第165話 影の立会い
庭の灯りは、白い。
白いのに、清くない。
油の匂いが混じり、湿った布の匂いが混じり、そして――金属の冷えた匂いが、ほんの少しだけ混じる。
クラリスは窓辺から離れない。
出ない。
出れば、名が立つ。
名が立てば、“公”が動く。
“公”が動けば、現場が止まる。
止めない。
庭先に、伯爵家の白衣が二名。
手つきが早い。
言葉が短い。
無駄がない。
回収は、ただの運搬ではない。
現場の流れを切らずに、危険だけを抜く手順だ。
その手順の端に――灰の影が立っている。
フードは深く、顔は見えない。
だが、姿勢が妙に整っている。
祈りの人間の立ち方ではない。
“見張り”の立ち方だ。
(灰の司祭)
侍女が言った名。
しかし名は、ただの札だ。
札は、用途で価値が変わる。
クラリスは息を殺し、視線だけで線を引いた。
白衣が箱へ近づく。
隔離された未開封。
封に触れない。
触るなら二名以上。
正しい。
その正しさが、ここを守る。
白衣の一人が、記録係の神官に紙を差し出した。
組合の者だろう。
手は荒れていないが、指先が震えている。
責任が怖い手だ。
白衣が短く言う。
「封の状態、読み上げ」
神官が頷き、声を出す。
「封蝋、灰。刻印……会計室の型に似ています」
似ている。
ここでも、その言い方。
似ているは便利だ。
断定を避けられる。
だが、避ければ避けるほど、線は濃くなる。
灰の影が、ふっと首を傾けた。
笑った気配はない。
だが、面白がっている気配がある。
(この人は、“混ざっている”のを知っている)
知っていて、ここへ来た。
なら、目的は回収ではない。
――回収“の後”を見に来たのだ。
◇
箱が運ばれる。
白衣が二人で持つ。
軽くはない。
軽いはずがない。
中身が重いのではない。
“責任”が重い。
神官が一歩遅れて付いていく。
そして、灰の影も付いていく。
付いていくのに、邪魔はしない。
介入もしない。
ただ、距離だけは崩さない。
(立会いに見せかけた監視)
誰の監視か。
伯爵家か。
神殿か。
――もしくは、その両方をまとめて。
クラリスはそこで、動かずに答えを出すのをやめた。
答えは刃になる。
刃は、必要なときに抜く。
今は、爪を研ぐ。
◇
回収隊が庭を抜ける直前。
灰の影が、白衣のうち一人にだけ、ほんのわずかに顔を向けた。
声は届かない。
届かないが、動きで分かる。
“何か言った”。
白衣が一瞬だけ足を止めた。
止めて、すぐに動いた。
止めたのは驚きではない。
――確認だ。
(灰は、伯爵家側に何かを渡した)
渡したのが情報なら、伯爵家は動く。
動けば、狙われる。
狙われれば、火が上がる。
火が上がる前に、線を切る。
クラリスは窓から目を離さず、侍女へ静かに命じた。
「今夜の回収の記録を、二つ作りなさい」
侍女が息を呑む。
「二つ、ですか」
「ええ」
「一つは、伯爵家の正式記録」
「もう一つは、私の控え。名は入れない。日時と人数と封の状態だけ」
名を入れなければ、攻撃されにくい。
攻撃されにくい記録は、残る。
残れば、後で刃になる。
侍女が頷く。
「承知しました」
◇
回収が去り、庭が静かになる。
静かになった庭の端で、灰の影だけが残った。
残ったのではない。
残したのだ。
灰の司祭が、ふっと顔を上げる。
窓の方を見る。
視線が合う……はずがない。
フードが深い。
それなのに、合った気がした。
クラリスは背筋を伸ばし、窓から一歩引く。
見られたくないからではない。
“線”を渡したくないからだ。
灰は、そのまま踵を返す。
どこへ行くかは分からない。
だが、方向だけは分かる。
診療所の外側。
施療小屋の外側。
監視が薄い場所へ。
(壁は、外で作られる)
壁を作るのは、祈りではない。
道具と金と手順だ。
クラリスは外套の紐を結び直し、椅子に座った。
動くのは、まだ早い。
今夜は、回収が終わっただけ。
明日は、運び手が浮かぶ日。
白猫は、灯りの下で爪をしまい直す。
笑みは薄く。
瞳は冷たく。
次に切る線は、
“神殿”ではなく、“街の外側”に引かれる。




