91. とある貴族の末路
ファラダス王国の東南に位置するヴェネット伯爵領。
そこに足を踏み入れた旅人風の男が顔をしかめて呟いた。
「こいつぁひどい」
以前訪れたときは賑やかだった大通りは閑散としており、大通りから少し外れた小道では職も家も失った者で溢れかえっている。路地裏では犯罪が横行し、以前は活気に満ちていた人々の顔はどこか生気がなくなっている。
「いくら周辺に魔物がいなくて安全でも、こんな不経済で死んだ街になんか住みたくねぇなぁ」
ヴェネット伯爵領内およびその周辺には魔物がいない。どんなに探しても小型の魔物一匹すら見つからない。
どこの国でも、食料は魔物が中心だ。その食生活の要である魔物が領内からいなくなったのだから、当然経済が圧迫される。自然と物価が値上がりし、人々の生活が苦しくなっていった末にこのような光景が日常と化したのだ。
食事だけでなく、それ以外でも魔物の素材を利用した物が圧倒的に多い。魔物が関わる全ての業界が大打撃を受けていた。
「あ、あんた……!小麦粉買わねぇか?他の店よりは安いぞ!」
「はぁ?銀貨8枚?買う訳ねぇだろ」
「そこをなんとか……これでも限界まで安くしたんだ……っ」
店の近くを通り掛かった旅人が店主に捕まった。必死の営業も虚しく、旅人はさっさとその場を離れてしまう。
「そりゃ相場の何倍も高いもん買う気にゃならねぇわな」
静観していた旅人風の男が再び呟く。
通常ならば銅貨2枚のものを銀貨8枚とは……ぼったくりにも程がある。
この街の経済状況を考えたら致し方ないことだし、商売人も生活がかかっているのは分かるが、それでも買う人は皆無に等しいだろう。ここで買うくらいならば、多少距離があっても別の街に買いに行った方が断然安い。
「まぁ、前のこの街を知ってっから同情も何もねぇけど」
目深に被ったフードからちらりと覗くその瞳には、酷く冷淡な光が灯っていた。
以前のヴェネット伯爵領では動物の売買が主流だった。それだけならばまだしも、裏では獣人の密売や闇オークションなどが密かに行われていたのだ。
ハーフとはいえ、同じ獣人として到底許すことなどできない。故に、この街の住人がどれほど悲惨な目に遭っていても、ざまぁみろとしか思わないのだ。
「原因の伯爵に不満が殺到、領民も続々と街を出ていく始末。王都でも似たような感じだったし、あの姑息な伯爵といえどもう逃げられんだろうよ」
隣国の現状をある程度把握し、用は済んだとばかりに死んだ街から視線を外す。
木陰に隠れた旅人風の男は胸元から下が土の中に埋まっている状態で頬杖をついていた手を離し、己の両手に力を入れる。
するとみるみるうちに人の手から形を変えていった。それはまさしく、モグラの手。
「レイとフィードにいい報告ができるな」
モグラの手を駆使して穴を掘りひっそりと地中で移動する彼の姿を見た者は、誰もいなかった。
◇ ◇ ◇
「りょ……領主様!領民が武器や農具を持って屋敷に押し掛けています!」
「さっさと制圧しろ!あまりにも目に余るようなら殺せ!」
「は、はいっ」
豪奢な服を身に纏う高貴な身分の男は今しがた慌ただしく部屋を出ていった騎士に舌打ちする。
「くそっ!」
下手したら壊しかねない勢いで執務机をドンッと叩くヴェネット伯爵。
今、ヴェネット伯爵領は非常に困難な事態に陥っていた。
魔物が現れなくなってからというもの、経済は悪化の一途を辿り、日々の生活がどんどん苦しくなっていった。当然領民の不満は爆発し、今みたいに領民からの突き上げをくらうのはもう何度目になることか。
それだけではない。この街も領主ももう落ち目だと、早々に見切りをつけた部下が何人も辞めていった。しかも優秀で頭の切れる者ばかり。
辞する際の彼らの顔が嫌に脳裏にこびりついて離れない。何故馬鹿にしたような態度を取られるのか。今思い出しても腹が立つ。
どんなに殺気立っても、その怒りをぶつけられる対象はいない。この状況を作った原因の魔道具職人はすでにこの世を去った。自国と隣国を危機に陥れた大罪人として処刑したからだ。
魔素を狂わせる魔道具を思い付いたのは魔道具職人だが、それを作れと命じたのはヴェネット伯爵だ。完全なる責任転嫁である。
魔素を狂わせる魔道具に関しては処刑した魔道具職人に罪を擦り付ければいい。伯爵家お抱えだったので何のお咎めもなしという訳にはいかないが、自分が命令を下したと馬鹿正直に申告するよりずっと罪は軽くなる。
領内に魔物が現れない現象については、隣国に現れた賢者に知らず知らずのうちに敵対行動を取ってしまい、その復讐に魔物避けの魔道具をこの地と王都に埋め込んだと判明して頭を抱えたが、そちらは丁寧な謝罪と共に埋め込んだ魔道具を取り除いてほしいと手紙に認めた。
領民に罪はない、せめて十分な食事を行き渡らせたい、罰を与えるなら自分だけにしてくれ、などと情に訴えるような文面にしたので、絆されやすい彼の国の連中ならば悪いようにはしないだろう。
