第151話 調合室
調合室は、暗い。
灯りが弱いのではない。
粉が灯りを食う。
乾いた葉の粉、樹皮の粉、灰色の細かな屑――空気そのものが沈んでいる。
薬務担当が一歩先に入り、息を整えた。
「ここは……私どもの管理です」
ルーカスは頷く。
頷いて、まず床を見た。
次に棚。
次に、作業台。
最後に――窓。
窓は小さい。
外へ逃がさない作りだ。
逃がさないのは匂いか、秘密か。
「確認いたします」
丁寧な声。
だが、内容は鋼だ。
「調合の最終工程は、どなたが行いましたか」
薬務担当が答える。
「私です。……直近の祈祷室向けは、私が」
「立会いは」
「……本来は二名です」
「本来、ですね」
薬務担当が唇を噛む。
「熱病で人が足りません」
ルーカスは責めない。
責めずに、順番を置き換える。
「承知しました。では“人が足りない”中でも守った規定は何ですか」
薬務担当が眉を寄せる。
答えが出るまでに一拍。
「封蝋です。封だけは、必ず」
ルーカスは頷く。
封が守られているなら、封が破られた場所が浮く。
灰の司祭が背後でぼそりと言った。
「封って、守るほど怪しくなるんですよね」
薬務担当が不快そうに視線を向けかける。
だが、ルーカスが礼式のまま、先に言葉を入れた。
「封は証拠です。だから、確認いたします」
ルーカスは棚の端を指した。
小箱が並ぶ。
中身は香の原料。
札が付いている。
札の字が、同じ手で書かれていない。
そこが怖い。
「祈祷室へ回した香の原材料」
「この三日分を、同じ配合で、ここで再計量できますか」
薬務担当が驚く。
「……再計量、ですか」
「はい」
「同じ比率なら、重量の差異が“調合後”か“調合前”か分かります」
「調合前からなら、入庫の段階で混ざっています」
「調合後なら――この部屋の中で混ざっています」
薬務担当の顔が硬くなる。
ここで混ざっていたら、責任は自分の喉元まで来る。
「……やります」
やる、の一言が記録になる。
ルーカスは淡々と紙に書いた。
――薬務担当、再計量に同意。
◇
作業台に秤が置かれた。
古い天秤。
重りの刻印。
神殿の責任。
薬務担当の手が、素早く動く。
慣れた手だ。
慣れた手は、嘘も綺麗に混ぜる。
だが――慣れた手は、いつも同じ癖を残す。
癖は記録になる。
一つ目。
乾いた葉。
二つ目。
樹皮。
三つ目。
白い粉末。
祈りを通すための“基材”。
薬務担当が言う。
「これが、祈りの香の土台です」
ルーカスは頷く。
頷いたまま、問いを置く。
「基材の入庫先は」
「会計室の管轄です」
その瞬間、空気が少し重くなる。
会計室。
金の手。
紙の手。
紙の手が触れると、祈りが弾かれる。
灰の司祭が、机の端を眺めたまま呟いた。
「紙の手、って言葉」
「嫌いじゃないです」
ルーカスは司祭を見ない。
見ないまま、丁寧に言った。
「基材だけは、別で確認します」
薬務担当が眉を寄せる。
「基材が原因だと?」
ルーカスは否定しない。
否定せずに、線を引く。
「可能性の切り分けです」
「香は、混ざれば弾きます」
「器も、混ざれば弾きます」
「基材が混ざっていれば、どちらを替えても弾きます」
薬務担当が黙る。
黙るしかない。
切り分けは正しい。
正しいほど痛い。
◇
再計量が終わった。
薬務担当が、調合前の束を量る。
帳面の数字と照らす。
針が揺れて、止まる。
「……合っています」
若い神官が、祈祷室へ配布した箱を運んできた。
同じ配合で作った“今”の香。
そして“配布済み”の香。
二つを並べる。
匂いは同じ。
だが、重さが違う。
ほんの僅か。
針が、同じ位置で止まらない。
薬務担当の喉が鳴った。
「……調合前は合う」
「調合後が、合わない」
つまり。
混ざったのは――この部屋か、封の後。
ルーカスは淡々と言う。
「封の後です」
薬務担当が反射で言い返す。
「封は守っている!」
ルーカスは礼式のまま、言葉を整える。
「封を守っていても、封の“外”は守れません」
「運ぶ途中」
「保管途中」
「祈祷室で開封した瞬間」
「そのどこかで混ざります」
灰の司祭が、ふっと息を吐く。
笑いそうな気配だけ。
「混ぜる場所って」
「だいたい“誰も見てない”場所なんですよね」
ルーカスは、そこで決定打を打たない。
打たずに、次の扉へ進める。
「祈祷室の器を確認します」
「香を疑うなら、器も疑う」
「そして、基材の入庫記録を再確認します」
薬務担当が、低い声で言った。
「……誰が、こんなことを」
ルーカスは答えない。
答えないまま、紙に一行だけ追記する。
――調合前一致/配布済み香に重量差異。混入は封後の可能性。
それだけで十分だ。
“混ざった”は、もう動かない。
◇
調合室を出る。
廊下の空気が少し軽い。
軽いが、安心はしない。
安心した瞬間、足元が抜ける。
ルーカスは歩きながら、頭の中で線を重ねる。
会計室の外部支払い。
備蓄庫の欠落。
祈祷室の香の異物混入。
そして――祈りの不達。
線は一本ではない。
複数の線が、同じ場所へ収束している。
灰の司祭が、後ろでぼそりと言った。
「……次、器ですね」
ルーカスは頷く。
「はい」
器を洗えば、壁の手触りが分かる。
壁が祈りを弾くなら。
壁に触った者も、必ず残る。
祈祷室へ続く廊下の先が、少しだけ暗く見えた。
次のページが、もう開いている。




