第146話 オリビア王女のお茶会
「あけましておめでとうございます」
新年が明けてから数日が経過した。
俺は登城するとオリビア王女に新年の挨拶をした。
「おめでとうございます。それでは早速、貴族の礼儀作法の勉強をしていきましょう」
現在、俺がいるのは彼女の執務室で袖机にはこれでもかというくらいに本が積み上がっている。こちらが俺が学ばなければならない教材ということなのだろう。
「それでは、何かわからないことがありましたら質問してください」
彼女はそう言うと、自分の仕事を始める。
こちらに負けず劣らず積み上がっている書類があり、眉根を寄せながら真剣に仕事に取り組み始めた。
「年始はどうしても陳情が集中してしまいますからね」
俺が見ていると、彼女はそう言って溜息を吐く。
「忙しい中、俺のために申し訳ありません」
テキパキと仕事を進める彼女に俺は謝罪をする。
「別に構いません。クラウスの件は私が自分の意思で引き受けたのですから」
話があったのが年末で、まだ三度しか顔を合わせていないので打ち解けられていないのだが、それでも彼女の表情が一瞬和らいだように見えた。
「貴族同士のやり取りは複雑そうに見えてそこまで難しくはありません。気をつけるべき点をキチンと押さえればどうということはありませんから」
流石は、長年宮廷に身を置いているだけある。とても頼もしい一言だった。
「なので、まずはそちらに積み上がっている貴族の礼儀作法を全部暗記してくださいな」
ところが彼女はサラリととんでもないことを口にする。
「えっ?」
積み上がっている本は相当な量になる。年始に俺はシャーロットから借りた本を数冊読んだのだが、それでも結構時間が掛かったのだが……。
「それを読み終わったら言ってください。次も用意してありますからね」
「次が……ある……だ……と?」
まさかの言葉に驚愕する俺だが……。
「安心してください。誰にも負けない紳士にして差し上げますから」
机に肘をつき正面からこちらを見るオリビア王女。初めて彼女の笑顔を見ることになったのだが、今の俺には宝石姫と呼ばれる彼女の美しさを愛でる余裕は一切なかった。
「そろそろ休憩にしましょうか?」
昼食を挟んで午後になり礼儀作法の本を読んでいるとオリビア王女がそう告げる。
ちなみに、昼食も彼女と一緒したのだが昼食の礼儀作法については褒められた。
これまで、国家冒険者として活動している最中も、ニコラスさんやエグゼビアさん、ダグラスさんと食事をする機会も多く、彼らの振る舞いを見て記憶していたので真似をしたのが良かったらしい。
立ち上がり、こちらを見ている彼女に首を傾げていると……。
「どうしたのです、行きますよ?」
彼女は首を傾げて話し掛けてきた。
「えっと、どちらに行くのでしょうか?」
俺が疑問を浮かべていると、彼女はピタリと立ち止まる。それからしばらく思案すると……。
「ついていらっしゃい、特別な場所に招待するわ」
俺を黙って彼女についていくのだった。
執務室を出て廊下を歩く。
この廊下は普段俺が入れる城内とは隔離されており、王族や一部の貴族のみが歩くことを許されているのだと説明を受けた。
オリビア王女は普段から歩き慣れているので気にしないのだろうが、飾られている絵画や壺などの装飾品と煌びやかなクリスタル照明を見るたび、自分が場違いな場所にいるのではないかという気がしていた。
そのまま進んでいると彩り豊かな庭園が見えてきた。
手入れが行き届いている綺麗な場所で、テラスには四〜五人が腰掛けられるテーブルと椅子が並べられている。
テーブルの脇には侍女が立っており、お茶を淹れる準備をしていた。
「こちらはプリンセスガーデン。王族専用の庭園になります」
オリビア王女に従い、俺は彼女とともに椅子に座る。
座る前に侍女が椅子を引いてくれたのだが、こういった振る舞いにも慣れなければならないのだろう。
「この度は、このような席にお招きいただきありがとうございます」
作法に従い礼をすると、彼女は満足げに頷いた。
「御多忙な中、お越しいただきありがとうございます。私との歓談をお楽しみいただけると嬉しいですわ」
執務室では見たことがないような笑顔を向けられ、思わず見惚れてしまう。
侍女がお茶を淹れている間に、三段プレートが運ばれてきてテーブルの真ん中に置かれた。中身は一口で食べられるスイーツが盛り付けられている。
彼女と俺の席に侍女が紅茶が入ったカップを置くと、二人して飲んだ。
「これ、ゴールデンローズ?」
「あら、御存じでしたの?」
「ええ、友人から茶葉をいただいたことがありまして」
錬金術師ギルドでロレインに振舞ってもらったことがある。
ゴールデンローズは滅多に咲くことがない花なので、希少な品物だ。
「そう……それは良い趣味の御友人がいらっしゃるのですね」
オリビア王女は一瞬言い淀むと紅茶に口をつける。
「オリビア様こそ、このような素晴らしい庭園をお持ちなら、お茶会をよく開かれるのではないですか?」
この庭園周りは魔導具により暖かさを保っている。そのお蔭で年中花が咲いているので、ここでお茶会をすれば盛り上がるだろう。
「……昔は何度か開催していましたが、最近は全然ですね」
何か含むものがあるのか、彼女は紅茶をテーブルに乗せると花を見る。
さらに突っ込んだ質問をしても良いものか悩むが、彼女が話したくなさそうな気配を感じたので話題を変えることにする。
「こちらのお菓子も美味しいですね」
俺はお菓子を食べると、味の感想を彼女に告げた。
「執務はとても頭を使うので疲れますから、こうしてプリンセスガーデンでスイーツを食べながら休息を摂るのが私の習慣なんです」
流石に俺の世話をしながらあの量の仕事を集中してこなしていて疲れないわけがなかった。何か御礼ができないかと考えていると……。
「でも、残念なことがあるのですよね」
「残念……ですか?」
オリビア王女は頬に手を当て溜息を吐く。
「Bランクアイテムのプラチナシロップを入れるともっと美味しくなるのですが、ちょうど切らしていて、購入の目処も立っていないのですよ」
Bランクアイテムともなると滅多に手に入れることができない素材だ。気長に依頼を出し、運よく手に入るまで待つのが基本となる。
「市場にないのですか?」
王家の人間ならば大抵のものは融通してもらえそうな気がするので聞いてみた。
「プラチナヘリオという花から蜜が摂れるのですが、これがなかなか見つけるのに苦労するらしく、簡単に手に入らないのですよ」
実際、同ランクのクリスタルハーブもパープルの導きなしには発見することができなかった。まてよ……?
「オリビア様、それが入っていた瓶とかってありますか?」
俺はふと思いついたことがあり、彼女に質問をする。
「ええ、あったかしら?」
彼女が振り向き侍女に確認を取ると少しして侍女が瓶を持ってきてくれた。
「これよ」
高いシロップが入っているだけあってかクリスタル製の綺麗な瓶だった。
開けてみるとほのかに蜜の香りが鼻腔をくすぐる。
「こちら、お借りすることできますか?」
「いいですけど、そんな空き瓶をどうするつもりなのですか?」
訝しげな表情を浮かべるオリビア王女に。
「楽しみにしていてください」
俺はそう言って笑い掛けるのだった。