第155話 評議会の扉
「次は、評議会です」
ルーカスの声は丁寧だった。
丁寧だからこそ、冷たい。
会計役の顔色が青いまま、扉の向こうを見た。
評議会へ繋がる廊下は、神殿の中で一番静かなはずなのに――今日は違う。
静かさの中に、耳を塞ぐような気配がある。
走る音はない。
紙の擦れる音もない。
代わりに、待っている音がある。
“上”は、いつでも待てる。
待つほど、相手が崩れるのを知っているから。
ルーカスは礼式のまま、若い神官へ視線を送った。
「祈祷室の器具棚、香、器物管理簿。現状のまま封を」
若い神官が頷く。
封は神殿側の手で施す。
封蝋は会計室のものではなく、祈祷室の印で。
“どちらの責任線に載せるか”を、ここで決める。
灰の司祭が、廊下の壁を眺めたまま言った。
「封って、安心しますよね」
「安心するのは、触った人だけですけど」
ルーカスは返さない。
返さないまま、会計役にだけ確認を置いた。
「評議会の“財務担当補佐”」
「本日、召集はかかっていますか」
会計役が喉を鳴らす。
「……知らん」
ルーカスは頷いた。
「承知しました」
知らない、と言ったことも、記録になる。
◇
評議会前。
扉の前に立つ神官が二人いた。
年配。
指の節が硬い。
祈りの手ではない。
「評議会は多忙です」
「許可なく――」
ルーカスは礼式のまま頭を下げた。
角度は綺麗で、完璧で、だからこそ怖い。
「宮廷監査局、特任監査官です」
「熱病対応の停滞、薬草供給停止、祈祷室器物への関与について」
「会計役が“評議会指示”を認めました」
一拍。
「確認の範囲内です」
神官の目が揺れた。
“評議会指示”という言葉は、評議会の盾ではなく、評議会の刃になる。
灰の司祭が、小さく息を吐く。
笑いそうな気配だけ。
「盾って」
「刃が刺さると、薄いですよね」
ルーカスは司祭を見ない。
見ないまま、扉を指した。
「開けてください」
神官の指が、震えながら鍵へ伸びた。
鍵が回る音がした。
扉が開く。
中には、紙の匂いがあった。
祈りではなく、計算の匂い。
円卓。
椅子。
そして――揃っていない人数。
欠席がある。
欠席は、逃げの形だ。
ルーカスは一歩も急がない。
急がないまま、礼式のまま告げた。
「本件、確認を開始いたします」
「責任線は一本にまとまりつつあります」
「まとまる前に、あなた方の言い分を“記録”に残します」
—-
評議会の席にいたのは、年配の神官ばかりだった。
金と利権の匂いがする。
現場の匂いはしない。
中央に座る男が、薄く笑う。
財務担当――ではない。
“財務担当補佐”。
補佐、という言葉は便利だ。
責任を薄くできる。
「監査官殿」
「神殿の内部問題に、外の者が口を挟むのは――」
ルーカスは否定しない。
否定せずに、逃げ道を塞ぐ。
「内部問題であることは理解しております」
「ただし、熱病が外へ出た時点で、内部ではありません」
「死者が出れば、神殿の信用が落ちます」
「信用が落ちれば、献金が落ちます」
一拍。
「――それは、神殿の損失です」
補佐の笑みが、ほんの少しだけ固まる。
献金は祈りより効く。
灰の司祭が、机の木目を眺めたまま呟く。
「損失って」
「祈りより早いですよね」
補佐が咳払いをした。
「会計室が過敏に動いたのでしょう」
「評議会は指示など――」
ルーカスは礼式のまま紙を一枚だけ示した。
示しただけ。
触れない。
会計室の申告記録。
――会計役、祈祷室鍵受領(三日前)と評議会指示を認める。
「会計役が、評議会指示を認めています」
「否定されるなら、否定を記録します」
補佐の眉が動く。
「……その“記録”は、貴殿の手で作られたものだろう」
ルーカスは頷く。
