第142話 評議会の扉
評議会室へ向かう廊下は、妙に静かだった。
人の気配はある。
だが、音がない。
声も、足音も、意図的に消されている。
神殿が“考える”ときの静けさだ。
先導する神官の背中は強張っている。
歩幅が一定で、振り返らない。
振り返れば、何かを言わなければならなくなると知っている背中だ。
ルーカスは、歩きながら周囲を見ていた。
壁。
装飾。
祈りの文言。
古い金箔。
どれも、時間を重ねた権威の形。
だが――人の流れだけが、止まっている。
(詰まっている)
現場は動いている。
会計は止めている。
上は、決めていない。
決めないまま、下に押し付けている。
典型的な構図だった。
評議会室の前で、神官が立ち止まる。
分厚い扉。
二重の封。
守衛役の神官が二人。
「少々、お待ちください」
そう言って、中へ入っていく。
待つ時間は、長くない。
長くないが、意味がある。
“待たせた”という事実を作るための時間だ。
クラリスは壁際に立ち、静かに息を整えている。
白猫の笑顔はない。
代わりにあるのは、外交の顔だ。
灰の司祭は、相変わらず気配が薄い。
だが、目だけは忙しい。
扉、守衛、廊下の角。
情報を拾っている目だ。
ルーカスは、何も言わない。
言わないまま、頭の中で整理する。
――会計室は、実行部隊。
――配分室は、盾。
――評議会は、判断を止めている場所。
止めている理由は二つ。
利権か、恐怖。
多くの場合、その両方だ。
扉が、重く開いた。
「……お入りください」
中は、思ったよりも明るかった。
高い天井。
円卓。
座っているのは、年配の神官たち。
顔色は悪くない。
むしろ、良すぎる。
“現場”の顔ではない。
中央に座る神官が、口を開く。
「宮廷監査局、特任監査官」
名前は呼ばれない。
呼べば、記録になるからだ。
「この件は、神殿内部で処理する予定でした」
ルーカスは、礼式のまま一礼する。
「承知しております」
「ただし、内部処理の結果として“現場が止まった”事実がございます」
別の神官が言う。
「現場が止まったのは、規定遵守のためです」
「規定のどの条文か、確認いたします」
即座だった。
「供給停止を認める条文番号」
「決裁者」
「停止期間」
一拍。
「いずれも、文書で」
評議会の空気が、わずかに硬くなる。
中央の神官が、ゆっくりと指を組む。
「監査官。貴殿は、神殿の分裂をご存知か」
ルーカスは頷く。
「承知しております」
「既存秩序を守る派と、現場実務を重んじる派」
言葉を選ばない。
選ばないこと自体が、選択だ。
「どちらかに肩入れするおつもりか」
「いいえ」
即答だった。
「私は、止まっている原因を確認し、動かすために来ています」
「派閥は手段であり、目的ではありません」
年配の神官の一人が、低く言う。
「動かせば、混乱が広がる」
「動かさなければ、死者が増えます」
声は静か。
だが、逃げ道はない。
「熱病は、派閥を選びません」
沈黙が落ちる。
その沈黙の中で、ルーカスは一つだけ、確かめる。
「評議会として、供給停止を“決定”しましたか」
中央の神官が、答えない。
答えないことが、答えだった。
ルーカスは、礼式のまま頭を下げる。
「承知しました」
顔を上げ、続ける。
「では、決定していない判断を、現場に強制した責任は――」
一拍。
「どこにありますか」
評議会の誰も、即答できない。
クラリスが、静かに口を開いた。
「決めないという選択は、無責任ではないわ」
「でもね、“決めないまま止める”のは、決めたのと同じよ」
灰の司祭が、小さく付け足す。
「しかも、一番楽な形で」
中央の神官が、深く息を吐いた。
「……監査官」
「はい」
「王家は、どこまで関与している」
ルーカスは、視線を下げない。
だが、名前は出さない。
「依頼は、神殿上層からです」
「目的は、熱病対応の停滞解消」
それ以上は言わない。
言わないからこそ、相手は測る。
王か。
太子か。
それとも、もっと別の何かか。
中央の神官は、机を指で叩いた。
一度。
二度。
「……分かった」
その一言で、空気が動く。
「供給は再開する」
「ただし、管理体制を再編する」
ルーカスは、すぐに頷かない。
「再編の責任者は」
中央の神官が、少しだけ言葉を詰まらせる。
「……若手から、選ぶ」
それは、はっきりとした譲歩だった。
現場実務派への、明確な一手。
ルーカスは、ようやく頷いた。
「承知しました」
そして、淡々と告げる。
「本件の経緯は、記録に残します」
「評議会の“判断停止”も含めて」
誰も異を唱えない。
唱えられない。
決まったからだ。
扉を出るとき、ルーカスは一度だけ立ち止まった。
「一点だけ」
振り返らずに言う。
「次に止めれば、今回は“内部”では済みません」
それだけ告げて、歩き出す。
廊下に出た瞬間、空気が変わった。
流れが、戻り始めている。
灰の司祭が、低く笑う。
「……火種、いい具合ですね」
ルーカスは答えない。
火は、まだ消していない。
ただ――
燃やす場所を、選び直しただけだ。




