第86話 ミーミルの街
「人が……こんなにも……」
白い輝きを放つ湖を囲む街の大通りらしき道──出店が何店か構えている──に出た途端、テレサが足を止めた。
首を左右に振り、四方を行き交う人を見やる。その観察ぶりは新鮮な反応があり、初めてのものに出会う戸惑いさえあった。
「どうかしたか?」
「いえ、人が多くて驚いていました。街というのは人がたくさん住んでいるのですね」
「このくらい大して……あっ」
そうか。テレサはずっと村にいたんだ。
もの静かで、慎ましい村にずっと住んでいたのだから、この人の多さと喧騒には珍しくて驚くだろうな。だから周りを見ていたんだ。
「少し目眩を覚えました……」
「大丈夫か? そんなんじゃ王都をろくに歩けないぜ。あっちはもっと人が多いんだから」
「王都に行ったことがあるのですか?」
「ないっ。が、ヘリオスフィアの中枢なら人がたくさんいるに決まってるだろ?」
「そ、そうですか。この街は活気がとても良くて素敵だと思います。見たことのないものがあって、ココルとは違った雰囲があります」
人の多さと賑わいだけでなく、通りは凝った造りの構造物が散見し、芸術の都と呼ばれるほどのことはある。そういうところを見れば、確かに新天地に来た真新しさはあった。
ミーミルの光景をまた見つめた後、テレサは踵を返す。
「シンジさんと来て……良かったです」
「お? おうっ」
新しい地を訪れ、知らない世界を見知った彼女の眼差しはひどく穏やかな感情が込められていた。
そんなテレサに見つめられ、照れずにはいられなかった。
(これって、なんだかデートで……って、なに考えてんだ俺はっ)
とっさに出た思考。緊張感ゼロ、いやマイナスの自意識を責める。
二人っきりだけど、これはイザナグゥを目指す旅なんだ! それを忘れるなシンジぃ!
「くあぁぁぁ……っ!」
頭の中の煩悩を打ち消しにかかる。とそんなことは露知らず、妙に動揺する俺に対してテレサは首を傾げた。
「りょっ旅行に来たんじゃないんだからなっ」
「は、はい? 物見遊山で来ていないのは承知ですが?」
「オッケー。それから初めて来た場所には気をつけろよ。ちょっと目を逸しただけで迷子になったりして──」
「おい、そこをどけ」
ぶっきらぼうに退けと指示してきたのは、粗野な印象の否めない男だ。
ムッとしたが、男は一人ではなかった。
男を先頭に、その背後には馬に牽引された荷車が一列を成している。荷車は大きな木箱を大きな荷台に載せて、何処かに運んでいくようだ。
荷車を避け、道を譲る。場所の関係で、荷車の列を間に俺とテレサは左右に一旦分かれる形となった。
目の前を、数頭の馬に引っ張られた荷台が何台も横を歩く者達──警備を行っているらしい──と共に横切っていく。何台もあるんで、横切っていくのに時間が掛かっている。
焦れったい。早く通り過ぎてほしいもんだ。
あんな大きくて重そうな荷物、一体何が入っているのやら。
『──グルァウ』
耳朶を撫でたのは、明らかな異音だった。
「え……」
一瞬だけ聞こえた、この場には似つかわしくない低音。それは運ばれている箱の中から聞こえた。
周りの音が混ざってて、はっきりとはしなかったが、箱の中から獣の鳴き声がした。
幻聴……じゃないよな? なんで箱の中から生き物の声が聞こえるんだ? アレ、何か変な物が入っていないか? 虎でも入れてんのか?
「もっと早く進めっ! 眠り姫が覚めちまうっ!」
一台の荷車に乗っていた一人が前方の仲間に向かって声を張る。やはりアレの中身はタダモノじゃなさそうだ。
不審なものを抱く中、怪しさの香る荷車は全て通り過ぎていき、通り道が空いた。
「何だったんだ……?」
過ぎ去っていく荷車と護衛する集団をじっと見つめる。
腑に落ちないが、それはそれ。去ってしまった以上は預かり知ることじゃないと割り切る。
それよりも、テレサと合流し──
「あれ?」
テレサの姿はそこにはなかった。
荷車が通る直前までいたはずなのに、一片すらも残さずに消えている。まるで神隠しだ。
「お、おい。テレサ……?」
さっと身体の内側が冷たくなる。この時の俺は青ざめていたはずだ。
ど、何処に行った──!?