「はい。立会人二名のもとで作成しています」
「神殿側の証言者です」
「否定される場合は、神殿側証言の否定になります」
補佐の喉が鳴った。
否定すれば、味方を切る。
切れば、現場が離れる。
現場が離れれば、死者が増える。
死者が増えれば、献金が落ちる。
補佐は、計算する顔になった。
「……確認したいことがある」
ルーカスは丁寧に返す。
「承ります」
補佐は、言葉を選んだ。
「祈りが弾かれた件は」
「本当に“器物”の問題なのか」
ルーカスは結論を言わない。
結論は刃物になる。
ただ、確認を置く。
「祈祷室灰に、銀色反射粒子の混入がありました」
「器具棚内から、金属筒と白色微粉末が確認されました」
「会計室封蝋の関与も確認されています」
一拍。
「器物・香・封の管理線が、会計室と評議会へ繋がっています」
補佐の笑みが消える。
「……証拠は」
ルーカスは丁寧に答えた。
「揃えます」
「揃えた上で、依頼元へ“公式”に返します」
補佐の目が揺れる。
依頼元。
誰かは分からない。
だが、“上”だ。
灰の司祭が、ぼそりと言った。
「公式って」
「嫌いですよね」
補佐は唇を噛んだ。
ここで噛んだのは、祈りではない。
“損”だ。
そして補佐は、逃げ道を作る。
「評議会としては」
「会計室の独断だった可能性も――」
ルーカスは、丁寧なまま切った。
「可能性は、記録に残します」
「同時に、独断であったなら“監督不全”として残します」
一拍。
「どちらでも、線は残ります」
補佐の肩が、わずかに落ちた。
一本の線が、二本になっただけだ。
逃げではない。
増えたのは、責任の線だ。
—-
評議会を出た廊下で、空気が変わった。
白い神官服。
歩幅が揃っている。
急ぎではない。
急がなくて済む者の歩き方。
先頭にいる男は、年配ではない。
だが、若手でもない。
中間の年齢。
中間は、上に繋がる。
「監査官殿」
「大司教代理より、お呼びです」
ルーカスは礼式のまま頭を下げる。
「承知いたしました」
灰の司祭が、後ろで小さく息を吐く。
笑いそうな気配だけ。
「呼ばれると」
「早いですね」
◇
大司教代理の執務室は、祈りの匂いが薄かった。
代わりに、疲れの匂いがある。
眠っていない匂い。
机の上に、封のない短い書面が置かれていた。
署名も紋章もない。
ただ、神殿の紙質だけが本物を示している。
代理が、目を伏せたまま言う。
「神殿は、割れたままでは持たぬ」
「熱病が広がれば、祈りも献金も落ちる」
ルーカスは礼式のまま答える。
「はい」
代理は、書面を指した。
「これを現場へ回せ」
ルーカスは受け取る。
中身を見るまでもない。
“現場へ回す”という命令は、派閥の手を介さないという宣言だ。
代理は続けた。
「評議会には、私から“公式”で釘を刺す」
「会計室には、権限の一部停止」
「祈祷室の器物管理は、現場の主任へ戻す」
一拍。
「ただし――」
代理の指が、机の隅の別紙に触れた。
「祈りが弾かれる理由は、まだ見えていない」
ルーカスは結論を言わない。
「はい。経路の確定がまだです」
代理は、目だけを上げた。
「続けろ」
その言葉は命令ではない。
許可だ。
灰の司祭が、扉の枠を眺めたまま呟く。
「許可って」
「重いですよね」
ルーカスは司祭を見ない。
見ないまま、丁寧に言った。
「重い方が、嘘が混ざりにくいので」
代理の口角が、ほんの少しだけ上がった。
「よし」
「では――王へも返せ」
神殿上層が、王へ返せと言った。
つまり、この件は“神殿だけで収めない”。
神殿が一番嫌う形に、道が開いた。
ルーカスは礼式のまま頭を下げる。
「承知いたしました」
次のページが、確かに開いた。




