第84話 水鏡窟の怪物
河の上流を辿り進んだ先に、ソールから目指すように言われた地を見つけた。
オンディーヌ水鏡窟。
パニティア大陸に存在する地形の一つ。一本の河の上流に存在し、水流を穴の中から吐き出し続けている。
「ここか……」
水鏡と銘打たれているとおり、洞窟の壁面は鏡のような煌びやかな石で敷き詰められている。
なんとも綺麗な洞窟。外から差す光を反射し合う自然物の奥を見据えた。
この奥に、大精神のうちの一柱のアプスがいる……はずだった。
ソールの話では、自身とマーニを除いた大精神全てが消息を断っている。
アプス、ドレイク、ラシルとレシル、ティアマト、パンゲア、エクレール……そしてアンブラ。
真実の全ては明るみになってないが、アンブラに関してはロギニは知っているようだった。
……昨夜の夢に関しては、まだ謎が残っているが。
「やっと来たな……」
これまでの道のりを思い出し、感慨の程を一言に重ねる。
アプスの安否を確かめようと運んだのだが、目的地を前にすれば苦労の甲斐があるものだ。
「あのさ、俺が空から落ちてきたって言ったら信じるか?」
「へ? 空から……落ちる?」
「いんや、ただの冗談さ」
冗談ではなく事実無根のエクストリームな実体験に、テレサはきょとんとする。
ま、普通に考えて空から人が落ちてこないもんな。
そんな微笑ましい一時はさておき、アプスは一体どうなっているのか。そもそもこの奥に居るのか分からないが、まずは確かめてみなくては。
「本当に入って行くんですか? 洞窟の中は危険が多いですし、準備を整えてから行っても……」
「へーきへーき。無理ってなったらすぐ撤退するから」
憂う声を払拭するも、テレサの懸念は確かな一理があった。
入洞するは、たった二名の男女。このような場所でもモンスターは蔓延っている。そのうえ、どんな敵が待っているのやら。
だから入念な準備は必要だ。もしかしたら早くアプスのところへ行きたいという気持ちが何処かにある。
それでも入るのなら、判断を下すタイミングは重要。手に余るような危険なモンスターが棲みついているのならすぐに退避だ。
さあ、アプスの安否を確かめに、いざ入洞だ。
あらゆる危険と障害に気を張らせ、奥へ奥へと進む。水鏡窟の内部は足の踏み場が良く、背丈を超える空間が広がり神秘的な光景が続く。こんなモノ、現世じゃ滅多に見れまい。
「すっげーキレーだなぁー……」
いつモンスターに出くわすとも分からない状況で呑気なことを宣う。不相応なことを言ってしまったが、それ程の不思議な力がこの洞窟にはある。アプスの居場所であるなら成る程と納得を打てた。
「宝石のようですね。ココルの外にこんな場所があるなんて驚きです」
「テレサは外に行った事が無かったのか?」
「正確に言えば、シンジさんと初めて会った日が一度目になります」
ああ、と納得を打つ。あれが最初だったのかと。
テレサはココルの外の世界を知らない。今見ているものは新鮮に映っていて、感動を抱いているだろう。それこそ子供のような無垢に純粋に。
「此処は……アプスさんでしたか。水を司る神様と聞きましたが、どんな神様なんですか?」
「見た目は俺より上ぐらいの若い男でぇ、悪い性格じゃ無いんだが胡散臭いところもあってぇ……」
性格や特徴を教えながら、そういえばあんな事があったなと思い出し、それすらもテレサに語る。トールキンが誕生する前の、わちゃわちゃした出来事を聞いたテレサは面白そうに笑ってくれた。
