第13話 査問会の前に、先に刺す
王宮から戻った屋敷は、静かだった。
静かすぎる時ほど、噂が動いている。
お父様が外套を脱ぎながら言った。
「査問会は三日後だ」
「早いね」
私が言うと、ルーカスが淡々と頷く。
「相手も急いでいます。空気が冷める前に、結論を作りたい」
結論だけ奪われる。
だから最初に喋るな、とお父様は言った。
私は頷く。
「じゃあ、先に紙を作る」
お父様が目を細めた。
「作るだけでは足りん」
「配る」
私が言うと、ルーカスが静かに言葉を継ぐ。
「提出先も分けます。王宮、監査局、警備隊、町の評議会」
「それ、強い」
私は白猫の微笑で言った。
「相手が“物語”を作るなら、こちらは“資料”を先に置く」
執事長が控えめに口を挟む。
「恐れながら。神殿側が動いております」
「噂?」
執事長は頷いた。
「はい。『公爵家が施療所を私物化し、庶民を実験した』と」
私は息を吐いた。
(来た。医療を汚す噂だ)
お父様の声が低くなる。
「……卑怯だな」
ルーカスが紙束を整理しながら言う。
「噂の狙いは二つです。公爵家を汚す。共同施療所を潰す」
「どっちも、記録で潰す」
私は即答した。
「レナートが必要だね」
ルーカスが少しだけ眉を動かす。
「主任医師の証言は有効です。医療行為の正当性を“公益”として語れます」
お父様が短く言った。
「呼べ」
「呼ぶ」
私は立ち上がった。
「私が行く。噂の火元は現場に近い」
ルーカスがすぐに言う。
「同行します」
「ううん。あなたは紙を作って。私は現場の紙を取りに行く」
お父様が私を見る。
「危険は?」
私は白猫の微笑を崩さない。
「順番を守る。感情で走らない」
お父様が頷いた。
「よし。行け」
共同施療所へ向かう馬車の中で、私は境界紙に触れた。
紙は静かに冷たい。
冷たい時ほど、動ける。
施療所は、昨日の焦げ跡がまだ残っていた。
人の出入りは多い。噂が流れても、治療は止まらない。
入口に、背の高い男が立っていた。
洗い立ての白衣。皺のない襟。手入れされた革靴。
町の施療所に似合わない小綺麗さが、逆に目立つ。
レナートは、私を見るなり言った。
「来たのか」
「来た」
私は挨拶を省略した。
「噂が走ってる。査問会で医療を汚される」
レナートは眠そうに目を細める。
「汚されるのは医療じゃない。人の頭だ」
相変わらず感情の温度が薄い。
けれど、その言葉は正確だった。
私は言った。
「査問会で、あなたの証言が必要」
「僕は政治が嫌いだ」
レナートが言う。
「治療と違って、正解がない」
「あるよ」
私は白猫の微笑で返す。
「正解は“患者が助かること”。それだけ」
レナートは一拍置き、視線を逸らした。
「……分かった。必要なことだけ言う」
そのとき、奥の廊下から足音が聞こえた。
赤毛の少年が出てくる。
包帯の端はもう綺麗に処理されている。傷は浅い。だが、目つきは鋭いままだ。
ロウ——ローワン。
彼は私を見ると、短く言った。
「公爵令嬢」
呼び方が変わったまま戻らない。
私は頷いた。
「ロウ。噂、聞いた?」
「聞いた」
ロウは短く答える。
「昨日から、外に“口”が増えてる」
「口?」
ロウが顎で外を示した。
「わざとらしく『実験だ』って言って回ってるやつ。二人組。服が新しい」
レナートが淡々と言う。
「新しい服の噂屋は雇われだ」
ロウが続ける。
「雇い主は、近くで見てる。噂屋の動きって、目線が“確認”を取りに行く」
私はロウを見る。
「どこを見てた?」
ロウは迷いなく言った。
「市場の角。パン屋の前。二階の窓」
私は息を吸う。
(位置が具体的だ。こいつ、現場の嗅覚が本物)
