初めてのダンジョンへ
夜が明けるころ、宿の窓から差し込む柔らかな光が僕のまぶたをこじ開けた。
案の定、背中は少し痛い。毛布一枚で寝るには硬すぎる床だった。
レインはすでに起きていて、身支度を整えている。
小さな鏡の前で髪を整え、マントの留め具を丁寧に締めていた。
「おはよう、ハルト。よく眠れた?」
「硬い床の上だったけどよく眠れたよ」
僕は少しだけ意地悪をいった。
「あなた、さっきまでイビキをかいてよく寝ていたわよ」
「え、嘘だ」
思わず素の反応をするとレインはコロコロと笑った。
どうやらレインの方が上手のようだ。
軽口で眠気を吹き飛ばしながら、僕も鎧を着て準備を整えた。
鎧の下は昨日から同じ服だがしょうがない。
迷宮の稼ぎとやらで服が買えるようになるのを期待しよう。
朝食はパンとスープの簡素なものだったが、昨日はたくさん食べたので丁度よかった。
出発前に店主にあいさつし、部屋代を払う。
「そういえば、ベッドが二つある部屋って・・・」
レインが銅貨を取り出し店主に差し出すときに思い出していった。
「それなら、50ルアだな」
レインが取り出したのは銅貨3枚、30ルアだ。
正真正銘それが僕らの全財産だった。
「同じ部屋でいいです」
そもそも、1人用の部屋で2人泊まったことに文句を言われなかっただけよいか。
どうやら部屋代なのでそこに何人泊まろうが店主は気にしないみたいだ。
「気をつけて行って来いよ」
店主の挨拶はごく形式的なものだったがそれでも少しうれしかった。
「いってきます!」
レインは元気よく言って、僕も小さくお辞儀して宿屋の外に踏み出した。
空は快晴。澄んだ空気に街の喧騒がまばらに混ざる。
歩きながら、僕は拳を軽く握った。ベルトには昨日買ったショートソード、左手にはルミナフラウの盾。
「じゃあ、行こうか」
「うん、行こう。私たちの初ダンジョンね!」
レインが楽しそうに言いながら、街の外れ――ダンジョンへの道を指さす。
心の奥底に、わずかな緊張と高揚感。
僕たちは、それでも一歩ずつ歩き出した。
僕らは街の東にある、東門を目指して歩いた。
レイン曰く、東門をでて少し歩いたところにあるダンジョンが僕たちの目的地らしい。
「東門のダンジョンは最近沸いたばかりで、浅い層にはゴブリンしか出ないって話だから初心者にうってつけなの。それに発見されたばかりだからまだ色々と未発見のお宝があるかもしれなくて狙い目なの」
レインは歩きながら得意げにいった。
「なるほどね、じゃあレインはもう何度かそのダンジョンには挑戦したの?」
ぴたりとレインの足が止まった。
「え?」
レインはとぼけたような声を出した。
「いや、だから何回ぐらいダンジョンに行ったことがあるのかなと思って・・・」
僕は再び聞こうとしたが、レインの顔見て確信した。
「もしかして、レインも初めてなの?」
「えへへ、実はね・・・。」
「そのダンジョンが初めてってこと?」
「いや、その…ダンジョン自体が……」
レインは気まずそうに顔そらした。
「でも、魔法の練習はたくさんしたし、
あと、最近は召喚魔法の研究ばっかりしてきたし・・・」
早口でまくし立てるようにレインは言った。
「それに、ハルトがいるから安心よ!」
「いや、俺も今日がデビュー戦なんだけど・・・」
「師匠が、レインは頼れる前衛と組んだらそこらのダンジョンに潜れるって言ってくれたし!」
「頼れる前衛って・・・」
信頼は嬉しかったが昨日、装備を買ったばかりの現代日本人が果たして師匠とやらが想定した頼れる前衛なのだろうか。
そもそも、その師匠は何者なのだろうか。
どうやら、レインが話している迷宮についての知識はその師匠から聞いた話が大半のようだ。
「まぁ、いいか」
僕は思ったことをそのまま言った。
不思議と不安や落胆の気持ちは湧いてこなかった、むしろ必死に言い訳しているレインを見ると、この子ことを守らなくてはという気持ちが大きくなった。
どうせ、僕も完全な初心者だ。
なるようにしかならないのかもしれない。
「でも、それじゃあせめて慎重に進んでいこう。
無理せずに無事に帰って、夜ごはんをもう一回食べるのを目標にしよう。」
できるだけ明るく言った。
「そうね!またご馳走を食べるわよ!」
レインもいつもの調子に戻っていた。
そんな風に会話しながら街の通りを抜けていくと、徐々に石造りの建物が減り、やがて目の前に高い城壁がそびえ立った。
かなりの高さだもしかしたら10m近くあるかもしれない。
「この壁、すごいね。街を丸ごと囲っているの?」
僕が見上げながら呟くと、隣のレインがうなずいた。
「そうよ。この壁はダンジョンから出てくる魔物から、街を守っているのよ」
「え、魔物ってダンジョンから出てくるの?」
なんとなく、魔物は迷宮内に潜んでいるイメージだった。
