第69話 魔陣
少女――ではなくレディと行動を共にし、シンジ達は東へ東へ。
調査が何なのか、詳細は少しも語らぬまま。見えない目的に歩みを続けて疲労を隠せないでいるシンジであった。
「どこまで歩くんだよ」
「もうすぐじゃ。ほれ、聞こえるであろう?」
目的地はほどなく到着するという。
トゥールの言葉を確かめる為、シンジ達自然の中に聴覚を集中させた。
二人の耳朶に訪れる新たな環境音。水と地が衝突する音が規則的に続く。大規模な水場が近傍にある証拠だ。
遮蔽物の少ない開けた地へ出たことで、シンジ達は間もなく音の正体を知った。
潮の気を帯びた風がシンジ達を撫で、歓迎する。
海――。
踏みしめた地に砂浜は無く、先に途切れた地面――崖がある。ぱっかりと割れたような崖だ。
付近は乱雑に座する瓦礫の数々、経年による劣化の激しい遺跡の群が存在する。
その中には、半分に切り取られたような状態で崖に佇むものもあった。
崖の外は、上も下も青い世界が水平線まで広がっている。なんとシンジ達はパニティア大陸の端まで訪れていた。
驚きと感動の息を漏らすテレサ。外の世界の光景は見慣れていなかったらしい。
足場の安全を確認し、視界を埋め尽くす水と空を眺める。蒼天と蒼海の世界を瞳に映すシンジの記憶からソールの言葉が取り出された。
この領域の何処かにティアマトがいるはず。
それから、海の先にマーニのいるロンディア大陸が存在することを。
崖下を打つ荒い波。光を反射する水面。点在する島々。果ての地を見せぬ水平線。
いつかはこの海を渡っていくことを、シンジは改めて自覚する。
じっと海を、その先にあるものを見据える彼に、テレサが不思議に思って寄ってきた。
「どうかしましたか?」
「ちょっと考えごと。あの向こうにロンディアがあるんだって思ってさ」
「あ……そうでしたね。この海の先に別の大きな島があるんですよね」
「そうそう。いつか行かなくちゃならないんだよ」
知らない外の世界の、さらなる向こうの世界。初めて知った時、テレサは寓話を聞かされたような気持ちだった。
現実味を抱かなかったのではなく、知らないものに対して心が躍るものがあったし、思うところがあったからだ。
シンジ達が旅人であることを改めて覚え、彼の見ているものを共有するように、彼女もまた海を眺めるのであった。
陸の外側から風がまたも訪れる。潮気を帯びた風もテレサには新鮮だ。
『――お母さんはね、パニティアの外から来たの』
朧げな記憶。幼き頃のテレサに語りかける優しい声は、今は亡き母のものだ。
懐かしき過去、暖かい記憶の中の母は弱々しく、それでも何処か優しさと毅然をもった口調で話してくれた。
(お母さん……)
幼い自分だったから深くは考えなかった。
あの話になんと返事しただろう? 幼稚なりに凄いとか、その程度の感想を口にしたような気がする。
ただの大げさな話題を振ったとも考えられる。
でも今は――
それぞれ別の想いを抱くシンジ達。その背後では、おかしなことにトゥールが札を持ち地面を調べていた。
少しずつ移動しながら大地に目を凝らし、やがて「お?」と何かを発見する。その反応はシンジ達にも届いていた。
