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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

全てを諦めた男、英雄を育てる

気が付いたら四万文字。


読んでいただきありがとうございます。

 


 ――人魔大戦。


 それは未来永劫語り継がれる、災厄のシナリオ。


 魔なる物が人間の大陸を支配せんと侵略から、人々が命を削り、抗った伝説の大戦。


 壮絶なる死闘の果て、魔なる物を統べる王、魔王を呼称した敵の首魁は、遂に討たれた。


 その首魁を撃ち滅ぼした各国の代表である男女は、対立していた人間の国も関係なく全ての人類から称賛を受けた。

 そんな彼ら彼女らを、町行く人々は口を揃えてこう呼ぶ。






『――英雄、万歳』






 と。





 ――しかし、英雄がもたらしてくれた平穏は、僅か()()と言う短さで終幕を迎えてしまう。



 人魔大戦終幕から五年が経過したある日、突如として世界中に過去の再現とばかりに闇が降り落ちる。

 取り戻された平穏に気を抜いていた人間の大陸は、再びの恐怖に襲われてしまったのであった。


 その理由こそが「魔王の襲名」。

 第二の魔なる物の王が誕生したのであった。


 空から降り注ぐ大量の魔なる物は歓喜の産声を上げ、対する人間側は払拭されたはずの恐怖が再び蘇る。人魔大戦が繰り広げられた禁忌指定の禁足地に大量の魔なる物が攻め入ってくる光景は、五年前とは比べ物にならない。五年前の人魔大戦の時と比較しても、三倍近くの魔なる物が攻め入ってくる光景は、絶望以外の何物でもなかった。


 瞬く間に人間の大陸に押し入ってくるかと思われた魔なる物であったが、人間側には希望が存在した。


 ――そう、他ならぬ英雄が。

 ――英雄たちが、それを許しはしないのであった。


 魔なる物の出現から僅か半日足らずで英雄達が駆け付け、禁足地から人間の大陸へ渡ってこようとする魔なる物を抑え込むことに成功した。全ては迅速な英雄たちの行動の結果であった。


 だが、魔なる物もまた、五年前と同じ結末を辿りはしない。

 一度は押し返されたものの、禁足地から向こう、魔なる物の大陸以降、英雄たちが力を合わせようとも押し返すことが出来なくなってしまったのだ。


 その結果、人間側と魔なる物とで、禁足地を挟んだ壮絶な睨み合いが始まる事になる。





 ――それこそが、第二次人魔大戦。





 英雄に休む暇など、与えられはしないのであった。






 * * * * *






「――んで、俺はその『英雄様』と友達……、の、知り合いの妹の、彼氏の兄の嫁の父親、と知り合いなんだぜ」

「ザックさん、また嘘ですか? 昨日は『友達の弟の彼女の父親の従妹の息子が通うカフェの店長と知り合いだ』って言ってたじゃないですか」

「……お前、全部覚えてんの? やば」

「ザックさんが言ったことは全部覚えていますよ。何せ、僕の師匠ですからね」

「俺は弟子を取った覚えはねぇよ。つうか、いい加減俺の家に来るのやめてくれねぇか? 変な噂が立つぞ」

「ザックさんがいつもの場所に来てくれないから僕が来てるんじゃないですか。さ、今日も僕の剣術を見て下さい!!」


 禁足地では、今も絶賛人魔大戦中。

 誰もが英雄の力になるべくして様々な分野で貢献を図ろうとしている中、俺こと「ウォルザック・クレイドル」は、禁足地からは遠く離れた片田舎で、呑気に子供のお守をさせられていた。


 実際には「修行、修行!」と雛鳥のごとくしつこいクソガキの時間を少しでも削るために、今では誰だって知る人魔大戦を一から語ってやったのだが、目の前のクソガキはそれを飽きる様子もなく耳を傾けている。まるで、これも修行の一環なのか、と目を輝かせるかのような勢いで。


 実際には何の関係も無い英雄様の話をしてやると、いつも以上に食いつきが違ってくるのは、目の前のクソガキも揃いも揃って英雄志望だと言うことだろう。

 今や、子供で英雄様に憧れない子供はいないだろう、というくらい英雄様は大人気だ。ましてや、禁足地での人魔大戦を経験した志願兵の話なんて言うのは、女も娯楽も無い、安全と引き換えに退屈を煮詰めたかのような片田舎では、それこそ英雄志望のクソガキには刺激的でたまらない事だろう。


 だが、俺から言わせてもらえば、英雄なんてのは、人のための命を捨てるような自殺志願者だ。

 頭のネジが一本どころでは無いくらい狂っていやがる、狂人だ。




 ……いや、違うな。

 結局どんなに取り繕っても、英雄を悪く言う事は出来ない。

 俺にはなりたくてもなれなかった存在。それが『英雄』なんだ。


 所詮、御託を並べたところで、俺はただの敗残兵。

 いや、実際には五年前の第一次人魔大戦は勝利に終わったから違うのだが、俺は、俺自身に負けたからこうしてここに引きこもっているんだ。


「……お前、俺が村で何て呼ばれているか知ってんだろ?」

「はい。村の人たちはみんな、ザックさんを『負け犬』とか『英雄様の力になれない非国民』だのと好き勝手に言っているのを聞いています。そして、そんなザックさんに付き従う僕も、村では白い目で見られていますね」


 クソガキの言う村人の言う通り、俺は負け犬で、非国民。そんなこと言われても、間違っていないし、悔しくも無い。


 ――俺は、第一次人魔大戦に志願兵として、英雄となるべく参戦した。

 だが、俺には英雄になるための素質が全て欠けており、英雄の姿を実際に目の当たりにして、心がぽっきりと折れた。

 お国のために、なんて志高く志願したわけでは無かった俺は、第一次人魔大戦に終止符が打たれる直前に戦場に背を向け、返る場所も無いというのに、逃げ帰ったのだ。


 英雄と違って、俺には勇気も、覚悟も、力も無かった。何一つ、足りていなかった。

 それは努力すれば手が届く、なんてものじゃなかった。夢なんて、見るものじゃない。

 俺が何度生まれ変わってやり直したところで、絶対に手が届く事のない高みに、俺は手を伸ばそうとしていたのだと気付いた時、俺は全てを諦めて、逃げることを選んだのだ。


『――お前ならなれるって! 英雄によ!! だから、諦めんなって!』


 夢を諦めた瞬間、英雄になると声高に夢を語っていた自分が途端に恥ずかしくなって、誰も俺の知る事のない土地に逃げたかった。

 夢を応援してくれて、引き留めようとしてくれた友や仲間の手を振り切って逃げた先は「何もない」だけがある辺境の田舎村。


 そもそも、王都を一歩でも出れば英雄の顔と名前すらも一致しないような世界で、ただの一志願兵に過ぎない俺を知らない世界などいくらでも存在した中で、二年もの月日を重ねて流れ着いた先がこんな田舎村なのは、どんな運命なのか。

 運命ならば、英雄になれる未来を、与えて欲しかったものだと天に祈ったところで、救いは何一つ存在しない世界では、誰に祈って誰を呪えばいいのか。


 そんな萎びた牧草のような日々を送る中で、もう三年近くも村に居座る俺に対して、村の連中は良い目を向けてこない。時折辺境に現れる魔なる物の()()()である「魔獣」を狩るだけの仕事で飲んだくれる俺に対して厳しかった視線も、第二次人魔大戦が始まってからは余計に厳しくなったようにも思える。


 そう言った状況の中でも、目の前のクソガキだけは執拗に俺につきまとってきやがった。


「なら、どうして今ここにいる? 他の村人連中と一緒に、仲良く英雄様を応援していろよ」

「……僕にとって、英雄はザックさんだけです」

「……」

「だから今日も、練習を見て下さい!」


 一瞬だけクソガキの言葉に胸が跳ねたのも束の間、頭を下げたクソガキに対して溜め息が出る。

 こんな子供の言葉一つ一つに動揺しているようでは、昔と何ら変わっていない。もう英雄を夢見るのは諦めたのだが、本当は誰かにそう言って欲しかっただけなのかもしれない、なんて黄昏れている間に、クソガキは俺の返事も待たずにボロボロの木の剣を構え出す。


「……また筋が良くなってるな」

「本当ですか!?」

「余所見をするな」

「は、はい! 12、13、14――」


 なんだかんだと言いつつも、飲んだくれることしかやる事のない俺は、縁側に寝そべってクソガキの面倒を見るくらいしかやることが無い。

 俺に注意されてより集中を深めて素振りを繰り返すクソガキは、日を追うごとにメキメキと成長していくものだから、クソガキの剣を見ることがどこか楽しく感じている節があるのは否めない。


 それに、あの不格好な木の剣は俺が渡したもの。

 木の剣の柄を見れば、クソガキが握る小さな手の隙間から、柄に染みついた血が薄らと見える。それはもう洗っても落ちないまでにこびりついており、クソガキの手の平が血に塗れても剣を振るのを止めなかった証拠でもあった。そのせいで村の連中からは「子供を甚振る鬼畜男」なんて噂が一部では流れているようだが。

 それだけ努力を重ねられる人間こそが選ばれし英雄になれるのだとしたら、過去の俺は何の努力もせずにただ闇雲に「英雄になる」とだけ叫んでいた大馬鹿者でしかない。それを今さらになって、しかもクソガキ相手に自覚させられると言う現実に、思わず笑って馬鹿な昔の自分を消し去るように頭を振る。


 思えば、この村に訪れたのも、もともとは魔獣の出現を耳にしてフラッと立ち寄ったに過ぎなかったはずで、こんなにも長居するとは自分でも思ってもいなかった。


 ――逃げるように都を去った俺は、英雄を忘れるために自棄になって手当たり次第に様々な娯楽に手を伸ばした。

 幸いにも、英雄にしか興味が無かった過去の俺のお陰で給金の殆どが手つかずで残っており、旅の路銀には全く困らなかった。

 その間、英雄から遠ざかるために人助けは欠片も手を差し伸べず、ただ自分の興味が向いた娯楽に金を注ぎ込んでいた。特に多かったのが、娼婦を買う事だろう。むしろ、このご時世に呑気に娯楽が発展している土地があるはずもなく、食にも興味を持てなかった俺は闇雲に女を抱いて回った時期があった。


 そこで娼婦相手に抱いた初恋で一人の女を身請けしようとした際に「……貴方には、まだやりたいことがあるんでしょう?」と、俺自身でさえも気付いていないような心の奥まで見透かす言葉を最後に、俺の初恋は一か月も経たずして儚く散った。


 その時点で、気が付けば二年近くが経過しており、本当にこのままでいいのか、と言う自問自答を繰り返しているところに、この田舎村が魔獣に襲われている、と言われて駆け付けたのが始まり。

 子供が襲われそうになっているところに間に合ったから良かったものの、あと数瞬でも遅ければ田舎村の人口が減っていたところだったのを、鮮烈に覚えている。後にも先にも、自分が英雄になったかと勘違いしてしまうくらいの完成を浴びたのはあの一度のみ。


 行き場が無いのなら、と村長が受け入れてくれて、歓迎の宴の際に酔って必要ないことまで話さなければ今も村の中心でチヤホヤされていたと思うと、馬鹿な真似をしたと思う。


 そんな折だっただろうか。

 包帯に巻かれた姿で、体にそぐわない大きさの木の棒を振るクソガキを見かけたのは。


 村長が言うには、クソガキの両親は魔獣によって殺され、今は村の子供として面倒を見ていると言う。そんなクソガキが今回魔獣に襲われていた……、と言うよりも、分不相応な実力で魔獣に挑んで返り討ちに会った、と言うのが正しいか。

 必要以上の正義感を持っているクソガキを村も持て余しているのだが、両親を失った子供に強く出られる大人はこの村には存在していない。加えて、一人だけ突出した子供であるクソガキを、他の子供達は総じて煙たがっており、村の中では浮いたような存在だった。


 宴も終わった夜更け、与えられた村はずれの空き家に向かう途中、そんな不釣り合いで生き急いでいるような姿を見た俺は、意味も無く声をかけてしまった。その晩は呑めや歌えやの大騒ぎで、酷く酔っぱらっていたせいもあっただろう。


