君の召喚獣になると決めた日
「とにかく下の食堂で話しましょう。召喚魔法を使うのに魔力も体力も使っちゃってヘトヘトな上に、おなかもペコペコなの。」
そう言うと、レインは僕に背を向け、部屋の出口と思われる扉に向かった。
確かに僕らの間には会話が必要そうだ。
「わかった」
そう言って、さっさと移動するレインの後を慌ててついていった。
その時になって、いままでスマートフォンをずっと握りっぱなしだったことに気づいて、ズボンのポケットにしまった。
部屋を出てみると、レインの言っていたように、ここはどこかの宿屋のようで、二階部分に宿泊用の部屋がいくつかあり、一階部分は食堂になっていた。
どうやら昼時のようで、食堂は思いのほか賑やかだった。
木製のテーブルと椅子が雑然と並び、給仕が忙しそうにテーブルの間を行き来していた。
客たちはみな、現実離れした服装や武器を身につけていて、まるでファンタジー小説の一場面に迷い込んだ気分だ。
レインは慣れた様子で奥のテーブルに座り、僕にも向かいの席を促した。
「何から話せばよいのかしら……。貴方は多分この世界の人間じゃないのよね。格好も変だし、話す言葉も違った。」
レインは僕の服を見ながら言った。
黒いロングTシャツに黄土色のチノパン、それに腕時計。
喫茶店にいた時と全く変わらない服装だ。
レインの格好やほかの客たちの格好と比べたら、随分と浮いている。
「確かに、僕はこの世界の人間じゃないと思う。地球の日本って国に住んでた。聞いたことある?」
「全然聞いたことないわ。全く何から話せばよいのかしら……。」
レインは首を振って、つい先程と同じセリフを言った。
「じゃあ僕の話から聞くのはどうかな? 実はどうして召喚獣が僕だったのかということは、僕の方に心当たりがあるんだ。」
正直、まだ混乱していて頭の中が整理できていなかった。
だからこそ、レインに自分の身に起きたことを話して情報の整理がしたかった。
「それ、いいわね!」
レインはニッコリと笑った。人懐っこい笑みだ。
「でも、その前に何か料理と飲み物を頼みましょう。貴方、お酒は飲めるの?」
レインは手を挙げて給仕を呼びながら聞いた。
「飲める。割と好きな方だと思う。」
「そう、良かったわ。あなたは私の初めての仲間なんだからご馳走するわ!」
レインは嬉しそうにそう言うと、給仕に二人分の食事と飲み物を頼み、腰に着けていた皮袋から何かを取り出して給仕に渡した。たぶんお金だ。先払いのようだ。
給仕は僕の格好が気になるのか少しだけ僕の方に目線を向けたが、特に何か言うこともなく、調理場の方に去っていった。
「さっきの話だけど……」
上機嫌なレインとは対照的に、僕はやや状況が呑み込めず困惑気味だった。
料理が届くまでには少し時間がかかるだろうから、さっさと本題に話を戻した。
「僕は元々いた世界で仕事を探していたんだ。そしたらレイン、君の名前で“召喚獣”の募集があったんだ。それで興味が惹かれてその求人に応募したんだ。そしたらここにいた。」
自分で説明してみながら、意外とあっけない話だなと思った。
「なんだ、そうだったの。それなら良かった」
僕の話を聞いて、意外にもレインは嬉しそうだった。
「何がよかったの?」
「あなたはずいぶん混乱していたようだけど、
望んで私の召喚獣に立候補したってことでしょう。
私は、もしかしたら何かの間違いで、全然関係ない人を召喚魔法で巻き込んでしまったかもと心配していたの。」
確かにその通りだ。
でも、僕にも言い分がある。
「でも、いきなりこんなところに連れてくるとは思わなかった。」
そこまで言って、とても重要なことを聞いていないことに気づいた。
「ねえ、もしかして僕のことを元の場所に返すことができる?」
「残念だけど、それはできないわ。」
レインは少し気まずそうに目をそらしながら言った。
「召喚する魔法と帰す魔法だと、全然難易度が違うもの。それに貴方の同意があったから召喚できたはずよ。あれはそういう魔法だから。」
僕は求人サイトで表示されたダイアログを思い出した。