どうした、と訊くシンジに、トゥールは「見ろ」と地面を指す。
そして、その場所に手にしていた札を近付けると……特に変わらないはずの地面が、化学反応の如き変化を生じた。
「んな……!?」
写し出されたのは、真紅の円陣。張り巡らされた血管を彷彿とさせる陣だ。
赤い光を放ってはいるが、綺麗なものでもなければ先鋭的なアート、あるいは記念の絵ということでもなさそうだ。
いずれにしろ円陣は善意から在るのではなく、何者かによる悪意を感じた。
円陣自体は脈打っているようで、気味の悪さは十分にシンジ達の精神を害する。尋常ではない不気味さに、何も訊かずにはいられなかった。
「きっもちわりぃっ。なんだよこれは?」
「【魔陣】じゃよ」
赤い円陣の正体を、トゥールが簡潔に答える。赤い円陣を見つめる瞳は、シンジを散々にからかっていた少女とは別人かと錯覚させる。
「描くことで特殊効果や危害をもたらす陣……魔術の一種じゃ」
結界を張ったり、罠を発動したり……一般的に広まっている詠唱魔術よりも複雑な魔術ではあるが、もたらす力は強力。それが魔陣だ。
「隠密性も有り、罠や呪いにも使われておった。見たところ、これは呪いの類じゃ」
「呪い……」
円陣の気味悪さに加えて、トゥールの話は寒気を感じさせた。
ただ、魔陣には短所もある。好きな場所を選べはしても陣自体は移動が不可能だ。罠や呪いの魔陣は、対象相手が陣の効果範囲に入らなければ無用の長物となる。
「ほれ、ここにもそこにもある」
赤い円陣は、一つではなかった。
トゥールが札を別の場所に移す。大小いくつかの同じような円陣が並んであった。
二つ三つどころではなく、十や二十を超える量。札を移動させれば、また新たに円陣が浮かび上がっていく。
たくさんの目玉が並んでるように敷き詰められた陣に、寒気が肌を粟立たせる。
夥しい数の円陣もそうだが、なにより不気味なのはこんな物を大量に配置した者達の目的と執念だ。
「見れば見るほど不気味だな……」
「そうじゃな。しかもこれは生物の血を塗料として使われておる」
「ひどい……」
「えぐいな。こんな大量にあると人間も使ったりして」
「……」
否定も肯定も出ない。和ませたかったのに重い空気は軽くならなかった。
とんでもない真実に行き着いたとシンジは確信し、後悔もした。
「何の為かは不明じゃが、悪影響をもたらすものではある。しかもかなり大層なものじゃ」
「じゃあ早く解かなきゃ。崩してやれば……」
「解けはせんよ。地面ごと削っても無理じゃ。その上、解除しようにも強固な呪いが施してある」
迂闊に手が出せないらしい。つまりお手上げだ。
この場に居る誰もが、何らかの危害を起こすであろう円陣に対処することが叶わなかった。
「誰がどうしてこんな事するんだよ?」
「さあての。張本人の考えなど知らぬ。知りとうもない」
到底くだらないことじゃ、と付け加えて言う。
正体は分からないが、トゥールの意見には同意できた。
解除も物理的に消すことも出来ぬ、怪しい魔術の陣。それをこの場所に設置する意味と思惑とは……?
「トゥールは……これを仕掛けた奴を捜してるのか?」
「そうじゃ」
この少女は何者だろうか?
