表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/69

第15話 汚い手は、弱いところを狙う


第15話 汚い手は、弱いところを狙う


査問会の閉廷は、勝利じゃない。


ただ、神殿の“物語”を折っただけだ。


折られた物語は、次にもっと汚い形で戻ってくる。


王宮を出た廊下で、レナートは確かにそう言った。


「次は、もっと汚い手が来る」


その予言は、当たった。


屋敷に戻った翌朝から、空気が変わった。


執事長が報告を持ってくる。


「共同施療所の前に、見慣れぬ者が増えております」


「噂屋?」


ルーカスが訊くと、執事長は首を振った。


「噂屋というより……“待ち伏せ”です」


お父様が短く言う。


「狙いは?」


私は答えた。


「弱いところ」


紙は燃やせない。


だから紙を握る手を折る。


つまり、現場。


お父様が頷く。


「共同施療所だな」


「うん」


私は境界紙に触れた。


紙は冷たい。


冷たい時ほど、頭が回る。


「狙われるのはレナート……じゃない」


私は口にして、確信する。


「レナートは伯爵家嫡男。手を出せない」


「ロウだ」


ルーカスが即座に言った。


「庶民、補助、口が悪い。噂にしやすい」


「噂じゃない形で来るかもしれない」


私が言うと、お父様の目が細くなる。


「事故に見せる」


「うん。事故。喧嘩。窃盗。暴力。何でもいい」


「“あいつが悪い”にできれば、神殿は勝てる」


ルーカスが紙束を取り出す。


「予防線を張ります。先に“危険性”を記録に」


「それもやる」


私は立ち上がった。


「でも現場も見る」


お父様が短く言う。


「私も行く」


「お父様が?」


私が目を瞬かせると、お父様は淡々と答えた。


「次は現場を焼く。なら現場に立つ」


その言葉は重い。


貴族が現場に立つだけで、事故の形は崩れる。


私たちは共同施療所へ向かった。


施療所は、いつもより静かだった。


静かというより、息を潜めている。


入口の前に、見慣れない男が二人。


服は新しい。


視線が落ち着かない。


ローワンの言っていた“噂屋の服”だ。


私は馬車を降りても、すぐには近づかない。


近づくと、物語を作られる。


私は一歩だけ外側に立ち、ルーカスに言った。


「見て」


ルーカスが頷く。


「確認してますね。あの二人、誰かの合図を待ってる」


お父様が低く言った。


「中にいる」


「うん」


私は扉へ向かう。


扉を開けると、消毒薬と薬草の匂い。


そして、いつも通りの声。


「次。腕を出して」


レナートの声は平坦だ。


平坦だから、現場が落ち着く。


レナートは私たちを見る。


「来たのか」


「来た」


私は短く言った。


「外が騒がしい」


レナートは視線を外へ投げる。


「騒がしいのは外だ。中は治療だ」


その言葉に、私は少しだけ安心する。


けれど、安心した瞬間が一番危ない。


奥の廊下から足音がした。


ローワンが出てくる。


赤毛。目つきの悪さ。包帯の跡はもうない。


「公爵令嬢」


「ロウ」


私が呼ぶと、ローワンは小さく息を吐いた。


「来ると思ってた」


「どうして?」


「昨日から、患者の“連れ”が変」


ローワンが言う。


「治療を受けに来たんじゃねぇ。見に来てる」


レナートが淡々と付け足す。


「質問が治療じゃない。手続きと金と身分ばかりだ」


ルーカスが言う。


「仕込みですね」


「うん」


私は頷く。


「今日、ここで何か起こす」


そのとき、外が急に騒がしくなった。


怒鳴り声。


足音。


そして、扉が乱暴に開く。


「いたぞ!」


男の声。


入口の見慣れない二人が、誰かを引きずり込むように入ってくる。


その後ろから、さらに男が三人。



「いたぞ!」


男の声。


入口の見慣れない二人が、誰かを引きずり込むように入ってくる。


その後ろから、さらに男が三人。


目つきが荒い。


酒の匂いはしない。


酔ってないのに荒い目つきは、仕事の目だ。


ローワンが、半歩前に出る。


「……何だよ」


男が指を突きつける。


「お前だ! 昨日、俺の弟を殴っただろ!」


(来た)


