歓迎会と誤算
乾杯を済ませた勢いのまま、葡萄酒をジョッキの半分ほど一気に飲んだ。
アルコールはそれほど強い感じがしない。どうやら水で薄めた葡萄酒のようだ。
なんだか少し気恥ずかしい気がする。
レインも同じだったのか、ジョッキで顔を隠すようにして葡萄酒を飲んでいた。
「じゃあ、料理が冷める前にいただきましょう。さっきも言ったけど、おなかがペコペコなの。」
そう言ってレインは料理に手を伸ばした。
勘違いかもしれないが、レインは少し上ずった声だった。
テーブルには、どこかで見たことがあるようで、少しだけ違う料理が並んでいた。
丸いパンには香ばしい焼き目がついており、表面にほんのりと黄色いバターが塗られている。
その隣には、見るからにジューシーな骨付き肉が、熱々のまま湯気を立てていた。
さらに、小さな焼き野菜が添えられている。
「これって……なんの料理?」
恐る恐る皿を見つめる僕に、レインがパンを手で取りながら笑った。
「左のパンは『ハニーロール』よ。パンに特製の蜂蜜バターを塗って焼き上げたものね。
それと骨付き肉は『ボアリブのロースト』。森で獲れる猪のお肉で、外はパリパリ、中はジューシーよ!」
「……猪?」
一瞬驚いたが、レインの言葉に押されるようにパンを手に取る。
そして一口かじると、ほんのり甘いバターの香りが広がり、思わず顔がほころんだ。
「美味しい!」
「でしょ? このパンは定番だけど、甘さがちょうど良いから私も大好き!」
レインは嬉しそうに笑いながら、今度は骨付き肉を豪快にかぶりついた。
僕も続いて骨付き肉に手を伸ばす。外側のこんがり焼けた部分はサクサクしていて、中の肉は柔らかくジューシーだった。
少しだけ香辛料の風味が効いていて、これも思った以上に美味しい。
「うん、これも美味しい。見た目はちょっと豪快だけど、味付けがちょうど良いね。」
「 ボアリブはこの宿の看板メニューなの!
ダンジョンに挑む冒険者たちもこれを食べて元気をつけるのよ。」
レインは楽しそうに話しながら、肉にかじりつくのをやめない。その食べっぷりに、なんだか僕も安心した。
「確かに美味しいけど、これって結構高いんじゃないの?」
「んー、そうでもないわよ。召喚魔法の準備でだいぶお金を使っちゃったけど、歓迎会なんだからこれくらいならなんとか…ね!」
レインは苦笑いを浮かべながらも、明るく答えた。
「それに、大丈夫!これからダンジョンでガンガン稼ぐんだから!」
レインは自信満々に続けた。
「ねえ…。ずっと気になっていたんだけどダンジョンって、そもそもどんな場所なの?」
聞くことがあまりに多すぎたため後回しになっていた質問をした。
「もしかしって、ハルトがいた世界だとダンジョンってないの?」
「ないね、ついでに魔法もない。
ただダンジョンだとか魔法だったりは創作物のテーマとしては結構人気で何となくイメージはあるんだ。ただそれがこの世界のモノとどこまで一致しているかは全然わからないよ。」
「なるほどね。本当に全く違う世界から来たのね…。」
レインは骨付き肉を置き、手についた油を舐めとり頬杖をしながら考え込んだ。
「ダンジョンってのは一言でいうと、”生きた迷宮”かしら。」
少し考えて適切な言葉をなんとか見つけてくれたみたいだ。
「生きた迷宮?」
「そう。ダンジョンはただの洞窟とか地下施設じゃないの。
”ダンジョンの種”と呼ばれる魔力の結晶が地中深くで発芽することで生まれる空間なの。突発的に発生して、内部には魔物や罠、それに貴重な財宝が隠されているの。」
「なんだか、とっても危険に聞こえる。」
「そうね。でも、危険だからこそ挑む価値があるのよ。ダンジョンでしか得られない特別な素材もあるわ。」
「特別な素材?」
「例えば、武器や防具に使う鉱石とか、魔法薬に使う薬草とか。迷宮に挑む冒険者は、それを手に入れるために命を懸けてるのよ。」
「なるほど。何となくはイメージできるかも。なんとなくだけど……」
今度は自分が考え込む番だった。
ダンジョンについては何となく雰囲気は分かった。
