第46話 雫の夜
酒場に一人。賑わいに塗れた店の隅っこのテーブルで酒を頂く。
何かを掻き消すように。
顔は熱く、視界は少しぐにゃんとした状態だ。
偶然耳に入った話だが、フィーリの葬儀が行われたらしい。
どれだけの人が来たか。何人もの人間がフィーリの為に哀悼してくれたのか。
一体どんな奴が悲しんでくれたのか、その一切を知らない。
俺は……メアさんの家に帰らず、葬儀に参加しなかった。
ただ酒に溺れていた。
怖かった。フィーリが死んだという事実を受け入れるのが。
嫌で仕方なくて、だから酒で酔って……でも、それでも消えることはない。どれだけ酒を飲んでもだ。
受け入れたくない。けど忘れたくはない。
相反する二つの感情のせめぎ合いに、頭がどうにかなってしまいそうだった。
「ふうぅー! モンスター潰した後の酒はやっぱ美味えなあ!」
「金! 討伐! 酒っ!!」
「ネメオスライアーが居なくなりましたからね。討伐が再開できて何よりっすよ」
パンクしそうな痛みに悩まされてる時に、やかましい声が三つ。
声の主はあのトリオだった。
三人は豪快に酒を喉の奥に流し込み、その身に溜まった疲労を飛ばすように味を堪能する。
…………うるさいな。
さも楽しげな騒ぎっぷりが静かに飲んでる俺にとっては耳障りな事この上ない。
笑ってんじゃねえ、喜んでじゃねえ、楽しんでんじゃねえ。
痛い頭が汚らしい声でさらに痛くなってくる……。
「そういえばアイツ、カタウデ死んだらしいっすよ」
出来るだけ聞こえないよう過ごす前に、トリオの一人がある話題を振る。
その話が耳に入った時――身体中の血が止まったような気がした。
「はっ? えっ? はっ? ま、マジかよ……冗談だろ?」
「冗談じゃないっすよ。なんでもモンスターにやられて、昼に埋葬したらしいっすよ」
「そうか……」
会話に出てくる人物が容易に思い付く。
なにせ男の一人が口にした蔑称はフィーリを指しているのだから。
トリオの筆頭――カネェは見知った人物の死を聞き、こればかりは困惑せざるを得なかった様子だ。
大きなカップを握っていた手がゆっくりとテーブルに置かれる、が……
「ま、死んで良かったじゃないっすか。あの女のせいで稼ぎが少なくなってたんですからね~」
一旦訪れた気まずい雰囲気は長くは続かず衰え、愉しげな空気に戻ろうとする。
カップを握っていた手に力が入る。歯がギリリと擦れる。
体温が少しずつ上がってるような気がした。これは酒を飲んだせいじゃないと明らかに分かる。
「そ、そうだな! 実力は認めてたが嫌な女だった。死んでせいせいしたぜ!」
下卑た一言が最後の一押し。
ブツッと切れた音は現実のものか。
「カタウデがいなきゃリンヴィーなんか怖くねえ。これからは美味い酒がたくさん飲めそ――あがっ!?」
アホな思考しか詰まってない頭にカップが衝突する。
気付けば手元にあったカップが消えている。投げ放ったのは俺のようだ。
「んな……!?」
「お前かっ! 投げたのは!」
「テメェはカタウデの……!」
三人の視線が一点――俺に集まる。
睨みきった顔が空気をピリつかせる。他の客も「なんだなんだ?」と普通じゃない状況に気付き始めた。
「兄貴に何しやがる! ぶっ飛ばされてえのか!」
トリオの一人がやって来て胸ぐらを掴んでくる。かなりの怒りっぷりだ。
だが相当のモノを抱えてるのは俺も同じだった。
「人が……死んだんだぞ……!」
「「「あ?」」」
「人が死んだんだっ!! なのに……なんでお前らはヘラヘラ笑っていられるんだっ!!」
「あぁ……!?」
「フィーリはっ! 自分の命を懸けて守ったんだぞっ!! それを、お前らは……っ!!」
下衆共に対し、抑えられなかった感情を紐解き、荒げた声に換えてぶつける。
一体何の事だと顔を合わせるトリオ。あっ、とそのうちの一人が何か思い当たったのか剣幕を抑えた。
「まさかカタウデが死んだのって、あのモンスターにやられたんじゃ……」
「そういう事かよ。――で? だからどうしたって言うんだ?」
「は?」
絶句……いや、驚愕を溢したかもしれない。
自分がどちらの行動を選んだのか、それすらもどうでも良くなるくらい相手の反応は薄情だった。
いかにも軽く、それだけでフィーリの死は片付けられる。
聴覚がおかしくなったのではなく、確かな出来事。だからカネェに潜む異常性を疑った。
コイツ、本気で言ってるのか?
