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第14話 査問会、開廷

査問会の会場は、神殿でも法廷でもない。


王宮の奥。人の出入りが少ない廊下を二つ曲がった先にある、裁くための部屋だ。


絨毯は厚く、足音が吸われる。


吸われた音のぶん、視線が残る。


壁の燭台は明るすぎず暗すぎず、ちょうど「顔色が読める」明かりになっている。


社交の明かりじゃない。


誰かを測るための明かりだ。


お父様が、私の横で小さく言った。


「顔を上げろ」


「はい」


白猫の微笑を貼り付けて、私は前を見た。


扉の向こうには長い机が一本。


中央に王宮司法官。


その左右に官僚と監査局。


そして神殿側の席は、あからさまに“広い”。


席が広いのは、人数のためじゃない。


正しさを飾るためだ。


ルーカスが、私の耳元で囁いた。


「相手は“空気”を取りに来ます」


空気を取られると、紙は読まれなくなる。


紙が読まれない場は、噂の勝ちだ。


私は頷く。


「取らせない」


「紙で殴る」


ルーカスが口角だけで笑った。


笑みじゃない。覚悟の形だ。


扉が閉まり、部屋の外の気配が切り落とされる。


切り落とされた瞬間から、言葉は逃げ場を失う。


逃げない言葉ほど、危ない。


司法官が淡々と宣言した。


「査問会を開廷する」


「議題は三つ」


部屋の空気が引き締まる。


紙の擦れる音が止む。


「一、共同施療所火災(事件)の原因と責任」


「二、公爵家直轄支援の適法性と透明性」


「三、神殿施療院の受領拒否とその影響」


神殿側の使者が、ここで小さく息を吸った。


吸った息が聞こえるほど、静かだ。


司法官が目を向ける。


「まず神殿側の主張を述べよ」


神殿の使者はゆっくり立ち上がった。


声は大きくない。


大きい声は反発を呼ぶ。


だから小さく丁寧に、胸の内へ滑り込む声を使う。


「昨夜、共同施療所が火に包まれました」


「その直前、公爵令嬢は神殿施療院を公然と非難し、寄付の経路を断ちました」


「結果として混乱が生じ、施設が危険に晒された」


事実と推測を、同じ温度で繋いでくる。


そして最後に、いちばん痛い言葉を置く。


「そして何より——」


間が取られる。


間は刃になる。


「公爵家直轄の医療は、庶民を実験台にしかねない」


部屋の空気が、わずかに傾く。


“庶民”と“実験”。


正しさを装って暴力を振るえる言葉だ。


私は動かない。


順番。


司法官がこちらを見た。


「公爵家は反論するか」


お父様が立ち上がる。


背筋が伸びると、空気が少し戻る。


貴族の立ち方は、言葉より先に“圧”を置ける。


「反論する」


「第一に、火は事故ではない。投げ込みだ」


「第二に、支援は止めない。記録は公開する」


「第三に、医療は公益だ。実験ではない」


司法官が視線を下げる。


「証拠は」


ルーカスが一歩前に出た。


「監査局ルーカス。記録と物証を提出します」


紙束が机に置かれる。封印の蝋が光る。


「投げ込みの根拠は」


「油の痕跡。外壁の焦げ方。投擲位置の推定。破片回収。時刻記録」


神殿の使者がすぐに口を挟む。


「油など、施療所側が撒いた可能性もあるでしょう」


ルーカスの返しは速い。


「ならば、撒いた者の足跡が残ります」


「現場に残っていません」


「逆に、外側に足跡と擦過痕があります」


司法官が机を軽く叩いた。


「反証は、記録で示せ」


神殿の使者が言葉を探す。


探す時間が、弱さになる。


それでも神殿は、空気を弄る武器を持っている。


「しかし“監査局の推定”ではありませんか」


ルーカスは怒らない。


紙を一枚めくるだけだ。


「推定ではなく、署名つきの証言です。複数」


司法官が言う。


「証人を出せ」


お父様が短く告げた。


「証人は二名」


「共同施療所の主任医師、レナート」


「そして補助の者——ローワン」


会場がざわつく。


ざわめきは低い。誰も声を上げない。


神殿の使者が口角を上げた。


「貴族の医師と、下働きでは?」


司法官が言う。


「証人、前へ」


扉が開き、レナートが入ってきた。


洗い立ての白衣。皺のない襟。手入れされた革靴。


町の施療所に似合わない小綺麗さが、逆に“育ち”を告げている。


落ち着いて見れば、ずいぶん綺麗な男だった。


綺麗なのに、視線の奥に感情の置き場所が見えない。


その後ろに、ローワンが続く。


赤毛。小柄。目つきが悪い。


