第140話 配分室
配分室は、神殿の“喉”だった。
祈祷室が心なら、薬草庫が臓器。
その間で、薬と紙と印が流れる。
喉が詰まれば、全部が止まる。
扉の前に立つ神官は、若くない。
年配でもない。
“組織の真ん中”の顔だ。
一番、守るものが多い。
「……失礼。ここは配分室です」
「会計室の許可なく、立ち入りはできません」
ルーカスは立ち止まり、礼式のまま頭を下げた。
角度は綺麗で、完璧で――だからこそ冷たい。
「宮廷監査局、特任監査官のルーカスです」
「熱病対応の停滞に関し、神殿上層より手続き確認の依頼を受けております」
「配分室の運用、搬出の根拠文書、受領印の管理を、公式に確認いたします」
配分室の神官が、言い捨てる。
「神殿の内部問題です」
ルーカスは否定しない。
否定せずに、逃げ道を塞ぐ。
「内部であることは理解しております」
「しかし、供給停止で現場が止まれば、死者が出ます」
「死者が出れば、信頼が落ちます」
「信頼が落ちれば、献金が落ちます」
一拍。
「――それは、神殿の損失です」
神官の目が揺れた。
祈りより、献金が効く。
クラリスが、白猫の笑みのまま添える。
「損失が嫌なら、なおさら確認しておいた方がいいわ」
「あなたの判断が正しかったって、証明できるものね」
配分室の神官は唇を噛んだ。
証明。
それが怖い。
灰の司祭が扉の枠を眺めながら呟く。
「証明って、面倒ですよね」
「でも、面倒の方が――嘘が混ざりにくい」
配分室の神官が、視線を伏せたまま言う。
「……“特別搬出”の件ですか」
来た。
自分から言った。
ルーカスは頷く。
「はい。誰が指示し、何を、どれだけ、どこへ」
「根拠文書と受領印を確認いたします」
「根拠文書は、会計室が持っています」
配分室の神官が言う。
「我々は指示に従うだけです」
「従うために必要なものを、ここで管理しているはずです」
ルーカスは丁寧に切る。
「指示番号。搬出伝票。受領印。控え」
配分室の神官が、息を詰める。
「……控えは、あります」
「拝見します」
扉が開いた。
配分室の中は、紙の匂いが濃い。
薬草の匂いではない。
紙と蝋と、乾いた墨。
“帳簿の部屋”だ。
机の上に、伝票が積まれている。
ルーカスは一枚、指先で示す。
触れない。
触れずに見せる。
「この“特別搬出”は、昨日付ですね」
配分室の神官が頷く。
「はい。熱病対応として」
「宛先は?」
「……祈祷棟、です」
クラリスの眉が、わずかに動いた。
祈祷棟。
現場ではない。
儀礼の側だ。
ルーカスは声を落とす。
「治療棟ではなく?」
「会計室の指示です」
「受領印は?」
配分室の神官が、伝票の端を指す。
そこには、押されている。
けれど――薄い。
「これが、受領印です」
ロウはここにはいない。
それでも、ルーカスの脳が勝手に補う。
薄い印。
滲み。
押した角度。
“急いだ手”。
そして――印肉の量が、足りない。
ルーカスは丁寧に言った。
「これは、正式な受領印ではありません」
配分室の神官が、声を荒げそうになる。
「そんな……私たちは、押された印を――」
「押された印が“正しい”とは限りません」
ルーカスは崩れない。
「この印は、登録印と一致しない」
「印影が違う」
「印肉の管理が違う」
配分室の神官の顔が青くなる。
「……登録印は、会計室が管理しています」
「管理しているなら、なおさらです」
ルーカスは淡々と続ける。
「会計室が印を押したなら、“受領”ではなく“自作”です」
沈黙。
紙の擦れる音だけが残る。
灰の司祭が、楽しそうでもなく言った。
「受領って、怖いですよね」
「押した瞬間、責任が生まれる」
クラリスが、白猫の笑顔を薄く戻す。
「責任が怖いから、誰かに押させる」
「押せないなら、勝手に押す」
配分室の神官が、震える声で言った。
「……私は、知らなかった」
「知っていなくても、ここに紙が残っています」
ルーカスは礼式のまま、丁寧に言った。
「今から、事実を整えます」
一拍。
「この伝票の指示番号と、会計室の台帳番号を照合します」
「照合ができなければ、“根拠のない搬出”です」
「照合ができたとしても、登録印と一致しなければ、“偽造の疑い”です」
配分室の神官は、唇を噛みしめた。
逃げ道が、消えていく。
ルーカスは静かに、次を告げた。
「会計室を呼びます」
「登録印を、ここへ」
「持って来られないなら――理由を、文書で出していただきます」
配分室の神官が、かすかに頷いた。
従うしかない。
その瞬間。
廊下の遠くで、足音が増えた。
複数。
急いでいる。
ルーカスは扉の方を見ずに言う。
「来ましたね」
クラリスが息を吐く。
「……誰が?」
灰の司祭が、囁くみたいに答えた。
「“金”の人」
ルーカスは、礼式のまま動かない。
動かないまま、迎え撃つ準備だけを整えた。
扉の外。
紙の束がぶつかる音。
そして――会計室の者の、乾いた声。
「配分室は、会計室の管轄です」
「勝手な照合は認められません」
扉が、もう一度開く。
次のページが――勝手にめくられる。




