約束の夜、そして明日へ
宿屋に戻るころには日が沈みかけていた。
食堂は食事と酒を求める客で賑わっていた。
僕らはなんとか端の方に空きテーブルを見つけてそこに腰を下ろした。
「決起集会ね!」
レインは席に着くなり元気よくいった。
あるいは最後の晩餐かもと思ったが、声には出さなかった。
「そうだね。でもお金は大丈夫かな?」
「大丈夫よ!部屋代は今朝払ってあるしあと100ルアはあるわ。今日の食事代と明日の朝払う部屋代はあるわ」
「その後は?」
「もちろん!ダンジョンの稼ぎで払うのよ!」
レインは自信満々だ。
「入念な計画だね」
僕は皮肉をいった。
「そうでしょう」
レインはあっさりといった。
皮肉が通じなかったのかなと思ったがレインの表情は、僕の想像よりずっと真剣だった。
「それに、明日ダンジョンで死ぬかもしれないのにお金を持っていてもしょうがないわ。」
レインの表情には隠し切れない不安の色が見て取れた。
僕は今日、冒険の準備を整えているときにふと、死の恐怖が頭をよぎった。
レインも同じだったんだ。
「大丈夫、僕が守るから。」
僕は思わずそう言った。
昨日まで全く知らなかった女の子に対してどうしてそんな風に言えるのか自分でも不思議だった。
それでも、レインの不安げな表情を見るとそういいたくなった。
「そうね!あなたがいるから大丈夫よね!
なんせ私の召喚獣・・・、いや初めての仲間ですもの。
しっかり私を守ってね。魔物は私が焼き尽くすから!」
レインはいつもの調子で明るく言った。
「もちろん任せてよ。」
僕も笑顔で答えた。
「よし、そうと決まれば食べるわよ」
レインは腰に付けていた皮袋をひっくり返してテーブルに小銭をぶちまけた。
100ルアはあると言っていたが、銅貨が10枚ほどと青銅色の硬貨が何枚か入っていた。
そこから、レインは銅貨3枚を取り除いて袋に戻した。
「これは明日の部屋代」
レインはそこから銅貨3枚を除けて、革袋に戻した。
「部屋代って朝に払うの?」
純粋な疑問が口に出た。
「そうよ。ある種のジンクスね。」
レインは軽く笑いながら答えた。
「冒険者は、その日泊まる宿代は朝払うの。必ず宿に戻ってくる決意を込めてね。」
なるほど、確かに死ぬかもしれないから宿代を後払いするのは縁起が悪そうだ。
「これだけあれば、結構食べられるわね。」
レインはテーブルに残った硬貨を数えながら笑った。
銅貨は10ルアのようだから、ざっくり見たところ60ルア程度ありそうだ。
ニヤついているレインを横目に、僕はそこから銅貨1枚を除けた。
「明日の朝食代がいるよ。」
僕はすこしおどけて言った。
「確かにそうね。」
レインは僕が避けた銅貨を皮袋にしまった。
そして、その後は手をこれ以上ないくらい真っ直ぐ上に伸ばして給仕を呼び止めた。
「これで買えるだけのご飯とお酒を持ってきて!」
レインはテーブルの硬貨を給仕の方に押しやりながらいった。
給仕は心得たもので、テーブルの硬貨を指で素早く数えた。
「67ルアね。任せてちょうだい。お酒は葡萄酒でいいの?」
レインと僕は同時に頷いた。
「今日は特別だからね!」
レインはそう言ってにっこり笑ったが、その目にはまだ少しだけ不安が混じっているように見えた。
「明日の夜も同じぐらい稼いで食べよう」
あえて何も言わずに、僕も笑い返す。
しばらくすると、給仕は両腕いっぱいに料理を載せた大きな盆を運んできた。
その上には、こんがりと焼かれた骨付き肉やスパイスの香りが立ちのぼるシチュー、小ぶりな魚の丸焼き、色とりどりの野菜の盛り合わせ、そしてかごに山盛りのパンが所狭しと並んでいる。
「すごっ……」
思わず僕の口から声が漏れた。
レインは目を輝かせて身を乗り出す。
「すごいごちそう! ちゃんと、あのお金で足りたの?」
「そうよ。67ルア分ね。それとお店の気持ちもほんの少し足してあげたわ」
給仕の女性が自信たっぷりに笑うと、最後に木製のジョッキを僕とレインの前に2つずつ置いた。
合計で4杯。
中には濃い紫色の葡萄酒がなみなみと注がれている。
