『4、教育係』
昼食後、俺は勉強のために王城の北の端にある図書館に来ていた。
本棚が並んでいる風景はどこか懐かしさを感じる。
前世の記憶を取り戻してから、まだ一日も経っていないけど。
ちなみにこの世界では本は高級品らしく、高い物は金貨一枚はするらしい。
日本円に換算すると一冊で十万円ということである。高いったらありゃしない。
そんな本が千冊くらいはあろうかというこの部屋は王城ならではの設備なのだろう。
王族の豊富な財政が無いと、こんなにたくさん本は買えないよね。
俺は誰もいないカウンターの椅子に座る。結局前世でここに座ることはなかったな……。
ここは誰が管理しているのだろうか?
「ちょっと、何でそこに座っているのよ!? というかあなた誰?」
背後から怒鳴り声が聞こえ、振り向くと険しい顔をした女性が立っていた。
真っ青な髪に赤い目をしており、ローブを着ていることもあって魔法使い感がすごく漂ってくる。
「あのね、ここは司書である私の席なの。勝手に座るなんて……」
「す、すみません。勝手な真似を……」
慌てて椅子から降りる。
どうやらこの女性はここの管理者兼司書のようだ。
「名前を言いなさい。執事長のカルスに伝えてやるから」
すごい剣幕で詰め寄ってくる女性。
それにしてもカルス、執事長だったのか。そんな人が俺付きの執事だったとは。
「リレンです。リレン=グラッザド。この度はすみませんでした」
俺が頭を下げると、女性はポカンとしたまま固まっている。
「ど、どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
心配になって駆け寄ると、女性は急に土下座をし始めた。
「すみません! 私はここの司書のミラと言います。どうか不敬罪だけは勘弁してください!」
「不敬罪? 何ですかそれは?」
知らない法律が出てきたな。今度、法律について調べてみてもいいかもしれない。
「不敬罪とは、貴族や王族に対し無礼な行為をしたものを罰せる法律だ。私は正直好きではないが、貴族どもが作れとうるさくてな……」
扉から父上が入ってきた。一拍遅れてカルスも入ってくる。
「む、どうしたのだミラ。そんなところで平伏して……」
平伏しているミラさんに気づいたカルスが訝しげな声で尋ねる。
父上も不思議な顔をしてミラさんを見ていた。
しばらく呆然としていたが、ふと我に返る。
黙っているのはいただけない。無意識とはいえ原因を作ってしまったのは俺なんだから。
「カウンターにある椅子が気になってつい座っちゃったんです。そうしたらミラさんに怒られちゃって」
「まさかリレン様とは思わず、つい無礼な言葉遣いをしてしまったんです」
二人で順番に事のあらましを話すと、父上とカルスは大きなため息をついた。
「それで許しを乞おうと平伏していたのか。とりあえず立つがいい」
「はい。失礼いたします」
ものすごく綺麗な動作で立ち上がるミラさん。
俺の隣に並んだのを確認した父上は言葉を続ける。
「今後、リレンはそのような勝手な行為は慎むように。ちょっとしたことが王族の品位を落とすことにもなりかねない。それはお前にとっても、グラッザド家や王国にとっても不益だ」
父上の言葉に繋ぐようにカルスが声を発した。
「ミラは落ち着いて相手を見てから発言するように。リレン様だったから良かったようなものの、他の貴族令嬢などだったら不敬罪もあり得る行為だったのだからな」
「「はい……」」
うなだれる俺たち二人。
「まあ、今回は二人とも反省しているようだしな。これ以上は何も言わん。そしてリレン、そこにいるミラがお前の教育係だ」
「「え!?」」
二人して素っ頓狂な声を上げる。
「ちょっとお待ち下さい。私はアスネ様とアリナ様を教えるという話ではありませんでしたか?」
「心配はいらない。アスネ様とアリナ様についてはメイド長のジャネが教育係を引き継ぐ」
「はぁ……」
カルスが厳しい口調で告げる。容赦は全くない。
神妙に頷くミラさんを見ていると、なんと父上がなんと追い打ちをかけにかかった。