先程の言動といい、シンジ達は誰を相手にしてるのか分からなくなる。シンジはもう一度、何者なのかを少女に尋ねた。
「レディの秘密を知りたくば、熱い文句で落としてみせるんじゃな」
さっきまで別人のようであった少女が、にへっ、と笑顔でシンジを見上げる。
はぐらかされたらしい。トゥールは詳しい情報を教える気が無いようだ。
シンジ達がトゥールの調査に同行している――同時刻。別の場所では、逃走劇が起きていた。
追いかける者が一人。追いかけられる者もまた一人。
逃げる者は、歪な体表をした人型。体中が傷だらけで血を流し、怯えた様子で逃げ続けている。
後ろを走る追跡者は――あのカルドであった。
「ぐぎゃっ!?」
空気が瞬く間に切り裂かれる。
突風のような一振りが、逃げ駆ける脚に斬り込みを入れたからだ。
大きめの体躯が傾き、樹木に激突する。
呻き、はっとして気付いた時には、赤い血を滴らせた刃の切っ先が目先にあった。
「もう逃げられんぞ」
カルドが剣を突きつけて見下ろす。
必ず殺す、と言ってきそうな冷たい表情は、誰もが慄くだろう。実際に相手は怯えているのだから。
他者からは経緯の分からない状況。長閑な自然の雰囲気に反した異常な展開が起きている。
混乱を起こしてもおかしくはないが、“人型”はくくっと自棄じみて笑った。
「殺すのか? 殺すのか?」
「当たり前だ。お前を生かしはせん、が……」
訊きたいことがある、と言い放つ。殺す前に知りたい事がカルドにはあった。
刃先が“人型”に向けながらも安息の間が少しだけ訪れる。
「あの場所にあった陣は全てお前がやったのか?」
「違う。全部じゃねえ。俺は教わって手伝っただけだ」
「では誰が貴様に教えた?」
「そうだなぁ……ありゃ何年前だったかな?」
とりあえず昔さ、と答える。カルドの視界が及ばないところでは、“人型”の手が怪しく地面を探っていた。
「男が俺のところにやって来た。そいつ、俺の病を知ってた」
「……」
「教えてもくれた。この忌々しい病から救われる方法を」
狂気的に、その時の出来事を語る。過去の光景を見据える瞳がより妖しく歪みだした。
そして告げる。来たるべき日を待ち望んで。
「もうすぐだ。もうすぐで俺は救われる。ようやく救われるんだ……!」
「わかった。もう十分だ」
ちゃき、と音が鳴る。猶予が終わった合図だ。
だが“人型”の表情に恐怖は戻らない。そればかりかニヤついた口を動かした。
「お前、剣士だな? 剣士だよな?」
「それがどうした?」
「へっ、へへ……昔、剣握って殺しに来た奴がいてよう」
剣の使い手であるカルドを見て何かを思い出したらしく、懐かしむように喋りだす。
「片手でブンブン剣振り回して……強かったなあ、強かったなあ」
昔、今と似た状況が在った。
あの時も剣を手に持った人物が現れて、襲われた。こんな風に。
あともう少しで死ぬところだったが……。
「だけど勝った。そいつ、傷負って逃げた」
刹那の好機を掴み取って、見事に覆した。
剣使いの人間は肝心なところで判断が甘かった。だから負傷した。
違いがあるとすれば、性格だろうか。剣使いの人間はカルドほど冷徹ではなかった。
「あれは致命傷だ。もう生きてちゃあいないだろう」
「……そうか」
生き残れた事にか相手を負かせた事にか、痛快な笑い声が場を侵食する。
どうでもよさそうに、カルドの視線が逸れた。
バカめ、と声にならぬ嘲りが出る。
今だ――と、“人型”は背後で拾った石を握り――あの時と同じく不意打ちしてやろうと腕を振りかぶった。
手応えを伴った音が辺りに響く。
空中に舞う太い右腕。ただし、それはカルドの腕では非ず。“人型”のものだ。
目の前に落ち痙攣を起こしている腕が自分のものだと気付いた時、血と叫びが放たれた。
「お前っ、おまえっ、オマエェェェェェ……ッ!!」
カルドは隙を見せてはいなかった。わざと油断した振りを見せて相手が行動を起こすのを待っていた。
時間を与えられたのは、いつでも殺せたからだ。
死神の足が一歩迫る。
不意打ちを仕掛けてきたが為に腕を斬ったが、次こそ斬るのは――命だ。
「ひっ……!」
