第63話 集結せぬ絆
「ふえぇっくしょいっ!!」
盛大なくしゃみが起床のきっかけとなった。
前とは違う目覚めの時。淡いオレンジと水色の空が、冷たい空気を朝一番に送り込む。地上を撫でる風は、凍えなくとも震える寒さだ。
うぅ……寒い。朝方はやはり冷える。上着程度じゃ凌ぐのは無理か。
焚き火は消えている。こんな時はレトが欲しい。あの無駄に滑らかな体毛に抱き付いて暖を取りたい。
日は昇り始めているが、もう少し眠っていようかな……。
「――ん?」
二度寝を始めてどれくらい眠ったか、気配が生じた。
何者かの小うるさい声。情けないものを見つけて笑ってるように聞こえる。おかげで眠気が解れてしまった。
(誰だ……?)
瞼の開いた瞳に映ったのは、光を遮る影。真上に何かあるらしい。
足だ。足がある。
無駄を省いた、モデルのような細い脚がすぐ上で止まっている。
睡眠欲の支配が解けるにつれ、女のものである事を理解する。しかしそこにあるのかという謎に対しては解けなかった。
どうしてこんなところに――
「ぐえぇっ!?」
足が重力を得て顔面に落ちる。固いヒール部分が頬をぐりぐりと圧迫した。
だ、誰だ!? 朝っぱらから他人の顔を踏みつけているのは! レトでもこんなに酷い起こし方はしないぞ!
「おやぁ?」
わざとらしさのこもった声が降り落ちる。その声は……。
「おやおやおや? これはこれは!」
面白おかしいものに出会ったような、愉快そうな反応は間違いなくアイツ。
またのご登場。ロザリーヌお嬢様だ。ごきげんよう。
「てめぇ……」
「ごめんあそばせ。雑草と見間違えてしまいました。後で告解しなくてはなりませんね」
「間違えるか。俺は雑草じゃねえ、足をどけろっ」
普通、野晒しで眠っている人を草と間違えて踏みつけはせん。
此処は人目の付きにくい場所。さては偶然見つけては話しかけてきたとみた。
野宿をしてる俺を踏んでは笑う為にな。
「貴方のお名前は確か……ストゥーピーでしたわね」
「皆本進児な」
「おぉ、ワタクシとしたことが。そうですわね、ミンミン」
お嬢様は今日も名前を覚えてくれず。
ひでぇ。最初の一文字しか合ってねえよ……。
「ぷふふっ、雨風防ぐものも無い所でおやすみとは……無様っ♪ 気を付けないとモンスターに襲われますわよ。野盗も徘徊しているでしょうに」
「うるせえ。早くどっか行け。話しても何も面白くないぞ」
「居をテレーゼと共にしていたのでしょう? もしや……仲違いでもしました?」
正解ではなくとも遠からず。テレサに嫌われてこの有様だ。
無視するも、ロザリーヌがニマ~としたり顔を見せる。悟られたのかは知らんが、まあ憎らしぃー。
「言いたくないのなら聞きませんわよ。ですが、進捗はどうですの?」
「う……」
ロザリーヌが尋ねているのは、お金の件の話。払うべき賠償金のことだ。
宣告された期限が迫っている。その日に俺達は六万カンド用意して払う話になっている。
金を貯めてはいるが……満額にはとても達せなさそうだ。
「芳しくないとみました。ああ、無様無様♪ 無様でブサイクなブ男は実に哀れですわぁ~」
散々に煽り、次いでお付きの奴らもクスクス笑う。
くぅー、腹立つー。好き勝手バカにしやがって。しかも二つは意味同じだろうがよ。
「いずれにしても用意できないのなら、貴方のテレーゼがワタクシの下に……」
「払えなかったらテレサをどうするつもりだ?」
「テレーゼは……ふふっ、使用人として働かせますわっ!」
一度溜め、払えなかった後のテレサの扱いについてロザリーヌは明かした。
使用人? コイツの家でテレサが働く……?
「その為に拵えた使用着がありますのっ。身に着けたテレーゼを早く拝見したいですわぁ〜」
さぞ期待を膨らませ、待遠しいとばかりに吐息する。その仕草に異様な片鱗が見えた。
どうしてだろう。危険な香りがする。そうさせてはならないと、警告が小さく鳴っている。
テレサを連れて行かれたら、酷い目に遭う気がする。
そりゃ当たり前か。こんなワガママお嬢様の下で働けば苛められるに決まってる。早く使用着を着せたいのも哀れな姿を見たいからか。
でも……使用着か。メイド服でも着せるのか?
