山の中の駅
友達のケイスケに山登りにいこうと誘われた。ケイスケは登山部に所属していて、最近も何とかという難しい山を踏破したと自慢していた。
山など小学生いらい登っていない。僕がそういうと、初心者向けのハイキングコースなので心配するなとケイスケはいう。暑さにかまけて夏らしいことを何一つしてこなかった僕である、たまにはいいかと思い、一緒に行くことにした。
当日は雲一つなく、良く晴れていた。日差しはまだまだ強かったが、お盆も終わり、心なしか空気は、秋の気配を漂わせている。エアコンのきいた部屋に閉じこもっていた僕には、どこかに夏を置き去りにしてきた気がして、切なさを感じた。
「だから引きこもってばかりいないで、たまには外に出ろよ。本ばっか読んでても仕方がないだろ」
「そんなことを言ったって、僕はもともと出不精だし、それに本を読むことだって論文の材料に……」
「言い訳するなよそ。それより、ほれ、これが今日のコースだ」
ケイスケはバックをかき混ぜると、パンフレットを取り出した。見ると、尾根に伝いに赤線が引かれ、ご丁寧に距離と目安となる時間まで書かれている。
「小学生だって歩けるコースだ。出不精のお前だって、簡単に踏破出来るさ」
馬鹿にするなよ、と僕は言ってみたが、足腰に自信がないのは事実である。
上野から電車に乗った。僕は暇つぶしにパンフレットを読んだり、窓の外を流れる景色をみたりして時間を潰した。
二時間ほどかけて群馬までやってきた。駅前からバスに乗り、三十分ほど揺られると、お目当ての山についた。
どうよ、というケイスケに、悪くないね、と僕は答える。ただ、一つだけ気になるのは、木々ががまるで、威圧でもするかのようにバス停まで迫っているという事だ。それは息苦しいほどで、こんな中に今から踏み込んでいくのかと思うと、僕は不安を感じた。
「ねえ、この山、大丈夫なのかな」
「パンフレット見たろ。さあ、行こう」
僕はケイスケについて歩き出した。
一歩森に入ると、そんな不安はすぐになくなった。木々は場をわきまえ、登山道にまで入ろうとはしていなかった。木漏れ日が揺れ、空気はさわやかで、木々の香りを、僕は胸いっぱい吸い込んだ。野鳥の声は耳に涼しく、蝉の声はいくぶん遠くに感じた。
ケイスケは何度もこの山に来ているようで、慣れた足取りですすんでいく。僕には速すぎて、ついていくのがやっとだった。すぐに息の上がった僕に気がつくと、足を緩めてくれた。
「わるいな、いつもの癖で歩いちゃった。次は気を付けるから許してくれ」
「いいよ、運動不足の僕が悪いんだから」
「それもそうだな」
「おい!」
道端に生えている花をめでつつ、先を行くと、小さな沢へぶつかった。時間もちょうどいいので、昼休憩をとることにした。
僕は靴下を脱ぐと、サラサラと流れる水に火照った足を浸した。思わず身を縮めるほど、水は冷たかった。
ケイスケも靴を脱ぐと、濡れるのも構わず沢に飛び込んだ。しぶきが僕の方まで飛んできて、文句を言うと、水をかけてきた。やったなと水を掛け合い、二人してずぶ濡れになって笑った。
シャツを岩に広げて乾かしている間に昼食をとった。おかずなんかも交換したりして、まるで小学生に戻ったようだった。誘ってくれたケイスケに、僕は感謝した。
ハイキングを再会した。途中で滝を眺めていると、急に風が出てきて、木々の枝が音をたてはじめた。こりゃ一雨来るかもしれないな、とケイスケが言ったそばから、雨粒が葉っぱを叩きはじめた。
僕たちは慌てて先を急いだ。雨宿り出来るところはないかと焦っていると、補装されている道路に行き当たった。これは幸いと、道沿いに下り屋根のあるところを探した。その間にも夕立は激しさをまし、せっかく乾いたシャツも、またずぶ濡れに戻りつつあった。
ふと、建物らしきものが目についた。駅だった。
何でこんな所にといぶかしむケイスケを急かして、僕たちは無人の改札を抜けると、待合室へ逃げ込んだ。
「いやあ、助かったね」
「そうだけど、こんなところに駅なんてあったかな……」
そう言ってケイスケは、バックからパンフレットを取り出した。
隣でウンウン唸るケイスケをしり目に、僕はぼんやりと雨を眺めていた。
そのうちに空も暗くなりはじめ、雷が鳴り始めた。
カチ、カチと駅の電灯がついた。まだ昼過ぎだというのに、あたりは夜のように暗くなった。
「駄目だ、全然わかんねえ。さっきの滝がここだとすると、こんなところに駅なんかないはずなんだがな」
ケイスケはパンフレットから顔を上げるといた。次にスマホを弄りだしたが、結果は釈然しないようだった。
「林業とか、山に従事するひとたちのための路線なんじゃないの。もういいじゃん、こうして濡れずに済んでんだから」
「でもなあ……わるい、スマホかしてくれない」
「いいよ、はい」