「あとミラにはマナーの講師もしてもらう。もうすぐお披露目パーティーを開かなければならないからな。もちろんお茶会などで訓練は積んでもらうが、あまり王族が行っても相手を恐縮させるだけだ。よって対人の練習機会は少ない」
「だから、ミラさんにある程度の作法を習ったうえで、確認の意味でお茶会に参加せよと?」
父上の言葉の後半部分を引き取ると、カルスが小さく頷いた。
「作用にございます。リレン様は次期国王として恥ずかしくない振る舞いをしなくてはなりませんからね。そのためには作法はしっかり学ばなくてはなりません」
ああ、こりゃ大変そうだ。前途多難だとは思っていたが、まさか記憶を取り戻してから半日も経たないうちにこうなるとは……。
ミラさんもいきなり責任重大な王太子の教育係に任命され、上手く状況が飲み込めていないよう。
「二人とも、一か月後にお茶会がある。そこで失敗するようなら……分かっているな?」
「アスネ様とアリナ様もご参加されるらしいので、絶対に成功させてくださいね?」
父上とカルスが黒い笑みを浮かべる。もちろん目は一切笑っていない。
俺たちは揃って押し黙ったが、しばらくしてミラさんが恐る恐るといった感じで問いかける。
「えっと……今日からマナーだけということでよろしいので……?」
「そうだな。まずはそれだけでいい。もう少ししたら家族のみでチェックする機会を設ける」
父上の解答に俺とミラさんは揃って顔を青ざめさせたのだった。
お茶会に何度も参加している両親のチェックは厳しいであろうことが容易に想像できる。
つまり、その時までにほぼ完成させなければならない。
もちろん俺たちに拒否権があるはずもなく、「はい」と小さく返事をするしかない。
父上とカルスは黒い笑みを浮かべながら、満足げに頷いていた。
そんな物騒な会話から一時間後。
場所をカウンターからテーブルに移した俺たち二人は、さっそく稽古を進めていた。
「ミラさん、礼の角度はこれくらいでいいですかね?」
「うーん……もうちょい深くしてもいいですね。ああ、それは深すぎです!」
書庫から引っ張り出してきたマニュアルブックと見比べながら指示を出すミラさん。
俺は指示を出しやすいように少しづつ上体を起こしていく。
「そのくらいですね。それでは一分間耐久を始めます。その角度を体に刻みましょう」
「分かっています……これ結構辛いんですよ?」
俺はどこか遠い目をしていることだろう。腰がおかしくなりそうだ。
五歳児の体では体力が無さ過ぎて違和感を感じる。
ちょっと体を動かしただけですぐ疲れてしまうのもその一部。
ちなみにカルス曰く、「魔力切れの倦怠感はその程度のものではありませんよ」とのこと。
絶対切らさないようにしようと決意しちゃったよ。
作法を一通り身につけたら、後はひたすら反復あるのみ。
何回も挨拶やエスコートを練習し、作法が形になってきたら次は会話術の練習だ。
つまらない話をしてお茶会の空気を凍らせないようにという趣旨であろう。
確かに、美味しいお茶が目の前にあるのに場の空気が重かったら台無しである。
ある意味、作法と同じくらい重要ともいえた。
ミラさんとお題を決め、そのお題について会話を進めていく。
この訓練で厄介だったのはミラさんの嫌味戦術だ。
会話の中にさりげなく嫌味を混ぜてくるのだが、これが凄く対応に困る。
下手に怒ってはお茶会が台無しだし、招待者に対して嫌味返しをするわけにもいかない。
俺が対応に窮していると、即座にミラさんからダメ出しを喰らう。
嫌味攻撃の対応を身につけるのに丸四日もかかってしまった。
会話術が終了すると、今度は複合の訓練が始まる。
作法と会話術を混ぜて行う訓練で、どちらか一方がなっていなかったらすぐに終了だ。
この練習が行われているときは、図書館には俺の悲鳴が絶え間なく響き渡っていた。
辛い……。
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