それはちょっと良いかも。テレサの為に用意してる服がどんな感じなのか気になる。テレサなら似合うだろうな。
メイド姿のテレサか……。
『ご主人様。おはようございます』
瞼の裏でメイド服を着たテレサの姿が浮かぶ。微笑む彼女は、新たな一日を素晴らしいものへと変えてくれる。
お仕事をするテレサ。お茶を汲むテレサ。おかえりなさいませ、と迎えるテレサ。食事の時にあーんしてくれるテレサ。
お尻を触られ、慌てながらも照れるテレサ……。
そして誰もいない場所で、主人とメイドの禁断の所為を……フヒヒ。
あらゆる妄想がほわんほわんと浮かぶ。華やかな幻の光景は精神の清涼剤だ。
これは良い。使用着とやらを着たテレサの姿を見たい!
そして、テレサにあんな事やこんな事をさせて…………じゃねえっ!
いかんいかん。なに耽っているんだ俺は!
これじゃロザリーヌの望みを願ってるようなものじゃないか!
「はあ、待ち遠しいですわ〜」
「お前……そんな事をする為にテレサを……?」
「い、いえいえ。正当な対応ですわ。約束を守れないお人にはお似合いですとも。しっかりと働かせてあげますわ」
「残念だが、そうはならん。その前に済ませてやる」
せいぜい妄想してろと言いたいところだが、ロザリーヌは下がらない。平民の愚かな言葉など所詮は戯言と片される。
「お馬鹿さんですわねぇ。テレーゼに関わったのが不幸の始まりなのです」
「不幸なもんか。自分でやりたいと決めたんだ。後悔はしない。これからもしない」
「おほほ! 何を仰るやら。今一つ捗っていないでしょうに。哀れなブ男の癖にご大層ですこと」
うぐ……そう言われるとキツい。
頼みのシュヴェルタル討伐は肝心の対象を見つけられないまま。足跡を掴めずにいる。
金の用意は難しい。別の方法を探すとしても期限までに間に合うかどうか……。
「あらあら、靴が汚れていますわ。どうしましょう」
わざとらしい小芝居を振る舞いながら足元を俯瞰するロザリーヌ。
彼女の履いているヒールは、鑑定眼が無くても高そうなものだと分かる。使うのが勿体くらいには。
そんな高そうなもので敷石も無い地面を歩くなよ。嫌ならもっとマシな靴を履けばいいのに。
お付きのメイドが取り払おうと動くも、ロザリーヌは断り、一歩近付いた。
フフン、と高慢に微笑し、長髪を軽く撫でる。何の御用だ?
「貴方、綺麗に拭き取ってくださるかしら? こびり付いた土を……貴方の舌で」
「はあ……?」
「拭き取れと言ったのです。ああ、もう。愚かな平民は理解が遅くて困りますわ」
「言ってることは分かる! なんでやらなきゃいけないんだよ!」
「これは温情ですわ。大人しく従えば猶予を与えてもいいですわよ。ソール様もこれには目を瞑りましょう」
と、足を上げる。ヒールの裏を見せつけた。
猶予……つまり、精神的に屈辱的な行為を実行することで期限は延ばしてもらえるんだな。
うん、嫌だ。
「他人を何だと思ってるんだ……!」
「あら、地面の土よりも価値は上であると見出していますわ。些かですけど」
どんだけ低評価なんだよ、俺は。
あーあ。いかにも嫌なお嬢様らしい行動で、逆に笑っちまいそうだ。
「手を出しなさい。ワタクシの足を支えるのです」
「えー、やだよ。手汚れるし」
「さあ早くっ。貴方達、手伝ってやりなさい」
おいおいっ。強制的にやらすのかよ。わわっ、本当にやりやがった。
「ふふっ♪ お利口さんは嫌いではなくてよ」
鼻を鳴らし、手の上に麗しい足が置かれる。なーにがお利口さんだか。
ヒールから覗く生足は染み一つ無い。さすがはお嬢様。よく手入れしてらっしゃる。その汚れなき肌に吸い寄せられて頬ずりしてしまいそうだ。
見た目だけは薔薇みてえなお嬢様なのに……性格は最悪だ。
人を舐め腐るのもいい加減にしとけよな。
「丁寧に、ゆっくりと、使いたての頃の艶が出るまでやるのです」
使いたての頃なんて知るか。舐めりゃいいんだろ、舐めりゃ。
ここまで来たらやってやるしかないようだ。先延ばしにするにはな。
「さあ、やりなさい……ふっふふ♪」
早くしろと促すロザリーヌ。こういう事は初めてなのか、興奮し始めている。
後悔するなよ、お嬢様。お前が綺麗にしろとありがたい命を下してくれたからな。
仰せの通りに……この御御足を舐めてやるからなあ――!!