レインは骨付き肉を手に取り、豪快にかぶりついた。
「ん~っ! おいしっ!」
口いっぱいに肉をほおばって、幸せそうに笑っている。
僕もスプーンでシチューをすくって口に運ぶ。
肉と野菜の旨みがスープに溶け込んでいて、温かくて、少しだけ安心するような味がした。
パンは表面がパリッとしていて、中はふわふわ。
これだけでもいくらでも食べられそうだった。
魚の丸焼きは皮が香ばしく焼き上がっていて、身はしっとり柔らかい。
小さなレモンのような果実が添えられており、軽く絞って食べると、ふわっと香りが立った。
「お酒も甘くて飲みやすいね。お昼に飲んだのよりいいやつかも」
レインは葡萄酒のジョッキを両手で抱えて、ひとくちずつ大切そうに飲んでいた。
僕はその様子を見ながら、自然と笑みがこぼれていた。
しばらくの間、僕らは夢中でご馳走とお酒を楽しんだ。
半分ほど食べ進めたとき、レインが骨付き肉を持ち上げて、じっくりと肉を観察しだした。
「ほう、この骨付き肉は興味深い。一口嚙むごとに肉汁が溢れ出てくる」
なんだか、口調が変だ。
どうやら昼間に時計を売った店の店主、リーリーの口調を真似しているようだ。
少し酔ってきているのかもしれない。
「いかにも、この骨付き肉は興味深い。しかし、この魚も負けていない。表面がパリパリだ」
僕もリーリーの口調を真似していってみた。
僕らは見つめ合い、ぷっと吹き出した。
その後は、「いかにも」とか「興味深い」とか同じことを何回もいいながら笑いあって食事を楽しんだ。
僕らが食事を食べ終わるころには食堂の賑わいも随分落ち着いて、外もすっくり暗くなっている。
「ねえ、レイン。君はどうしてダンジョンに挑戦しようと思ったの」
少しだけ真剣な口調で聞いてみた。
「うーん」
レインは小さく首を傾げながら唸っている。
顔は紅潮しており、酒が回ってきているのかもしれない。
「簡単にいうと、私が私であるためかな」
「なんだが抽象的だね」
「話すと少し長くなるのよ、じゃあハルトはどうして召喚獣になろうとしたの」
「簡単にいうと、自分の居場所が欲しかったのかな」
自分でも意外だったが迷うことなく回答した。
言葉にして、自分でもああそうだなという不思議な納得があった。
「ハルトも抽象的じゃない」
レインは笑った。
「話すと少し長くなるんだ。続きは明日の夜話そう」
僕も笑った。
「それ、いいわね。」
レインは一瞬、驚いた後に微笑んで言った。
これも一つのジンクスかもしれない。
豪勢なごちそうを前に、ほんの束の間だけど、不安も恐れも忘れてしまうような――そんな、穏やかな時間だった。
食事を終えた僕らはろうそくの明かりが灯る階段を上がって、宿の二階の一室へと戻る。
レインが僕を召喚した部屋だ。
扉を開けて気づいた。
ベッドが一つしかない。
「そういえばベッドが一つしかないね」
「そうね。なにせ貴方は今朝までいなかったんですもの」
レインは事も無げに言った。
「一緒に寝る?」
レインはクスクス笑いながら言った。
からかっているのが見え見えだ。
少し前から思っていたがレインは少し酔っているようだ。
「いいよ、僕は床で寝るから」
僕が即答すると、レインは何が面白いのかアハハと笑いながらベッドにダイブした。
笑い上戸なのかもしれない。
仕方なく、僕は部屋の隅にあった予備の毛布を取り出して床に敷く。
鎧を脱いで、ショートソードと盾と一緒に部屋の隅に置いて床に寝転ぶ。
寝心地は最悪とは言わないけど、ベッドのふかふか具合を見た後では、やっぱり羨ましい。
「おやすみ、ハルト」
ベッドの中からレインが小さく囁く。
「おやすみ、レイン。……潰されないように気をつけて寝てくれよ」
「え、それってどういう意味?」
「寝返りでベッドから落ちて僕の上に落ちてこないでってこと」
からかったことへの軽い意趣返しだ。
「バカ」
レインが小さく返した。
それにしても、本当に長い一日だった。
不思議とダンジョンへの恐怖はなくなっており、穏やかな気持ちで瞼を閉じることができた。