「ありがとう。……やっぱりこれも駄目か」
「どうしたの?」
「じつはな、GPSで位置を確認しようと思ったら、エラーが出るんだよ。俺のも同じだった。そんなに深い山ではないはずなのに、おかしいな」
「電波の関係があるんじゃない。すぐに雨もやむだろうし、心配することはないよ。山登りの素人がいうことじゃないかもしれないけど」
「そりゃそうだ」
そういってケイスケは笑った。僕も笑ったが、ケイスケが腑に落ちていないのは明らかだった。
そんな僕の目論見は外れて、雨はなかなかやんでくれそうになかった。勢いも増していき、今では叩きつけるように降っている。風向きによってはしぶきがかかるので、僕らは角に移動した。
僕は本を読んで過ごしていたが、ケイスケは手持無沙汰のようだった。
……と、雷が鳴った。駅の明かりは消え、キーンとという耳鳴りとともに、ビリビリと衝撃が待合室まで伝わってきた。どうやら近くに落ちたようだ。
あたりま真っ暗になった。隣に座るケイスケの顔さえみえないほどだった。
「おい、いるか」
「いるよ」
そんな無意味なやり取りを交わしていると、雨脚が少し弱まってきた。
ケイスケは小便だといて、スマホのライトをつけると濡れるのも構わず外へ出ていった。
どれくらい時間が経っただろう。しばらく待っても、ケイスケが帰ってくる気配はなかった。こんな天気だ、もしや脚でも滑らせて怪我でもしたのでは……いい加減心配になり、探しに行こうかと腰を上げたところでケイスケが帰ってきた。
「遅かったじゃないか、心配したよ」
「……ああ」
ちゃんと手は洗ったかとふざけて聞いてみた。しかしケイスケは無言のまま、何も言ってこない。
あれ……と僕は思った。どこか雰囲気が違う。普段のケイスケなら、軽口にのってくるのに、まるでそんな気配はない。
暗闇の中で、はー、はー、という相手の息遣いがやけに耳についた。
僕は息をのんだ。もしやこいつ、ケイスケじゃない……
はっとした瞬間明かりがつき、同時に水を滴らせたケイスケが待合室へ入ってきた。
絶句する僕をしり目に、ケイスケは僕の隣に座り込むと、深いため息をついた。
「なあ……ここの向かい、なんだか知ってるか?」
「そんなことより、ケイスケ、さっき帰ってきたんじゃないのか?」
「は?」
「だから、さっきの停電中に……」
僕は先ほどあったことを説明した。
「そんなことあるわけないだろ、だって俺、お墓にいたんだから。見ろよ、墓をみていてずぶ濡れだ」
「お墓?」
「この向かい、お墓なんだよ」
僕は背筋が寒くなった。
「やめろよ、そんな冗談」
「冗談なわけあるか。だったら見てこいよ、山の斜面びっしり墓石が立ってるぞ」
言い合ったところで仕方がなかった。
あれは僕の気のせいだと思うことにしたが、何者かが隣に座った生々しい感覚は残っている。勘弁してくれよと思った瞬間、また雷がなって、明かりが消えた。
僕たちはしばらく黙っていた。ザーザーと、雨の音だけが存在感をもって僕の耳に届いてくる。
「なあ……さっき話を聞いて思い出したんだけどさ、こんな話、知ってるか?」
ふいに、ケイスケが口を開いた。
「雨の日にさ、駅の待合室でまっていると、誰かが訪ねてくるんだよ」
「やめろよ……」
「でも、見えないんだ。誰もいないんだ。誰もいないはずなのに、確かに誰かがいるんだよ。気配はあってもさ、姿が見えないんだ」
何故か僕は……その話を知っていた。ケイスケが黙り込むと、僕は後をついだ。
「誰かが呼ぶ声がすんだろ、おい、おいって」
「やめろ」
『おい、おい』
「なんだよ、なんてそれに答えちゃうとさ……遮断機が下りて……やってきて……」
雨音に混じって、遮断機の音が聞こえ始めた。カンカンカンカンと鳴ったとおもったら、何かが……
気がつくと、すでに雨はやんでいた。夕焼けが待合室へ差し込み、ひぐらしが物悲しい鳴き声を立てていた。
ケイスケはすでに起きていて、スマホをいじっていた。
僕に気がつくと、早く行こうといった。こんなところには居られないと、僕を急かした。
待合室を出て、僕は息をのんだ。あたりは草が絡み合い、廃線なのは一目瞭然だった。これでは明かりだってつくはずがない。
だったら、僕たちが過ごした駅は……
僕の疑問が口から出るよりも先に、足が動いていた。改札を抜けると、そこはケイスケが言っていた通りお墓だった。長らく手入れもされていないのか、草は生い茂り、なかには倒れている墓石まであった。
ケイスケは青ざめていた。僕もはたからみたら一緒だったろう。
二人で手を合わせると、速足でその場を後にした。
道路は傷みが激しく、使われなくなって随分経つのだろう。このまま下るよりも、戻った方がいいと判断して、駆け足で登り始めた。幸い、登山道はすぐに見つかった。
無事下山できたのは、運が良かったからかもしれない。




