第48話 いつもより蒼い空の下で
あの戦いでネメオスライアーは跡形もなく消え去った。
倒したが、シンジ達が倒した事実も共に消え、彼の迷妄と化してしまった。
フィーリの訃報を知った人間の中にはこう疑う者もいる。
シンジが殺したのではないか、と。
根も葉もなく、だがフィーリを深く慕い喪失の痛みを紛らわそうと噂を信じようとする者がいる中、メアだけは頑なに否定した。
世話になった家を離れ、シンジは街の中を歩きだす。
時折冷ややかな視線を受けても、確かな意志をもとに進み続けていく。一歩一歩を刻むシンジの面差しはフィーリを喪ったとは思えないほど曇りが無かった。
この日、彼は旅立つ。リージュを発とうと街の外を目指していた。
街を出れば外の世界。そこは多くの危険が潜んでいる。一人では心許ない。
だからシンジには仲間が必要だった
その為に集めた仲間の人数はなんとゼロ。一人もいないのである。
リージュにいる討伐者達を誘ってはみたものの、シンジに同行したいと言う者は出なかった。
何という結果か。人望の無さにトホホである。
メンバーを集められなかった現実に苦いものを呑み込みつつ、まあそれも仕方なしと気を改める。
集まらないのならそれまで。単身で行くだけだ。
先行きは不安もあるが、どのみちこの足を止めるつもりは無い。
顔を上げれば、いつもより青い空がある。ある者の瞳のようだ。
白鳩の届けた魂が染み付き息づいているようで、雲と共に痛みも苦しみも過去へと流してくれる。
――さあ行こう。君が望んだ時はもう始まってる。
大丈夫。何があろうと確実に進めるよ。
俯瞰する快天は孤独な旅立ちを応援してる気がした。
唯一見届けるものにシンジは気を引き締めるように笑み、見ていろよ、と意気込んだ。
「――あ」
リージュを出た時、シンジは思いがけない出来事に遭遇する。
街道の先に小さな影が一つ。それを見た彼の瞼が限界まで剥いた。
足取りが少しずつ速くなる。
近付く度にその姿は幻でも見間違いでもなかったことを認識させる。
「お前……」
小さな影の正体は、まさかのレトだった。
じっとお座りしている姿はシンジを待ちわびていたことを匂わせる。あの夜からずっと何処かに居たのか泥が付着したままだ。
行方がわからず、もう諦めかけていた。
意外と早かった再会の興奮が胸の内で騒ぐ。それをぐっと抑えながらレトの身体に付いた泥を払う。
「今までどこに行ってたんだ。メアさんが心配してたぞ」
姿を消していたレトはうんともすんとも鳴かず、大人しくシンジを見上げるだけ。言い訳もする気が無いらしい。
「早く家に帰れよ。一人で寂しくしてるだろうから」
フィーリが死に、シンジはリージュを去る。
つまりメアの家には一人しか居ない事になる。メアは頑張ると言っていたがどうにも気掛かりだ。
傍に誰かが居ないと。だからレトは家に帰るべきだとシンジは考えていた。
「……お前とは色々あったな」
レトとの過去を掘り返す。
まず初めにいきなり噛み、噛んだり噛んだり噛んだり……散々な方が多い気がするが、共に過ごした事もあってそれなりに親交はあった。
可愛げのなく、でも嫌いでもなく。
レトとの間で得なかったものなど無い。小なり大なりこの生き物とは築けたものがある。
「……俺な、リージュを出るんだ。だから、ここでお別れだ」
こうしてレトと話すのも今日で終わり。これから先は長い事会わなくなる。
到着点の見えない道程だ。だからなのかシンジはレトの頭上に手を置き、わしゃわしゃと撫でた。
その手に、平穏と再会を込めて。
「じゃあな。また会おうな」
立ち上がったシンジはそれだけを告げ、横を通り過ぎていく。
淡白な形で終わらせたのは一旦の別れを惜しみたくなかったか。
「キュー……」
背後で鳴き声が生まれる。離れていたはずなのに去る身を止めた声は近い。
振り返ればレトが足元に居て、シンジの脚に身を寄せている。その仕草は何かを求めているようであった。
何がしたいのか戸惑うシンジだったが、まさか――と、ある可能性を探る。
「俺と一緒に……行きたい、のか……?」
自信の無さげで、弱々しさも感じられる声音。
一人でも大丈夫だと割り切っていたシンジに期待と不安が入り混じる。
そうだといい、そうであってほしい。
彼らの間だけに訪れた静けさの中でそんな想いが強くなる。
願望を込めた誘いに、レトは――頷くように鳴き声を溢した。
『――私が死んだら、シンジについて行ってほしい』
生前、レトへ残した言葉はシンジへの心残りだった。
あの時、ロギニの追跡を欺いた後にフィーリはそう言った。
右腕を失い重傷を負った自分に死が近付いている事を悟ったからだ。
迫り来る死。振り逃げられぬ誘い。
主張し拡大する存在に直面した彼女はできる限りの事を尽くそうとした。
『どうしても心配なんだ、シンジのこと……だから頼めるかな?』
己の行く先を見据えた友は後を託し、死力を尽くす戦いに赴いた……。
どうするかこの数日間迷ったが、願いを聞き受けた以上は果たさねばなるまい。
あのような状況で、あの表情で頼まれては断り難いではないか。
本当にコイツは危なっかしい事をする。弱いクセに命を投げ出すような真似をやる。命がいくつあっても足らぬ困難に遭ったとしてもだ。
ならば少しは手を貸してやろう。コイツは無謀なところ含めて見どころがある。
シンジ、お前は――。
一滴の水が生んだ波紋のようだった。
レトの返事は重く胸の内が揺らいでいる。
一人と思っていた。
寂しげな旅立ちに、たった一匹が一緒に付く。それだけでも彼は嬉しかった。
小さくて、それでも大きな存在だ。
ありがとう、ありがとう、と。
照れ臭く、ちょっとだけ泣きそうになるのを堪える。
「じゃあ行こう。しっかりついて来い」
いつもの調子に戻り、シンジは今度こそ晴れやかな旅立ちに向かった。
これからが本当のスタート。小さな仲間を得た彼はプロローグに別れを告げるように走り出す。
オリジンが創りだした世界へ向かって。
広い世界に身を投げた彼らを、蒼き瞳だけが見つめていた。