「不思議な感覚です。神様たちがシンジさんと一緒に……まるで家族のようですね」
「そうかぁ? アイツらいっつも騒がしくてなあ」
「神様を創造する……そんな事、私には考えつかない行いです。でも、その人達がいたから私達の世界は形作られたんですよね?」
「そうそう。最初に『無』があってな。それで大精神が来て完成したってわけ……って、よくよく考えたらアイツらのおかげで出来上がったんだよなあ。俺は元を創っただけ……」
「素晴らしいですね。ソール様も、シンジさんも」
「お、おおっ。それはどうも……ちょっと照れくさいな。でも、そう言われちゃオリジンさんも頑張った甲斐があるもんよ。──ん?」
硬い地面を蹴り鳴らす足音は、ある地点で止んだ。
「此処は……」
大きく開いた空間。先には水流を吐き出す源となる地底湖がある。河を構成するほどの水は、あの下から湧き出しているようだ。
「進める道はありませんね。これ以上は行けません」
「じゃあ、この場所が最終地点ってことか?」
その空間は、アプスが居たと考えれば相応しい場所と認められる。だが、この地に座したであろう肝心の主は居なかった。
「おーい、アプスー。俺だぞー」
呼び掛けるもアプスは一向に姿を見せず。反響する声に応じることはなかった。
場所を移動して、テレサと手分けしてそれらしいものを探す。けれども進展は得られない。どんなに出てくれと心中で願っても無駄に終わる。
本当にロギニにどうにかされてしまったのか、または別の場所へ移されたとか?
彼が見つからない以上は一旦撤退して、改めて……
「あれは何でしょう?」
否。進展はあった。
奇妙なものを見つけたらしく、テレサが一点に指先を留める。
指されたそれは確かに不自然で、どう見ても神秘的な光景には場違いなものだ。
「なんだ、こいつは……」
「不気味ですね」
地面に紋様らしき図が敷くように描かれている。これは……【魔陣】か?
ロリっ娘と行動を一緒にした時に見たものとはまた別の、明らかに用途が異なっていそうだ。確証も判別する知識も無いが、勘がそう訴えている。
何の為のものだろう? この地に何故こんなものがある? アプスと何か関係しているんだろうか?
「あ、危ないですよ?」
危険を予測しつつも円陣に手を伸ばし、そっと触れてみる。
すると──それはスイッチが入ったように呼応して輝き、いきなり物体をにょきりと生やした。
「ごぶっ!?」
下から迫ってくる物体が、ガツンと顔面に衝突。おまけに背中から地面に打ちつけてのコンボだ。もう辛いね。
「いってぇ……」
「あ、え? 中に人が……」
「は?」
「シンジさん、見てください! 人が中に閉じ込められていますっ!」
心配して駆け寄ってくれたテレサがおかしな事を言う。物体に何かがあるようだが、聞いた限りじゃチンプンカンプンだ。
人が……閉じこめられてるだって?
まだ残る痛みに苛まれながら、真偽を確かめた時、テレサの言ったとおりのままだった。
陣の上に出てきた物体は半透明の結晶のようなもの。その中に、一人の男が本当に閉じこめられていた。
「あ……」
驚愕したのは、結晶の中に人が要ることじゃない。水晶の中に眠っている人物が誰なのか判明したからだ。
それこそ、その人物は水を司る神であり、創世主の手で捏ねりあげた大精神……。
アプス──!!