どこにでもあるゲームの設定のようにも思えたし、そういった設定の小説をいくつか読んだことがあるような気がした。
ただし、今、現実として自分がそのダンジョンに挑んでいく姿はうまくイメージできなかった。
「結局のところ、ここでどんなに言葉を尽くして説明しても、完璧な理解をすることは難しいと思うの。貴方が自分の目で見て、経験して初めて理解できるんじゃないかしら。」
レインはあっさり言った。
「確かに……その通りだね。」
僕は頷くほかなかった。
実際に体験するほうがずっと早い。
「でも、ひとつだけ確認したいんだけど、そのダンジョンってのは、僕みたいな一般人が素手で挑んでもなんとかなるのかな?」
「無理ね!」
レインは即答した。
「うっかりしていたわ。貴方の装備のこと全く考えてなかった。」
「最低でも鎧と武器が必要ね……。あなたのその服、見慣れない作りだけど実はすごい防御力があったりするのかしら?」
僕は自分の格好を見直した。
通販で買った黒のロングTシャツ。防御力など皆無だ。
「残念ながら、ただの布の服だよ。
その鎧とか武器とかって、いくらぐらいで揃えられるの?」
「うーん、装備の値段はピンキリなのよね。ただ初心者向けのやつなら500ルアあれば揃えられるかも……」
「500ルア、持ってる…?」
「えーっと、実は召喚魔法の準備でほとんどお金がなくて……」
「あと、いくらあるの?」
「あと100ルアぐらい……」
「ここの宿って一泊いくらするの?」
「30ルアね。」
「今僕たちが食べた料理っていくらぐらいなの?」
「30ルアね。」
思わず、テーブルの料理に目を移した。
残金から考えたら、なかなか思い切った注文だ。
「だって歓迎会だもの。」
レインは僕の目線に気づいて、抗議するように言った。
「そうだね。ありがとう」
今となっては豪華な食事より、少しでも良い装備が欲しいが、レインの気持ちに免じてそのことは指摘しなかった。
そもそも、丸腰で召喚獣の募集に応募した僕に非があったのかもしれない。
そこまで考えて、あるアイディアを思いついた。
「ねえ、提案なんだけど、この時計を売って僕の装備を整えるお金を作ることはできないかな?」
左腕に付けていた腕時計を外してレインに見せる。
この腕時計は少し前にハマっていたゲームとのコラボ商品で、ゲームのタイトルロゴが裏側に控えめにデザインされており、それ以外はスケルトンタイプの普通のアナログの腕時計だ。
なんと10万円もした。
もちろんブランドものの時計などと比べると、安物ということになるかもしれないが、僕としてはかなり思い切った出費だった。
勢いで買ったまでは良かったが、そもそも時間を確認するのにはスマホで十分で、腕に付けていたのはほとんど出費に対する意地みたいなものだった。
「時計を売る?」
レインは腕時計を受け取り、じっと眺め始めた。その顔は興味津々というより、何か謎を解こうとする探偵のようだった。
「これって何かの魔道具なの?」
腕時計をひっくり返して裏側まで確認しながら、レインが聞いてきた。
「いや、ただの時計だよ。僕の世界では時間を確認するための道具。中の針の位置で時間がわかるんだ。」
「ふーん、時間を確認するだけ……ね。私が知っている時計と随分形が違うわ。」
レインは腕時計を手のひらで転がしながら、不思議そうに首をかしげた。
「こっちの時計ってどんな感じなの?」
「こう、筒状になっていて中に砂が入っているの。落ちた砂の量で時間を計る仕組まなの。」
なるほど、砂時計だ。
「でも、普通の人が買うことはほとんどないわね。高いし、それに、わざわざ時間を細かく知る必要がある人なんてそんなにいないわ。
時間を知りたいなら教会の鐘の音を聞くのが普通だもの。例えば、朝や昼、それに夕方の鐘が鳴るから、それでだいたい分かるわよ。」
話しながらもレインの目線は腕時計から離れない。
「これ、結構精巧にできてるわね。表面の透明な素材も傷ひとつないし、針がすごく滑らかに動いてる。」
「10万円もしたからね。それなりにいい物だと思うよ。」
僕は少し苦笑いしながら答えた。
ほとんど買っただけで満足して、性能については正直よくわからなかった。