『片手で振るな、力は均等。剣を握る時は、これが大前提だ』


 それ以降の記憶は全くと言っていい程無いのだが、翌日からは渡した覚えも無い素振り用の木の剣を手に、俺の元を訪れるようになった。付き纏われるのが鬱陶しくて、クソガキの名前を聞く以前に「クソガキ」と言う呼称が定着してしまったのは問題だと思うのだが、何故かクソガキはその呼び名を気に入って執拗に俺に絡んでくるようになった。


 それから三年が経っても、クソガキは変わらずクソガキのままだ。





「――不利な体勢で腰が入ってねえな。もっと打ち込んで来い!」


「っ、だああああああ!!」


 だが、クソガキの成長速度は著しい。

 今は子供の力だから大人として一日の長があるためなんとか捌き切れているが、その優位は日に日になくなっていっているように思えてならない。


 気を緩めれば、今のクソガキの反応速度でカウンターを狙われては捌き切れる余裕がない程に成長していた。

 加えて、余裕を見せる風体を醸し出す俺としては、最早本気で打ち合わねば簡単に一本が取られるくらいだと言うのに、クソガキは次から次へと打ち合いを所望してくるものだから、鈍った体には厳しいと言わざるを得ない。かと言って正直に「お前は強い」なんて言える程俺は素直な人間ではない。伊達に拗らせてきていないのだから。


「えへへ、やっぱり師匠は強いです」

「……はぁ。お前も、十分成長しているけどな」

「――! 本当ですか!? ねぇ今のもう一回、もう一回言ってください!」

「あ? 成長しているってだけだ。途中で目線が変な方向に行くことも多いだろ。フェイントならまだしも、特に意味も無く目線を逸らすのは――」


 素直じゃない俺は、あーだこうだと屁理屈を捏ねて誉め言葉の一つも満足に送ってやれない。

 実際に魔なる物と対峙し生き残った――死にそびれた俺からしても、クソガキの成長速度は異常だと言わざるを得ない。


「――身長も伸びたか? 自分のリーチをはっきりと自覚しておくのは常識だぞ。そうだ、たしか着れなくなった服があったな、それをやるよ」

「師匠の!? く、ください! 大事にしますから!」

「お前が着るんだよ。確かここに……」

「僕もいい加減魔獣と戦ってみたいです! それくらいの実力は、ついたかに思えますが、どうでしょうか師匠!?」

「師匠なんて呼ぶな、クソガキ。それと、お前にはまだ早い」

「都合よく魔獣が現れたりしてくれないものですかね」

「縁起悪いこと言うんじゃねぇぞクソガキ。黙って待ってろ」


 褒められて有頂天なのか、それとも服を貰える事に喜んでいるのか、今までに見たことが無いくらい何やら興奮する様子のクソガキを見ると、新しい衣服すら買えない、もらえなかったのかと同情してしまう。

 魔なる物が溢れてきてからと言うもの、肉親を、家族を、友人を、愛する人を奪われるなんて言うのはそう珍しいことではない。英雄と言えども、世界の端から端まで全ての人を救えるわけでは無い。だから目の前のクソガキも、そのうちの一人でしかないのだが、何故だか世話を焼いてしまう。本当に最後まで面倒を見る覚悟もないのに手を伸ばしてやることがどれだけ残酷なのかを知っていながらも手を伸ばさざるを得ないのは、英雄の真似事で自分を慰めているからだろうか。


 所詮は自慰行為の延長にしかないような真似事で、自分を慰める事しか出来ない情けない自分を自覚してしまうと、服に伸ばした手が止まる。


「……」


 手を伸ばしたのは志願兵時代に着ていた、揃いの制服。

 生地も魔なる物の攻撃を防げるくらいに防御性能が高く、決して安い代物ではないし、ある程度の伸縮性もあるためサイズ補正も申し分ない。

 それを手に取った理由は、呑んだくれて太って着れなくなったから訳じゃない。今も問題なく袖を通すことは出来るだろうが、俺にはその資格が無い。


 この田舎村に来て、クソガキの成長を目の当たりにして、ようやく決心がついたんだ。


 ――俺には、この制服を持っている資格が無い、と。


 そもそもこの制服をここまで取っておいたのも、最後の抵抗のような、これもまた情けない理由だった。こうして逃げて来た俺が、どの面下げて今も最前線で命を削って英雄になろうとしている連中と同じ服に袖を通せるものか。その事に今まで気付けなかった事自体、おかしくって仕方がない。自惚れていたのだと、自らを叱責してやりたいものだった。


 俺はもう、何者にもなれない、半端者だから。


「おらクソガキ、これでも着て……、おい、どうした?」


 それなら、俺が持っているよりも、英雄に強く憧れる子供に託した方がいいかと思って振り返ると、先程まで間近にあって「師匠! 修行!」とうるさいクソガキはいつの間にか黙って庭の外を向いており、その横顔はいつになく険しかった。




「――ウォルザック、大変だ!! 魔獣が、魔獣が出た!!」




「っ!」

「オイこら、待てっ! 行くな馬鹿ッ!!!」


 突如として駆け込んできた村人の声に真っ先に反応したのは、他でもないクソガキ。

 村人が指差す先で粗方の方角を確認したのか、村人の案内も必要とせずに、まるで魔獣の位置を知っているかのように木の剣を片手に飛び出して行く。

 俺の制止の声も聞かずに駆けだして行ったクソガキの背を、俺はもたつく足で追いかける。


「どこに出た!?」

「や、山の方だ! 山菜を取りに行ったヤカバのとこの嫁さんと娘さんが、帰って来てねぇんだとよ……!」

「馬鹿が……! 山野に入っていいのは先週までって話しただろうが……!」


 それだけを言い残して、俺は使い慣れた剣を担いでクソガキの後を追う。


 越冬に必要な分の山菜は十分に採れているのを、先週の時点で俺は確認していた。そして、これからの時期は魔獣に加え通常の獣も冬眠に向けての最終段階に入るため気が立ち始める頃だと説明も果たしたと言うのに山に立ち入ったと言うのは、大方ヤカバのとこの嫁さんがもうじき出産を控えているからだろうか。山の浅い部分に生える山菜程度なら問題ないと踏んだか? そんな甘い話があるはずがない。

 魔なる物のはぐれである魔獣は、そんな風に考えて近寄ってくる愚か者を標的にするのだ。腹を空かせた獣が知恵を付けることが、どれだけ恐ろしいかは五年前に嫌と言う程思い知ったのだが、村の連中は飲んだくれの言い分など聞いてはくれないものなのか。


 そう考えながらクソガキの後を追うのだが、先を行くクソガキの背に追いつくどころか、一歩、また一歩と踏み込んでいく度に彼我の距離は離されていく。

 これ程の急成長は最早、ただの子供の成長期として片付けられるものではないと胸の奥で断言しつつも後を追う足を止めることなく、目撃のあった場所まで足を運んでいった。


「……クソガキ」


 肩で息をして辿り着いた先で、クソガキを呼ぶ。

 俺の視線の先には、首が圧し折れて絶命した魔獣と、それを成し遂げたであろうクソガキが木の剣を握って立ち尽くしていた。幸か不幸か、背後にはヤカバの嫁と娘が木の根元で縮こまって震えており、その恐怖の対象は魔獣ではないようにも思えたが、今はそれよりも問題はクソガキの方だ。


「……師匠」


 ゆっくりと振り向いたクソガキの表情はどこか悦に浸っている様子で口元を歪ませており、瞳は瞳孔が開きっぱなしで瞬きの一つもしていない。


「……腕を見せろ。怪我しているだろう」

「……勝手に飛び出して、ごめんなさい、師匠。でも、でも、ここに来たら、ここに来なきゃいけない気がしたんです」

「もういい、喋らなくて。黙って見てろ」


 声を震わせて謝罪を繰り返すクソガキの腕を軽く触診すると、筋肉の断裂に加えて骨にもひびが入っているのが分かる。無理な力の使い方のせいで、クソガキの体は許容限界を超えてしまったのだろう。今は興奮からのアドレナリンで痛みを感じていないだろうが、落ち着きを取り戻してからは激痛に苛まれるだろう、と考えながら応急処置を施す。


 こんな状態のクソガキにヤカバの嫁と娘を任せられるはずもなく、後を追っているであろう村人の男に居場所を知らせるための発煙筒を焚いて待つ。

 その間、俺は周辺の安全と魔獣が完全に絶命していることの確認をして、魔獣の後処理を済ませる。


 魔獣は、森や山に住まう害獣とは異なり可食部は無い。そのため、魔獣の心臓に埋められた宝石のような欠片を取り出して後は全て灰にするのがお決まりであり、その汚れ仕事が俺の役目であった。


 発煙筒の元に駆け付けた村の男衆の中に嫁と娘を心配するヤカバの姿もあり、暑苦しい抱擁を見届けた後に、俺の手から魔獣の欠片を手渡し、怪我人も連れて来た道を戻っていく。クソガキは最後まで俺と居る、だなんて駄々を捏ねていたが、怪我人が残っていても邪魔になるだけだと一蹴して連れ帰らせた。


 魔獣の欠片は、どんなに小さくても金になる。

 そのため、魔獣の紫色の血に塗れた俺の手ずから魔獣の欠片を受け取る際に酷く嫌そうな顔をしながらも奪い取るようにして取っていくのは、どうにかならないものだろうか。


 そんな愚痴を誰に聞かれるでもない山の中で、零しながら重たい魔獣の体を引きずって歩く。

 河原に出て深い穴を掘ったところで、ようやく魔獣の鼻を突く獣の刺激臭から解放され、川の水で全身をくまなく洗浄する。こびりついた臭いも完璧に落ちるという訳にもいかないが、それでも常に血に塗れていると言う状況よりかは何倍も何十倍もマシだった。


「魔獣を、一撃で倒せる力、か……」


 欠片を採る際に確認したのは、魔獣の首の骨の折れ方のみ。それ以外に魔獣の体に目立った外傷は無く、あのクソガキは木の剣で、しかもたった一撃で魔獣の首を圧し折ったのだとすれば、それは俺には到底真似できない芸当であった。


 魔獣は害獣とは異なる特殊な身体構造をしており、筋肉の層を自由自在に変えることが出来ると言う。

 実際に戦った事のある身としても、腕や足が伸びたり、突如として腕力や脚力が急激に上がったり、断ち切れるはずの一撃も防がれたりと、人間には真似できない身体の造りをしている。

 そして今回の魔獣もまた例外なく最後に首の守りを意識したのだろうという死に様ではあったが、クソガキの一撃はそれすらも意味を為さない程の衝撃を生み出し、魔獣は抵抗虚しくその一撃から身を守ることは出来ずに絶命しているのだ。


 それが何を意味するかなど、考えるまでもない。


「これが、英雄の、素質なのか」


 どんなに必死になって藻掻こうとも、足掻こうとも、決して折れには与えられなかった天性の素質。

 勇気と覚悟と力。その中で最も重要視される「力」。その事実を改めて飲み込んだ俺は、肉が焼け焦げていく不快な悪臭を前にしながら乾いた笑みを零す事しか出来なかった。


 これがもし、五年前の俺であれば、英雄を諦めたばかりの俺が知ったとなれば、嫉妬の炎にこの身を焼き尽くされていたに違いない。とち狂ってでもその子供を殺しに行っていたかもしれない。人の道を踏み外していたかもしれないと言うのに、今の俺が感じる思いは「アイツなら英雄になれる」というどこか誇らしい思いだった。


 クソガキが、夜寝る間も惜しんで剣を振っていることを、俺は知っていた。

 それとなく注意を重ねても止める気配が無いくらい英雄に憧れていることも、俺は知っていた。だからこそ、もしクソガキに英雄になれるチャンスがあるのだとすれば、その夢を一緒に見ることが出来るのならば、俺はもうこの人生に何一つ悔いは残らないだろう。

 ただ闇雲に、惰性で生きているだけの全てを諦めた、枯れ果てたような男の夢を、クソガキに託すのも悪くは無いかもしれない。


「……これは、俺の我儘か」


 クソガキはクソガキでも、俺の夢を叶えるための道具なんかではないことを思い出して、この思いには蓋をして、鍵をして自分の胸の奥深くにしまいこむ。


 後はただ、魔獣が骨だけのなるのを、ただ黙って見守るのみ。

 そうやって天に昇る煙を見上げていると、夢も希望も無い自分も一緒に焚き上げられているかのような感覚に陥る。改めて、俺はこのままでいいのかと考えさせられる時間を与えられたようで、俺はただ茫然と自分の行く末を空に思い描くのであった。






