紀伊國
・紀伊国
紀伊国の風俗不健儀第一にして、陽気甚だ卑しく、上としては下を貪り、下は上を侮り、法令を不入して、更に言語に絶り。
(紀伊国の風俗は不律儀が第一で、表立つ性格は非常に卑しく、上の者は下を食い物にし、下の者は上を侮り、法令を受け入れず、もはや言葉も出ない。)
牟樓・日高・在田郡の人別而我慢にして、意地を強く立るかと思えば、亦弱くして、詰る処の奥意不極して、譬ば昨日味方たりし人の弱みなれば、今日は亦敵となり、其従う処の人に大事あると見れば、流石本へも帰る事を恥じ、頭なしの一揆をも企る如くの風俗言舌に顯然として備れり。
(牟樓・日高・在田郡の人は特にわがままで、意地を強く張るかと思えば、意地弱いところもあり、つまり心中定まらず、例えば昨日味方した人が弱くなれば、今日は敵となり、その従っている人に大事があるとみるや、流石に元に帰る事を恥じて、指導者の居ないままに一揆を謀るかのような風俗が、物の言い方にあからさまに存在する)
因玆見之は、郡々に名主と号し、庄司殿と是を呼て、是を主君の如く仰ぎ、勢を得る時は是を先立、後るる時ともに従て蟄居するの類、治承の乱時よりして聞伝。
(こうなるのは、郡々に名主と自称する者が居り、これを庄司殿と呼び、主君のように仰ぎ、勢いがある時は先頭に、後退する時は従って蟄居するようなもので、治承の乱の時から聞き伝えられている。)
其ありさまを見るに、誠に思い当れり。
(その有様をみると、本当にそうだと思い当る)
其気の片食えなく、不頼事挙て難云。
(その気は軟弱で、頼りにならなず、どいつもこいつも何事も何とも言い難い)
偖亦伊都・那賀・海部郡の人は南郡よりは気柔なり。
(ところで伊都・那賀・海部郡の人は南部よりは穏やかである)
然れども差掛りたる意地のみにて、是も詰りたる心微塵も無之といえども、善悪を知りて、多くは悪意に従う程の儀は無之と見えたれども、欲深きこと日本にも双ふ国有間敷なり。
(しかしながら中途半端な意地しか無く、これもまた最後までやろうとする心は微塵も無いと言えども、善悪を知り、大半は悪に従う程の事は無いと思うが、欲深い事は日本に並ぶ国はないだろう)
都而武士の風俗身を上分に持なし、常に饗応を盡して放逸を不知。
(全ての武士は自分の身分を高いものとして、常に贅沢を尽くして放逸という言葉を知らない)
唯心の行處に従て、利口を面前に顯し、健儀と云こと、実と云ことを露ほども不用して、而も武の翫ぶ處のことをば如形雖務、終に無実して、其業数を覚て恥らかすの人千人に九百九十九人如此。
(ただ、心の行くままに従い、利口であることを表に出し、律儀という事、誠実という事を露ほどに用いず、しかも武芸を弄ぶかのように行い、終には誠実であることも無く、あの世で悪業の数を知り恥をかく人が千人に九百九十九人はそのようである。)
両伊・両丹・石州の五ヶ国よりは意地強し。
(伊勢・伊賀・丹波・丹後・石見の五ヶ国よりは意地が強い)
碁石・蕨・蒜は吉。
(碁石・蕨・蒜は吉)
・超意訳
紀伊の国の人は不義理で卑しく、上は下を食い物にし、下は上を小馬鹿し、法律は守らないし、もはや言葉が出ない。
南部の人は特にわがままで、意地を張ったかと思えばすぐに覆す。
例えば強い方に味方しようと昨日今日でコロコロ旗色を変えるが、味方のTOPが大コケしたら、それはそれで恥ずかしくて帰ることは出来ないと、TOP不在のまま無理矢理になんとかしようとする風が口々に表れている。
こうなるのは各村でお山の大将を気取って居るやつと、それを祭り上げている連中が居て、進むも下がるも仲良く一緒だからだろう、源平の頃もそんなのだと聞いたが本当だね。
軟弱で頼りにならない事といったら、もう何と言っていいのやら。
一方北部の人は南部の人よりも穏やかである。
でも中途半端なやる気で、最後までやり抜く気はこれっぽっちも無く、悪人ってわけじゃないが、欲深さは日本一。
武士は『自分は偉い』と贅沢三昧で、放逸(道徳を外れる事)という言葉を知らんらしい。
ただ欲望の赴くままに、小賢しさを隠そうともせず、律儀や誠実なんてものは使いもしない。
武芸は遊び半分で、最後まで誠実さを弁えず、あの世で自らの過ちを恥じる可能性は99.9%だろう。
それでも、伊勢・伊賀・丹波・丹後・石見の五ヶ国よりは意地がある。
碁石・蕨・蒜は良い。
・私評
安定の人国記、酷評の嵐である。
戦国時代に目立った大名が居ない国は、紀伊国の他は伊賀国であったように記憶している。
どちらも『欲深く・誠実さが無く・猜疑心が強い』ように書かれている。
なかなか人国記も的を射ているのではあるまいかな?
・一言要約
わがままで欲深




