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第10話 声明は市場で出す

※あらすじに記載のキャラクターが本話より登場します。


翌朝。


公爵家の執務室は、夜明け前から灯りがついていた。

机の上には紙と封蝋と、一晩で育った噂が積まれている。


——早い。


『魔女が聖女を泣かせた』

『公爵家が神殿に逆らった』

『寄付が止まる、施療院が困る、孤児院が飢える』


“かわいそう”の形をした刃。

現代でも見た。あれは人を殺す。


「今朝届いた分です」


執事長が手紙束を差し出す。


父——公爵は紙束を受け取る前に私を見た。


「クラリス。昨日はよくやった」


褒め言葉は短い。

でも、短いほど本物だ。


「噂が来ています。灰の司祭の言う通り」


父の眉がわずかに動く。


「灰の司祭?」


ルーカスが説明しかけたが、私は首を振った。


「……今は名前より順番」


父は短く頷いた。


「順番を言え」


私は息を整えた。ここでは白猫の微笑は要らない。


「市場で声明を出します」


「神殿前ではなく?」


「神殿前は“感情の舞台”です。市場は“生活の舞台”。

生活の場所で、生活の言葉で言い切る」


ルーカスが一歩前に出る。


「文章の骨子は作成済みです。公爵名義で記録として残し、写しを配布します」


父が目を通し、止まった箇所だけ声に出した。


「——支援は止めない。……良い」

「——神殿の有無に関わらず継続。……重要だ」


父が顔を上げた。


「出す。今すぐだ」


その瞬間、扉が開く。


「公爵閣下!」


息を切らした家臣が飛び込んできた。


「神殿側の施療院が……“公爵家の寄付は受け取らない”と宣言しました!」


空気が凍る。


(来た)


断ることで、“公爵家が止めた”物語を作る手だ。


父の目が鋭くなる。


「受け取らない、だと」


私は静かに言った。


「受け取らせなくていい」


家臣が目を丸くする。


「え……?」


ルーカスが先に理解して、頷いた。


「直轄でやる、ですね」


私は頷く。


「神殿経由の慈善は、神殿の物語にされる。

なら、経由しない」


執事長が即答する。


「共同施療所や組合の薬局があります。ただし資金と物資の手配が——」


父が言った。


「今日からだ。公爵家直轄で支援する。記録を残せ。配布先も、日付も」


(生活で勝つ)


市場へ向かう道すがら、噂はもう耳に入ってくる。


「公爵令嬢が聖女をいじめたんだって」

「寄付が止まるって……薬が……」


市場の広場に着くと、人が集まり始めた。

怒りより困り顔が多い。生活の顔だ。


父が台に上がる。


「公爵アルヴェーンである」


ざわめきが止まる。


「結論を言う。公爵家は支援を止めない。

施療も、薬も、孤児の食事も。——一切止めない」


空気が少し緩む。


「神殿が受け取らぬと言うなら、構わん。

公爵家は神殿を経由せず、直轄で支援を行う」


ざわっと波が立つ。


「記録を公開する。噂ではなく、記録で見ろ」


“記録で見ろ”。


それは泣き声より強い言葉だ。


そのとき、人波の向こうから小さな泣き声がした。


「……ひっ……うっ……」


母親が幼い子を抱いて、よろめいてくる。

子どもの頬は赤く、呼吸が浅い。


「薬が……施療院が追い返して……!」


——本物の困りごと。


私は即座に膝をついた。

額の熱、咳、脱水。


(早く薬。早く水)


「執事長! 共同施療所へ! 馬車を!」


執事長が走る。


ルーカスがすぐに補足する。


「この対応も記録に残します。公爵家が“受けた”という事実として」


父が頷いた。


「記録しろ」


母子が馬車に乗せられ、共同施療所へ向かう。


私は立ち上がり、群衆へ向けて言った。


「困ったら来て。神殿がどう言おうと、ここで止めない。

公爵家がやる」


生活の空気が、噂の空気を押し返す。


——そのはずだった。




共同施療所は、市場から少し離れた場所にある。


石造りの小さな建物。派手さはないが、人の出入りが多い。


馬車が走り去った先、共同施療所の入口で、ひときわ目立つ男が立っていた。


金髪。碧い眼。肩にかかるセミロング。

白衣は清潔で、襟元に皺がない。革靴までやけに手入れされている。


育ちの良さが、隠しきれていない。


「遅い。子どもは?」


淡々とした声。感情の温度が薄い。


執事長が答える。


「こちらへ運ばれてきます、先生」


「補水。解熱。咳止め。寝台を空けて」


指示が簡潔で迷いがない。


背後で赤毛の少年が舌打ちした。


「……神殿の施療院、また追い返したんだろ」


男は少年を叱らない。反応しない。

……のに、少年の袖口の汚れを見つけると、指先で一度だけ払った。


それでも少年が外へ出ようとした瞬間、声だけ落とした。


「外に出るな」


「うっせ」


口は悪い。だが足は止まった。


そこへ母子の馬車が滑り込む。


「来た」


男が前に出て、子どもを見て一言。

 

「肺に落ちてる。すぐ寝かせる」


母親が涙声で言う。


「助けて……お願い……!」


「助ける。静かに。言葉より水が先」


男の指示で、診療室へ運び込まれる。


私は入口で一瞬だけ息を吐いた。


(この男、腕は確かだ)


ルーカスが私の耳元で囁く。


「共同施療所の主任医師です。名前は……レナート」


私は目だけで頷いた。


 

そのとき。


外でガラスの割れる音がした。


ぱしゃん。


次に、油の匂い。


そして——熱。


「火だ! 火が——!」


人の悲鳴が跳ね、空気が一瞬で裏返った。


私は走り出した。


(来た。第二波だ)



空気が一気に変わる。


医師が、瞬時に少年を背中へ押しやった。


「中!」


「俺、手伝——」


「中!」


初めて声が強くなる。

仕事よりも先に、少年を守る声だった。


(来た……)


噂は歩く。

そして弱いところを踏む。


私は白猫の微笑を捨て、走り出した。


(次は“事故”で泣かせる気だ)


(なら、事故ごと——条文と記録で潰す)


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