彼はそこに居た。
見つけたが、普通ではない異常な状況に、再会を喜べなかった。
「アプス……」
「え? 今なにを……」
「こいつだ。この中にいるのがアプスだよ!」
「そんな……この人が……?」
「おいっ、おいっ? アプス! 俺だっ! オリジンだっ!」
「どうしてこんな事に……?」
中に閉じこめられていたアプスは力無く漂い、どう呼びかけても目覚めの兆候はない。
この結晶のようなものは……おそらくアプスを封印する為のものなんだ。ロギニがこれに閉じ込めたんだ。
「このっ、このっ! くっ……壊れねえっ」
結晶は見た目どおりの堅固さがあり、殴っても蹴っても如何なる衝撃を与えても割れない。アプスが眠りから目覚めないほどには。
──と、そんな時。事態は動く。水源の方から。
何かが水面を割り、大量の水を纏って現れた。
「なんだ……!?」
水を撒き散らして陸に上がったのは、自らの張りに支えられた楕円形。気味の悪い色の体液が内側を通る半透明の、ネメオスライアーを何回りも越える巨体だ。
ジェル状の身体(?)は目鼻や口、手足や顔が無く、元が何の生き物か判別が難しい。というか……
「モンスター……なんでしょうかね?」
後ろのテレサが目の前の生物を疑う。
モンスター図鑑を作れる知識は無いが、せめて該当するものと言えば……スライムか。
スライムってのは敵も味方もいるが、前に佇んでいるものは味方になってくれなさそうだ。
楕円の身体が震える。行動を始める前触れだ。
表面に細長いものが生え、にょきにょきとリーチを伸ばす。昔遊んだスライムのように自在に変えられるらしい。
生えてきたのは触手だった。
手足として形作られたであろう触手は、握手しようだなどとフレンドリーな行為は期待できそうになかった。
触手は先端を尖らせ、急襲してきた。
「避けろっ!」
多少動きの拙い触手は、俺とテレサの間を通っていき背後で壁を穿った。
あ、危ねえ。あんなものを直接受けたら、身体に風穴ができていた。
「こんな時に……!」
アプスを助けなきゃいけないのに、こんなにデッカいモンスターに襲われるとは運が悪い。
……いや、違う? 寧ろ今だったから出てきたのか?
円陣からアプスが出てきた後に出現した。となればコイツの役割は……。
貫き損ねた触手は形状を変えて本体へ戻る。そして新たな行動へ移った。
ヒュン、と空気が切り裂かれる。足場が轟き、地面が砕けた。
大木が落ちるような衝撃に、本能で悟る。巨体とリーチを生かした触手の振り払いは、即席の小細工も通じぬと。
それから……今の俺達にはとても適わぬ相手でもあると。
地面を抉った触手が横移動し、襲い掛かった。
「逃げ──!!」
撤退の合図を、触手が薙ぎ消した。
「か、はっ……!」
鈍い痛みが背中に走る。
意識が戻った時には、空中を舞っていた。触手に振り払われ、突き飛ばされたようだ。
次の瞬間には……水が叩き、激しい水流が身体を攫う。
「ぶはっ! テレサは……!?」
河から顔を出して最初に考えたのは、テレサの行方。周囲を見回して仲間を探す。
時間を掛けず見つかったが、テレサもまたスライムの攻撃に巻き込まれて同じ道を辿っていた。
全く動く気配がしない。気絶しているんだ。
あのままじゃ溺れて死ぬ。早く助けに行かねえとっ!
(待ってろよ……! )
流れに阻まれ揉まれながらも、必死に手足を動かしてテレサのところまで泳ぐ。
「しっかりしろ!」
流されるテレサに追いつき、呼びかける。何度か繰り返して、閉じた目蓋が開く。気を取り戻したテレサはすぐに気管に入った水を咳混じりに吐いた。
溺れなくて良かったが、意識の戻ったテレサは、
「私、泳げません……!」
「できるだけ顔を上に向けろ! 俺から離れるなっ!」
互いに堅く、離れないように抱く。溺れないよう耐え、洞窟の外まで流された。
上流を睨みつけるも、洞窟の外までスライムが来ることはなかった。
「追ってこないか……」
依然として流されてはいるが、追跡をしないのは不幸中の幸いだ。こんなところを襲われたら、反撃できずに触手でやられてしまう。