レナートが言った。
「見に行くな」
「行かない」
私は即答する。
「見るのは、紙」
ルーカスがいれば、すぐに現場押さえだ。
でも今日は違う。私の役目は“査問会の武器”を作ること。
私はレナートに言った。
「査問会で、これを言ってほしい」
指を折る。
「一、神殿施療院が受け取り拒否した結果、患者が出た」
「二、共同施療所は公爵家直轄でも、治療は公益として行っている」
「三、薬の配布記録、棚卸し、封印記録がある」
「四、火は投げ込みで、医療施設への攻撃は重大な犯罪」
レナートは頷いた。
「言える。資料があるなら、尚更だ」
私は一枚の紙を出す。
「これは査問会用の“証言書”の骨子。署名がほしい」
レナートは紙に目を通し、ため息のように言った。
「……文章が硬い」
「硬くていい」
私は言った。
「柔らかいと切り取られる」
レナートはペンを取り、さらさらと追記する。
数行。言い回しが変わるだけで、論理の角が立つ。
「こうだ」
私は覗き込んで、思わず笑いそうになった。
(頭がいい。しかも文章が上手い)
レナートが視線だけこちらへ向ける。
「笑うな」
「笑ってない」
私は白猫の微笑を貼り付けた。
そのとき、外で小さな騒ぎが起きた。
「ほら見ろ! 貴族の医者だ!」
「庶民を見下してるに決まってる!」
わざとらしい声。
ロウが舌打ちした。
「来た」
レナートの目が眠そうなまま、少しだけ冷たくなる。
「噂屋だ」
私は息を吸う。
(査問会の前に、ここで印象を作る気だ)
ロウが低く言った。
「やり方が昨日と同じ。火を投げる代わりに、言葉を投げる」
私は頷いた。
「じゃあ、昨日と同じに潰す」
私は入口へ出た。
白猫の微笑は崩さない。
「今の発言、証言として残します」
噂屋の男が一瞬止まる。
私は続けた。
「氏名を。どこで何を見たか。記録します」
男が笑ってごまかそうとする。
「なんだよ、ただの噂だろ」
「噂なら、なおさら記録するべきです」
私は穏やかに言った。
「査問会で扱いますから」
男の笑顔が引きつる。
ロウが小さく言った。
「……逃げる」
逃げる瞬間。
人は“雇われ”に戻る。
私は一歩前へ出た。
「逃げるなら、雇い主の名前をどうぞ」
噂屋は顔を歪め、舌打ちして去った。
周囲がざわつく。
誰も追わない。追うと物語を作られる。
代わりに、私は振り返って、施療所の人々に言った。
「これからも、ここは止まりません」
「支援も、治療も、止まりません」
声は大きくしない。
大きい声は切り取られる。
だから淡々と、記録と同じ温度で言う。
レナートが背後で言った。
「僕が言う」
私が目を向けると、レナートは一歩前に出た。
「ここで治療を受けた患者の記録は残っている」
「薬の配布も、棚卸しも、封印も、全部残っている」
「疑うなら、見ればいい。噂じゃなく、紙を」
人々の空気が少し変わる。
“綺麗な男”だ、と誰かが囁いた。
私は今さら気づく。
落ち着いて見れば、ずいぶん綺麗な男だった。
育ちの良さが隠しきれていないのに、感情の置き場所だけが見えない。
だから余計に目が離せない。
ロウが小声で言った。
「……先生、こういうの嫌いなくせに」
レナートは淡々と返す。
「嫌いだ。でも必要だ」
その言葉に、私は小さく息を吐いた。
(査問会の前に、先に刺した)
帰りの馬車で、私はルーカスに渡す紙束を揃える。
証言書。署名。追記された文言。
そして、噂屋の動きのメモ。
ロウの推測は、まだ“紙”じゃない。
でも、紙にできる。
私は境界紙を握った。
次は査問会。
相手の土俵で、こちらの紙を広げる。
白猫は微笑んだまま、爪を研いだ。