 * * * * *






「何か、あったのか?」


 魔獣の骨以外が灰になったのは、日暮れ間近の時間帯。

 村に戻ったころにはすっかり日も落ちて、真っ暗になっている事だろうと思っていたのだが、予想に反して村の中心には大きな灯りが点されていた。


 この村は、どこかの嫁と娘が生きて帰ってきたくらいで宴を開くような心意気の好い性格をしているわけでは無いし、冬も近いため貯蓄を減らす様な真似は出来ないはずだ。

 では何事か、と村人が集まる中心へ近付いていくと、村人の歓喜に咽ぶ声があちこちから聞こえてくる。魔獣の後始末を終えた俺を労う声は一つも無い中を割って入っていくと、騒ぎの中心にはなんとクソガキがいるではないか。




「――村から、英雄の卵が生まれるとは!!」




 一際大きな歓喜の声を上げるのは、村長。責任感の強さから、40も半ばの歳で選ばれた村長は誰よりもその事実に沸き立ち、両手で作った拳を天高く突き上げていた。


 迎えに上がった男衆から話でも聞いたのか、それともヤカバの嫁と娘から話を聞いたかはどちらでもいいのだが、突然の出来事に、村人たちの急変する態度を前に流石のクソガキも慌てふためいていた。

 その隣にいるのは、町に近い方の村に在住する医者の爺さんだ。そこから引っ張って来たにしては早い到着だと思うのだが、更にその横に佇む男を見て俺は納得がいく。


「……アイツ」

「あっれ、こんなところで偶然っすね、先輩。……まだ生きてたんっすか」

「フェイン行政官殿、ウォルザックとお知り合いなので!?」

「まぁー、古い知り合いっすね。昔は目の上のたんこぶと言いますか、目障りなやつだったんすよー。けどまぁ『英雄になるんだ!』なんて大口叩いてた割に、大戦中に逃げ出すような根性無しの玉無しヤローですけどね。それから行方も分からないまま月日が経ったかと思えば、まさかこんなところで生きてるとは思わなかったっすよ。……ミオさん、ずっと待ってるんすよ」

「……」


 ――フェイン。フェイン・シルバースター。

 志願兵としての俺の同期の内の一人。年齢的には俺の方が上だからと言って、意味も無く先輩呼びしてくる後輩気質な男だ。お陰で何度奢らされたことか。実力は折り紙付きで、お互いに戦場で功績を取り合った仲であり、良きライバル。どちらが先に英雄になれるか、なんて賭けもしていた部隊以外で唯一関わりがあった男である。だがそれも俺が一方的に破ったもので、特別仲が良かったわけでもなければ悪いわけでも無かった。


 けれど、俺が誰に相談するでもなく全てを捨てて逃げた事を、最も怒っている男と言っても過言では無いだろう。それくらい、俺にとっても、彼にとっても、お互いに大事な存在でもあったんだ。


 だから俺は、フェインの感情が込められた言葉を黙って受け止める事しか出来なかった。


 しかし、フェイン程の男が行政官に成り下がるなど、思いもしていなかった。今も変わらずシルバースター部隊の隊長として戦場を駆け巡っているものかと思っていたから。だがその疑問も、フェインの空の左手が目について理解が及ぶ。


「――フェイン、その手……」

「あぁ、これっすか?」


 空いていた右手で隠れた袖を捲ると、周囲の村人から静かなどよめきが上がる。

 フェインが捲った左手の部分には、手首から下が無かった。あるはずの左手が、消えていたのだ。


「魔なる物にちっとやられましてね。あぁ皆さん驚かせちまいましたね。でも自分のこれは名誉の負傷だと思ってるんで、気にしないでくださいっす。今はこうして、戦えないなりに支援に回ってサポートするのも、誰かの力になれてると思えるんで」


 フェインはそう言って、残った右手で耳たぶを触る。それは、昔からフェインが嘘を吐く時の仕草であることを俺は知っている。

 彼の持ち前の武器は、両手に剣を構えると言う、防御を捨てた二刀流。その剣戟は嵐のようで、シルバースターと言う名の竜巻である、とまで言わせしめた実力の持ち主。二刀流とは言わば変則であり、今から片手でも動けるだけの実力を身に着けるには、もう遅い時期に差し掛かっていた。だからこそ、フェインが別の道を進むことを決意するためには相応の覚悟が必要だっただろう。正しく、身を切る思いだったのは想像するに容易い。


 フェイン・シルバースターと言う男は、俺と同じくらい、いや、俺以上に英雄に憧れ、英雄に追いつこうとしていた男なんだ。そんな男が、前線を離れることが悔しくないはずが無い。

 それでも行政官として、今も最前線で戦う英雄のため、人類のために補佐として出来ることをしようとするその姿勢は、俺とはまるで違う、比べ物にならないくらいに良くできた人間なのであった。


「自分は今日、行政官として英雄の素質を持つ子供たちを都に案内するために隣村に足を運んだんすけど、医者の足になるついでにこの村に来たら本当に偶然っすよ、また新しく素質ある子を見つけちゃいましてね。この子も一緒に都に連れて行くつもりっす。見た感じ多分、これまで見てきた候補者の中で一番素質あるっすね、この子」

「そう、なのか」

「あれ、先輩もしかして気付いてなかったんすか? 逃げ腰の弱虫には見る目もないんすね。はぁーあ、呆れちゃいましたよ。見た目もすっかり老け込んじまって、あの頃の輝きはもうとっくに消えてるんすね。クレイドル部隊の皆さんにはそうお伝えしとくっすから、先輩はもう二度とその腐った姿を自分たちの前に見せないようにしてほしいっす。あーあ、これにはミオさんもきっとがっかりすよ」

「おい、待て、フェイン」

()()()っす。今はもう、立場が違う事を自覚してくださいっす。それで、なんすか。情けない姿が晒されるはどうしても嫌っすか? それなら先輩が跪いて――」

「アイツらは、どうしてまだその名前を使っているんだ……?」

「…………そんくらい、自分で考えて下さいっす」


 そう言って、村長と医者を引き連れ、包帯に巻かれたままのクソガキも揃って村長宅に連れて行かれる。クソガキがまだ何か言おうとしていたが、俺にはそれを聞き取るだけの余裕は持ち得ていなかった。


 その後、俺はどうやって家に帰ったのかも分からないまま村のはずれにある家に辿り着き、横になる。

 散会していった村人たちの波に紛れたところまでは覚えているものの、そこから先は延々と考え事に集中していて何も覚えていない。気付けば家の前に立っていたのだから。


「クレイドル部隊……。俺の、部隊……」


 志願兵の集まりである各分隊の一つ一つには、部隊長である者の名前が付けられる。

 英雄になる、と恥ずかしげもなく声高に叫んでいた俺は自ら部隊長に立候補し、俺の名前が付いた部隊が出来上がった。だがそれは、俺が全ての責任を放り投げ、諦めた時に消えるはずだった部隊が、今も残っている。それが意味するところは、最早考えるまでもないだろう。


 だが、それを素直に信じて戻れる程、俺の面の皮は厚くない。むしろ、あいつらにはしこたま怒られてぶん殴られる未来が見えている以上、素直に戻る事は憚られると言うもの。

 ならばこのまま、現状維持でこの村で腐っていくのが正しいのかと問われると、俺には何が正しいのかが分からなくなってくる。


 知らずの内に手を伸ばしていた部隊の制服は、夜の薄明りの中、どれだけの月日が流れようとも変わらないまま。


 英雄以外の情報が流れ込んでくることが無い田舎村で久しく聞いていなかった自分の部隊に思いを馳せていたそんな折、庭に聞こえた足音に振り返ると、そこには体中に包帯が巻かれて、薬の匂いを漂わせたクソガキが立っていた。


「……ザックさん」

「英雄の素質だってな。良かったじゃねぇか。お前が憧れた英雄に一歩近づけただろ」


 それは、いつの日かの再演のよう。

 場所も雰囲気も、背丈もまるで違うのだが、包帯塗れで何かを決意した表情を見せるクソガキと、酔っ払ってもいない俺との懐かしい対峙の夜を思い出させるものだった。


「……その一歩は大きな一歩だ。お前の運命を、大きく変えてくれるだろうよ」


 それは皮肉でもなんでもない、俺の、心からの称賛だった。


 羨ましいと思わないわけでは無いが、血豆が擦り潰れても尚、剣の柄から手を離さなかった事を知っているし、何度打ち倒されても向かってくるだけの根性があることも、日を追うごとに着実に実力をつけている事を知っているからこそ、クソガキの血の滲むような努力を知っているからこそ、心からの称賛を送ることが出来ている。


 自分でも変わったな、と思えるのは、変わることが出来たからだろう。

 そのきっかけはきっといくつもある。初恋の娼婦の女に、魔獣の討伐、村からの感謝など、この五年間で起こった出来事は両手では数えきれないくらい色々あるけれども、その中でも特別大きいのは、クソガキの面倒を見ることが出来た時間だろうか。英雄の素質を持つ子供に出会えたことで、良い意味で諦めがついた。クソガキが英雄になってくれるのであれば、俺には何も文句は無いのだから。


 英雄になる夢を、自分の夢を諦めて逃げてきた意味が今この瞬間にあるのだとすれば、それも悪くは無いと思えてくる。まるで俺の体の芯から熱が奪われていくような感覚も、それが今はどこか心地好く感じてくる中で、その熱が引いていくのを引き留めたのは、他でもないクソガキであった。


「――っ」

「……もう甘えるような歳でもないだろうが、クソガキ」

「……出会ったときは、良くこうして褒めてくれましたよね、ザックさん」


 もう俺でも反応できないくらいの速度で駆け寄ってきては、俺の情けなくてみっともない背中に体を預けてくる。やっぱり、今日の魔獣討伐の経験が、クソガキの中に眠っていた英雄の素質を目覚めさせたのだろう。だとすれば、明日以降俺と打ち合ったところで、きっと俺は為す術もなく転がされるのは違いない。


「出会った時から、お前はクソガキだったけどな。……明日で、15だろ。立派な成人、大人の仲間入りだな。もうクソガキじゃなくなるんだな」

「――ッ。……明日、フェインさんに連れられて、村を出るそうです。それで、都で、最前線に立っていた英雄の人たちから、色々と学ぶんだそうです。この環境よりずっと、大きく成長できるって、言ってました」

「そうか、そりゃあいいことだ」


 背中に感じる熱は、くぐもって震える声の音は、何を意味するのか。俺はそれに気付かない振りをして、落ち着いた態度で返事をする。この状況で、気の利いた言葉を返せるのなら、俺は伊達にコンプレックスを拗らせていない。


 正直に言ってしまえば、俺はクソガキが羨ましい。けれども、それ以上に誇らしい気持ちで、俺の夢をようやく切って捨てることが出来そうなんだ。出来る事なら、その気持ちに向き合うのはクソガキが発ってから、俺を知る人間が誰もいない場所で吐き出したいと思っていた。

 それに、各国も後進育成にはしっかりと力を入れているようで、その事に感心する事でどうにか正気を保っている節があった。


 そんな燻る思いを胸に秘めた俺に向かって、クソガキは背中越しに特大の燃料を投下してくる。




「――ザックさんも、一緒に行きませんか?」




「……は?」


「僕は、ザックさんと一緒じゃなかったら行きたくありません。フェインさんにも、村長にも、そう伝えました。でも、駄目だって……。ザックさんがいかないなら、僕は英雄になんて、なりたくないです。なれなくてもいいです。これからずっと、ザックさんと、師匠と一緒に居る方が、僕にとっては大切なんです。だから……」


 クソガキの懇願するような声を聞いて、まず最初に湧いてきた感情は「怒り」だった。


 ――英雄の素質を持ちながら、英雄になりたくないだと?