荷車が通る直前まで居た場所を何度も確かめる。無駄な行為なのは分かっているはずなのに、頭の中がバグったように判断力を失っている。
テレサは一体誰に、何処へ消えていったのか。
短い合間に起きたテレサの消失。手掛かりが無く、捜しにいけようもない。
「おい、そこのあんちゃん」
が、そこは人がたくさん行き来し露店のある場所。近くに構えていた露店のおっちゃんが声を掛けてきた。
「アンタ、さっきお嬢ちゃんといた奴だろ?」
「そうだが……どこ行ったか知ってるのか?」
「お嬢ちゃん、人に連れられて行っちまったよ」
「どこに!?」
「あっちさ。気を付けろ。一般区域じゃ余所者を狙った犯罪も起きているからな」
出店の店主が示した方向を目指し、人混みの中を縫って走っていく。途中、人にぶつかったりもしたが、構わず走った。
姿を消したテレサを追って、街の中を駆ける。
大通りから離れ、場所は賑わいのあったものから閑散としたものへと変わる。
時折水路が伸びるそこは一般住宅の多い区域のようだが、似たような建物が多くて、道もきっちり縦横としたものから複雑になる。
直感に頼って道を進むが、まるで迷路のような場所には敵わなかった。
「これじゃ……俺が迷子じゃんかよ」
息が切れ、脚が悲鳴をあげる。一旦は安め、と身体が休息を求めている。
初めて来た街だから土地勘が……同じ所をぐるぐる回ってる感覚もある。テレサはどっちの方向に消えたんだ?
こうしてる間にもテレサは連れ去られて……。
「お兄ちゃん、何してるの?」
頭を悩ませている俺に誰かが訊ねる。苦しい息を抑えるのとテレサのことで構っていられなかったが、その人物は少女のようだった。
「なにって……人を捜してるんだよ。十代後半くらいで後ろの髪を結んだ女の子なんだ。見なかったか?」
「その人なら右の道に行ったよ。さっき見たもん」
「マジか!? こっちの道だな? よっしゃあ! サンキュ!」
これは運が良い。良い情報が聞けた。
思わず入手した目撃情報に従い、テレサの連れて行かれたであろう方向へ疾駆する──と、少し進んだところでブレーキをかける。
「誰……?」
話しかけてきた謎の少女が気になって振り返るが、人の一人も居なかった。
水路の水面が妙に波紋を作っているが、少女らしき人物は見当たらない。もう何処かに行ったにしてはあまりに速く、隠れるにしても身を隠す場所は少ない。
なんだ、今のは……誰が話しかけてきたんだ?
不自然なことに出会ったが、姿無き少女にいつまでも気には掛けられず、テレサの捜索を続けることにした。
「どこだ……!」
一寸たりともテレサを見逃さないよう見回しながら道を進む。
並び建てられた家の数々から特に目を引いたのは、表の扉の開放している建物。そこだけ少し周りの建物と比べて違う雰囲気があり、ただの住み家には見えない。
こんな所見てても意味無いと判断したのは誤り。その場を去ろうとした足が止まる。
その家の通路の奥には──求めていた人物があった。
「いたぁ!!」
建物の中にテレサが居る。彼女は目の前に立っている人物と会話をやり取りしていて困ってる様子だ。
何故か危険な空気が感じられなかったが、そんな事はどうでもいい。すでに脳内は怒りと興奮に占められていた。
誘拐犯め! とっちめて縄につかせてやる!
