すれ違う流れ
美琴と出会ってから数年後、僕は死神の禁忌、掟破りを2つしてしまった。
1つは、儚き命である人間を愛し、妻とした事。
これにはいくつかの条件がついた
・時の流れから目を背けることなかれ
・祈祷の力を妻に使うことなかれ
・妻の死後は自らの手で導くべし
などだ。
周りにいくら反対されようとも、祈祷神の地位を目当てに近づいてくる多くの者達より、素直で、誰にでも同じように接する美琴が暖かく、とても居心地が良かった。
条件のことは美琴にも話したが、「大丈夫」と無邪気に笑っていた。
もう1つは、人の寿命を伸ばしてしまった事だ。
ある日、美琴から泣きつかれ、話を聞いてみると、90代の祖母の病状が思わしくないのだという。
充分長生き、だとも思うが、普段は明るい彼女の初めて見せる涙にいたたまれない気持ちになり、自分の寿命と引き換えでもいいと言うものだから、その決断が善なのか悪なのかの判断がつかず、口ごもった。
そして僕は、僕の寿命と引き換えにして、祖母の寿命を数十年伸ばした。
千年以上の時を生きる死神にとって、たいした数字ではないのだが、病状も回復して退院したようで、美琴はこれ以上ないほど喜んでいた。
夫婦となって、美琴と共に人間道で暮らすようになってから時は流れ、少しづつ、少しづつ、すれ違っていった。
僕は20歳までは人間と変わらず、1年づつ成長し、それからの見た目は変わらない。
人間である美琴は、1年づつ確実に歳をとってく…
何年たとうと僕の愛は変わらなかったが、美琴は寂しそうな
顔をすることが増えていった。
美琴と夫婦になって、30年程たったある日、僕は彼女の祖母に呼び出された。
目の前には、シャキッと背筋を伸ばし、凛としていて、気品のある印象の老女が正座している。コホンと咳払いをしてから、神妙な面持ちで話始めた。
「来てくれてありがとうね〜、朔さん。」
少し雰囲気を和らげて、「あのねぇ、私の勘違いだとしたら、本当に申し訳ないのだけれども、あなた、なにか不思議な力を持っておられない?」
おっとりとした口調だが、全てを見透かすような真っ直ぐな瞳に捉えられ、真実を言おうとして、信じて貰えるか迷い、黙り込むと、義祖母の方がゆっくりと口を開いた。
「いやぁねぇ〜、私の夫が霊感の強い人で、一緒にいた頃は冗談だと思っていたのよ。でもねぇ…」少し遠くを見てから、義祖父の遺影に目配せして、続きを語る。
「私が瀕死の時に三途の川の向こうに夫と、川を行き来するあなたの姿が見えたのよ。最初は偶然だと思ったわ。
それが、目が覚めてからというもの、体が若い頃のように軽くなって、かれこれ125歳。ここ30年、風邪ひとつひかないんだものおかしいと思うわ。そこで、おじいさんの話を思い出したのよ〜」どこか楽しそうに、言葉を紡ぐ。
意を決して、真実を告げる。「義祖母さんのおっしゃる通り、僕はこの世の者ではありません。そして、貴女の寿命を数十年延ばしました。」深々と頭を下げると、
「謝ることはないわよぉ、ただねぇ、もしそうなのだとしたら、そろそろおじいさんと同じ所に行きたくなってくるのよね。長生きは良いことだけれど、不死のように平均的な人の寿命を大きく越えてまで生き続けるのもねぇ、違う気がするのよ。最近では、近所の子供達に妖怪扱いされるのよっ!
だから、死ぬのは怖いけど、お願いします…」
静かだが、覚悟が伝わるような、しっかりとした声だった。
部屋の空気がしんとした静寂に包まれた。
「なぜ、」飲み込もうとした疑問の言葉が、不意に出てしまった。
「死があるからこそ、生が尊い、というものよ。さ〜て、ふふっ、そろそろ入ってらっしゃいな。美琴。」
襖に手招きすると、不意に美琴が現れた。
「今の話、聞いていたでしょう?そういうことよ。」
義祖母は美琴にふっと笑いかけて、彼女を優しく抱き閉めてから、僕を見て、「ど〜せ、この子に頼まれでもしたのでしょう?たぶんそうかと思って、私が呼んでおいたの。」
美琴は、別れを察し、義祖母の膝に突っ伏して泣き崩れている。そんな美琴の頭を、義祖母のシワだらけの手が往復している。
言わずともわかっているとでも伝えているかの様に。
「さぁ」僕を真っ直ぐにしっかりと見つめ、 義祖母はゆっくりと頷いた。
ゴクリと唾を飲み込んで、「はい。」とだけ答え、儀式を始めた。「命の流れよ、我の願いを聞き入れよ。祈祷神朔の名の元に、我の寿命と引き換えに繋ぎし者の命を、本来の流れに戻し、永遠の眠りへと誘いたまえ。」
義祖母が落魄の光に包まれてゆく。
祖母の手の力が、どんどん弱々しくなっているのを感じ、美琴は祖母を強く抱きしめ、手を擦り暖めようとする。
義祖母は穏やかな笑みを浮かべ、擦る手をそっと遮る。
美琴は義祖母を見つめ、精一杯の笑顔を浮かべる。
義祖母は、ゆっくりと静かにこときれていった。
眠っているかのような、安らかな死に顔だった。
しかし、僕の役目はまだ終わっていない。
霊体となった義祖母の手をとり、あの世へ送ろうとする。
ふと視線を感じると、美琴がこちらをじっと見ていた。
(本来ならば生きている人間を連れて行っては行けないのだが…)「一緒に、来るか?」戸惑いがちに笑いかけると、勢いよく頷き、反対側の手を握った。
「まさか自分が幽霊になるなんてねぇ、おじいさんの見る力を、美琴も持っていたなんて、」美琴の顔を覗き込み義祖母はクスクスと笑った。美琴も似たような笑みを浮かべた。
三途の川へ行くと、「あらっ!おじいさーん!」少女のように手を振りながら、義祖母が駆け出した。
(すぐに転生せず、身内が来るのをあの世で待つものもいるが、どうやらそのようだ。)
美琴も「おじいちゃん!!」と驚いたような声を上げ、飛びついていった。
義祖父は目を見開き、「美琴!?まだこっちへ来たらなんねぞ〜!!」とわしわしと頭を撫でてから背中を押して帰らせようとしている。
そして、義祖父に軽く挨拶をした後、二人は輪廻の輪の流れに乗った。
「死というものがなければいい、あるからこそ人は美しい、か…どちらが正しいのか」僕は一人呟いた。
美琴が僕を見つめていた事に気づかぬまま…
それから更に時は流れ、種族の違いからか子宝に恵まれる事なく、美琴と夫婦になってから70年の時がすぎ去った。
そんなある日、いつものように帰宅すると、美琴が出迎えて来ない。慌てて部屋へ行くと、美琴は既に息絶えており、魂の姿も見えなくなっていた。
それから葬式の間中も、その後もずっと、美琴が姿を見せることはなかった。
「何故だ、美琴。どこにいるんだ… 」
雨はすり抜けていき、冷たさを感じはしないが、打ちひしがれた気持ちを更にどんよりと、暗く沈ませた。