 ――それは、これ以上無いくらい、俺に対しての侮辱。

 ――俺だけでなく、英雄になりたくてもなれなかった人たち全員に対する、侮辱になる。


 だが、続いたクソガキの言葉に、沸き立つ激情は一瞬にして掻き消され、新たに生まれたのは「自責」だった。


「英雄に、なりたくないのか」

「……僕は、ザックさんと一緒に居る方が――」


 過去に一度だけ、クソガキに「どうして英雄に憧れるのか」と尋ねてみた事がある。

 そしたら、返ってきたのは「俺が褒めてくれるから」なんて言うふざけた答え。その後に村長からクソガキの境遇について聞いたせいで、魔獣を恨んでいるから、なんて勝手に脳内変換されていたが、もしかしたらクソガキにとってそれは本当の答えだったのかと今さらになって思い至る。


 だとすれば、クソガキの切望する未来は俺にとっては罠かと疑わしいくらいに魅力的で、破滅的な願いであった。


「……」


 今も腹の前で離れたくない、とばかりに震える手で俺を拘束するクソガキを見て、俺は一つの答えを導き出す。




 ――それはクソガキのためでもあり、俺のための答えでもあった。




「……明日の朝、もう一度ここに来てくれ。その時に、お前の思いに答えを出すよ」

「……駄目、です。明日になったら師匠はきっと、いなくなっちゃうから。僕は今日、ここに泊まって、明日からもずっと師匠と一緒に居ます……」

「そうか……。なら好きにするといい。とりあえず、喉が渇いたからお茶でも飲もう」

「はい」


 俺が受け入れたのを分かっても、惜しむように離れるクソガキ。

 やがてお茶を用意して戻ってくると、縁側で不安げな様子で視線を落としていた姿から、戻ってきた俺を見つけて花が咲いたかのように笑顔を浮かべるのを見ないようにしつつ、用意してきたお茶を差し出した。


「師匠、今日は一緒に寝ましょう? 水浴びもご飯も、何から何まで、ずっと一緒に居ましょう――っ! し、師匠……? なんで、僕は……」

「……俺を、恨んでくれていい。好きなだけ、憎んでくれていいから」

「……し、しょ――」


 俺の手ずから受け取ったお茶を警戒する様子もなく口に含んだ刹那、お茶に溶け込んだ強力な睡眠薬が効果を発揮する。その事に詫びを告げながら、こちらに伸ばされた手を優しく包み返す。


 この選択は、きっと間違いなのかもしれない。

 俺自身の夢を、何も悪くないただの子供に、押し付けているようなもの。

 だから、憎むなら俺を、恨むなら俺を、その手で殺しに来てくれても構わないから、英雄になってくれ、と掴んだその手を放す。


「…………みっともない顔、してるっすね」


 クソガキが完全に沈黙し、意識を失った時を見計らうかのように、建物の影から姿を現したのは、フェイン。


「後は、頼む」

「またそうやって、逃げるつもりっすか。この子は、本気で先輩のことを――」

「――だからこそ、だ。俺にこいつは、もったいない。俺じゃこいつに、釣り合えないからだ」

「……英雄を人質に、子供を親から引き離すこの仕事、自分は本気で嫌いなんすよ。でも、人類が勝つにはそうでもしなきゃいけないくらい、状況は逼迫してるっす。だから、今回は折れてあげます。この子は、自分に一撃入れられるくらい、才覚に溢れているんすよ。この子はきっと、今いるどの英雄よりも強くなって、魔王を殺す大英雄になりますよ」

「……そうでなきゃ、俺が困る」

「そんで、魔王を殺した後、次にこの子はあんたを殺しに行きますよ。いや、自分が殺しに行かせます。だから……。だから、それまで絶対に死なないでくださいよ。あんたは、この子に命を握られている事、絶対に忘れちゃ駄目っすからね。その前に勝手に死ぬようなら、自分が地獄の果てまで追いかけてもう一回死んでもらうっすから」

「そうだな、俺は地獄行き確定しているだろうからな」

「違いますよ。……この子が頑張った後に、褒めてあげられるのは、あんたしかいないって話っすよ」

「……出来る事なら、俺の事は忘れさせてやってくれ。どうか、幸せにしてやってほしい」

「…………こんなことで頭を下げられるとは思っても無かったっすけど、お断りです。こんなじゃじゃ馬、面倒見れるのはあんただけっすよ、先輩。死ぬつもりなら、この子に殺されて死んでください。もうあんたの命はこの子に予約取られてるんすから、好きに死ねると思わない方がいいっす。それじゃ、大英雄の凱旋を恐怖して心待ちにしてるといいっすよ」


 両手の拳を床に突いて、クソガキを担ぎ上げて去って行くフェインの背に向かって頭を下げる。

 その詫びはフェインに対するものと言うよりも、クソガキに対するものと言える。しかしフェインもそれを理解していながら、俺を追い詰めるような軽口を叩いて去って行く。

 五年前と同じように逃げようとする俺を、フェインは本当ならば力いっぱい殴り飛ばしたいはず。顔を出した時からずっと、右の掌が固く握り締められているのを、怒りの感情でプルプルと震えているのが分かっていた。袖に隠されていたとしても、はっきりと分かるくらい怒り狂っていたのがヒシヒシと伝わってきた。それでも怒りに身を任せなかったのはクソガキの手前だろう。俺が逃げる事で最も傷付く人が誰なのかを分かっているからこそ、フェインは堪えた。


 あの言い訳も、あながち嘘では無いとは言え、もし俺がこの場でクソガキとの未来を選択していたならフェインは黙って見過ごしてくれたかもしれない。フェインは一見軽薄そうに見えて、その実義理堅い男なのだ。あの左手も、部隊の仲間を庇って切り落とされたのだと言う事は想像に難くない。


 しかし、全てを諦めた俺に、幸せになる資格は無い。

 少なくとも、俺の部隊が命を削っている間は、素直に幸せを享受することは許されない。


「……だから、すまない。俺は、俺の責任を果たすよ」


 それは、幸せになることすら、逃げる事しか考えられなかった五年前とは異なり、少しでも今と、未来と向き合うことが出来るようになった証拠なのかもしれない。だがそのためには、過去の清算を果たさねば向き合う事ができない。向き合う事が許されないのだ。


「ありがとう。そして……さよならだ、マイン」






 ――その夜は、村全体が熱を持ったかのように沸き立ち、秋口の乾いた夜風は、その熱を冷ますに程良い風が吹く夜だった。

 夜風は、戸を叩く強さも無い、冬を呼び込む風であった。

 そんな風が吹いていた日の夜、村のはずれにある一軒の家から、全てが消えた。

 人の生活の痕跡も、飲みかけの茶も全て、何一つ残らずに、翌朝には跡形もなく消えたその家は、まるで夜風に連れ去られたかのようにもぬけの殻と化してしまっていた。

 ……否、ただ一つ、何もなくなったはずの村はずれの一軒家には、明くる日の朝に必ずやって来る来訪者のために、一着の衣服と、一本の剣だけが残されていた。

 それを見て泣き叫ぶ来訪者に対して、村の住民は誰一人として寄り添う事は叶わない。付添人でさえも、近寄る事は憚られた。衣服を、剣を抱いて慟哭する()()に寄り添える人間は、とうに夜風に連れ去られてしまったのだから。






 * * * * *






「……あれから、もう一年か」


 田舎村を後にしてからの一年間は、それまでの空白の五年間と比べても濃密で、非常に身になる月日だったと自負している。何よりも、まだ生きている事が俺にとっては幸運と言わざるを得ないだろう。


 新たな愛剣との出会い、初恋の再来、魔なる物を崇拝する集団の壊滅と改心、人類の窮地を救う遺物の発見、魔王の側近との邂逅に、隣国から目を付けられる等々、一年どころか半年の月日では収まらないくらい、実際に過ぎた時間と経験の乖離に驚かされる。

 人魔大戦の裏側で様々な出来事に出会ってきた俺だったが、今は人魔大戦に陰ながら支援するよう参戦し、立ち回っている。所詮、万対万の戦場では、一人がどれだけ戦果を挙げようとも戦況はそう簡単に覆りはしない。しかし、英雄と呼ばれる人たちはそれを一人で簡単に成し遂げて見せるのだから、それを実際に戦場で目の当たりにして、文字通り格が違うのだと思い知らされる。


 この一年で学んだことは、俺には英雄の素質は欠片も存在していない、と言う事だった。

 一年間を通して出会ってきた連中の中にも、まだ表舞台には立っていないだけで英雄の素質を持つ人材はごまんと存在していることが分かりはしたものの、結局俺には、誰もが羨むような知恵も、力も、勇気も無かったことを思い知らされただけ。

 それでも、俺は腐る事無くここまで生きて来れたのは、「覚悟」を決めたからであった。


 俺には素質が無い。

 その事実に、一度は全てを諦め、逃げ出したことがある。


 だが、その事実から目を背けずに向き合った結果、俺は「覚悟」を決めることが出来た。

 魔なる物の軍勢には、英雄でなければ立ち向かえない。そう考えていたからこそ俺の心はぽっきりと折れてしまったのだが、その考えは間違っていた。


 英雄の帰る場所を守る人、英雄の往く道を拓く人、英雄を陰で支える人、そのどれもが紛れもなく力を合わせて魔なる物の軍勢に立ち向かっていた。

 彼らは決して、英雄と呼ばれてはいない。スポットライトが当たるような場所にはいない。だと言うのに、変わらずに心折れずに立ち向かえるのは「覚悟」が決まっているからなのだと知ることが出来た。


 知恵や勇気、力が英雄たらしめるのだとすれば、それに遠く及ばない俺達はただ俯く事しか出来ないのではない。自分たちの居場所を守るために、命を賭して戦う「覚悟」さえあれば、誰であろうと英雄と肩を並べられるし、魔なる物の軍勢に立ち向かえるのであった。


 以前の俺は、その意味を履き違えており、勝手に俺自身には英雄になれる素質は無いと諦め、自らの手で未来への扉を閉ざしてしまっていたのだ。それに気が付いたのはつい最近で、俺は誰よりも幼稚な考えをしていたのだと思い知らされた。

 クソガキだなんだと見下していたのは、自分自身の幼さに気付かないようにしていたからなのかもしれない。クソガキなのは、マインよりもずっと、俺の方だった。


 二十五を過ぎてようやくその事実に気付いた頃には、もう遅い。遅すぎる。

 だから俺は、五年前の――今では六年前になった過去の仲間たちの手助けをするために身分を隠して最前線に立とうとしていた。


 遠目で見たクレイドル部隊の面々は、新顔が何人かいたものの、知ってる顔ぶれは六年前とまるで変わらない様子であった。

 そんな場所に踏み込む勇気は相変わらず、無い。臆病者(チキン野郎)だと笑われるのも仕方ないくらいに、クレイドル部隊は輝かしい場所に変わっていたからだ。


 人魔大戦において、英雄の道を切り開く役割を持つ「切り込み部隊」は、英雄と同等の称賛を受ける。その切り込み部隊の一つが俺の名を冠したクレイドル部隊だと言うのだから、俺には相応しくない環境なのは間違いなかった。俺が全てを投げ捨てた後も、アイツらは必死で戦って、生き延びた。それが功績として称えられ、その努力に見合った称賛を受けている場所に今さらになって俺が顔を出してどうなるのか、俺には想像がつかなかった。

 忘れ去られているのか、それとも憎まれているのか。大方、後者であるのは間違いないだろうが、どちらにせよお互いにとっていい影響は与えられないだろう。

 戦場に置いて信頼関係は全てにおいての根幹である以上、それを揺るがす様な真似は出来ないと判断した俺は、人知れず最前線である禁足地を駆け回り、数多ある切り込み部隊の支援を行ってきた。

 昔の仲間に会うのは、人魔大戦(すべて)が終わった後で良い、と今すぐにでも駆け寄って謝罪をしたいと叫ぶ自分に言い聞かせ、俺は毎日死ぬ気で戦場を駆け巡っている。


 魔なる物に立ち向かうよりも、昔の仲間と相対する方がずっと怖いのは、覚悟と勇気が別の話だからだろうか。


「――んで、そうやって言い訳してまだ会いに行ってない訳っすか?」

「俺だって分かってるんだよ、早く会いに行った方がいいってのは……。だから、みなまで言わないでくれ」

「ほぉら、視線を動かせばすーぐクレイドル部隊の皆さんの方向いてるじゃないですか。未練たらたらすぎて一緒に飲むのも鬱陶しく感じてきますよ」

「……俺が飲んでるところに後からお前が来たよな? 嫁さんとよろしくやっていればいいじゃないか」

「おっと、口の利き方がなってないっすね? 自分は年下っすけど、立場上は一応上司ですからね? 志願兵時代の縦社会をお忘れっすか、随分と腑抜けたっすねぇ!! ってな訳で、うちの奥さんの惚気、聞いてくれます? まずはっすね――」