「見ーつーけーたーっ‼」
「え?」
「シンジさん!?」
ズカズカと上がり、テレサを連れ去った誘拐犯に迫る。突然の来訪者に相手は目を丸くした。
少し年上辺りの女性。犯罪に慣れていそうな印象は無いが、初見に惑わされて油断してはならない。有事に備えてダガーの柄に手を添える。
「お前だな、テレサを攫ったのは!」
「なになに? 急に何なの?」
「よくもテレサを攫いやがって! 許さねえぞ!」
「攫う? 私が? どうして?」
「とぼける気か! こんな所に連れてきやがって! 正直に吐け!」
「あのっ、シンジさん。落ち着いてください! 私は攫われていません!」
「あぁ……?」
止めにかかったのはテレサだ。
困ってはいるが怖がっている節は無くて、むしろ義憤に駆られてる俺を宥めている。
「この人はシンジさんが考えているとおりの人ではないんです。私に依頼をしているんです」
「はい?」
依頼……?
「そうよ。攫ってなんかいないわ。いきなり来て犯罪者扱いとは酷いわね。誰よ?」
「この人はシンジさんです。先ほど話した、私が所属してるパーティのリーダーさんですよ」
「そうなの。よく見つけたわね」
「親切な子が教えてくれたんだ。けど、どういうことなんだ?」
状況がうまく呑み込めなくて混乱が収まらずにいる。さらに俺達の立っている空間そのものに違和感を抱いた。
「ん……?」
家の中は絵画、彫刻らしきものが置いてある。どれも独特のセンスがあるが、美術の成績が普通の俺でも光るものがあると感じている。
そこは一言で言えば小さな美術展だ。
「なんだ、こりゃあ?」
「あれは私が作った作品よ」
「作品? あんた、誘拐犯じゃないの?」
「失礼な人ねえ。私はデイヴィッド・フィンチ。一流を目指す芸術家よ」
「芸術家ぁ? じゃあこの家って……」
「そう。此処は私のアトリエなの」
脇腹に手を置いてドヤッとする誘拐犯……ではなく芸術家。よく見たら、服の至る所に絵の具の汚れがあった。
アトリエか。でもテレサに何の用があってこの場所に連れてきたのか。
「ん? むむっ……ふーん」
そのフィンチは俺に何を思ったか突然近付いてはじっくりと全身を観察し、思案する。
さらには腕を動かしたり、肉の感触を確かめてきたり……果ては服を捲ってきた。
「きゃあ! フィンチさんのエッチ!」
「悪くはないわね……いえ、これは良いかも。シンジって名前だったわね」
「裏声で●ずかちゃんの真似をしてみたが……何なんだよ。人の身体を触りやがって」
おかしな行動の意味を訊ねると、フィンチは、
「あなた……モデルやってみない?」
「は?」
「モデルよモデル。私の作品のモデルになってくれないかしら?」
モデル……モデル…………モデル!?
「俺がぁ!?」
「そうよ。貴方達二人ともモデルとしてやってほしいの。私に協力してくれるかしら?」
「テレサも!?」
「はい。依頼というのは今お話ししたとおりなんです……」
「なかなかお目にかかれない見た目をしてるから一目見たときピンときたの。形に残していきたいのよ。何日か付き合ってくれる?」
ぱん、とフィンチの手が重なった。
うーん。モデルかぁ。
アトリエにテレサを連れてきたのは、そういう理由があったのか。
「お代は出すわ」
モデル代の金は出すってことか。アイテムを買って金は少なくなっている。モデルをやるだけで金を貰えるなら、モンスターを討伐するより楽チンだが……。
「いやっ、ダメだ。俺たちは旅の身なんだ。長くは留まれないっ」
「悲しいことを言わないで。最近までスランプ気味でやっとインスピレーションが湧いてるとこなの。住み込みで、二階の部屋使ってもいいから。ね? ね?」
行ってほしくないのか縋ってくるフィンチの態度には必死なものが感じられる。騙してるようには見えなかった。
むう、条件は悪くないし。これは困ったな。
まさかテレサを見つけたら、モデルになってくれと頼まれるとは。世の中、予測がつかないもんだ。
自然と顎に手が添えられる。
どうするか迷い、テレサの方を見やる。人の良い彼女も決めあぐねており、どうすればいいか判断を待っていた。
視線を浴びる中、リーダーの意思は二つのうちの一つを選択する。
俺達の決断はというと……。




