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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第5章 境界の祈り編 (クラリス)

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第163話 境界の祈り

一覧は、夕刻までに揃った。


紙の束は薄い。

薄いのに重い。


“支給品”が入った診療所は、伯爵家の直轄だけではない。

近隣の施療所。

慈善院。

薬師組合の小さな小屋。


そして共通しているのは――“神殿経由”。


クラリスは馬車の中で紙をめくった。

指先は汚さない。

汚さないまま、線だけ拾う。


開封済み:三。

未開封:七。

不明:二。


不明は、現場が忙しすぎて聞けなかったのではない。

“答えたくない”不明だ。


(もう混ざっている)


胸の奥で、境界がざらりと鳴る。


「お嬢様」


御者の声がさらに低くなる。


「伯爵家の屋敷から伝言です。レナート様より――」


クラリスは窓を開けない。


「短く」


御者が復唱する。


「“診療所に白衣が出入りしている。会計の手ではない。薬務の手でもない。……祈祷の手だが、祈りが薄い”」

「“こちらでも同じ匂いを拾った。伯爵家の薬庫に、神殿の封が混じっている”」


混じる。


神殿の中で起きたことが、伯爵家へ伸びている。

“医療を取り込みたい輩”の匂いが、ここで形になる。


クラリスは白猫の笑みを薄く保ったまま、言った。


「分かった。レナートには――“線を越える封は全部控えろ”って返して」


御者が頷く。


クラリスは紙を閉じ、馬車の行き先を変えさせた。


「境界神の礼拝所へ」


御者が一瞬だけ迷い、すぐに礼を整える。


「承知しました」



境界神の礼拝所は、神殿の中心から外れた場所にある。


大きな尖塔もない。

黄金の飾りもない。


石の門柱。

低い壁。

そして――線。


門の内と外で、空気が変わる。


香は薄い。

代わりに、冷たい水と乾いた石の匂いがする。

祈りが“高く”上がる場所ではなく、祈りが“通る”場所だ。


中にいる司祭は、白ではない。

灰でもない。

境界の印を衣の端にだけ刺した、地味な装い。


クラリスが名乗る前に、司祭は目を上げた。


「公爵令嬢」


呼ばれ方が、公的でも私的でもない。

線の内側の呼び方だ。


クラリスは礼を返す。


「確認が欲しいの。祈りが弾かれている」


司祭は驚かない。

驚かずに、ただ言う。


「弾かれるのは、“境界が立っている”時です」


クラリスは眉を動かさず、問いを整えた。


「境界が立つ理由は二つある」

「守るためか、閉じるためか」


司祭が頷く。


「守る境界は、通す線を持つ」

「閉じる境界は、線を持たない。壁になる」


クラリスは息を吸った。


(壁だ)

(通す線がない)


「誰が壁を立てられる」


司祭は一拍置き、古い言葉で答えた。


「秩序(ORDO)が壊れた時、境界(ORD)は立ちます」

「そして、境界を“壁”に変えられるのは――“線を汚す者”です」


線を汚す。


神殿で出た“混ざっている”と同じ感触。

香。

器。

粉。

金属の屑。


クラリスは確認を置いた。


「混ぜれば、境界は壁になる?」


司祭は淡々と頷いた。


「祈りは道を通ります」

「道が汚れれば、祈りは弾かれる」

「弾かれた祈りは、別の道へ流れる」

「流れが変われば、信頼が動く」


クラリスは小さく息を吐いた。


神殿の金を洗うより先に、街が結論を出す――それと同じ。

生存は、最短の道を選ぶ。


「私の祝福が特別だと言われる理由は」


司祭は、初めて視線を強くした。


「あなたの祝福は“境界の内側”にあります」

「治す力ではなく、通す力」

「奇跡を起こすのではなく、奇跡が通る道を守る力」


クラリスは指先を軽く握った。


派手に光らない理由が、ここにある。

戦うためではなく、混ざらせないため。


「やることは決まった」


クラリスは静かに言った。


「壁を壊すんじゃない」

「壁を立てた“混ぜもの”を抜く」


司祭が頷き、短い紙を差し出す。


署名も紋章もない。

ただ、境界の紙質だけが本物を示す。


「線の祈りです」

「道具に触れず、道の方に触れる」


クラリスは受け取る。


文字を読む必要はない。

この紙は“手順”ではなく“方向”だからだ。



礼拝所を出ると、夕闇が落ちていた。


街の咳は止まっていない。

列も、消えていない。


それでもクラリスの胸の中で、線が一本引かれた。


神殿は終わった。

次は街。

次は白。

次は伯爵家の領分。


そして――混ぜものを誰が運んでいるのか。


クラリスは馬車の中で、一覧の紙をもう一度だけ開く。


開封済み三。

未開封七。

不明二。


不明から先に潰す。


白猫の笑みが、薄く戻る。


爪を出すのは、派手な時じゃない。


静かな時だ。


白猫は、境界で息を整えた。


次に跨ぐのは、

“壁”ではなく――壁を立てた手の方だ。

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