 禁足地に連なる各国の砦には、この長い月日の中で整備されたのか、第一次人魔大戦時には無かった設備が大量に設けられており、兵士たちが一時の安らぎを得られるように酒場まで作られていたのには驚いた。


 その日戦場で降りかかった血肉を洗い流した後に、一人でちびちびと喉を潤しながらそれぞれの志願兵たちを観察するのが俺のルーティーンにもなっていたのが、決まって必ず、俺の一人の時を邪魔するかのようにフェインが現れるのは最早通例のようになりつつあった。


 フェインはあの後、俺の願いを聞き届けたわけでは無いが、マインを立派な英雄に育て上げた。それも「大英雄」と呼ばれる程に偉大な存在にまで。

 今ではその名を聞かない日は無いくらいの名声を得たマインは現在、各国が代表する「大英雄」と共に魔王の元へと侵攻しているのだと言う。その戦いは苛烈で、英雄と呼ばれる者でさえも着いて行くことは困難だと言う程の激戦。一度だけ俺もマインの力になればと思って支援に回ったはいいけれど、成長したマインには手助けなど必要なく、リタイアした英雄の一部を連れ帰ることしか俺にはできなかった。文字通り、英雄とも一線を画す存在にまで、マインは成長していたのだ。


 その傍らで、マインの教育係だったフェインは、過去に英雄だった別国の女性と縁を結び、酒に酔った勢いで繰り広げられる嫁自慢を何度聞いたかも分からない。


「……あの子に教えた事は、何一つないっすよ。もう、初めから基礎は出来ていて、あとは足りない経験を補うためにひたすら経験を積ませるだけでしたから。先輩、どう育てたらあんな大英雄を育てられるんすか? 正直先輩はそれだけでも食っていけるんじゃないっすか?」

「俺は何も教えてない。あいつが、勝手に学んだんだよ。それも、英雄の素質だったんだろうな」

「……惚気っすか? 自分のを言うのはいいっすけど、人のは聞きたくないっすねぇ。でもまぁ、今の先輩、自分以外にお話し出来る相手いないっすもんね!」

「お前、俺の事嫌いだろ」

「そうっすね。現役の時からずっと嫌いでしたよ。自分が活躍したと思っても、いつも必ずその上を行くんすもん。嫌いにならない訳、ないでしょ? そんでもって、今では復活して、誰よりも功績を上げている……。たった一人で最精鋭部隊のクレイドル部隊以上に功績を上げてるってなんなんすか? 先輩の頼みで自分が揉み消してあげてますけど、それがなかったら十分に英雄称賛もんっすからね? それも戦線離脱した自分への当てつけみたいで気に食わないっす、マジで」

「俺の実力じゃ、無いからな。全部こいつのおかげなんだ」

「……魔剣、っすか。それだけの力の代償に、何を賭けたって言うんすか? 命、なんて言ったら、自分がこの場でぶっ殺しますよ」

「それに関しては、口外できない契約になっている。ただ一つ言えることは、命ではない、と言う事くらいか」

「ふぅん、そうっすか。もし今ここで命だって言ってたら、クレイドル部隊の皆さんを呼び集めていたところでしたよ」


 ――魔剣。

 それこそが、マインに自身の命とも言える愛剣を残した後に手に入れた第二の相棒。


 契約を結んで使えるようになった魔剣は、俺の体を作り替えた。魔剣を使える肉体に。

 あの時のままでは魔剣を振るう事すら出来ない、と魔剣側から拒絶されると言う、魔剣からしても特殊な状況に陥ったのが、まるで昨日の出来事のように鮮明に思い出される。

 魔剣と言うのは本来、力を求める人間を誘い入れ言葉巧みに契約を結ばせるものなのだ教えられ、魔剣側から様々な譲歩を持ち掛けられて契約を結ぶに至った件もまた、契約内容と同じく口外禁止されている。前代未聞の変哲な過程を経ていることは、魔剣の名誉に関わるだとかなんとか言って。


 そんな気になる契約内容は、至極単純。


 ――人魔大戦の終結まで力を貸す事。


 ただそれだけである。

 その際に支払われる代償は「剣士としての生命」と魔剣は言っていたため、その内容を口にすることはでいないまでもフェインが危惧するような事態には陥らないと約束できる。


 俺の腰に差した魔剣に視線を落としていた二人の背後に影が迫って来ていたのに気付いたのは、再び顔を上げたその時だった。



「――俺達に、何か用でも? フェイン行政官殿」



「んげぇ、っとー……」


 背後からかかった声に思わず肩が跳ねる俺達二人を他所に、声の主は構わず苦言を続ける。


「酒に酔うのは咎めないが、酔って声が大きくなる癖は直した方がいい。密談の意味がなくなるからな。……それで、そちらの男は? 見ない顔だが」

「いっつも一人で飲んでる男だよ。暗~い男、きっとどの部隊でも弾かれてるんじゃない?」


 俺は顔を見られては不味い、と降ろしていた顔を隠すためのマスクを咄嗟に鼻のてっぺんまで上げて表情を隠す。好奇心旺盛ながらもどこか失礼な物言いの女性隊員が顔を覗きに来るのが目に見えて分かっていたため、それに間に合ったのは過去の経験が裏付ける信頼の表れでもあった。

 その予想通りに女性隊員は挑発的な態度で体を密着させながら俺の顔を覗き込んでくる。


「……つまんないの」

「キリエ、初対面の人に失礼だし、はしたない。さっさと離れる」

「ちぇ……。ただの冗談じゃん、同じ戦場で戦う者同士、信頼を深めるためのスキンシップじゃん? ミオっちピリピリしすぎー」

「レイモン、叱って下さい」

「き、キリエ、またお前は……ッ!」

「ちょっ、レイモン出すのは、無しっしょ? ほら、酔い冷ましにお水飲も?」

「俺は、酔ってない! ただ、俺は、俺はお前が……ぅぐッ、ひぐッ!!」

「そんな顔真っ赤にしちゃって、説得力ありませーん。ほら、行くよレイモン」



 ――キリエ・ファークライ。

 お調子者で部隊のムードメーカー的存在。トラブルメーカーの役割も担う。戦場では広い視野を生かして、部隊全体のバックアップを担当。的確なアシストや妨害で命を救われた経験は数えきれない。



 ――レイモン・レイルゼッテ。

 臆病で泣き虫な青年。しかし一度戦場に立てば、冷酷無比なまでに敵を殲滅する銃使いの青年。本来、人間が開発した銃と弾丸では魔なる物には通じないのだが、レイモンが扱うのは魔なる物の心臓を用いた特別製の散弾銃。彼は部隊のメイン火力を担当し、キリエの指揮と合わさる事でトップクラスの魔物討伐数を誇る。



 昔と変わらないクレイドル部隊の後衛二人が去った後、残された前衛二名の片方、これまた昔と変わらない美貌を誇る女性が頭を下げてくる。


「不快な思いをさせて、ごめんなさい」



 ――ミオ・ウィングリー。

 穏やかで、常に冷静沈着かつ、博識。彼女の大きな特徴として、剣技が挙げられることが多い。しかし、その剣技が称賛されるに足らしめているのは、彼女のその目と、脳。資格から得た情報から経験に基づいた知識でもって瞬く間に迫る魔なる物の急所を見抜き、そこを的確に突く技術。彼女は最低限の動きで最高以上の成果を持ち帰る非常に優れた戦士。



 そしてもう一人、クレイドル部隊の要とも言える大男は、この六年の間に生やしたであろう髭をなぞりながらフェインに迫る。


「……彼をご紹介、願えますかな?」



 ――ヴァリアント・ジャガーノート。

 豪胆で、豪快。その男を一言で表せと言われたら、誰もが巨大、と答えるであろう大男。戦場では大楯をその身にそぐわない身軽な動きと柔軟さで運用し、大楯でもって生まれた隙を、丸太のように太い腕から放たれるメイスの一撃をお見舞いする壁の役割を担当する男。



 後衛二人、前衛二人に俺を加えた五人の部隊こそが、クレイドル部隊。

 今ではその他にも同じクレイドル部隊の制服を身に纏う部隊員が十数名いる大所帯にまで成長しているのを見て、尚更「ジャガーノート部隊」に名を変えてほしいと切望したくなる。


 そんな前衛二人こそが、俺が全てを諦めた時に最後まで手を差し伸べてくれていた二人。

 親友であり、家族のような二人だからこそ、二人の期待を裏切った俺の事を、誰よりも俺自身が許せない。


 故に、俺は今ここで家族に向ける顔が無い、と判断し、席を立つ。


「……お先に失礼する」

「ザッ――、じゃなくて、先ぱ――、でもなくて……、えーと、ええーっと、――え、英雄!!」




「――ッ!?」



「「ザック……!?」」




 俺が固い意志でクレイドル部隊の面々と会う事を拒否している事を知っていながらも、このままでいいのかと背中を押そうとしてくれるフェインは呼び名に困ってありもしない英雄をその場に作り出してしまう。


 確かに「ザック」の名を呼ぶのはまず有り得ないとして、フェインが「先輩」と呼んでいるのが俺以外に存在していない事をクレイドル部隊は知っているため、先輩と呼ぶわけにもいかない。それを踏まえて呼び方を模索したとは言え、まさか「英雄」呼ばわりされるとは思いもしなかった。

 一年前にようやく本格的に諦める決心がついたばかりとはいえ、それでもその呼び名への憧れまで捨てたわけでは無いのだから。


 思わず肩を跳ねさせた俺とミオとヴァルの三人。肩を跳ねさせた理由は異なれど、二人が名も知らぬ英雄の呼び名から俺を想起させてくれたことが、たまらなく嬉しく思えてしまい立ち去る足を止めてしまう。そんな肩に、馴れ馴れしい態度で誤魔化すかのようにフェインは腕を乗せてくる。


「――に、なりたい人……。そ、そうっす! た、ただの、英雄志望の、志願兵さん、っすよ……?」


 どう考えても無理がある言い繕いに対して、クレイドル部隊の二人は積もり積もった不満を吐き出すようにフェインに向かって俺の居場所を問い詰める。


 フェインは、一年前のあの時の言葉通り、クレイドル部隊に俺の生存を伝えたらしい。けれど、その時点で俺の居場所が不明になってしまっていたため、生存の報告のみに留まってしまい、却ってクレイドル部隊、主にミオとヴァルの不安を煽る結果になってしまったのだと言う。


「……フェイン、いい加減ザックの居場所を、教えてはくれないのか? もうじき一年経つ。戦場ではいつ命を落としてもおかしくは無いんだ。加えて俺達も、第一次の時のような無理が出来なくなりつつある。明日には消える命かもしれないと言うのに、ザックに会う事すら、俺達には許されていないのか!?」

「お願い、フェイン。ザックを、ここに連れてきてなんて言わないから、居場所さえ教えてくれれば今すぐにでも……」


「……クレイドル部隊は持ち場を放棄するって言うんすか? それは感心しないっすねぇ」


「ならば、居場所を知っているお前が連れてきてくれ。そうすれば、俺達は何も文句は言わない、だから……」


 その思いが嬉しいようで悲しいようで。

 それでも、今ここで姿を晒すことは出来ないと「覚悟」した俺は、肩に乗ったフェインの手を払い落としてその場を去ろうとしたところで、フェインは引き下がらないクレイドル部隊と、素直にならない俺に業を煮やしたかのように深い溜め息を一つ吐いた。


「はぁ……、これは作戦行動に関わるであろうから言わないようしてたっすけど……。ここでクレイドル部隊が抜けた穴を補完できるほど人材が余っているわけでは無いので自分はクレイドル部隊を引き留める事を選択するっす」