「いやああああぁぁぁぁ――っ! ききき気持ち悪いですわぁ――っ!!」
チェリーを転がすような舌遣いで、上品な靴を舐め回す。自他共に認める気持ち悪さに、頭上で悲鳴が轟く。
離れようと抵抗する足。逃さないようしっかり掴み、隅々まで舐めつくそうとする。
おやおや、暴れてはいけませぬぞ。じっとしていなきゃいけませんな。
この哀れな貧民が責任を持って貴方様の足を綺麗にしますぞ。
「土を拭き取れと言ったのです! 誰が靴全体を舐めろと言いました!」
へへへ、申し訳ありませんね、お嬢様。こちとら土を落とすのに夢中で聞こえませんや。
という事なんで、お嬢様の大事な靴をピカピカになるまで舐めてやり――
「シンジさん……!?」
びくっ、と身体が震える。石化の魔法を掛けられたみたいに止まった。
すごく嫌な予感がする。顔を振り向けたくない。
まさか……とは思ったが、現実は最悪の展開を引き寄せてしまったようだ。
「どうしてそんな……」
間違いなくそこに立っているのはテレサ。信じられない光景に立ち尽くし、現実を認められでいる。
み、見られてしまったぁ……!
何故ここへ? もしかしたら様子を確認しに来てくれたのだろうが、なんというタイミングで来てしまったんだ。
俺はロザリーヌの靴を舐め、ロザリーヌは嫌がり、メイドは俺を引き離そうとしている。
どう足掻いても「そういう事だったんですね」と誤解が解けそうにはならん状況だ。
「最低、変態……」
瞳から光が消えていく。いつもの目じゃない。救いがたい下衆なものでも見るような目だ。
迷い、戸惑い……信頼という積み重ねてきたものが崩れていく。胸を触ってしまった時よりも重症だ。
「ま、待ってくれ。違うんだ……!」
「さよならっ!!」
「違うんだテレサ! カムバーック!!」
掲げた手は止められず、少女の身は遠ざかっていった。
何が違うと言うのだろうか。舐めたのは自発的な意思なのに。
ああ、ダメだ。これはもう簡単に許してくれなさそうだ……。
「この……テレーゼに付き纏う駄犬っ!」
「ぐえっ!」
テレサの姿が消えた時、掴んでいた足が手から離れて反撃に出た。
「なぜ貴方のような男がっ! テレーゼの傍にいるのですっ!」
唾だらけの靴が身体を踏みつける。
さっきの仕打ちの分、いや倍返しと言わんばかりに怒りを込めて何回も足を落としてきた。
「気持ち悪いっ! あの娘の隣には置けませんわ!」
激昂ぶりは普通じゃない。当然のもの以上に感じる。
何なんだ……? どうしてロザリーヌはそこまでテレサに固執しているんだ?
理由を聞きたくても、彼女の足に阻まれてしまう。蹴撃の連打を受けてばかりだ。
「おい……!」
どれくらい踏まれた時か、男の声が場に刺さる。
いなくなったテレサの代わりに現れたのは……カルドだった。
「何をしている。そいつから離れろ」
「っ……長居しましたわね。失礼しますわ」
様子の異なるカルドに睨まれ、怒りの鎮まったロザリーヌの身が引く。
帰ったらお風呂の支度をしなさい、と怒り混じりにメイドに言いつける。朝風呂か。優雅だなあ。
ロザリーヌ達がいなくなり、残されたのは俺とカルドだけだった。
「いてて……いっぱい踏みやがって……」
「何があった? テレーゼが走っていくのも見たが?」
「実はな、かくかくしかじかで……」
状況を把握していないカルドに、新しく入った仲間の事、テレサとの間であった事を話す。
「くだらん……」
むすーっとしてばかりの口から出た感想がそれである。
他人事のように聞こえる。どうでもいい、自分には気にすることもない。全て些事だって感じだ。
いつもの態度にムカっとなる。なんでコイツはこうなんだか。
「別にくだらなくはないだろ。討伐は人数が多い方が良いに決まってるからな」
「仲間など……赤の他人を引き入れるから面倒事も起きる。無駄に費やす労力が増える」
「冷たいこと言うなよカルド〜。お前からもテレサに言ってくれよ。頼むって〜」
「……近くを通ったら声を掛けてやる」
それだけ言うと、カルドは歩き出し何処かへ行こうとする。
「ちょっ! ちょっと待ってくれって! 前も一緒に来いよ、討伐に!」
「断る。俺には俺のやる事がある」
「やる事? それってなんだよ?」
「お前には関係無い。しばらく離れる」
一方的に暇を伝え、さっさと何処かへ行こうとする。カルドのやるべき事ってやつに。
関係無いだあ? しばらく離れるだあ?
それどころじゃない状況なのに何を言ってんだ?
少しぐらい手伝ってくれてもいいのに。俺たちパーティのメンバーだってのに。
冷たい奴だ。頭から爪先まで冷たい野郎だ。
「仲間だろ俺らっ!」
むかっ腹が立って怒号を浴びせる。背に受けたカルドは少しだけ足を止めたものの、すぐさま歩みを再開した。
一瞥もくれずに去っていくカルド。また一人へと戻った場はさっきよりも明るくなっているのに、少し寂しげな雰囲気を感じた。
俺も……そろそろ行かなきゃ……。