念のため、密かに売買されていた獣人はできる限り買い戻して祖国に送り届けた。特に、賢者と同じ種族であるノンバード族を重点的に。娘に渡したヒヨコも取り上げて元いた場所に帰した。
「それ私のだもん!」と娘は駄々をこねたが、説き伏せる時間もなかったので部屋に軟禁した。
ヴェネット伯爵に加担していたティグレーノ侯爵にも調査が入ったが、知らぬ存ぜぬを貫き通している。あちらの方が爵位が上なので、自分が何を言ってもあちらの発言が優先されてしまう。
「何故私がこんな目に……!」
第二王子を筆頭に、獣人を毛嫌いするどころか排除したいとすら考える過激派は国内に多い。今回のように獣人王国にちょっかいを出すのは自分だけではない。なのに何故自分だけがこんな目にあうのか。
「あいつのせいだ!あの馬鹿があんな魔道具を思い付いたりしなければこんなことにはならなかった!私は何も悪くない!」
誰もいない執務室に、ヴェネット伯爵の言い訳が木霊する。
本音を言えば、謝罪の手紙も送りたくなんてなかった。
何が賢者だ。たとえ世界に繁栄をもたらす存在だとしても、所詮は獣にも人間にもなり損なった半端者に変わりないではないか。
そんな得体の知れないやつのご機嫌窺いをせねばならないのかと思うと反吐が出る。
「チッ、仕方ない。ほとぼりが冷めるまで大人しくしとくか」
ヴェネット伯爵は諦めてなどいなかった。
一度取り返しのつかないことを仕出かした手前、何がなんでも獣人王国を陥れてやると意地になりつつある。
次こそは獣風情共に一泡吹かせてやると内心息巻いていたそのとき、廊下が騒がしいことに気付く。
まさか我が伯爵家の騎士達が平民に遅れをとったのか?と若干焦ったところで、バァンッ!と扉が勢い良く開かれた。
雪崩れるように押し入ってきた者達を見て驚愕する。
「近衛騎士だと!?」
ここは国境の街。王都からは大分離れている。にも関わらず、タイミングを見計らったように突入してきた。
それはつまり、国王陛下がそう命じたということだ。
あの腰抜け王がこんな大胆なことをするとは思えないが、事実、国王陛下にしか動かせない近衛騎士が目の前にいる。
まるで、こうなることが始めから決まっていたみたいに。
彼が狼狽えている間にも国直属の精鋭騎士がヴェネット伯爵を取り囲む。
「ギデオン・フォン・ヴェネット。国家反逆の罪により貴様を捕らえる!」
「なっ……そんな馬鹿な!国家反逆だと!?そんなもの私は知らん!」
自分が牙を剥くのは獣人王国だけだ。自国に反旗を翻すなど全くもって考えていない。
王都も自身の領地と同じような状況に陥っている。ならばそのせいで勘違いされでもしたか。
だが、どれほど無罪を主張しても聞き入れてはくれなかった。
取り押さえられたヴェネット伯爵は、抵抗虚しく王都に連行された。
◇ ◇ ◇
「ヴェネット元伯爵の処刑は滞りなく行われました。また、娘も無事修道院に送られたそうです」
「そうか。ご苦労じゃった」
後日、ファラダス王国の国王は宰相からの報告を聞いてため息を吐いた。
安堵とも心労ともとれるため息に、宰相が労いの眼差しを送る。穏やかな雰囲気とは裏腹に油断ならない気配を放つのが印象的な老齢の王は、眉間に深く刻まれたシワを揉み解した。
「良かったのですか?あれでも彼は国境を守ってきた貴族でしたのに」
「問題ない。代わりになる人材はいくらでもいる」
何気なく問いかける宰相に、老王はさらりと答えた。
その言葉は半分嘘だ。
代わりになる人材がそこらにいるのではなく、国王自ら育て上げたのだ。
物腰柔らかく、冷静沈着で異常なほど慎重。それがこの老王に対する多くの人の印象で、口さがない者はやれ腰抜けだなんだと陰口を叩いたりするが、それは大きな間違いだ。
一見無駄にも思える老王の判断にこの国がどれほど救われたか、平和ボケした貴族達は知る由もない。
伯爵の件でもそうだ。
本来の罪状は、賢者の意にそぐわぬ愚行を働いて自国を危険に晒したというもの。しかし本来の罪状をそのまま公表すると、下手すれば自国の貴族を処分するのに賢者の存在を利用したと捉えられかねない。なので国家反逆罪へとすり替えたのだ。
「ティグレーノ侯爵の方は?」
「なかなか尻尾を掴ませません」
「想定内じゃの。では、その上は?」
「第二王子殿下は……良くも悪くもお変わりなく」
「そうか。残念じゃ」
老王は諦めの混じった深いため息をひとつ。そして懐からあるものを取り出し、側に控えていた側近に手渡す。
「第二王子は病死した。世間にはそう伝えよ」
「かしこまりました」
毒薬を手渡された側近は主の命令を実行するために退室する。
第二王子は反獣人過激派の筆頭だ。今後、似たような事件を起こしかねない。
危うい芽は早めに摘んでおく。それがたとえ自らの息子であっても。
「第一王子も凡庸じゃし、孫はまだ生まれて間もないし……はぁ、まだまだ玉座は退けんのぅ。老後くらい心安らかに過ごさせてほしいものじゃ」
宰相の前でついつい愚痴りながらも、手元はしっかり仕事をする老王であった。