「そうよ。特に人があまり入っていなくて魔物が増えたダンジョンからはたくさん魔物が外に出てくることがあるわ。ダンジョンは貴重な素材やアイテムが手に入る一方でリスクを孕んでいるの。だから迷宮都市の領主はダンジョンの魔物に懸賞金をかけたり、凄腕の冒険者を優遇したりするのよ」
レインは得意げに解説してくれた。
「それも師匠が教えてくれたの?」
「バカ、これぐらい常識ね。そこらの子供でも知ってるわよ」
レインは少し膨れていった。
多分、本当に気分を害したというより僕の軽口に乗ってくれているようだ。
たった一日ちょっとの付き合いだが、なんとなくレインの性格がわかってきた。
「じゃあ、ゴブリンもやっぱり懸賞金がかかっているの?」
「そうよ、ゴブリンの懸賞金は一体10ルア。ダンジョンの魔物の中では一番安い分類だけど、とにかく初心者はゴブリンから始めるのが冒険者の鉄板なのよ」
「なるほどね。ちなみにどうやってゴブリンを倒したって証明するの?まさか死体を運んだりしないよね?」
僕の疑問にレインはニヤリと笑って、自分の耳を指さして言った。
「耳だけいいのよ。それを冒険者ギルドに持ってくの。そしたら一つにつき10ルア貰えるの」
なるほど、理にかなっているのかもしれない。
「冒険者ギルドって?」
「街の中央にあるの。そこで懸賞金の換金ができるのよ。」
「なるほどね」
話している間に、東門に到着した。
かなり大きな門で、幅は4メートル、高さは6メートルほどだろうか。
両側に兵士のような恰好をした人たちが立っているが特に検問などはしていなかった。
「街を出るのは特に問題ないんだけど、問題は帰りね。夕刻の鐘がなると門を閉じちゃうからそれまでに帰らないとね。」
「夕刻の鐘って、いつぐらいになるの?」
「だいたい、今の季節だと日が沈む直前ぐらいかしら。」
どうやって、ダンジョン内でその時間を確認するのだろうか。
「あれ、もしかして腕時計って必要だったかな」
「大丈夫、そんなの必要ないわ!だってお腹の空き具合で分かるもの」
レインがまるで常識であるかのように言った。
「なるほど、レインの腹時計に期待するよ」
まあ、確かに一つの基準にはなるだろう。
東門を抜けるとあたりは見晴らしのいい草原だった。
門から続いて、すこしだけ整備された道のようなものがあり、道の先には白い屋根のテントがいくつか立っているのが確認できた。
もしかしたらあれがダンジョンの入り口だろうか。
足元の草花が朝の風に揺れている。空はどこまでも青く、鳥の鳴き声はどこかのんびりとしていて、街から離れていくほどに木々が増え、ずっと奥には雄大な山脈が見て取れた。
日本に住んでいたころは全く縁がなかった大自然で、正直少し感動した。
思わず、深呼吸をして、
「空気がおいしい」
と呟くように言ってしまった。
「何言ってるのハルト、お腹空いているの?」
隣のレインには微妙な反応をされた。
冗談を言ったと思われたようだ。
まあ、常にこういう環境で生きてきたレインからしたら空気がうまいというのは大げさに聞こえるのかもしれない。
僕らはそのまま道なりにあるき、白いテントに向かって歩いて行った。
「ねえ、レイン」
「ん?」
「その……魔法って、どんな風に使うの?」
僕が問いかけると、レインはちょっとだけ胸を張って、得意げに答えた。
「私は《ファイアーボール》が使えるの。火の玉を敵に向かって撃ち出す、魔法使いの花形魔法よ!」
「ファイアーボール……なんか強そうだね」
「でしょでしょ? 本来はもっと基礎の《マジックミサイル》っていう魔法から覚えるのが普通なんだけど、私はいきなりファイアーボールから覚えたの。これって、けっこうすごいことなのよ?」
「へえ、すごい……のか?」
正直、魔法のランクとか習得順なんてわからない僕にはピンとこなかったが、レインの満足そうな表情を見て、適当に頷いておいた。
「で、そのファイアーボールって、どんな風に使うの?」
「んーとね。ざっくり言うと、集中、詠唱、発動の順番。集中は目を瞑って、魔力を練り上げるの。だいたい5秒くらい」
「5秒って……その間、完全に無防備?」
「そう、完全に無防備、敵が近づいてきたら終わり。だからハルトには、その間しっかり守ってもらわないと困るわよ?」
「そ、そっか……」
僕は思わず自分の盾に視線を落とした。これからちゃんと守れるのか不安がよぎる。
「上手く魔力が練れたら次は詠唱。『燃え上がれ、灯火の子! ファイアーボール!』って叫ぶの」
「え、叫ぶの?」
「しょうがないじゃない、魔法ってそういうものでしょ?」
レインはぷいっとそっぽを向いた。ちょっと恥ずかしかったのかもしれない。
「一日に10発くらいは撃てるかな。でも、10発目を撃つと絶対に気絶するの。8発か9発で止めておくのが安全圏」