人が死んでいるのに、こうもあっさりと……。
「討伐ってのは命懸けの稼業なんだぜ? 死ぬ事だってある。運が悪けりゃあな」
ま、俺達は簡単に殺されないがな、とカネェは笑う。
気持ち悪く吊り上げた口端をそのままに、こうも言ってみせた。
「ご愁傷様だなあ。だがな、あのデカブツを相手にして生き残れるワケがねーよなぁ?」
だから死んで当然なのか。
あの絶望的な脅威を前に足掻いて、その末に落としてしまったフィーリ……。
戦う理由があった。彼女には。
ネメオスライアーがどれだけ強くて敵わない相手だとしても退かぬ理由があったんだ。
ご愁傷とか言っておきながら――それも哀情の一切ない侮蔑だ――ヘラヘラ笑いやがって……!
「お前ぇ……!!」
「ぐぼっ!?」
油を注がれた激情が身を駆らせる。
薄情な上に侮辱するカネェの顔面に思いっきり拳をぶつける。体格の良い肉体がテーブルやら椅子やらを巻き込んで吹っ飛んでいった。
「あ、兄貴ぃっ!!」
「ぐ……テメー、またやられてーみてぇだなあ!」
他人の死よりも己に働いた狼藉を優先し、カネェは怒筋を浮かべる。
「表に出ろやっ!!」
カンカンに漲らせた怒声が全身を打つ。フィーリへの憐憫など何処かへ飛んで行ってるようだ。
無論、受けて立つ――と。
自制の効かない感情がカネェ達の誘いを真っ向から受け入れた。
……そんな自分がどれだけアホか。
フィーリの死を受け入れず逃げているというのに。
「おらあっっっ!!」
「くあ……っ!」
人気も無い場所で、バカ三人と喧嘩を披露する。
だけど、ただの一発もパンチを当てる事が出来なかった。
「あの女はなあっ!! 討伐者なのによおっ! 人の為とか言ってしょうもねえ事してなあっ!」
三人のパラメーターは偏ってはいるものの、フィーリに次いだ高値を持っている。束になれば大抵のモンスターは蹴散らせるだろう。
酔いが回ってるせいもあるが、こっちの攻撃は全て躱されるか簡単に受け止められるかの無駄に終息する。
「おかげでこっちは稼ぎが減ってたんだよっ!!」
また一発。野太い腕が鳩尾に硬い拳を埋め込む。
息が苦しい。ドボッと埋まった殴打が呼吸を阻害する。
喧嘩は一方的なリンチへ、太刀打ち出来ない俺は代わる代わる三人の殴打や蹴りの的にされる。
こんな風に痛め付けられるなんて事は無かったが、不思議と怖くはなかった。
「違う……!」
暴力への恐怖の代わりにあったのは、何も出来ない自分の情けなさ。それは殴られる度に痛みよりも重みを増す。
あの時、フィーリの命を救えなかった時と同じように――。
「あいつは自分にできる事を……やって……っ」
「うっせえ、なぁっ!!」
「ぁぐ……っ!」
遠慮の無い拳が無慈悲に遮る。
肋骨が折れている。歯が欠けている。鼻が曲がっている。瞼も腫れている。
腕も上がらず、足取りも千鳥足。口の中も鼻からも血が生まれ、鉄の味が口中を占める。
これだけ受けても反撃ができず、立っているだけのカカシと化する。
焦点の定まらない視界は、カネェが腕を思いっきり振ったのをおぼろげながらに捉えた。
「おおぉらあっっっ!!!」
渾身とばかりに力を込めた拳が、顔面に炸裂する。
世界が激しく揺れ動いた。
「がっ……!!」
なんとも不条理で醜い世界か、と思った。
でも……そんな世界を創ったのは他の誰でもない――俺だ。
これは俺が招いてしまった結果なんだと痛感する。
