで別の形で生きる。



奥の寝台で、咳が聞こえた。


患者がいる。

ここは現場だ。


クラリスは、それを見ない。

見ると、手が出る。

手が出れば、現場が崩れる。


崩れる前に、線を引く。


クラリスは白衣たちに向けて、短く言った。


「聞きたいのは一つだけ」


年配の白衣が、顔を上げる。


「はい」


「祈りが弾かれる時」

「患者の“体”が拒んでいるのか」

「道具が“道”を塞いでいるのか」


若い白衣が息を呑む。

年配の白衣は、即答しない。

即答しないのは、誠実だからだ。


「……現象だけで言えば」

年配の白衣は、言葉を選ぶ。


「体が拒むなら、拒み方に“揺れ”が出ます」

「熱で、脈で、呼吸で」

「でも報告にあるのは、揺れではなく“壁”です」


壁。


言葉が出た瞬間、クラリスの境界が、わずかに震えた。


「壁は、祈り手ではなく道の方にある」

年配の白衣が続ける。


「道具、香、器……」

「そして、供給線そのものに“混ざる”ものがあるなら」

「祈りは届きません。届く前に削られます」


削られる。

擦れる。


神殿の中で感じた手触りと一致する。


クラリスは、白猫の笑みを薄く戻した。


「結論はまだ要らない」

「でも、輪郭は掴めたわ」


若い白衣が、声を落とす。


「……公爵令嬢様」

「いえ、失礼。奉納の確認の方」


クラリスは目だけで頷く。


「何か」


「伯爵家の診療所の外側で、薬草の“行方不明”が増えています」

「現場が足りないと言っても、倉は空にならない。……変です」


変。

それは、線が二本走っている時の匂いだ。


クラリスは短く息を吐く。


「伯爵家の医療を、外から削ってる」


言葉にした瞬間、部屋が静かになる。

静かになるのは、全員が同じ結論に触れたからだ。


年配の白衣が、淡々と返す。


「削られているのは、薬草だけではありません」

「信頼です」


信頼が落ちれば、流れが変わる。

流れが変われば、権限が動く。

権限が動けば――医療が取られる。


(レナートは気づく)

クラリスは、まだその名を出さない。

出せば火が上がる。


今は、火種を集める段階だ。



クラリスは扉へ向かいながら、最後に一つだけ置く。


「未開封箱は、今夜はここから動かさないで」

「動かすなら、明朝」

「立会い四名、記録三通」

「運ぶ経路は一本に固定」


若い白衣が目を見開く。


「四名も……?」


「四名が多いなら、疑いが多い場所よ」


クラリスは笑わない。

笑わないまま、白猫の声で切る。


「疑いが多い場所ほど、線を太くするの」


年配の白衣が頷いた。


「承知しました。……守ります」


守る。

守ると言える現場は強い。


クラリスは扉の外の闇を見た。

闇は線が見えやすい。


孤児院。

奉納。

灰の封。

そして、伯爵家医療の外側。


線はもう一本ではない。

複数の線が、同じ場所へ寄っている。


白猫は、まだ飛びかからない。


けれど――


爪を隠したまま、距離だけは詰めた。


次に切るのは、

“慈善”の顔をした流通線だ。

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