第147話 名義
会計役の沈黙は、祈りではなく計算だった。
言えば損をする。
言わなければ、もっと損をする。
どちらが軽いか――それだけを測っている顔。
ルーカスは急かさない。
急かさないまま、逃げ道を塞ぐ。
「“本来案”の作成者です」
「個人名でも、役職名でも構いません」
「ただし、“誰の判断で”作られたかは必要です」
会計役が目をそらす。
「会計室だ」
ルーカスのペンが走る。
「会計室の“誰”です」
会計役の眉が動く。
苛立ち。
しかし苛立ちを出せない。
出せば記録になる。
「……帳簿係だ」
灰の司祭が、棚の封蝋箱を眺めたまま言う。
「帳簿係、便利ですね」
「罪も功も、ぜんぶ入る」
会計役が声を荒げかける。
「黙れと言っただろう!」
ルーカスはペンを止めない。
止めないまま、丁寧に言う。
「司祭の発言も記録に残します」
会計役の喉が鳴る。
“残る”が嫌いな男に、残るものを増やす。
それだけで、焦る。
クラリスが壁際から淡々と聞く。
「その“本来案”って、誰に見せたの」
会計役が言葉を詰まらせる。
見せた。
見せた先がある。
つまり、会計室だけの判断ではない。
ルーカスが続ける。
「回覧先を」
「この書式は、現場の手ではありません」
「会計室の手で作られ、誰かの承認を通した手です」
会計役が口を開く。
「……評議会」
年配の派閥。
金と利権の集まり。
その一言だけで、廊下の空気が変わる。
ルーカスは頷いた。
「評議会の誰です」
会計役の額に汗が増える。
「名前は……」
ルーカスは声を変えない。
「名前が出せないなら、役職で」
「財務担当でも、薬務担当でも構いません」
会計役は唇を噛み、吐き捨てるように言った。
「財務担当の……補佐だ」
補佐。
便利な言葉。
責任の矢印を細くできる。
灰の司祭が、ふっと息を吐く。
笑いそうな気配だけ。
「補佐って」
「本当は、いちばん手が汚れるのに」
会計役が睨む。
「……お前らは、神殿を壊したいのか」
クラリスが、笑わずに返す。
「壊したいのは、あなたたちでしょう」
「現場を止めるって、そういうことよ」
会計役が言い返す。
「現場が勝手に使うからだ!」
ルーカスが、丁寧に切る。
「現場が勝手に使う、という主張は理解します」
「だからこそ帳簿が必要です」
「帳簿が止まっている原因を、あなたは“熱病”と言いました」
「熱病で現場が回らない」
「だから帳簿が止まる」
「帳簿が止まるから供給を止める」
一拍。
「――その循環は、誰が得をしますか」
会計役が黙る。
黙れば黙るほど、答えはひとつになる。
ルーカスは問いを変えた。
次の扉を開ける問いに。
「供給停止の間に、薬草はどこへ行きましたか」
会計役の瞳孔がわずかに開く。
「……行ってない」
ルーカスは頷く。
頷いたまま、紙を一枚引く。
薬草庫の箱。
封の甘い箱。
指の跡。
粉の付き方。
そして、出庫伝票の欠番。
「では、欠番の説明を」
会計役の唇が震える。
欠番は嘘だ。
嘘は、紙に残ると終わる。
クラリスが静かに言った。
「献金の話、もう一回してあげましょうか」
会計役の顔色が変わる。
祈りより効く言葉。
ルーカスが、決定打ではなく“確認”を置く。
「欠番の伝票は、どなたが保管していますか」
会計役の目が逃げる。
逃げた先に、棚がある。
鍵付きの棚。
神殿の紋が刻まれた箱。
灰の司祭が、棚を見て呟く。
「……鍵って、便利ですね」
「閉めれば、見えない」
ルーカスは礼式のまま、棚を指した。
「開けてください」
会計役が呻く。
「勝手に――」
ルーカスは声を落とす。
丁寧に。
しかし逃げ道のない鋼で。
「勝手ではありません」
「あなたの判断を“正しかった”と証明するためです」
クラリスが、さらりと追い打つ。
「証明できるなら、あなたは英雄よ」
「できないなら――」
言葉を切る。
切った方が怖い。
会計役の指が、鍵へ伸びた。
震えながら。
鍵が回る音がした。
神殿の“金”の中身が、いま開く。




