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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第4章 神殿捜査編(ルーカス)

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第150話 香の道

祈祷室の外に出た瞬間、空気が少し冷えた。


冷えるのに、胸の奥は熱い。

熱いのに、顔には出さない。

ルーカスは、いつも通り礼式のまま歩いた。


「まず、香です」


誰に言うでもなく、言葉を置く。

言葉を置けば、順番が決まる。

順番が決まれば、逃げ道が減る。


 

灰の司祭が後ろから、ぼそりと言う。


「香って、便利ですよね」


「祈りと同じで、目に見えない」


「目に見えないものほど、帳面が必要です」


 

丁寧に返すと、司祭は軽く息を吐いた。

笑いそうな気配だけ。


 



香の保管室は、祈祷室よりも地味だった。

祈りの香ではなく、紙の香がする。


棚。

木箱。

封。

そして、配布記録。


扉の前で、若い神官が慌てて礼をした。


「監査官殿……こちらです」


 

ルーカスは頷き、まず室内の端から端までを見渡した。

見るだけで、だいたい分かることがある。


この部屋は整理されている。

整理されている部屋は、“誰かが管理している”。

管理は善でも悪でもない。


ただ――意図がある。


「確認いたします。香の配布は、どなたの承認で行われていますか」


若い神官が即答する。


「薬務担当です。会計室ではありません」


「承知しました。では、薬務担当の配布記録を」


机に帳面が置かれる。


綺麗すぎる字。

綺麗すぎる帳面は、読みやすい。


読みやすい帳面は、嘘も混ぜやすい。


 

ルーカスは責めない。

責めずに、別の角度から切る。


「現物を確認いたします」



若い神官が目を瞬いた。


現物。

帳面より怖い言葉。



ルーカスは棚の端を指す。


「祈祷室へ配布された香――直近三日分」


「同じ箱から取ったものを、ここで量ってください」


「……量る、ですか」


「はい。帳面の数字と、現物の減りが一致するかの確認です」


丁寧に言う。

丁寧に言うほど、逃げ道がなくなる。


若い神官が箱を運ぶ。

封は崩れていない。

だが蝋の厚みが、わずかに違う。


灰の司祭が、箱の縁を見てぼそりと言った。


「蝋、薄いですね」


 

ルーカスは司祭を見ない。

見ないまま、言葉だけを返す。


「“薄い”は、触れた証拠になり得ます」



若い神官が秤を出す。


古い天秤。

神殿の備品。

重りには刻印。


この刻印がある限り、秤は神殿の責任になる。



一箱目。


重りを乗せる。

針が揺れる。

揺れて、止まる。


 

若い神官が帳面を開き、読み上げる。


「この箱は、三日で……この分だけ減っているはずです」


 

針は、合わない。

ほんの僅か。

だが僅かが怖い。


香は軽い。

軽いから、僅かで十分に混ざる。


「……合いません」


若い神官の声が乾いた。


 

ルーカスは頷く。

頷いたまま、問いを変える。


次の扉を開ける問いに。


「この香は、どこで調合されましたか」



「調合室です」


 

「調合室への出入り記録は」


 


若い神官が言い淀む。


「……ありますが、薬務担当の管理で……」



「承知しました」


承知した、で終わらせない。

承知した、から始める。


「薬務担当を呼んでください」


「それと、祈祷室の器物台帳の担当も」


「香と器が別に管理されているなら、どこかで“混ざる”場所が必ず出ます」


 

若い神官が走る。

走り出せば、もう止まらない。


 

灰の司祭が、後ろで小さく言った。


「走らせるの、上手いですね」


「手順で走らせています」


「人じゃなくて」


 


「はい」


 



薬務担当が来たのは早かった。


若い。

実務派の顔だ。

疲れているが、目は死んでいない。


「監査官殿。お呼びと聞きましたが……」



ルーカスは礼式のまま、丁寧に言った。


「恐れながら、香の配布記録と現物重量に差異が出ました」


「誤差の範囲か、混入の可能性か、確認いたします」


 


薬務担当の眉が動く。


誤差と混入。

選べと言われている。


「……混入など、あるはずが」



ルーカスは否定しない。

否定せずに、逃げ道を塞ぐ。


「あるはずがない、なら証明できます」


「調合室の配合記録」


「原材料の入庫」


「調合後の封の立会い」


「そして、祈祷室へ運んだ者の記録」


 


薬務担当が息を呑む。


「そこまで……」



「熱病が広がっておりますので」


丁寧に言う。

だが、その丁寧さは壁だ。


 

薬務担当は唇を噛み、頷いた。


「……分かりました。調合室を開けます」


 

灰の司祭が、面白がっている気配だけで呟く。


「開けるって」


「怖いですよね」


 


薬務担当が振り向きかける。

だが、誰も司祭を見ない。

見れば、そこで場が乱れる。

乱れは記録になるが、今はまだ早い。



ルーカスは、秤の横に帳面を置き、淡々と書き足す。


――香、現物重量差異あり。薬務担当、調合室開示に同意。


 

それだけで、逃げ道が消える。


 



調合室へ向かう廊下。

祈祷室とは違う匂いがする。


甘さがない。

土と粉と、乾いた葉の匂い。


 

ルーカスは歩きながら、一度だけ思う。


(混ざっているなら、意図だ)


(意図なら、誰かが得をする)


 

得をする者は、必ず“線”を引く。

線を引いた場所に、責任が集まる。


 

灰の司祭が、隣でぼそりと言った。


「混ぜ方、二つありますよ」


「伺います」


 


「ひとつは、香に混ぜる」


「もうひとつは、器に塗る」



ルーカスは頷いた。


「どちらも、祈りは弾かれます」


 

「そう」


司祭の声が、少しだけ低くなる。

軽さが抜ける。


「弾かれるのは」


「祈りが弱いからじゃない」


「……壁があるから」


 


壁。

王が言った“壁”。


ルーカスは礼式のまま、淡々と言う。


「壁の材料を確定します」


 

調合室の扉の前で、薬務担当が鍵を回した。


鍵が回る音がした。

神殿の“祈り”の中身が、いま開く。


 


そして――


扉が開く前に、ルーカスの頭の中で一つの線が繋がった。


香は目に見えない。

目に見えないものは、信じるしかなくなる。


信じるしかない場所ほど、金は動く。


 

だからこそ、ここだ。

ここに、混ぜた手がいる。


 

扉が、ゆっくりと開いた。

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