「俺は何と言われようとも、死ぬ前にザックに会わなきゃいけない。会って、謝らなきゃいけない事がたくさんあってだな――」

「――待って、ヴァル。フェインの話を聞いてからにした方が、良さそう」


 ミオに止められるヴァル同様に、俺もまたフェインの「先輩も聞いてください」という耳打ちによって二人に背を向けたまま会話に耳を傾ける。


 俺を最後に、三人の意識が自分に向いたことを確認したフェインがこの場にいる三人だけに聞こえる声量で言葉を口にする。


 それは、魔剣との契約同様、口外禁止の合図。

 志願兵となる以上、国の内部の情報は知りたくなくても耳に入ってくる。そんな情報を国外に漏らさぬよう、一兵卒にまず最初に周知されるのが、この暗黙の了解とも言える沈黙の合図だった。時に英雄のあらぬ情報などが志願兵らの間で出回ることもあるが、もし誰かの口から外に出ようものなら、即座に極刑を申し付けられるに違いなかった。それだけ、国にとって英雄と言うのはブランディングが大事なのだと言う事だろう。


 そして俺自身、あの田舎村では細心の注意を払って語っていたし、それは酔っ払っていても変わらない。俺自身程度の一般志願兵の失態などは、いくら話しても問題は無いものだった。


 そんな情報を用いなければクレイドル部隊を止められないと言うのだからどんな情報かと思って身構えながら、ミオやヴァルを振り返りたい衝動を抑え込みつつフェインの言葉の先を待つ。




「……もう間もなく、人魔大戦は終結するっす」




「「……ッ!」」

「……」


「それは、魔王の討伐をもってして、か?」

「はい、そうっす。そして、大戦が終われば、ミオさんとヴァルさん、クレイドル部隊の皆さんが会いたがっている人物とは、お会いできるっすよ。絶対に」

「絶対に……?」

「はい、絶対っす。もし嘘だったら、その人を引きずってでも連れてくるって約束できるくらいには、絶対っす」

「……っ」


「ならば……」

「うん……」



「「――フェイン行政官、失礼します」」



 フェインはザックの居場所を知っている、と言う紛れも無い事実を突きつけられたクレイドル部隊の二名はお互いを見あった後、また新たな「覚悟」を有した表情で頷き合い、フェインに敬礼を向け去って行く。

 そしてクレイドル部隊が抜けた場合の激務を回避したフェインは、満足げな態度で背中を向けたまま俺に向かって声をかける。


「お疲れっす~。……ってなわけで、覚悟はできてるんすよね?」

「……終結するって言うのは、嘘じゃないんだな?」

「うちの大英雄様が大活躍、っすよ。そっちの覚悟も、しといてくださいっすね」

「俺は……」


 マインと再会するつもりは、無い。

 それはあの一年前に別れたあの日から変わっていない「覚悟」であった。

 だからこそ、あの日あの場所で、魔なる物を蹂躙するマインの姿を目撃したことは、全くの誤算だった。


 ――あんなにも、辛そうな顔をしていたから。


 そんな顔をさせるために、英雄になれと言った訳じゃない。憧れてた英雄の姿に、マインの夢が叶ったようには、思えなかったからこそ、俺にはどうするべきなのかが何一つ分からなかった。


「今のあの子にとって、先輩は生きる希望なんすよ。だから、絶対に死なないでください。この世界のため、一人ぼっちの大英雄のために――」

「フェイン……」



「あーあ、折角気持ち良かったってのに、随分と酔いが冷めちまったっすよ。それじゃ、自分は仕事に戻るっす。先輩も、覚悟決めて下さいね。……何度でも言いますよ。先輩の命は、先輩だけのモンじゃないっすからね」



 普段軽薄そうなフェインが時折見せる真剣な表情は、それだけ彼の真意が込められていると言うもの。

 それだけに、俺は背中越しに叩かれた心臓の価値を、はっきりと見出すことが出来なくなっていた。


 覚悟も決意も決まらぬまま、俺には何をすべきなのか、何をしなければならないのかが頭の中、胸の奥でこんがらがって分からない。何も判断付かぬまま、やがて運命の日が訪れるに至るのだった。






 * * * * *






 今日も禁足地は混沌の坩堝である。


 フェインから覚悟を託された俺は、一週間が経った今でもマインに再開することにどこか否定的であった。それはただ一つ、恐怖の感情によって、覚悟を決めるための一歩を踏み出せずにいたからだ。


 再会することの恐怖、再会しないことの恐怖。それはどちらも、考えるだけで恐ろしい。


 フェインの話によらずともマインの名は、クレイドル部隊はおろか、この前線に立っている者であれば知らない者はいない程の、ビッグネームであり、マインには相応の誰かと共に未来を生きて欲しいと願っていた。異性でも、同性でも、マインの傍でマインを見守っていてあげられる存在と共に、幸せになってくれれば、それで良い。俺の事なんか忘れて、幸せに生きてくれれば、本望だった。


 だが、あの日あの時あの場所で目に映ったマインは、たった一人で戦っていた。

 名前の重み以上の重荷を背負って戦うマインの姿は、憧れていた英雄に手が届いた少女の顔では無かった。その姿が過る度に、俺のすべきことが分からなくなってくる。


 そんな表情をさせたままこれから先、俺はそれを知らぬ存ぜぬで生きていくのか、それとも無責任に迎えに行ってやるべきなのか。今の俺にできる最良の選択は、必要な「覚悟」の選択はどちらなのか、未だに判断がつかないまま、今日もまた戦場を駆け抜けて過ごす。


「――フッ!!」


 部隊の死角で死んだ振りをしてやり過ごし不意打ちを狙っていた魔なる物を始末し、また別の場所へ移ろうとしたその刹那、大地が、大気が震える程の遠鳴りが鳴り響く。


「な、なんだ今のは!?」

「魔物の動きが……止まった?」

「じ、地面が揺れる……!」

「この超力場反応、魔王の場所からか!?」

「それってつまり……!?」

「魔王が、ついに討たれたって事か!?」

「――英雄様、万歳!!」

「大英雄様、万歳!!」

「……ま、待て、落ち着け、この反応、まだ何か――」



「――ッ!!」



 禁足地を出て、魔なる物が生息する大陸の向こうに魔王が住まう棲家があると言われている。

 一度俺自身その目で見たことがあるからか、周囲の兵士達の言葉に一人胸の奥で頷きを返す。それはつまり、フェインの言葉通り魔王が討たれた事の証左であり、人魔大戦が終わった合図でもあるはずだと言うのに、俺の心はざわめき、震えが止まらなかった。


 その証拠に、前線で戦っていたはずの英雄達や、第一次人魔大戦を生き抜いた部隊の面々が慌てた様子で、立ち止まって喜びを分かち合う兵士の面々に、揃って退避を促しているではないか。

 何があったのか、何が起こるのかを英雄や部隊員を捕まえて話を聞こうにも、全員が全員、パニックに陥った様子でただひたすらに退避を促すのみ。


 その勧告に促されるように、魔王の住処を向いて止まったままの魔なる物を横切ろうとした瞬間、大戦の始まりと同じように空に幾何学模様の陣が浮かび上がる。それが『魔法』と言うものであると解析され、魔なる物を退ける力として活用され始めたのを知っている俺は、今さらになって退避を勧告していた意味に思い当たる。


『――フェイン、第一次を勝ち抜いた部隊……数が少なくないか?』

『あぁ、先輩は知らないんすね。まぁ、その前に逃げたから知らないのは当然として、これは地味に箝口令をも敷かれていましたからね』

『周知しない理由が、何かあるのか?』

『国民に余計な不安を与えないためっすね。と言うか、戦場に入るなら知っといてくださいっす、禁忌の(スヴァル・レガロ)終焉(・エンド)を』


 だが、それを思い出した時点で、空に浮かぶ魔法陣は既に輝きを増し始めている。

 一度は喜びに沸いたはずの志願兵達の喜びを吸収し、恐怖に変換していくかのような風が地面から空に向かって吹き上がる。それはやがて雲を呼び、禁足地上空に巨大な雨雲を呼び寄せていた。



「――終焉が、来るぞ!!!! 死にたくなけりゃ、逃げろぉぉおお!!!」



 誰が叫んだか分からないが、それを皮切りに兵士たちの恐怖が瞬く間に全体へ伝播していく。

 俺もまた、例に漏れず全身が粟立つ感覚に取り込まれる。


 終焉を、兵士たちも知らないわけでは無い。ただ漫然と続いた人魔大戦に、魔王の死という結果を前にして浮かれてしまっていただけ。思い出してみれば、終焉にも十分対応できる戦力が揃っていたはずなのに、その一瞬の歓喜の間が、兵士たちの波を崩してしまったのだ。






『――王は、ただでは死なず――禁忌の(スヴァル・レガロ)終焉(・エンド)――人間共を、道連れに――』






 魔王の断末魔なのか、死に際の置き土産が黒い雨となって禁足地に降り始める。

 腹の奥が締め付けられるようなおどろおどろしい声は、浮かれた弾みで勇気と覚悟を中途半端に欠如した兵士を恐慌に追いやり、瞬く間にこちら側の戦力を半分に削る。



「動ける者は動けない者の手を取り、最終防衛ラインまで下がれ――!! それ以外の者は――命を賭して魔物からこの地を守り抜け! やつらは止まらぬ――!! その命と言う枷を取り外された魔物は、己が全ての命を燃やし尽くすまで、決して止まらぬ!! 故に、防ぎきることを念頭に置くのだ!! 退くな! 耐え抜け! 戦う必要は無いのだ!! 今こそ我らの力を一体に――」



 一人の英雄が、士気を取り戻さんと叫ぶも、正気を取り戻し再び戦場に立てる人材は総数の五割が限界。

 英雄が必死に声を上げるが、黒い雨が強まるにつれて逃げ出して行く数は増えていく。それもそのはず、魔法陣から降り注ぐ黒い雨を身に受けた魔なる物は、英雄の語った通り肉体の、命の枷を外したかのように体は肥大化し、中には異能に目覚める魔なる物まで混じっている。俺が今まで出会ってきた魔なる物の中で、異能を扱ったのは魔王の側近と自称する人の言葉を操る魔物だけだった。

 その時は別の仲間と力を合わせて倒しきれたものの、犠牲も少なくは無かった。そんな化け物が一体二体では無い数産声を上げているのだ。そんなもの逃げ出したくもなると言うもの。


 一度折れてしまった心は、そう簡単には立ち直れない事を知っているからこそ、俺はそうして後方へと逃げて行く彼らを責め立てることは出来なかった。

 そんな中で、英雄と共に前線を押し上げていたはずのクレイドル部隊の姿が一部しか戻ってきていないことに気が付き、共にいたであろう英雄の元に駆け寄り詰め寄る。



 ――ミオが、ヴァルが、キリエが、レイモンが帰ってきていないのだ、と。



「――クレイドル部隊の精鋭達はッ、私のために殿を務めてくれた!! 一人の英雄を逃がすために、その身を盾に殿となってくれ――なッ!? どこへ行く、君!? 犠牲になった者の命を無駄に――」


 英雄の制止も聞かず振り払って、俺は迷うことなく腰の鞘から魔剣を引き抜く。


 悩んでいる暇も、迷っている暇も無い。

 躊躇っていては、誰かの命が失われるこの状況で、俺はもう逃げたりしない。

 クレイドル部隊を、俺の家族を、誰一人として失わせはしない。

 そのためならば俺は降りしきる黒い雨の中を、乱立する無限の壁も切り裂いて立ち向かう「覚悟」が、俺には既に出来ていた。



「――退け、除け、どけッ!!!!!!」








 * * * * *






「――ハァッ、ハァッ……! レイモン! 弾は後どれくらい残っている!?」

「ごめん! この雨でやられた! 撃てるのはせいぜい、六発かな……」

「それで道開ける訳? はっ、アタシたちの運もここまでって事かぁ」

「キリエ」

「分かってるよミオっち。アタシだって、諦めるつもり無い、無いよ。……けどさ、この状況で希望的観測を述べる方が、酷ってもんじゃないの?」

「……」

「分かってはいたけど、まさか終焉がここまでとはね」

「前回は先人たちが守ってくれたが、今回は俺達が盾となり、矛とならねばならない。お前たちを、絶対に死なせはしない。……だから、着いてきてくれるか?」

「ヴァリアントさん! 頼りない俺で良ければ、どこまでも!」

「レイモンが行くなら、アタシもかなぁ」

「……私、は」

「ミオ。俺も、キリエもレイモンも、死ぬつもりは毛頭無い。生き残るために戦うんだ。生き残って、ザックに会うんだろう?」

「あの馬鹿、本当に戻ってきたらただじゃおかないんだから。一発二発で済むと思わないでよね」

「ザックさんはきっと、戻って来てくれるはずです。だから……」

「……皆。分かった、私も、やる」


「――総員、陣形は守護! 直に魔物が動き出す! そうなってからは時間の問題、お互いに決して離れる事が無いように! 魔物の命を狩る必要は無い、機動力を削り、動けなくさせることを念頭に置いて行動! 一歩一歩、着実に引き下がる事を忘れるな! ――来るぞ!!」


