第157話 区切り
神殿上層から、公式文書が出た。
評議会へ。
会計室へ。
現場へ。
短い文。
短いほど、本物だ。
――薬草供給は現場優先。
――会計室は監督権限を一部停止。
――祈祷室器物管理は現場主任へ復帰。
――熱病対応に関する遅滞は、上層が直接監督。
派閥の手を介さない。
それは、神殿にとって“恥”でもある。
自分たちで解決できなかった証明だから。
だが、恥より死者が重い。
◇
廊下の端で、年配神官が目を逸らした。
逸らした先で、若い神官が薬草箱を抱えて走る。
祈りの場ではない。
現場の場だ。
神殿は、まだ生きている。
生きているから、争う。
争うから、割れる。
ルーカスは淡々と記録を束ねた。
束ねた紙は、神殿上層へ渡す。
同じ束を、王へも渡す。
“戻れないようにする”ために。
◇
夕刻。
灰の司祭が、廊下の窓辺で止まった。
外の街を見ている。
街の熱病は、神殿の争いより早い。
灰の司祭が、へらりとだけ言う。
「一段落、ですね」
ルーカスは礼式を崩さずに答えた。
「段落はつきました」
「ただし、終わってはいません」
灰の司祭が肩をすくめる。
「祈りの壁」
「混ざった粉」
「誰が、何のために」
ルーカスは結論を言わない。
ただ、次を言う。
「経路を確定します」
「確定したら、線を切ります」
灰の司祭が、笑いそうな気配だけで言った。
「線、切るの上手そうですよね」
ルーカスは返さない。
返さないまま、歩き出す。
神殿編はここで区切れる。
供給は戻った。
権限も戻った。
責任線も一本にまとまりつつある。
だが――
祈りが弾かれた“壁”は残った。
飛んだ火の粉は、伯爵家の医療圏へ向かっている気配がある。
誰かが、医療を欲しがっている。
神殿の金だけでは足りない者が。
神殿の外の医療を、取り込みたい者が。
次のページは、もう準備されていた。
紙の上に、血は出ない。
けれど――残る。
残るからこそ、痛い。
____
神殿を出た空気は、少し重かった。
匂いが違う。
祈りと紙と封蝋の匂いが、背後に置き去りになる。
ルーカスは馬車の段差を降り、振り返らずに言った。
「供給は戻りました」
確認するような声。
終わったかどうかではなく、“どこまで戻ったか”を測る声だ。
灰の司祭が、曖昧に頷く。
「表向きは、ですね」
表向き。
その言葉が、すべてだった。
神殿は整った。
記録も揃った。
責任線も一本になった。
それでも――祈りは弾かれた。
ルーカスは歩きながら、頭の中で線を引き直す。
香。
器。
封蝋。
鍵。
外部支払い。
評議会。
会計室。
そこまでは、神殿の中の話だ。
だが、香の箱の底。
銀色の微粉末。
外部薬草商の所在地。
あれは、神殿の中だけでは完結しない。
(祈りを弾く“壁”は、神殿の外側にも触れている)
神殿の祈祷は、魔法ではない。
祝福でもない。
祈りは、“通す”ものだ。
通るためには、境界が必要になる。
境界が歪めば、弾かれる。
灰の司祭が、へらりとした調子で言う。
「神殿の中で完結するなら、楽だったんですけどね」
ルーカスは礼式を崩さずに返した。
「楽な事件は、評価されません」
灰の司祭が、面白そうに肩をすくめる。
「評価、されましたよ」
「王に」
ルーカスは、それには答えない。
評価は、終わりではない。
次の厄介ごとの始まりだ。
◇
神殿から少し離れた通り。
薬草商の看板が、風に鳴っている。
古い。
年季が入っている。
だが――儲かっている店の音ではない。
「ここですか」
ルーカスが言う。
灰の司祭は、看板を見上げてから答えた。
「ええ」
「神殿と長い付き合いのある商人です」
長い付き合い。
それは、信頼ではない。
“切れない関係”だ。
ルーカスは、ここで初めて足を止めた。
「……神殿は」
「いつから、外の医療に手を伸ばし始めたのでしょうか」
灰の司祭は、即答しない。
答えない、という選択をする。
「さあ」
「欲しいものが増えた時、じゃないですか」
欲しいもの。
金。
権限。
そして――医療。
神殿の医療では足りない。
だが、伯爵家の医療は強い。
現場を回せる。
人を生かせる。
金にもなる。
(誰かが、そこに目をつけた)
ルーカスは、記録帳を閉じた。
今日は、書かない。
今日は、見る。
「確認は、次に回します」
灰の司祭が、少しだけ目を細める。
「珍しいですね」
「今日は“殴らない”」
ルーカスは、淡々と言った。
「殴るには、相手の輪郭が足りません」
「輪郭が見えたら――」
言葉を切る。
切った方が、重い。
灰の司祭が、くすっと笑った。
「その言い方」
「怖がらせる気、あります?」
ルーカスは答えない。
答えないまま、歩き出す。
神殿の捜査は終わった。
だが、祈りの壁は残った。
その壁は、神殿の外に続いている。
医療の境界へ。
伯爵家の領分へ。
次に火が上がる場所は、もう見えていた。
ルーカスの神殿捜査終了。




