これまで何度も不貞行為を繰り返した私は幸せになれないかもしれません。登場人物の名前を除き全て事実です。
2023年1月に書いたもので完結していません。
私が20代前半の頃に31歳の彼氏がいましたが45歳の男性と浮気しました。その後その男性が既婚者だったことを知り不倫関係になりました。もう何も言い訳しません。ごめんなさい。
初投稿ですので諸々の不備が有りうる点、ご了承ください。
「ありがとう」「一緒にいられて幸せ」「嬉しい」
そんなありきたりな言葉を貴方に出会うまで何度使ってきたのでしょうか。
どれも貴方に向けての言葉にしてはあまりに陳腐な台詞に感じてしまうのは、私の最大の乙女心なのでしょう。
今まで人に想いを綴った手紙など送ったことが無い生活でした。たとえばクリスマス、誕生日には便箋1枚に手紙を書いたことなんてありますが、形式的に送っているだけの想いの1つも込められていない紙切れで、どんな書き方をしたら良いのか分からずどこかで聞いた事のある、それっぽいような文章を書いてみるのみでした。
「この前はプレゼントをくれてありがとう。すごく可愛くて嬉しかったよ。大切にするね。」と。
私も同じような手紙を貰ったことがありますが心一つ微動だにせず、全く嬉しくなかったのは何故でしょうか。知能の低い会話をしているからでしょうか、もしくはそこにエロチシズムを感じないからかもしれません。
幼少の頃から、本を読んで官能を学んできました。それは一概に男女の交わりに限らずとも、魅力的な言い回しや心を動かされる内容、筆の描写に心を奪われ、やがてそれらが私の官能の基となりました。
初めて活字で官能を覚えたのは確か小学生低学年の頃でした。当時海外の偉人の伝記をよく読んでいた時期がありましたけれど、マリーアントワネットやヘレンケラー、アンネフランク、エジソンなど世界を代表する偉人の、百年単位昔の世界の文化や思想と情景に妙な感情が湧き上がってきたのです。
それは平成という現代社会に生まれた私には理解し得ないこともありましたが、一つ知らない世界を知ることを快感とし、文章を読み解く毎に新たなよろこびと高揚感を感じることなのでした。
それ以来、本はまばらに読みましたけれど、人間の重厚感のある話は私の思考の基礎ともなり、他者と自身を比較することはあまりありませんでした。元より私が変わり者だということは自分で気付いておりましたし、他者と比較したところで頭の中に常に幸せなメロディが鳴り響いている私より幸せな者などいるわけが無い、などと考えることもできました。
幼少の頃に家庭環境で少々辛い思いをした事がありますが、それはあくまでも個々のキャパシティというものがあり、大きさは大小それぞれ人によって違いますから、私は生まれた時に天から与えられたキャパシティを乗り越えたことで溢れた何かを受け止めるための、更に大きなキャパシティという名の懐の広さを手に入れたと自負しているのです。勝手な妄想に過ぎないかもしれませんが、その妄想こそが自身の思考の深さを極めていくのです。私の頭の中には常に幸せなメロディが鳴り響いている、と申しましたが、常に頭が痛くなるほどにぐちゃぐちゃに線を絡ませて引っ張って書き伸ばしている音と描写が、脳内にあるのです。それを私は幸せなメロディと呼んでおり、私をまた一つ賢くするための最適な道具なのだと気付いたのです。時には幸せなメロディがあまりにも大きな音で眠れなくなる時もあります。起こってもいない妄想を一 晩中、気付いたらうなされてしまうこともしばしばありました。その度に人間の思想の深さはまだまだ底知れないと思い知り、かといって私は他者と比較することもありませんので、ただのんびりと思想を深めるこ としかできないのです。
ですから、そのような思想云々も本を読んで覚えた快感も高揚感も全て私のエロチシズムとなり、それを表現したくなるのです。
すると必然的に私のエロチシズムが何かの拍子で開花した時には口語でも活字でも、自然と同様の感覚を持っている他者を求めてしまうのでしょう。
それに気付いたのは20代前半のことで、それまでも知性のある方を好む傾向がありましたが、なかなか自身の感性を曝け出す事ができず、ありきたりな言葉を綴り、ありきたりな言葉を受け取り、それで満足、納得させようとしていたのです。
自身の感性を曝け出す事ができないとは、自身が変わり者だと知っていましたから、周りに溶け込み当たり障りない表向きの人格を形成してきましたし、その仮面のせいで同じ感性を持っている方に今まで出会った事がなかったのも大きな要因だったように思います。
23歳の秋、私は仕事を通じてとある人に出会いました。
私は営業職をしておりましたから、それなりに人に会う機会もありましたし、変わらず仮面の私を守りながら日々業務に励んでいたのですが、変わり映えのない日々を送るつまらない私の前に現れた光沢のあるベールで包まれたような神秘的な魅力をお持ちの方が、その方でした。
私は出会って少しの期間で気付いたのです、同じ感性をお持ちの方だと。
お電話越しに話す声と口語、受信したメールの文章の書き方から私はエロチシズムを感じました。