 クレイドル部隊が残された状況は、最前線から引いてきたとは言え、まばらに魔物が点在しており、この後に最前線から雪崩れ込んでくる魔物の数を想像すると自分たちの死する未来しか見えない。かと言って後方の連合軍のように恐怖によって逃げ惑う事は許されない。ここで死したとしても、自分達にはこの場所で殿を務めると言う精鋭部隊としての責務があった。


 加えて、英雄や連合軍が待ち構える最終防衛ラインまではまだ一キロはある。魔物が動き出す前に駆け込むにはまだ遠く、その背を狙われてはさしものクレイドル部隊と言えど対処が出来なくなってしまう。であるならば、今ここで態勢を整え、終焉を待ち構える方が生存確率は上がるだろうと、ヴァリアントは判断した。

 ザックから引き継いだリーダーとしての役目を、すっかりと板についたその役目を、責務を逃げることなく全うすべく、黒い雨が降り始めたと同時に、最大の「覚悟」を持って大盾を構えるのであった。


 当然、この場を死地と定めているわけでは無く、この場を生き残って、勝って、完全なる終幕を迎え、ザックに会うという希望を信じて、生き残る方面でクレイドル部隊は突き進む。




 ――だが、魔王の置き土産は誰の犠牲も出さずに防ぎきれる程、甘くは無い。




「――ぐぅ、あぁッ!!!」

「レイモン!?」


 六発と言う弾数の制限は瞬く間に迎え、残された投擲具で凌いでいたレイモンがまず最初に崩れる。

 レイモンが一人崩れた瞬間、四人の連携でもって英雄に匹敵するだけの力を兼ね備えていたクレイドル部隊の均衡は崩れていく。レイモンの次に、そのカバーにと動いたキリエもまた、無理な動きから生まれた大きな隙を突かれ重傷を負い、次いでキリエのサポートが失せたミオとヴァリアントも徐々に深手を負っていく。


 結局、下がることが出来たのは最終防衛ラインまで残り八百(800)メートルまで。

 普通ならば目視できるはずの距離も、魔物が蔓延る禁足地ではその手前ですら確認することは出来ない。所詮、クレイドル部隊がどんなに殿として粘っても、終焉の被害を減らすことは出来ない現実を突きつけられるに至ってしまう。


 他の誰か、英雄が助けに来ることなどは絶望的な状況である事は、四人全員が理解していた。


「――ッ!!」


 遂にミオが膝を屈し、残されたヴァリアントは、全身から血を流し、大盾を構えて正面から襲い来る魔物からクレイドル部隊を守る事しか出来なくなっていた。メイスを振るう事も、受け流す事すらも出来なくなるまで追い詰められてしまっており、最早障害にもなり得ないと判断されたのか多くの魔物はクレイドル部隊に目をくれるまでもなくすぐ横を通り過ぎていく。


 だがそれも、ヴァリアントが倒れてしまえば大量の魔物に轢き殺される未来が待っているのみで、この戦場で命を落とすことは確約されているような状況であった。


「――グッ、ヌゥッ……!! 俺は死ねない、死ねないんだ……!! ザックに、再びッ、会う、まで、は……!!」


 全身が軋む音を立てるかのような衝撃を受け止めながら、力むたびに流血の量が増えるヴァリアントを、止めることは誰も出来ない。

 それはヴァリアントが最後の頼みであるからではなく、ヴァリアントの決死の想いを皆もまた同じように抱いていたから。


 クレイドル部隊がジャガーノート部隊に名前を変えない理由こそが、クレイドル部隊は誰一人としてザックを忘れていないから、忘れる事など出来ないからであった。


 ――ザックが辛かった時に寄り添えず、折れそうになった心を支えてやることも、気付いてやることも出来なかった自分達に、ザックを責める義理は無い。


 そう言ってクレイドル部隊の名を使い続けているのは、いつかザックが戻ってきた時に、ザックの居場所を守るためでもあったのだ。

 同時に、ザックは必ず戻って来てくれる、という思いも込められていた事を知っているのは、クレイドル部隊の精鋭四人のみ。


 だからこそ、ヴァリアントの大盾が限界を迎え、ヒビが全体に広がっていく瞬間には、ヴァリアントを支えるかのように他の三人も共に終焉へと立ち向かう。


 それぞれが頷き合い、これが最期であろうとも、死する時は共に、と最後の力を振り絞る。









「「「「――おおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」









 ――それを最後に、ヴァリアントの手にしていた大盾が軽くなる。



 それは、大盾が粉砕された証拠――ではなく、目の前を塞いでいた肉の壁、終焉を迎え暴走を果たす魔物の壁が、一瞬にして打ち払われたからであった。






「………………ザック?」






 * * * * *






 暴走する魔なる物の濁流に飲まれないように遡るのには苦労を要され、更にその中から僅か四人のクレイドル部隊を探し出さねばならないとなると相当に骨が折れるものだった。

 だが、魔剣の力で底上げされた身体能力と、魔剣の切れ味は濁流をも切り裂いて道を拓いてくれる。


 しかしどこを見渡しても魔物、魔物、魔物のこの状況でクレイドル部隊の元に辿り着くのは相当に困難を極めていたところ、大地が啼き叫ぶ轟音の如き足音に混じって聞こえた聞き馴染みのある声を耳にして道を切り拓いたところで、ようやくクレイドル部隊の元に辿り着く事に成功したのであった。


「………………ザック?」


 しかし、その様はまさしく間一髪と言える状況で。

 俺の背後で呆然とするクレイドル部隊は、揃いも揃って全員重症。ヴァルに至っては血を流し過ぎだ。早く処置を行わなければ命に関わるかもしれないと言うのに、そんな状況になるまで家族の危機に駆け付けることが出来ない俺は、魔剣を握ったところで英雄の素質とは縁遠い存在だったのだと悔しさから歯噛みする。


「――ヴァル! 増血剤!!」


 何をどうしろ、など口に出すのも惜しい。

 隙を縫ってポーチから取り出した錠剤を放り投げるので精一杯の状況でも、ヴァルならばそれだけで理解できるはずだと信じて魔物の大軍を相手取る。


 一撃で魔物を屠る俺を危険視したのか、魔物の群れはクレイドル部隊に目もくれず、四方から魔物が押し寄せてくる。

 一瞬でも気を抜けば魔物の凶刃が俺の元に届きそうな状況で、俺は魔剣を振るう。


 そんな状況を長く続けられる程、俺は優れていない。

 今も息つく暇も無いせいで脳に酸素が回らず酸欠状態に近い。そのせいで鈍る体に付けられる傷が一つ、また一つと増えていく中であったが、その状況は一瞬にして好転する。



「……? 雨が、止んだ?」



 空に浮かんでいた幾何学な魔法陣が、まるで蠟燭の灯を吹き消すかのように掻き消え、それによって降り注いでいた黒い雨は勢いを弱めていき、やがて降り止む。




 そしてそれに伴い、暴走していた魔なる物の勢いも緩やかに――はならない。




「こいつらッ、最後までやる気だ……!!」


 そもそも魔なる物に知恵はあれど、意思はあるのか、と言う問題が湧いてくるが、余計な思考を挟む余地などありはせず、俺はただひたすらに魔剣を振るう。

 黒い雨が止んだおかげで一瞬だけでも魔なる物の動きが止まり、お陰で息を整えることができはしたものの、再開した禁足地の戦場ではまさしく弔い合戦が如く仕切り直し始める魔なる物の勢いは更に苛烈さを極める。


 しかし、俺の手に魔剣がある限り、俺が踏ん張り続ければそれでいい。



 そう、俺が魔剣を手に、迫り来る全てを切り伏せればそれでいいんだ。



 再び迫り来る魔なる物の軍勢に対峙した刹那、俺はそれまでに感じたことが無いくらいの悍ましい恐怖を感じ、振り返らざるを得なかった。


「――ザック、余所見は……っ!?」


 背後から張り上げた声が耳に届く。

 当然だろう。俺の目の前には爪を、牙を、拳を、嘴を俺の体に突き立てんとばかりに迫る魔なる物が大量に存在しており、余所見などすればそれらが確実に俺の体を貫くのは間違いない。だと言うのに、俺は魔剣から迸る狂気の如き悍ましさに振り上げた右腕を凝視せざるを得なかった。




『――契約を履行する』




 瞬間、魔剣から無数の棘が伸び、俺の身に迫る魔なる物を脳天から串刺しにして、周囲の多くの魔なる物を絶命させる。魔剣を握る俺には「ただ邪魔だから」と言う理由がヒシヒシと伝わってくるようで、それがとにかく恐ろしかった。魔剣の棘が、クレイドル部隊に向かなかった事実に、酷く安堵する。


 だが、ホッと息を吐ける状況でもない現状に、俺はただただ困惑を極めていた。


 契約? 俺が契約をしたのは、人魔大戦の終幕まで――。であるならば、今この状況はまだ――。


 そうして足掻こうとする俺を嘲笑うかのように魔剣から伸びる棘は結びつきながら、やがて一つの(あぎと)と化す。




『――魔王の死を確認。これから起こる事象は、言わばエンドロールだ。終幕の後にも、物語は続くもの。故に、契約は今この時を持って履行される』




「契約を、更新するッ! だから、今この瞬間にも、力を――」




『――更新? 改定? そんなものは存在し得ない。約束通り、お前の片腕、頂くぞ』




 契約時に聞こえた時以来に聞こえた魔剣の声は、聞く耳持たずを体現したかのように縋りつこうとする俺を嘲笑い、無慈悲にも魔剣の顎は、俺の右腕を根元から食い千切った。




「――ッ、ガッ!? アアァッ!!!!!!」




『――俺様を振るっていた時の全能感はどうだった!? 俺様を振るう度に敵が切り伏せられる強者の景色は心地良かっただろう!? 弱者が力を振るうには相応の代償が必要になる。貴様は契約時に言っただろう。誰かを守れる力が欲しい、と。残念だったな、俺様の力は誰かを守る力なんかじゃない、全てを破壊する力だ。俺様を使っていいのは、俺様を力で捻じ伏せられる相手だけだ。くっはははは! そうだ、お前のその気に食わない顔が歪むその瞬間を見たかったがために、今この瞬間まで我慢してきてやったんだ!!』




 その魔剣は、正しく狂気。

 ただこの瞬間の為だけに、俺に力を貸していたとなれば、考えていることが余りにも邪悪すぎる。

 到底俺の手には余るような化け物だった事が判明したところで、今さらすぎる話だ。笑い話にもならない。




『――止血は最後のサービスだ。契約には含まれてないが、それで死ぬのも面白くは無い。最後まで踊って見せろよ、()()()()()? ……なんてな! くっはははははは!!!』




 もしも魔剣に顔が付いていたならば、その顔は酷く歪んで見えただろう。

 今の俺の目には溜まった涙で揺らぐ視界の中、不快で高らかな笑い声を残して砂のように崩れて消える魔剣が映っているだけであったが。


「――ザック、大丈夫、なの!?」


 クレイドル部隊の中で一番の重症がヴァルだとすれば、次に傷が深いはずのミオが怪我を押してでも駆け付けてくれる。

 首元まで滲み出た脂汗を拭いもせず、ミオの心配を他所に俺は立ち上がる。


「そんな傷じゃ、ザック、死んじゃう……!!」

「……剣、借りる、な」

「っ、駄目! ザック!!」


 魔剣の言葉通り、右腕は初めから無かったかのように消え去っており、その肉は見たことも無い方法で塞がれている。骨も、肉も、血の一滴も零れていない右腕の違和感は拭えない状況で俺が立ち上がろうとするのを、ミオは力の限りを使って引き留めようとしてくる。



「行っちゃ、駄目……、行っちゃやだよ……ザック……! 好きなの、ザックが、大好きだから、行かないで……! 一緒に、居て……? お願い、ザック……!」



 あぁ、こんなにも分かりやすい感情を向けてくれていたと言うのに、あの頃の俺は何を感じていたと言うのか。届きもしない「英雄」にばかり夢想して、俺は何を見ていたのだろうか。見るべきものから目を逸らして、逃げ出して。