地面を踏み締める足音が“人型”にとっては嫌に大きく、恐ろしかった。
失った腕を抑えて後退る……が、異変は急に起きた。
「あぎっ!? おが、ウげ……っ!」
急に苦しみ始め、なんと“人型”身体が変化する。肉が骨が奇妙な音を立てて変質し始めた。
斬られた腕の切断面も変化が生ずる。蔓状に肉片が生えて、斬られる前とは別の形状の腕が出来上がった。
「ギッ! あが……! 嫌だ! イヤダァッ!!」
「もういい。二度と喋るな」
奇異な変形変態に、しかしカルドは冷静を崩さない。こうなると運命が分かってたように、眉すらも動かさなかった。
「まっ、待て! 殺サないでくれっ! オオオげっ、おげっ、俺は――」
鈍色の軌跡が“人型”の首元を通る。
喉が骨肉ごと切り裂かれ――血がばっと噴出した。
喉からも口からも血が零れる。血を吐き続けながら“人型”は哀しい眸でカルドを睨んだ。
「おっ、おがっ、オレはたダ、救われたいダケなんダ、ヨゥ……ッ」
現世への執着が呪詛のように吐かれる。
少しでも生にしがみ付こうとするが、死への抵抗は無駄な徒労と化した。
広がる赤い血だまり。息絶えた骸にどうすることもなく、カルドは剣を収めその地から発つ。
ただ静かに歩くものの、ふと足を止めて顔を上げた。
――救われたい、か。
辞世の句に悪意は無かった。純粋に救済を望んでいた。
アレにも事情はあった。醜い姿になる前は普通に暮らしていたのだろう。
救われたいと願うのは良い。その思いに罪は無いのだから。
だが、遅すぎた。もう手遅れだった。
「救いはない。何もかも……」
非情に、しかし何処か悲しげな呟き。
静かに落とされた言葉を聞く者は誰一人としていなかった。
「――お?」
見たことのある者達と居合わせた。
偶然、また出会ってしまった。妙ちくりんな男とその仲間に。今度は全員揃っている。
「お前たちか……」
「カルドじゃん。こんな所で何してんだ?」
「……」
「おいぃ!? ちょっと待てやっ!」
その場を去ろうとして、肩を掴むシンジの手が行動を妨げた。
煩い男だ。動より静を好むカルドにとっては騒がしい。今まで自分をパーティを誘った者達と同じように。
この時は、獣の舞に釣られて加入した自分を恨む。
「冷たくしないでください。私達、仲間じゃないですか」
「そうだそうだ。此処で何をしてたんだよ?」
「……ただの討伐だ」
「は? 討伐ぅ? 一人で? 寂しい奴だなぁ」
無視しようとした仕返しに煽ってくるシンジ。それに対してカルドは一縷の目もくれず、無の表情に一片の反応すら浮かばせなかった。
ほうほう、と感心する声が割って入る。
どうやらシンジ達の他にも誰かが居る。テレサよりも小さな少女が見つめていた。
「仲間にしよったか。ようやるのう。男色もまた良き良きっ」
「よせっ。そんな目で見るな。変な方向に穢れるっ」
なにやらシンジと少女が会話を交わし、わちゃわちゃとした空気になる。
何を話しているのか、などという興味は微塵も抱かない。
どうでもいい。たったそれだけ。カルドにとっては他と変わらない。些事な光景だ。
「あっ。あの、ここに血が付いてますよ?」
もう行こうとしたところ、何かに気付いたテレサが頬を指す。
指でその部分を拭うと、確かに黒い血が付着していた。
この血は――。
「怪我をしたのなら治癒してあげます。じっとしてください」
「その必要は無い」
「ですが……」
「要らないと言っている」
「おいおい。せっかくの厚意にそこまでキツく言うことないだろ」
しーんと何も返さず。テレサの応急処置を断った上にシンジに返答しないカルドであった。
「無視すんな!」
「仲間にしたのはええが、まだまだと言ったところかの。こりゃ先が思いやられるのう」
指に付いた黒血に、カルドは冷徹の面の下に虚しさと焦りを抱いていた。
……何をやっているのか、自分は。
求めていたものは見つからない。ただ時が過ぎていく。拒んでいるものが知らぬ間に準備を進めている。
自分のやっている事は意味を成さないのではないかとも思う。
そう。どれだけ足掻いても……。
刻限は少しずつ動いていく。運命の時は非情にも迫っていた。




