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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第4章 神殿捜査編(ルーカス)

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第149話 境界の匂い

神殿の夜は、暗いのに眠らない。


灯が落ちきらない。

祈りが止まらない。

そして――金も、止まらない。


ルーカスが戻ったのは、派手な広間ではなく、神殿の“上”へ続く静かな回廊だった。

壁の石は白い。

だが白は、汚れを隠さない。

薄い煤と、乾いた指跡と、蝋の欠片が残る。


扉の前に立つと、門番の神官が低く言った。


「……大司教様がお待ちです」


「承知いたしました」


礼式の角度は崩さない。

崩さないまま、指先の感覚だけが鋭くなる。


ここは、祈りの場所ではある。

だが同時に――神殿という“制度”の場所でもある。


 

扉が開く。

中は簡素だった。

豪奢な装飾はない。


あるのは机と、帳面と、封のない書類。

書類が多い部屋ほど、祈りは薄くなる。


大司教は椅子から立ち上がらず、ただ視線を上げた。


「報告書は受け取った」


 

短い。

上層の言葉は、いつも短い。


「ありがとうございます」


 

ルーカスが礼式を取ると、大司教は机の端の一枚を指で押した。


封がない。

紋章もない。


だが紙質が、神殿の“上”のものだと告げている。


「続行だ」


 

続行。

それだけで充分だった。


「承知いたしました。確認事項を一点よろしいでしょうか」


大司教の目が、わずかに動く。


許可。


「祈祷室で“祈りが弾かれた”件」


「これは熱病対応の一部として扱うべきか、それとも――神殿内部の異物混入として扱うべきか。どちらの枠で進めますか」



大司教は、口角を上げないまま言った。


「両方だ」


答えは残酷に正しい。

どちらかに寄せれば、逃げ道が生まれる。

逃げ道が生まれれば、火種は残る。


「……理解いたしました」


ルーカスが息を整えた瞬間、背後で布が擦れた。


 

灰の司祭が、いつの間にか壁際にいる。

白い壁に灰色の影が張り付くように。


目元の隈が、灯りを吸っていた。


「両方って、好きですね」


軽い声。

だが軽いほど、刃が混ざる。


 

大司教は司祭を見ない。

見ないまま、ルーカスにだけ言う。


「王からも話は行っている」


「王家が表に出る必要はない」


「必要なのは、止めることだ」


 


王。


その単語だけが、部屋の空気を一段固くした。

神殿は王家と分かれている。


分かれていなければ、信仰は制度に潰される。

制度が信仰を食えば、祈りは“命令”になる。


だから神殿は、あくまで神殿であるべきだ。

王家が介入できるのは、表ではなく――“壊れる前の修復”だけ。


そのぎりぎりの線で、今ルーカスは動いている。



大司教が、淡々と続けた。


「神殿はすべての神々を祀る」


「主神も、境界も、海も、土も、祈りはここへ集まる」


「……だからこそ、割れる」


 


割れる。

この言葉は派閥の説明としても、祈りの説明としても成立してしまう。


ルーカスは一度だけ頷いた。


「確認いたします」


「主神殿の“主神信仰”は、王権の白と結びつきやすい」


「境界神の祈りは、境目と異常に敏い」


「それでも神殿は“全ての神々”を祭るがゆえに、各派の祈りが同じ器と香を共有する」


 


丁寧な声。

だが内容は鋼だ。


「混ざれば、弾かれる可能性が出ます」


大司教は、わずかに目を細めた。


「そこまで読めるなら、十分だ」



それは褒め言葉ではない。


“仕事を増やす許可”だ。


灰の司祭が、面白がっている気配だけで呟く。


「混ざるのが問題なら」


「誰が混ぜたかが問題ですね」


 

ルーカスは司祭を見ない。

見ないまま、言葉だけで線を引く。


「誰が、どこで、何を、どれだけ」


「香の配合、器の管理、封蝋の扱い、出庫と入庫」


「それらを繋げて、祈りが弾かれる“壁”の経路を確定いたします」



大司教は机上の帳面をひとつ押し出した。


「祈祷室の器物台帳だ」


「香の配布記録も、付けてある」



神殿上層が、出した。

つまり、派閥を通していない。


“現場へ回す”宣言と同じだ。


 

ルーカスは受け取り、礼式を取る。


「恐れ入ります」



大司教はそこで終わらせる。


「……灰」


 

呼ばれたのは司祭だ。

名前ではない。

役割でもない。


ただ、灰。


「遊ぶな」



灰の司祭が、少しだけ肩を揺らした。

笑いそうな気配だけ。


「遊んでませんよ」


「面白いだけです」


 

言い訳になっていない。

むしろ最悪の告白だ。


 



回廊に出ると、空気が少し軽くなる。


重いのは“上”だ。


軽いのは“現場”だ。


軽いからこそ、血が流れる。


 


ルーカスは歩きながら、帳面を開かずに頭の中で整理した。


神殿は、複数神の世界を丸ごと抱えている。


主神――国家と王権の白。


境界神――境目、異常、壊れかけの場所に敏い神。


海、土、風、病、収穫。


民はそれぞれに祈り、神殿はすべての祈りを受ける。


 