【元の世界には戻れなくなるかもしれませんが よろしいですか? YES/NO】
自分の軽率さに苛立ちを感じた。
「それは……。その通りだけど」
そう言うだけで精一杯だった。急に胸の奥に重いものが広がっていく。
家族の顔が浮かぶ。休日に帰った実家で、父がテレビを見て笑っている横で、母が淹れてくれたお茶の香りがしていた。友人たちと騒いだ居酒屋の熱気、笑い声――それが、永遠に手の届かないものになるかもしれない。
「帰れない」と言われたその一言が、異世界の雰囲気にのまれていた僕を現実に突き落とした。
「ねえ……、もしかして召喚獣になるのは嫌だったの……?」
レインがさっきとは打って変わった深刻そうな声で聞いてきた。
何かを言わないといけないけど、考えがうまくまとまらなかった。
沈黙がその場を支配した。
「葡萄酒と料理、お待ちどうさま。」
沈黙を破ったのは、料理を持ってきた給仕だった。
テーブルに木製のジョッキと皿を並べた給仕だったが、テーブルの空気を感じるとそそくさと調理場に戻っていった。
給仕が去ると、沈黙が再びテーブルを支配した。
どれぐらい黙っていただろうか。沈黙を破ったのはレインの方だった。
「貴方の歓迎会のつもりだったの……。初めて仲間ができたと思って舞い上がってたの。
召喚魔法も初めて使う魔法で、成功したと思って嬉しくて……。」
弱々しく話し始めたレインは、最後の方は消え入るような声になっていた。
「でも……。貴方が望むのなら、元の世界にきっと貴方を帰してみせるわ。すぐには無理だけど、きっと方法はあるはずだわ。時間がかかるかもしれないけど、必ず探してみせる。」
顔を上げてレインを見ると、今までとは違うぎこちない笑みを浮かべていた。
レインのそのぎこちない笑みを見て、僕はハッとした。
レインは僕を召喚したとき、人間が召喚されたことに驚いていた。
多分、人間が召喚されるとは思っていなかったのだ。
レインがもし火を吐けるドラゴンや屈強なゴーレムみたいなのを期待して召喚魔法とやらを使ったのであれば、“ただの人間”である自分はとんでもないハズレということになる。
本当は落胆したかもしれない。
それなのに僕のことを歓迎しようとしてくれている。
もちろん僕にも言い訳はある。応募してすぐに採用されるとも思っていなかったし、そもそも本当に異世界に召喚されるなんて考えていなかった。
だけど、期待していなかったわけではない。自ら望んで応募したのは確かだ。
ここではないどこかで全く新しいことを始める、そういった願望があの時の僕にはあったのだ。
不平不満や疑問をただ投げかけるのではなく、建設的に事態を進める責任が、少しばかりはあるような気がした。
「ありがとう。」
僕はできるだけ明るく言った。
「レイン。正直言うと、僕は君の召喚獣の募集を見たとき半信半疑だった。本当に異世界に来れるとも思っていなかった。帰れないと聞いて動揺したんだ。」
しっかりと前を向いて話した。ぎこちない笑顔を浮かべているレインに、少しでも自分の気持ちが伝わるように。
「でも、新しい場所で自分の居場所を見つけたいという気持ちは確かにあったんだ。君の言う通り、僕は望んで立候補したんだ。」
そして木製のジョッキを手に取って、レインの前に掲げた。
レインの瞳が、少し驚いたように揺れる。
「レイン、君の召喚獣になるよ。
僕に何ができるかまだ分からないけど、一生懸命やってみたい。
君さえよければ、だけど」
これはただの乾杯じゃない。これを掲げるということは、この異世界での自分を受け入れること――戻れない現実を受け入れることだ。
会社が潰れて、失業して、僕はずっと無力感を抱えていた。だけど、この世界では、僕を必要としてくれる人がいる。
――ここでなら、もう一度やり直せるかもしれない。
「もちろん歓迎するわ! よろしく、ハルト!」
レインは少しのためらいもなく答え、ニッコリと笑って、同じように木製のジョッキを掲げてくれた。
二つのジョッキが軽くぶつかり合った音が、賑やかな食堂の中で小さく響く。
この瞬間、ここが僕の新しい居場所になるのかもしれないと思った。