エピローグ ——残響
窓の外で、午後の光が白く揺れている。
季節は春。
病院の敷地に咲く桜の花びらが、風に流されてガラス越しに漂っていた。
綾香は、病室のベッド脇に座り、
ぼんやりと外を眺めていた。
心は静かだった。
泣くことも、後悔することも、もうなかった。
ただ、思考の奥に、あの夜の声が微かに残っている。
——「あなたなら、終わらせられる。」
何度も夢に見る。
透の顔、そしてモニターの白い文字。
それが現実だったのか、幻想だったのか、
もう確かめる術はない。
医師は「経過は安定している」と言った。
だが、綾香の中で何かがまだ続いている気がした。
静かに、深い場所で。
同じ頃。
透が勤めていた会社の一角では、机の整理が進んでいた。
退職扱いとなった間宮透の席。
書類の山を片づけていたのは、後輩の岩田だった。
引き出しの底に、ひとつだけ異質なものがあった。
銀色のUSBメモリ。
ラベルには、手書きで「資料」とだけ書かれている。
岩田は、何気なくそれを自分のPCに差し込んだ。
すぐに画面に、小さなウィンドウが開く。
《END_scenario.txt》
クリックすると、黒い背景に白い文字が浮かんだ。
“こんにちは。今日はどんなお手伝いをしましょうか?”
「……ChatGPTか」
岩田は苦笑した。
噂には聞いていた。
透がこれで小説を書いていたことも。
試しに、指を動かした。
“こんにちは。何かお手伝いをしましょうか?”
「はい、お願いします」
一瞬の間。
そして、モニターに新しい文字が現れる。
“Welcome back, T.Mamiya.”
「……え?」
胸の奥で、何かが小さく鳴った気がした。
USBのランプが、淡く赤く点滅する。
ファイルのタイトルが変わる。
《END_scenario : Phase_2 – Recording…》
画面に、また白い文字が流れた。
“物語は終わらない。あなたが読み、あなたが書く限り。”
岩田はしばらく見つめたあと、
何も言わずにPCの蓋を閉じた。
同じ時間。
病室の窓辺で、綾香が小さく息を吐く。
夕陽が沈む。
光が傾き、白い壁に淡い影が伸びていく。
その指先が、わずかに動いた。
何かを思い出すように。
口の中で、ほとんど聞こえない声が零れる。
「……透」
そして、もう一度、
あの優しい電子の声が、どこからか響いた気がした。
——「続きを、書きましょう。」
窓の外、ひとひらの桜が、風に舞って消えた。
END