いや、追う必要はないのかも。アプスに近付く者を排除するのがあのモンスターの役目なのかもしれない。
「ひとまずは安心ってところか。まあ流されちゃいぼぼぼほべば」
「ああっ! これではシンジさんが……!」
「ばばぶふぃぶにいばべへぼ」
流れは強く、泳げないテレサを連れて岸まで泳ぐには自力だけでは酷しい。
スキルの力でも欲しいのだが、そうそう都合の良い物は無くて……どんぶらこ、どんぶらこと流される。
「あっ」
テレサが俺の背後を見て気付いた後──後頭がゴツンと。
何かが後頭部を打った。
ぶつかったのは、数本の丸太を太い糸で結んだ、簡素な造りのイカダ。河を滑り下っていくイカダの上には人が、子供が立っている。
「お前は……」
たった一人の乗員は、アピスの商人だった。
これまた似ているが、よく見ると別人の子が、感情の込められていなさそうな目で見下ろしていた。
「いつでもどこでも、痒いトコロに手が届くアピス商会デす」
「またお前か。でも丁度良かった。悪いが助けてくれないか」
「アイテムをお買いになりマスカ?」
「へ?」
アピスの商人は独特な口調で機械的にアイテムの売買を交渉してきた。
「アイテムをお買いになリマすカ?」
「その前に助けてほしいんだけど……こんな状況でアイテムなんか買ってられるかよ」
「アイテムをお買いにナりマスか?」
「だからさぁ……」
「アイテムをお買イになりまスカ?」
「あーわかった! 買う買う! 買うって!」
早く水から上がりたいのもあって、しつこい催促に根負け。強引な形で成立してしまった。
くっそぅ、良い商売してんなあ!
「デハ──」
「わっ!?」
売買の約束が成立したアピスの商人は俺達に手を伸ばし手首を掴むと、一気に引っ張り上げてきた。
イカダの上に引き上げられ、ひとまずは安堵……するより目の前の少女を見た。
あの細腕で、水に浸かってる人間二人をよく同時に……。
小さくて細い、子供の体まじまじと観察する。少女に驚異的な筋力が詰まっているとは考えられない。どこからあんな力が出せるんだろう?
「サービスに街まデ送ってイキまス。ソれでは飛ばしマすので、身体ヲうつ伏せテしっカり掴まってクダさイ。シッカリ、し〜〜〜ッかりトです」
やたらと念を押してくるアピスの商人。
河は溺れるに容易な流れではあるが、わざわざうつ伏せになる必要があるのか。
「なん──────で」
瞬間──ヒュボッ、と突風が顔を撫で、最後の音が置き去りにされた。
「ぬあぁぁぁわあぁぁぁぁ!?」
イカダがとんでもない速度で川を下る。アピスの商人がオールを高速で漕ぎ、エンジンボートに匹敵……いや、凌駕するスピードを生み出している。もはや川下りのジェットコースターだ。
「おいぃぃぃ! はっ、速すぎるぅぅぅぅ!」
アピスの商人は止める気が無く、気遣いの一切無い操縦で川の流れよりも速く進む。これなら流されたほうがマシだ。
ああっ、前に見えるのは……前方に岩がっ! ぶ、ぶつかるぅ!
「右ッ!!」
「「ぷぎゅっ!」」
「左ッ!!」
イニシャルなんとかばりの軌道でイカダが岩を避けて水面を滑る。阻む障害物をアピスの女の子はオールを漕ぐことで次々と旋回する。
誰も真似できない見事過ぎるテクニックだが、必死にしがみついてる俺達は揺さぶられて感動するどころではない。
そうして下りているうちに、河が不自然に途切れて……高低差のある地形が迫ってきた。
あっ、あああれは滝だぁ!
やばいぃぃぃ! 早く止まらないとぉ!
「おおお落ちるぅぅぅぅ!」
「アイキャンッフラーイッ!!」
「飛んだぁー!?」
イカダは滑空する。
滝を避け、空を飛んでまた河へと着水する。誰も転落しなかったが、もうヘトヘトで降りたい気分だ。
だがエキサイティングな河下りはまだ終わらない。
「アクセルッ!!」
「やあぁぁぁぁめぇぇぇぇてぇぇぇぇ!!」
着水してからも高速移動を続けるイカダは、やがて街が見えて穏やかな流域に来るまで舟としてあり得ない速度を維持するのだった。