いつも同じ穏やかな話し方となんの変哲もない文章だったかも知れません。ですが、細やかな部分に品格と 知性が宿っており、その片鱗に触れた時、じわっと開花する香りがしたのです。
彼にお会いしてから、彼に誘導されるように私の人生は一つひとつ動き始め、私は開花した花びらに乗って彼の胸へと降り立ってしまうのでした。
神秘に包まれたオーラを追いかけざるをえませんでした。とても不思議な方でついつい目で追ってしまう、蝶々のような不規則でも美しいような方で、私が離したら崩れ去ってしまいそうな方でした。
ご年齢は45歳でした。短躯で肉付きの良い方で白髪混じりの柔らかい髪はいつも目にかかっていて、幅の 広い綺麗な二重瞼はいつも伏し目がちであまり笑わないお方でした。ご職業はシステムエンジニアをなさっている傍らで営業のお手伝いもされていたことから私と出会ったんですけれど、また勤勉で忠実でおまけに八方美人な方だったのです。
あまり笑わないのにとてもお喋りでお持ちの知識を余すことなく面白可笑しく話してくださるそのお姿がとても好きでした。私も話好きでしたから最近の出来事なんかを可笑しく話してみるとよく笑ってくれ、普段笑わないお方が私の話を聞いて笑っている姿を見るとまた猛烈に愛おしくなるのでした。
彼には守るものが多かったようで、ご両親や病気がちな兄妹、のちに知ったことですが、奥様までいらっしゃってその義母様の介護までなさっていたのだそうです。奥様がいらっしゃることを知ったのは出会って丸一年経とうとした秋のことでした。何となく気付いていたような、気付かないふりをしていたような気がします。
当時私には一緒に住んでいる男性がおりました。努力家で日々仕事、勉強、体力作りに励む姿を尊敬しておりました。余暇を作っては海外へ一人で飛び立ち、山へ登り、現地の住民と触れ合い、語学力と見聞を更に拡大させて帰ってくるのですが、そんな姿を私は心から素晴らしいと敬拝しておりました。触発され多少なり私の出不精も改善されましたが、それでも彼には一歩すら近付けておりませんでした。名前は英雄さんといいましたけれど、私と英雄さんでは生きるべき世界が違かったように感じておりましたし、私も決して英雄さんの生活に近付きたいとも思わなかったのです。
英雄さんが31歳を迎えた頃、一緒に住み始めてから一年半ほど経っておりました。深夜のスーパーで買ってきた出来合いの惣菜しか食べないような方でしたが、私が日々手料理を振る舞っているうちに、すっかり出来合いの惣菜が食べられなくなった姿を見ると猛烈に愛おしく感じたものです。時に、その安らかな寝顔を見ると、気張っている彼の日常から脱して天使のように見え、柔らかそうでふっくらした唇にキスを落とし、起きてしまった英雄さんに抱きしめられて寝る日もありました。それがまたとても愛おしく、早くこのお方と結婚してそのお姿を一生見ていたいと思っていた反面、やはり共に生活を続けていくことの厳しさも感じておりましたから疑心暗鬼のまま1年半の間、食卓を囲み、同じ布団で夜を過ごし、不毛な会話を続けてきたのです。
英雄さんは趣味の傍ら物書きをしているお方ですが、彼の文章は大抵が世間を皮肉った言葉が並べられていて時たま残酷さを感じます。世間が自分に向けてくる視線、勤める会社の規模と年収、人生の目的について多く綴っておられました。また言葉遊びが好きなお方でしたからその意図を読み解くのもまた面白く、読む度に胸が躍る感覚がありました。ですがそこにエロチシズムは感じないのです。露骨に皮肉った綴り方があまりにネガティブでしたから、英雄さんの世間への不満がまるで私に向けられているようで少々納得いかなかったのです。また社会的地位から人を区分するように読み取っておりましたから、上流階級の方のお気持ちなど私には理解できないどころか多少の嫌悪感も抱いてしまったのです。
そんな英雄さんにも愛おしい面があるわけですからそれなりに我慢してでも添い遂げたい気持ちもあり、結婚するには概ね申し分ない相手だと、失礼を承知で結婚について聞いてみましたけれど、どうやら結婚はさておき、子供が欲しくないと仰るのです。まあ、私にはそのような考えが一切ありませんでしたから、そのように仰られるなんて微塵も考えておりませんで、とても心苦しくなりました。
英雄さんと一緒の人生を歩むなら子供は必要な存在だと思っておりました。二人で不毛な会話を延々続けていく自信がなかったのかもしれませんが、何より英雄さんとなら明るく堅実な家庭を築けそうな気がしていたのです。子供は要らない、なんて言いつつも面倒見が良く忠実な英雄さんですからきっと子供ができたら愛してくれるものだとも思っておりましたし、私も当時22歳でしたから決して今すぐ子供を設ける必要もありませんでしたから時間が経つにつれて一緒になる気になればいいと悠長に構えておりました。英雄さんはとても勤勉で忠実な方でした。私が体が痒いと言ったらクリームを買ってきて、喉が乾燥すると言ったら加湿器を二つも買ってきてはこまめに水を足して私の様子を聞いてくれるのです。同棲前から飼っていた地栗鼠を最初は倦厭しておりましたが、いつの間にか名前を呼んで可愛がっているのです。英雄さんは何度思い出しても素敵な方でした。本当に勤勉で忠実で、素敵な方。