受けるがゆえに、器と香と手順が共有される。

共有されるがゆえに、“混ぜる”余地が生まれる。


混ぜれば、弾く。

弾けば、恐怖が広がる。


恐怖が広がれば、献金が動く。

献金が動けば、年配の利権が笑う。


この循環は、薬草庫と同じだ。

止めれば止めるほど、誰かが得をする。


灰の司祭が並び、ぼそりと言った。


「神殿って」


「神様の家じゃなくて、手順の家ですよね」



ルーカスは即答しない。

即答は、相手の土俵に乗る。


「手順がなければ、祈りが“利用”されます」


「もう利用されてますよ」


軽い。

軽いのに、重い。


 

ルーカスは礼式のまま、淡々と返す。


「だから止めます」


 

灰の司祭が、隈の奥で小さく息を吐いた。

笑わない。


だが面白がる。


「真面目ですね」


「……そういう人が、いちばん嫌われます」


 


「承知しております」


嫌われることは、職務の副作用だ。


 



祈祷室の前。


扉は開いているのに、足が止まる空気がある。

ここは祈りの場だ。


同時に、境界の薄い場でもある。


 


ルーカスは、扉の枠から中を見た。


器が並ぶ。

香の箱が並ぶ。

そして――微かな匂い。


甘い匂いではない。

乾いた匂いでもない。


(境界の匂いだ)


そう言い切れるほど、確信はない。

だが違和感は、記録の前に身体が拾う。


 

灰の司祭が、後ろから小さく言った。


「ここ、弾かれますよ」



「……確定ですか」



「確定じゃない」


「でも、嫌な感じ」


 


嫌な感じ。

司祭の言葉は雑なのに、妙に当たる時がある。


当たるから厄介だ。


 

ルーカスは帳面を開いた。


器物台帳。

香の配布記録。

封蝋の立会い。

そして、手順。


 

そのページの端に、別の紙が挟まっていた。


一枚だけ。

字が雑だ。

現場の手だ。


――祈り、届かず。押し返される感覚あり。


ルーカスは、その一行を見て、心の中で別の一行を添えた。


(押し返したのは、神か)


(それとも、“混ぜた誰か”か)


 

灰の司祭が、祈祷室の器を眺めたまま呟く。


「混ぜるなら」


「香が早い」


「香は、目に見えない」


「……目に見えないものは、信じるしかなくなる」


 

ルーカスは視線を落としたまま、丁寧に言った。


「信じる必要はありません」


「証明いたします」



灰の司祭が、隈の奥で一瞬だけ目を細めた。


「証明って、面倒ですよね」



「はい」



「でも、面倒の方が」


「嘘が混ざりにくい」


 


ルーカスが続けると、灰の司祭はわずかに肩を揺らした。


笑いではない。

合図だ。


“同意”の合図。


 



祈祷室の端。

壁の陰。


そこに、小さな供物台がある。


主神の前ではない。

境界神の前でもない。


“誰でも祈れる”場所。

神殿が全てを祀るからこそ、こういう場所が残る。



ルーカスはその供物台を見て、一瞬だけ思う。

ここに来るべきは、自分ではない。


境界に属する者だ。

境界の祝福を持つ者だ。



――クラリス。


だが今は呼ばない。

彼女は表向き撤収した。


撤収しているからこそ、動ける時がある。


ルーカスはその名前を口にしない。

名前は刃物だ。

必要なときに抜く。


 

代わりに、帳面の端に小さく印だけを付けた。


供物台の位置。

器の位置。

香の箱の位置。


記録のための印。

未来のための印。



灰の司祭が、ぼそりと言う。


「……境界は、薄いですね」


 

ルーカスは礼式のまま、淡々と答えた。


「薄いからこそ、管理が必要です」




「管理される神様って」


「嫌そう」


 


「神ではありません」


「混ぜた者の方です」


 


灰の司祭が、静かに息を吐く。

面白がっている気配だけ。


「混ぜた者が、神殿の中にいる」


「……それ、楽しいですね」


 

楽しい。

この男の楽しさは、だいたい厄介だ。



ルーカスは帳面を閉じ、扉の外へ戻った。


「まずは香の経路から洗います」


「配布記録と、現物の重量差」


「器の洗浄担当」


「祈祷室への出入り記録」


 


淡々。

だが、その淡々が“狩り”だ。


灰の司祭が、付いてくる。

勝手に。


「王に評価されると」


「面倒が増えますよ」


 


「承知しております」


「でも、増えた面倒の中に」


「……本当の壁が混ざってる」


 


ルーカスは一度だけ足を止めた。


「壁の正体を、確定いたします」


 

灰の司祭は返事をしない。

返事をしないまま、目元の隈だけが深くなる。



回廊の先で、また足音が走った。


誰かが上へ。

誰かが現場へ。

誰かが金へ。


 

走り出したら、もう止まらない。


ルーカスは動かない。

動かないまま、次のページを開く準備だけをする。


 

神殿の火種は、まだ残っている。

祈りを弾く“壁”も、まだ残っている。


そして――その壁は、ただの病ではない。

そんな気配が、もう匂っていた。

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