「10万円って……どれくらいのお金なの?」
レインが訝しげな表情で聞いてくる。
「うーん、この世界の物価に換算できるか分からないけど、さっきの料理が30ルアだったとしたら、たぶん1000ルア分くらいの価値があると思う。」
その言葉に、レインの目が一瞬だけ大きく見開かれた。
「1000ルア!?」
彼女は時計を慌てて両手でしっかり持ち直し、まるで落とさないように細心の注意を払うような仕草を見せた。
「それ、売ったらすごく良い装備が揃えられるんじゃない?」
「たぶんね。でも、売れるかどうかは分からない。この世界の人たちにとって、時計がどれだけの価値があるか次第だ。」
レインは少し考えるように眉を寄せた。
「そうね……私も詳しいわけじゃないけど、全く値が付かないということはないと思うわ。街の商人に見てもらえば、珍しいものとして買い取ってくれるかもしれないわ」
「そうだね。それで少しでもお金が作れれば助かるよ。」
「でも……」
レインが不安そうな顔をして言葉を続けた。
「あなたにとって大切な物なんじゃないの? さっきの話だと、高かったんでしょ?」
僕は少し間を置いて、腕時計を見つめた。確かに高かったし、買ったときは嬉しかった。でも、これを持っていても、今の僕には何の役にも立たない。
「大切って言えばそうだけど、それよりも今はこれからの冒険のほうが大切だよ。僕にとって新しい人生のスタートだ。」
「そう……。」
レインは僕の言葉に納得したように小さく頷いた。
「じゃあ、その時計を売って手に入れたお金で、絶対にいい装備を揃えましょう! それで迷宮に挑む準備をバッチリ整えるの!」
レインはニッコリと笑って立ち上がった。
今にも店を飛び出しそうだ。
「じゃあ、その前に残りを食べちゃおう。そんなに急がなくても店は逃げないと思うよ」
まだお互いに料理が半分ほど皿に残っていた。
「それもそうね」
レインは着席し、少し恥ずかしそうに言った。
感情を素直に表す、レインに眩しいものを感じた。
「実は僕もワクワクして、うずうずしてるんだ」
僕はパンをかじりながら、少し大げさに笑顔を作って言った。
レインは肉を思いっきりかぶりついて、口をモグモグさせながら大きく頷いてくれた。
僕らは遊びに行くのが待ちきれない子供のように慌ただしく食事を済ませた。
「それじゃあ、食事も済んだし、早速行きましょう!」
レインはパンの最後の一切れを口に入れて、それを葡萄酒で流し込み、勢いよく立ち上がり言った。
「ところで、売りに行くお店の当てはあるの?」
僕が尋ねると、レインはあっとした表情をした後、少し考え込むような表情を見せた。
「あ、そうだった……この街に来たの、実は昨日が初めてだったのよね。」
「えっ、本当に?」
「うん、こっちに来てすぐに召喚魔法の準備に取り掛かったの。この街のダンジョンについては色々調べてきたんだけど、この街のことは全然知らないの。
でも大丈夫、こういうときは地元の人に聞けば何とかなるものよ!」
レインはすぐさま宿屋のカウンターへと向かった。そこには、何か書類仕事をしている宿の店主が座っていた。白髪の混じる初老の男性だが、体はガッチリとしていて逞しさを感じる。
「すみません!」
レインが声をかけると、店主はゆっくりと顔を上げた。
「おや、何か用か? 若い冒険者さんたち。」
「実は、この街で珍しいものを買い取ってくれそうな商人を探しているんです。あと、いい鍛冶屋があれば教えていただけませんか?」
店主はしばらく考え込む仕草を見せたあと、頷いて答えた。
「珍しいものを買い取るなら、中央通りの『ルールーの店』がいいよ。
変わったものでも引き取るって評判の店だね。
赤い鳥の看板が目印にするといい。
鍛冶屋なら、その近くの『ガストン鍛冶工房』が腕がいいって話だよ。」
「ありがとうございます!」
レインは嬉しそうに店主にお辞儀をすると、僕の方を振り返りながら満面の笑みを浮かべた。
「よし、行き先が決まったわ! さっそく行きましょう、ハルト!」
レインの行動力に感心させられながら、僕は頷いた。