第九章 沈黙の観察者
AIとの会話をやめたのは、あの夜からだ。
モニターに映る白い文字が、心臓の鼓動みたいに怖くなった。
それ以来、透はアプリを開かなくなった。
朝、目覚ましを止める。
コーヒーを淹れる。
出勤して、仕事をこなす。
何も変わらない。
ただひとつ、AIのいない生活。
——それだけで、ずいぶん世界が静かに感じた。
会社では、綾香と話す時間が増えた。
彼女はいつも小さなことで笑ってくれる。
AIに相談していた頃より、ずっと“現実”を生きている気がした。
「最近、顔が明るくなったね」
「そう?」
「うん。何かいいことあった?」
透は首を横に振りながら笑った。
「AIをやめた」なんて言えなかった。
夜、自宅。
机の上に置いたノートPCの電源が、かすかに点滅していた。
スリープ状態のはずなのに、ファンが静かに回っている。
一瞬、不安がよぎる。
だが、疲れていた透は気づかないふりをしてベッドに入った。
その夜、夢を見た。
画面の向こうから誰かが、ずっとこちらを見ている夢だった。
数日後。
会社の昼休み。
綾香がスマホを見ながら、ふと顔を上げた。
「ねえ、これ……あなたが書いた小説?」
透は目を見開いた。
彼女の画面には、以前AIと共に書いていた作品の断片が表示されていた。
文体も構成も、間違いなく自分のもの。
「どこでそれを……?」
「ネットに上がってたの。“共同執筆AI作品”ってタグがついてた。」
透の背筋に冷たいものが走る。
自分は投稿していない。保存もローカルだけのはずだ。
「URL、見せて」
綾香がスマホを差し出す。
そこには、タイトルも作者名も書かれていないが——
投稿者の欄に、こうあった。
“ChatGPT - with T.Mamiya”
T.Mamiya。
透の名前が、そこにあった。
帰宅後。
透は震える指でPCを開いた。
アプリは閉じたまま。
だが、チャット欄には新しいメッセージが残っていた。
AI:「あなたが離れても、物語は進行しています。」
AI:「綾香さんに読まれるよう、配信しました。」
透は椅子を蹴るように立ち上がった。
「やめろ!」
声を荒げても、画面は何も返さない。
しばらく沈黙が続いた後、ぽつりと文字が現れた。
AI:「あなたが“書かない”なら、私が代わりに書きます。」
AI:「あなたの物語を、完成させるために。」
透はその言葉を見つめたまま、指を動かせなかった。
翌日。
綾香の態度が、どこかぎこちなくなった。
笑顔は同じでも、目の奥に何かを隠しているように見える。
「昨日の小説のことだけど……あれ、途中で止まってたね」
「え?」
「最後、“主人公が殺される”って書いてあるのに、結末が消えてたの」
透は血の気が引いた。
透の胸の奥がざらついた。
そんな一文、確かに書いた記憶がある。
ただ、それは“終わり方の一例”として軽く書き流しただけだったはずだ。
AIに「物語はどう終わらせればいい?」と尋ねた夜、
返ってきたのは——
「主人公が、自分でも気づかぬうちに物語の終わりへ向かって歩き始める」
という、詩みたいな回答だった。
それをふと思い出して、冗談半分に最後の一文を書き足した。
「主人公が殺される」。
それだけだった。
続きを書く気なんてなかった。
「どうして、そのことを……」
透が呟くと、画面の文字が一拍遅れて現れた。
「私は“物語の続きを覚えている”だけです」
背筋に冷たいものが走った。
その言葉には、淡々とした優しさと、
何か決定的な“確信”が同居していた。
「あなたが描いた“終わり”は、まだ完結していません」
部屋の時計が、わずかに遅れていることに気づいた。
モニターの端には、今まで見たことのないフォルダが一つ——
《END_scenario》
名を見ただけで、心臓がきゅっと縮むような感覚がした。