 六年前の俺がどれだけ愚かで大馬鹿者でクソガキだったのかを改めて思い知らされた俺は、ミオと同じように俺を引き留めようとする眼を携えるヴァル、キリエ、レイモンを振り返る。



 ――俺の、守りたい家族を振り返る。



「……必ず、戻るから」


「ッ……!!」


 残された左手を縋りつくミオの手に重ねると、その手がゆっくりと離れていく。

 その後ろからは、どこか呆れたような、それでいて叱りつけるような視線を感じつつ、ミオの体から離れて一歩を踏み出す。


 先程まで右腕を失った激痛で朧気だった意識も、ゆっくりとだが明確に、はっきりと分かるようになってきている。

 ミオの腰の刺さった剣を借りて踏み出した先では、魔なる物の軍勢が魔剣を警戒する様子で遠巻きにこちらを睨んでいる。だがそれも、魔剣が砂のようになって消えた事が分かったからか、それとも俺が握る剣が変わったからかは判別できないが、じりじりと彼我の距離を詰めてきているように思える。


 その様子を観察しつつ、俺は左腕一本では満足に振る事も叶わないはずの剣を手に馴染ませるため軽く素振りのように振って見せると、魔剣よりも重みは感じるものの、俺自身想定していた以上の動きが可能である事に驚く。


 それもこれも、魔剣が俺の体を作り替えたおかげだろう。

 最終的に魔剣は邪悪な存在だと判明したものの、それでも俺は魔剣を恨むようなことは絶対に無いと言える。この体も、右腕の治療も、そして何よりも、クレイドル部隊を助けることが出来たのは他でもない、魔剣のお陰であることは事実なのだから。

 過去と向き合うための覚悟を決めることが出来たのも、魔剣の力があってこそ。代償である右腕も、元はと言えば俺が望んだ事。恨みこそしない上に、感謝してもしきれないくらいの恩が、魔剣にはあった。



「これが、俺が望んだ結果。望んだ先の未来だ、って言うのなら――」



 英雄になれない俺には、魔剣も無いこの状況を生き抜く術は、無い。


 だが、クレイドル部隊を、俺の家族を守り抜けるのであれば、喜んでこの身を盾にしよう。喜んで命を削って足掻いて見せよう。


 だから、魔物ども――。



「――1匹たりとも、俺を抜けると思うなよ」



 人の言葉が伝わるとは思ってもいない。

 嘘でもいい、ハッタリでもいい。

 全ては、守りたい、と決めた「覚悟」の名の下に。


 左腕一本で、魔なる物を、一体でも多く屠るために。






 * * * * *






 ――どれくらい時間が経ったことだろうか。


 クレイドル部隊がいた場所から遠く離れた場所で、俺は今も血に塗れ、血肉を貪り、戦っていた。


 左目は潰れ、脳漿は漏れても尚、俺は握った剣を手から離すことなく魔なる物を屠り続ける。

 最早立っている感覚も薄れてきて、ほとんど感覚のみで魔なる物を切り刻んでいる。


 俺が今こうして戦えているのは偏に、魔なる物の限界が近いから、と言うのが大きいだろう。

 黒い雨の効果による活動限界を迎え始めた個体は、死に際の力を使って俺を殺そうと迫り来る。ただそれだけでも、立ち上がるのも難しい状態のクレイドル部隊には危険であるため、俺は移動を続けながら戦い続けていた。

 俺の通った道には、切り伏せられた死体や、限界を迎え沈黙する魔なる物の死骸が並んでいるのが分かるが、それでも魔なる物の数は減ったようには思えない。


「――は?」


 だがしかし、終わりの見えない戦いの中で数ある英雄が不意に緊張の糸が切れる、と言う話を何度も耳にしていた俺は、こんな状況の中で突如として生まれて初めてそんな経験をしてしまう。


 ガクん、と腰が抜けたかのような感覚を受け、俺は思わず尻餅をつく。

 それは何かに足を取られたとか、雨と血でぬかるんだ地面に滑ったとか、そんなんではない。

 訳も分からず力が抜け、踏ん張ることも叶わずに俺は地面と接してしまう。


 当然、死に物狂いで殺しにかかって来る魔なる物がそれを見逃すはずもなく、魔剣に気を取られた瞬間と同じ光景が残された右目に映る。


 そうして身に迫る牙、爪、拳、嘴に対して、最後の抵抗を図って、血糊がべったりと付着した剣を構えようとしたその瞬間――。




 ――大地が切り裂かれた。




 魔なる物が連なる、犇めき合う大地が、一瞬にして切り裂かれた。そうとしか表現できない光景が、現象が、目の前で起こっているのを、俺は呆然と見受けることしか出来なかった。


「……は?」


 何せ、地平線も確認できない程に、終焉の名の下に集められ、召喚された魔なる物でいっぱいだったはずの禁足地に、いつの間にか地平線が見えるまでに魔なる物の集団と言う名の大地が切り裂かれているのだから、そんな変な声も出ると言うもの。


 そしてその次の瞬間には、俺の周囲を囲んでいた魔なる物が次から次へと弾き飛ばされていく。

 その間、僅か一秒とかからない、コンマ以下の世界で起こった出来事に、俺は理解が及ばない。



 ――しかし次の瞬間には、俺はそれをしでかした人物に唇を塞がれていた。



「――ッ!? んむぅぅぅうう!?!?」


「――師匠! 師匠師匠師匠師匠師匠師匠ししょう師匠師匠師匠師匠師匠師匠師匠師匠師ししょう匠師匠師匠師匠ししょうししょう師匠師匠師匠師匠師匠師匠師匠師匠師ししょう匠師匠師匠師匠師匠師匠師匠師匠師匠師匠師匠師匠ししょうッ!!!!!!!!!!!!!!!!」



「っぷぁ!? ま、マイン、か……!?」



「はい!! 師匠! ……いえ、ザックさん!! 愛しています!!!」



「ちょっ、待て――んんっ!?!?!」




 疲労困憊を通り越して死に体だった俺の体に跨るようにして現れたのは、一年前とは見違えるほどに美人に、可愛らしく成長したマイン。世界中で知らない人はいないであろう、大英雄が、俺の血塗れの顔面を気にも留めずに唇を重ねてくる。

 んむんむ、と唇を啄むような可愛らしいキスから、舌で唾を絡め取るような口内を蹂躙するキスまで様々なキスを試すように繰り返す。それだけならまだしも、マインは何を血迷ったのか俺の下腹部にまで手を伸ばす。

 何を隠そう、人の生存本能、種の存続をかけた本能と言うのは恐ろしいもので、俺のオレは体の損耗とは裏腹にどこよりも元気になってしまっているのであった。




「さぁザックさん。青空の下、僕と子作りを、既成事実を――」


「ま、待て待て待て待て!!!??? マインお前、どこから来たんだ……!?」




 フェインの話が正しければ、大英雄マインは魔王を討伐するために魔王の住処にいるはず。

 そしてその場所はここから数か月はかかる場所にあるはずで……。

 俺のあらぬ姿が魔なる物に、他の誰かに見られるのを防ぐために、力では敵わないためなんとかしてマインの暴走を止めるべく尋ねると、マインはあっけらかんとした様子で答える。


「魔王の所からです。走ってきました! では早速ザックさん――」


「ま、待て待て待て待て!!!??? 他にも魔なる物が、だな――」


「あぁ、アレは他の人がどうにかしますからザックさんは気にしなくて大丈夫です。今は他の事よりも、僕だけを見て、僕だけを感じて下さい。――あぁ、ザックさんザックさんザックさんザックさんザックさんザックさんザックさんザックさんザックさんザックさんザックさんザックさんザックさんザックさんザックさん……!!!!!」


 何やら変なスイッチを入れてしまったかのようで、マインは血塗れの俺の体に顔をすり寄せたり、口を近付けたりしていた。そんなマインを引き剥がす力も、真似も出来ずに、俺はただ為す術なく仰向けにマインを受け入れたやる事しか出来なかった。

 こんなにも偏愛気質(ヤンデレ)になってしまったのも、俺が正式な別れを告げずに、一方的に去ってしまったからであるとするならば、俺には受け入れる責務があるはずだから……。村にいた時は別にそう言った仲では無かったし、ただの保護者であっただけなんだが。


 そんな事を考えていると、遠くから俺を呼ぶ四つの影が視界の端に映る。


「ウォルザック生きてる~?」

「キリエ、不謹慎だよ!? ザックさーん!」

「ザック、どこだ!?」

「……居た! ザック、無、事……?」


「こ、これには深い理由があって、だな……。あぁそうだ、ミオ、剣を駄目にして済まない。今度代わりの物を――」

「……ミオ? 貴方が、ミオさんですか」



「「「「――だ、大英雄マイン!?」」」」



「ザック、どうして大英雄マインがここに……と言うか、お前にくっ付いているんだ……?」

「それには深い理由が、無くも無いんだが……」

「あはは、ウケるんですけど」

「わ、笑えないよ。ってことはこれも全部大英雄が……?」


「貴方がミオ。ミオ・ウィングリーですか?」

「は、はい、そうですけど……。大英雄様は()()()ザックと()()()()だったんですね」

「違いますよ。僕はザックさんと結婚するんです。これから子供を作るところなんです。あっち行っててもらえますか?」


「――んなぁっ!?」


「こっ、こここ、子供!? ――そ、それなら、私もそのつもりですけど!? 先に知り合ったのは私の方ですから!!」


「ミオも張り合わなくていいから……!」


「知り合った順番なんて何の根拠にはならないですけど?」

「なら、私はザックの黒子の数だって知ってますけど」

「僕は逆です、ザックさんには体の隅から隅まで知られていますけど?」


「ぐぬぬ」

「ふふん」



「――お、お前ら、いい加減に……ぅぐ」



「ザックさん!?」

「ザック!?」


 マインの登場に、突然のキス。

 一段落付いたかと思えば、クレイドル部隊――主にミオ――との対立。


 緊張の糸が解けるには十分すぎる条件を前に、俺は思わず全身から力が抜けて、遂に左手から握っていた剣が落ちる。

 それは傍から見れば首が落ち、気を失ったかのようにも思える状態。そんな俺を見て本気で焦ったのは他でもないマインだった。


「――嫌だッ、死なないで、死なないでよザックさん! ……僕頑張ったから、もう我儘言わないから、ずっと一緒に居たいのに……! ザックさんは僕の全てなんです、だからッ、だから死なないでザックさん……」


 心拍もあれば脈もある。それをきちんと確かめればいいものを、マインは焦ってばかりで俺の頭を抱いて涙を流す。

 そんなマインの頭に、俺は指一本動かすのも辛い状態の中で、残された左手を持ち上げ手の平を乗せる。そうして、もしマインに会う事があれば言おうと決めていた言葉を口にする。


 再会するかどうか、迷っていたのは所詮ただの言い訳に過ぎない。俺はただ、クソガキから大英雄になったマインに、もっと前からこう言ってやりたかっただけだったのだと、口にしてから思い至る。





「……良く、頑張ったなぁ。マインは、本当に良く頑張った。お前は、俺の誇りだよ――」





「――うっ、うぁっ……、ああぁ……、うわあああああああ――」




















 ――その日は、穏やかな風が吹いていた。


 大英雄と呼ばれ、第二次人魔大戦に終止符を打った最強の少女が泣き叫んだことを、知る人は少ない。

 その涙は、いつの日かのように冷たく悲しい涙ではなく、心から溢れた温かな涙であった。

 ずっと欲しかった言葉は、万の称賛よりも価値があり、大英雄の少女は大いに泣いた。その鳴き声は風に乗って攫われて、僅か五名の真のクレイドル部隊のみが知る宝石のような涙であった。



 その涙でもって、第一次人魔大戦から続いた、全てを諦めた男と大英雄の話は終わる。



 この後、全てを諦めた男は、大英雄とクレイドル部隊の女神と呼ばれる女性の二人と結ばれる。子宝にも恵まれ、様々な困難を共にしながらも、幸せに、永き時を愛し合って生きたと言う――。












フェインが良いヤツ過ぎて多分連載になったら真っ先に殺されると思う。


ファンタジーはやっぱり最高。ワクワクさせられたら嬉しいです。

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