だが姿勢が崩れていない。


重心の置き方が、“負けない”体のそれだ。


司法官が問う。


「名を述べよ」


レナートが答える。


「共同施療所主任医師、レナート」


少しだけ間を置いて続けた。


「レナート・フォン・ベルデンベルク。

伯爵家嫡男でもある」


空気がもう一度傾く。


神殿の使者はその傾きを喜ぶ。


レナートは気にしない。


気にしない態度そのものが、場を冷やす。


司法官が問う。


「火災は事故か、事件か」


レナートは淡々と言う。


「事件です」


「油の匂い。外壁の焦げ方。投げ込みの角度。破片」


神殿の使者が噛みつく。


「医師の推測でしょう」


レナートは瞬きもしない。


「推測ではない。診断です」


「匂いと焦げ方は嘘をつかない」


司法官が頷いた。


「次。公爵家直轄の医療は“実験”か」


レナートが一拍置く。


「違う」


「医療行為は記録が残る」


「診療内容、投薬、配布、棚卸し、封印」


「疑うなら、噂ではなく紙を見ればいい」


神殿側の指先が机を叩きそうになる。


叩かない。叩くと負けるからだ。


「ならば、神殿施療院が受け取りを拒否したことで患者が出たと?」


レナートは淡々と返す。


「事実です」


「薬が届かず、子どもが倒れた」


「公爵家が運び、共同施療所で受けた」


司法官がローワンへ視線を向ける。


「ローワン。お前は何を見た」


ローワンは最初から一人称を崩さない。


「俺が見た」


短い。だが、逃げない。


「火を投げた方向」


「見物人の位置」


「噂屋の動き」


神殿の使者が嗤う。


「噂屋? 下働きの妄想では」


ローワンが目を細めた。


「妄想なら、当ててみろ」


一言が刺さる。


ローワンは淡々と続けた。


「二人組。服が新しい。目線が“確認”に行く」


「確認先は市場の角、パン屋の前、二階の窓」


ざわめきが、今度ははっきり上がる。


具体的すぎる。


嘘なら危険すぎる。


司法官が机を軽く叩いた。


「静粛に」


そして神殿側を見る。


「反証は」


神殿の使者が言葉を探す。


探す時間が、弱さになる。


王宮官僚が小さく口を挟んだ。


「その位置……警備隊の巡回記録と一致する可能性があります」


ルーカスが即座に言った。


「警備隊記録を請求します。照合します」


神殿の使者が顔を歪める。


「査問会でそこまで——」


司法官が切った。


「ここまでだ」


「これは査問会だ。空気ではなく、記録で裁く」


部屋の温度が変わる。


神殿の使者が最後の武器に手を伸ばす。


人格を燃やす武器。


「公爵令嬢」


「あなたは神殿を侮辱した。魔女と通じた。秩序を乱した」


私は立ち上がった。


順番。最後の条文。


白猫の微笑のまま言う。


「一点。侮辱ではありません」


「私は受領拒否の文書を示し、事実を述べただけです」


「二点。魔女と通じたという主張は、証拠がありません」


「三点。秩序を乱したのは、公爵家ではない」


私は紙を一枚取り出した。


「王国法、公益支援に関する条項」


「災害および緊急事態において、領主家が直轄で支援を行うことは合法です」


「神殿の受領拒否により生じた欠員を補う行為は、むしろ義務に近い」


神殿の使者が口を開く。


「解釈だ!」


私は微笑んだまま返す。


「なら、裁定してください」


「噂ではなく、条文で」


司法官が息を吐いた。


疲れと苛立ちが混じった息。


空気に押されるのが嫌いな人だ。


だから紙が好きだ。


「よろしい」


「本件は火災ではなく事件として扱う」


「共同施療所の支援は合法。透明性は記録公開を条件に認める」


「神殿施療院の受領拒否については、影響評価を行う」


神殿側の空気が沈む。


勝ったわけではない。


でも、物語は折れた。


閉廷の宣言が落ち、扉が開く。


空気が外へ流れ出す。


会場を出る直前、レナートが私の横を通り過ぎて小声で言った。


「今日の勝因は、紙だ」


「そうだね」


私が返すと、レナートは一瞬だけ視線を細めた。


「……次は、もっと汚い手が来る」


ローワンが後ろで舌打ちする。


「来させねぇよ」


お父様が短く言った。


「来る。だから備える」


私は白猫の微笑を崩さず頷いた。


「備える。順番通りに」


噂の時代に、私たちは紙で戦う。


そして紙は、今日も燃えなかった。


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