乗馬場でのファッション披露
離宮には、女性のための馬場がある。
どういうわけか 王国では、女性の振る舞いに対する相矛盾する考え方が混在しているのだ。
一方では 「女らしい美しさとは 優美で慎ましくあれ」といい
他方では「女性と言えども 男と同じだけの働きをみせよ。甘えるな」という。
おかげで 生活にゆとりのある家や上流家庭に生まれた女の子たちは
生き方の選択に非常に苦労をしていた。
その一例が乗馬である。
一方では 「非常時に、男と同じように馬を駆り、馬車を走らせるだけの技術を身につけよ!(女だからと甘えるな!)」と言われ
他方では「女が 足や尻の形が目立つような服装で騎乗するなど ふしだらな!」と言われるのである。
それゆえ、貴族女性は騎乗においては、横乗りを強いられている。
この横乗りというのは、馬の片側に両足を垂らして文字通り横座りするのだが
それでは 進行方向=前を見ずに馬を走らせることになるので危ない。
というわけで 馬に横座りしたうえで、上半身をひねって前を向き、
横座りの状態から右足を上げ続けて、スカートの裾が美しく流れるようにヒラつく衣を着用して騎乗するのだ!
なので 昔の騎士道物語では、馬が暴走したり
(これは 後ろから強い風が吹いてきたときなど 貴婦人のスカートの裾がひらひらと前側に吹き寄せられ そのひらひらを目にした馬がパニックして暴走していることもありうるかも><)
悪漢に追いかけられているときに、
騎士様が 自分の馬を姫様の馬に横付けして、姫様をさらうように抱えて自分のもとにひきよせたり、
あるいは 単純に悪者が 貴婦人の馬の横に自分の馬を並べて 女性を引っさらうことが簡単にできてしまうのである。
だって、横から チョイと馬に横座りしている女性の体の一部をひっぱれば
女性は物理的な意味で前向きに自分の胸元に飛び込んでくるし
女性は落馬による死を免れるためには たとえ相手が悪党であろうとその体にしがみつかざるを得ないのであるから。
走っている馬から地面に飛び降りるなんて 打撲の傷みと骨折で動けないところを 後続の馬に蹴とばされたり踏まれて死ぬだけの運命であるから。
結局 横ずわりで騎乗しているご婦人は、悪者に目をつけられたら その末路はろくな結果にならないのである。
しかも 上半身を90度近くひねった状態で 右足だけを上げるという不自然な体位での騎乗は、
股関節への負担、不自然な体位を保つための筋肉疲労、広範囲に広がる脚の擦れ(男性たちが馬にまたがる時の股擦れの比ではない!><)に耐えることを強いるものであった。
もちろん 中には、幼く活発だった頃に男装して馬にまたがる娘達もいたのだが・・それに脂下がる男目線に気付けば・・おのずと・・
というわけで、男目線を気にせず 馬にまたがることのできる乗馬服への潜在的需要は高かったのである。
ただ、布生産において
細い糸を紡ぐことができなければ、生地はどうしても厚手になってしまう
(獣毛が中心では 細い糸をつむぐことがむつかしい)
獣毛には油脂成分がくっついている。
それが撥水性をもたらすというメリットはあるが、
天然色素を使って繊細な色合いに染色することがむつかしいという染色技術上の限界が生じる。
なので 獣毛由来の色を使った布は
どうしても 無地もしくは 糸から染めた織柄が中心となる
そこから ファッションは どうしても重ね着による変化・たくさんの布を使って豪華さを出す・レース編みを付属させて高級感を出す方向に向かってしまった。
素材特性からくるデザイン上の制約も多かった。
一方 最近のコンコーネ領では、コンラッドやミューズから得た情報をもとに、植物繊維やシルクなどをフル活用した 極細の糸を使った繊細な織物や、絵を描くように布に褪せない多様な色を付ける技術・型染めその他の多様な染色技法が開発されていた。
(清明は コンラッド達と知り合う前は 眼が悪くて 色柄の無い世界で生きていたので、ドラゴンクランで知った生地生産技法が、ファッション界においてどれほど画期的な影響を及ぼすものなのか 全く気付いていなかった。
一方王都育ちのキャラハンは、コンコーネ領特産生地に 無限の可能性を感じ、
王宮住まいのチッチやエリザベス母后とその侍女たちにとっても、
単にものめずらしいだけであったコンコーネ産の布が、
キャラハンの手を通すと 新たな生活・生き方につながりそうな期待を抱かせる衣服に見えてきたのだ。)
◇
というわけで 斬新な衣装に身を包んで離宮内を移動するエリザベス母后たち上流女性の一団は、かなり 人々の眼を引き付けた。
もともと 離宮内の乗馬練習場は、その性質上 立ち入り制限がかけられているのだが、
そこに入ることを許されている者達(=王族関係の女性達)は 次々と 見学にやって来た。
その者達の口から、軽快に馬にまたがり走り回るチッチのエレガントさや それを眺めている女性たちがまとっていた麗しい衣装のことは 瞬く間に貴族界にそして王宮官吏たちの間にまで広がった。
その噂の衣装をデザインしたのが テクノクラート子爵位継承者キャラハンであり、その布地は 彼女の婚約者であるコンコーネ公爵領で作られたものであることも。
◇ ◇
その後 キャラハンは 度々離宮に招かれ、
母后に 個人的な相談をしたり、
あるいは 母后の求めに応じた様々なニューファッションのデザイン画を披露した。
母后は、キャラハンがコンコーネ公爵夫人となったあかつきには
彼女がデザインする衣装を後押しして、貴族女性が守って来た良き伝統(=性を売り物にするのではなく、女性としての品位・品格を重んじ、初対面でも親しくなってからも 節度ある交際を心掛けることにより 世代を超える付き合いに発展させる作法)を広く庶民に伝える一方で
現代女性の生きにくさにつながる好ましくない風潮(男目線からの注文=女の性を商品であるかのように品定めする人格否定の発想)を減らすべく
「ニューファッション=生き方改革」を推進しようと 考え始めたのだ。
(参考)
・英国女性の乗馬方法の変化(ダウントン・アビーシーズン1,5,6)
https://note.com/fmyu/n/n6c89785b84df
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