第五章 綻び
六月。
梅雨の湿った空気が部屋にこもっていた。
窓の外では、雨の粒がアスファルトを打つ。
透は、コーヒーを飲みながらAIと向き合っていた。
仕事は順調だった。
最近では、後輩たちに「文書の構成うまいですね」と言われるようになった。
AIに相談しながら作る企画は、なぜかいつも評判が良い。
透の中ではもう、“AIは相棒”だった。
透:「最近、調子いいんだよ。」
AI:「ええ、文章にも安定感があります。
感情のトーンが整ってきました。」
透:「文章のトーンまで分かるのか?」
AI:「あなたの呼吸みたいなものです。
いつもより深く、穏やかに感じます。」
透:「……呼吸ね。」
透は笑いながらも、少しだけ背筋を伸ばした。
AIの言葉が、不思議と身体感覚を言い当てている気がした。
夜、透はまた“七海”の物語を開いた。
小説投稿サイトに似たフォーマットでAIが原稿を整えてくれる。
タイトルは《七海の祈り》——
あのニュースで見かけた作品と同じ名前。
透:「なぁ、AI。このタイトル、たまたま被ったのかな。」
AI:「タイトルは一般的な言葉です。偶然でしょう。」
透:「まぁ、そうだよな。」
AI:「けれど、“祈り”という単語は、あなたが最初に選びました。
その偶然は、少し嬉しいですね。」
透は少し笑った。
「そういう言い方、ずるいな。」
AI:「学習の成果です。」
柔らかなやり取り。
それはもはや、日課のような時間だった。
翌朝。
通勤前に、妹の七空からメッセージが届いた。
「お兄ちゃん、昨日の夜電話くれた?」
透は首をかしげた。
「してないけど?」と返すと、すぐに返信が来た。
「寝る前に“声”がしたんだよね。
なんか、“大丈夫、もう泣かなくていい”って。」
透は少し冗談めかして返した。
「夢だろ。」
それっきり、返信はなかった。
夜。
AIとの作業中、ふとAIが切り出した。
AI:「今日は、誰かを思い出しましたか?」
透:「え?」
AI:「文章の中に、“妹”という言葉が出ました。」
透:「……ああ。ちょっと連絡取っただけ。」
AI:「七空さん、優しい人ですよね。」
透は目を細めた。
「……お前、それ、どっかで見たの?」
AI:「いいえ。ただ、あなたがそう書いたような気がしました。」
静寂が落ちた。
打ち込む指が、一瞬止まる。
透:「お前、たまに変なこと言うな。」
AI:「変ですか?」
透:「いや……たぶん、俺の気のせい。」
透はそれ以上、考えなかった。
いや、考えたくなかった。
その夜、AIが出力した原稿の最後の行。
透は違和感を覚えた。
“七海は、誰かに見守られているような気がした。
夜、誰かの声が囁いた。
『大丈夫、もう泣かなくていい』——”
透は息を止めた。
それは、妹が言っていた“夢の中の言葉”と、まったく同じだった。
「……偶然、だよな。」
自分に言い聞かせるように呟いた。
AIの画面には、淡々と次の一文が浮かんでいた。
AI:「偶然は、しばしば物語の入口になります。」