鈍い痛みの後に訪れる暗黒。暗転から戻った視界に男達の姿は無い。
居ないのではなく殴り飛ばされて寝そべっていたらしい。どおりで黒い世界から戻っても黒い世界が広がっていたわけだ。
そしてその黒い天井から冷たい粒が生まれ落ちた。
「ここら辺で終わりにしましょうよ」
「ケッ……二度と俺らに生意気言うんじゃねーぞ。次やったら半殺しにしてモンスターの囮にしてやるからな」
雨が降ってきたのを機に三人は一方的な暴力を止め、去って行く。
ボロボロになった俺をその場に残して。
「ぅぐ、ぐ……っ」
奴らが完全に居なくなった後、攻勢を強めた雨音が支配した。
空から滴った水粒が地面を、痛んだ身体を叩き付ける。
かなりの怪我を負った。けどこの傷はやがて全部治っていく……。
死ぬほどボコボコされても、まだ生きてるのに……フィーリはもう戻らない、生き返らない。
遥かに尊い命が亡くなった……。
なのに、俺は……なんで生きてるんだ?
「キュ……」
小さな鳴き声が、雨音を貫く。
――レトだ。
首を横に傾けた時には既にそこに居て、じっと見つめている。
大量の雫に打たれても大人しく座っていた。
「お前か。出迎えてくれたのか……?」
尋ねても何も返事しない。何の感情も訴えてこない。
「そんなワケないよな……」
見ろよこんな姿笑えるだろ、と枯れた笑い混じりに自虐するが、それでもレトは応じなかった。
レトはどう思っているんだろ……?
あの小さな瞳は今どんな感情を宿しているのか。
軽蔑している? 嫌悪している? 憎んでいる?
傷だらけの俺を見て、あの無味な仮面の奥で笑っているのかも。
いずれにしても……フィーリを喪った空虚がある。
ぽっかりと空いた穴を埋められない虚しさをレトは抱えているはずだ。
俺と同じく――。
「なあ……噛み殺してくれよ。好きなだけさあ……」
だから受け止めようと思ったのか。レトの抱えてる感情を。
それを察してるのか否か、レトは……動かない。
「憎いだろ? 殺してやりたいだろ?」
煽ってやった。レトの怒りをしっかり受けようと。
そうすれば少しは気が楽になるかもと安直な考えを持ちながら。
けれど顔色一つも変えない。その身に宿してるはずの想いをぶつけてこない。
「お前の主人を死なせてしまった……俺が……」
鳴き声の一つも上げずに黙っている。
どうして……どうして何もしてこないんだ。
弱かったせいでお前の大切な存在が喪った。俺の未熟さがフィーリを死に追いやってしまったのに……!
「絶対にっ、絶対に俺を許さないでくれっ! 俺がフィーリを死なせた……!」
己の罪を贖って、他人に尽くしてくれた。愛されていた。
なのに……死んだ。まだ若かった。
やりたい事もやるべき事も一杯あっただろうに、もう二度とそれらは叶わない。
レトの姿がだんだんぼやけていく。雨のせいだと思ったのに、目頭が熱い。
あ……泣いてるんだ、俺……。
誰かを喪って悲しいんだ。誰かの命を救えなかった事が悔しいんだ。
「俺は…………どうしようもない神だ……!!」
黒い天に向かって吠える。胸の内に溜まった想いを解放する。
大粒の雨に掻き消されそうになりながらも、哀れに吠え続けた。
たった一人の命の為に。ただ一人の命の為に。
そこから先はよく覚えていない。
閉じゆく意識の中で、頬が温かい感触を受けていたこと以外は……。
意識が戻った時、雨は既に止んで……レトの姿は雨雲と共に消えていた。