喧嘩に見せる。


“ローワンが暴れた”にする。


私は動かない。


動いたら物語を作られる。


レナートが平坦な声で言った。


「診療中だ。帰れ」


男が嗤う。


「貴族の医者が庶民を守るってか?」


「いい子ぶってんじゃねぇよ」


狙いはレナートじゃない。


ローワンを、怒らせる。


怒った瞬間の拳を撮って、噂にする。


ローワンが舌打ちした。


「俺、殴ってねぇ」


「嘘つけ!」


男が一歩踏み込む。


手がローワンの襟に伸びる。


その瞬間。


ローワンは殴らない。


かわす。


体をひねって、手首を取る。


力じゃない。角度だ。


男の体勢が崩れる。


崩れた男が、わざとらしく倒れた。


倒れる時に、棚にぶつかる。


棚が揺れ、瓶が落ちる。


ガシャン、と派手な音。


薬瓶が割れた。


「ほら見ろ!」


男が叫ぶ。


「暴れた! 薬を割った!」


(これだ)


“医療の妨害”にする。


ローワンを犯罪者にする。


ローワンが歯を食いしばる。


拳が震える。


でも殴らない。


殴ったら終わる。


私は静かに言った。


「ロウ。手を下げて」


ローワンが、私を見る。


目が燃えている。


でも、呼吸が整う。


「……分かった」


その瞬間に、男がさらに煽る。


「何だよその態度!」


「公爵令嬢に守られてんのか? 情けねぇ!」


ローワンの肩が、ぴくりと動く。


私は一歩前へ出た。


白猫の微笑を貼り付けたまま。


「今の発言、証言として残します」


男が一瞬止まる。


私は続ける。


「あなたの氏名を」


「何を見たのか」


「誰の弟なのか」


「弟の氏名は何か」


「いつ、どこで、誰が殴ったのか」


質問は淡々としている。


感情の温度がない。


温度がない質問は、嘘を殺す。


男の目が泳ぐ。


「そ、そんなの……」


ローワンが低く言った。


「弟、いねぇんだろ」


男が顔を歪めた。


その瞬間。


後ろの男が、ローワンの足元に何かを落とす。


金具の光。


小さなナイフ。


(置いた)


置いて“所持”にする。


私の背中が冷える。


汚い。


こういうのは現代でも見た。


証拠を置く。持たせる。捕まえる。


ルーカスが一歩前に出る。


「動くな」


声が低い。


空気が変わる。


レナートが、初めて目を細めた。


平坦な顔のまま。


でも、目だけが冷たい。


ローワンが言う。


「……それ、俺のじゃねぇ」


男が嗤う。


「持ってんじゃねぇか!」


ローワンが手を伸ばしかける。


拾ったら“持った”になる。


私は即座に言った。


「触らないで」


ローワンが止まる。


偉い。


ここで止まれるのは、本当に強い。


ルーカスが膝をつき、手袋をはめる。


「物証として扱います」


「触れた者の指紋、足跡、位置を記録します」


男が慌てる。


「は? 何だよそれ!」


ルーカスが淡々と返す。


「監査局です」


その一言で、男の顔色が変わった。


監査局は、空気より強い。


お父様が前に出る。


姿勢だけで、場の温度が落ちる。


「警備隊を呼べ」


執事長がすでに動いていた。


「はい」


男たちは、退路を探す目になる。


逃げる目。


ローワンが低く言った。


「……やっぱりな」


レナートが小さく息を吐く。


息は静かだ。


でも、その息には感情が混じっていた。


私は横目で見た。


レナートは口を開かない。


「僕」を崩さない。


まだ、爆発の段階じゃない。


ただ、抑えている。


司法の場ではなく、現場で抑えている。


それが一番怖い。


外から笛の音が聞こえた。


警備隊だ。


男たちが逃げようとして、警備隊に挟まれる。


ここで初めて、男が叫ぶ。


「ち、違う! 俺たちは——」


ルーカスが言った。


「違うなら、署名して説明してください」


「いつ、誰に頼まれたか」


「報酬はいくらか」


男の喉が鳴る。


署名は噂を殺す。


私は白猫の微笑のまま、最後に言った。


「ロウは、今日も殴っていません」


「殴っていないことが、記録になります」


ローワンが、短く笑った。


「……最高にムカつくけどな、その勝ち方」


私は頷く。


「ムカつく勝ち方ほど、確実だよ」


レナートが小声で言う。


「次は、もう少し大きく来る」


「分かってる」


私は境界紙を握る。


紙は冷たい。


冷たいまま、燃やさせない。


汚い手は、弱いところを狙う。


だから私は、弱いところを先に守る。


ローワンの肩は小さい。


でも、私たちの戦いの要になっている。


そしてそれを、相手も知った。


ここから切り崩しが始まる。


噂じゃない。


事件として。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