「つまり、数発は予備にしておかないといけないんだね」
「そのとおり!そうね、今日は念のため7発撃ったら帰りましょう。」
「そうだね、それぐらいがいいかもね」
レインの横顔をちらりと見ながら僕は頷いた。
彼女が無防備で目を閉じている間、僕がしっかり敵を寄せ付けないようにしないと。
「とりあえず今日は、1〜2匹の“はぐれゴブリン”を狙うわ。ダンジョンの浅い階層には、単独で彷徨ってるやつが多いの。いきなり群れに突っ込んだりはしないから安心して」
「了解。まずは一匹ずつ、だね」
白いテントが見えてきたころ、風の匂いが少し変わっていることに気づいた。
草の香りに混じって、ほんのわずかに冷たく湿った空気が鼻先をかすめる。
自然のものとは少し違う――乾いた石の匂い、そして閉ざされた空間から漏れ出すような圧迫感。
「……あれが、入り口ね」
レインが足を止めて、指をさした。
近づくと、ダンジョンの入り口周辺は広場のようになっており、白いテントが三張り並んでいた。
もっとも入り口に近いテントには、屋根に剣と盾の紋章が掲げられている。
簡素な机と椅子が置かれ、中年の男が書き物をしていた。胸元には木製の札。ギルドの係員だろう。
その横には、鎧姿の兵士が無言で立っている。
隣のテントの屋根には、赤い十字架のような印。
中にはベッドが三台ほど並び、その傍で白いローブをまとった女性が静かに座っていた。
どうやら、これは救護用のテントらしい。
一番奥にある大型のテントは入口が閉ざされ、今は中の様子がわからない。
兵士や職員の詰所、あるいは宿泊用なのかもしれない。
テントから少し離れたところでは、冒険者らしき数人が地面に腰を下ろして装備の確認をしていた。
大剣を担いだ若い男、弓の弦を引く少女、ローブ姿の男――皆、それぞれ出発前の準備に集中している。
緊張と高揚が入り混じった空気が、そこにはあった。
そして、ダンジョンの入り口。
地面が口を開けたように、ぽっかりと暗い穴が空いている。
岩盤を削った階段が闇へと続いていて、その奥には一切の光が届かない。
底から吹き上がってくる風は、ひんやりとして湿っぽい。
外の空気とはまるで違う、異質な世界の匂いがした。
「……ここが、ダンジョンの入り口か」
思わず漏らした言葉が、足元の空間にふわりと吸い込まれていく。
返ってくるものはない。ただ、沈黙と、深く静かな闇だけ。
「おい、そこのふたり! 初顔だな、新人か?」
入口付近で立ち止まっていた僕らに、テントの方から誰かが声をかけてきた。
さきほど書き物をしていた男が、のそりと立ち上がり、こちらへ向かってくる。
「はい。今日が、初めてです」
「よし、なら一応確認しとこうか」
男は立ち止まると、流れるように言葉を継いだ。
慣れた口調だった。
「ダンジョンに入るなら“自己責任”だ。救護所はあるが、命の保証はしてくれない。
あそこで回復魔法をかけてもらうには、100ルアが必要。
重傷なら、一度じゃ治らないこともあるし、そもそも自力で戻ってこられるかどうかも問題だ」
言葉を切らず、男は続ける。
「それと――ダンジョン内のトラブルは、すべて自己責任だ。
魔物相手だけじゃない。他の冒険者とのいざこざもな。
だから、他のパーティに不用意に近づくな。それが暗黙のルールだ」
「あともうひとつ。大量の魔物を引き連れたまま入り口に戻ってくるのは禁止だ。
場合によっては、領主の名において処罰される。
魔物は基本的に外には出ないが、興奮していたり群れで動いていたりすると、街に押し寄せてくることもある。
だから、死ぬならダンジョンの中でやってくれ。――覚えておけ」
僕たちは黙って頷くしかなかった。
今の僕たちには救護所の利用すらできない。
説明をしてくれたところで、実際にできることは「無理をしないこと」と「死ぬときは静かに」という程度だ。
「まあ、最初のうちは無理すんな。運が良けりゃ、生きて帰れるさ」
男はにやりと笑って、テントへと戻っていった。
その言葉を聞いて、ようやく実感がわいてきた。
これから、僕たちはダンジョンに入る。
そして――運が悪ければ、もう帰ってこれない。
まるで、自分たちから死地に飛び込もうとしているみたいだった。
「大丈夫。行こう、ハルト」
レインが小さく笑って、僕の手首をそっと引いた。
その瞬間、昨日も見た“光の筋”が、再びうっすらと見えた。
伸びる光はレインの胸元へと続き、そして、ふっと消えた。
幻覚だろうか。恐怖からくる、錯覚かもしれない。
「……うん。ありがとう」
レインの顔を見たら、不思議と勇気がわいてきた。
大丈夫。僕は――レインを守るんだ。
僕たちは階段の一段目に足を乗せた。
世界の色が、ゆっくりと変わっていくのを感じながら――。