第40話 その意志、目覚めるとき
光を失う叫びが霊峰の麓に轟く。シンジの声だ。
彼の中で何かが砕けていく音がする。明転したものが陰っていく。どっぷりと濁った海に沈んだ感覚が這っていく。
希望を見出させていた光明は、なおも鮮血の溜りを拡げたままだ。
慄然とするシンジの叫喚に続いたのは、ゲラゲラとした場違いな笑い声。今にもひっくり返そうなロギニの嘲笑はシンジの絶望を喜び、血溜りに沈んだフィーリを侮辱する。
「バァカがっ! コイツはよぉ、死んだ後に復活するよう強化してやったんだ。油断しちまったなあ!」
死んだはずのモンスターが甦った理由を、ロギニが軽率に明かす。だがそれはシンジが抱いた疑問を納得させるだけでは収まらず、さらなる恐怖を加える。
体格が増大し、能力を強化されたネメオスライアーは回生をも果たした。
まさしく生きた災害。誰が倒せるのか分からない危険極まりない生物を前に、シンジの肌は再び粟立つ。
「ほらよ、脚生やしてやる。じっとしてろ」
やっと冷笑を抑えたロギニがネメオスライアーに近付き、手を当てる。
ロギニの行動を理解できないシンジとレトはすぐに異変を目の当たりにした。
苦しみ、もがくような鳴き声。威嚇とは異なる感情を宿した呻き声は、不気味な音を誘発する。
損傷部分から骨が生え、血管が巡り、筋肉が盛り上がる。
やがて他の脚とは似つかぬ外観を有した前脚――毛はほとんど無く、獣じゃなく人の手のようだ――が出来上がった。
治癒による形態復元ではなく、強化による形成獲得。
さらなる進化を遂げた災害級の化物は新たな前脚で踏み締め……フィーリに近寄った。
「ま、待てっ、フィーリ……!」
助けに行くにも距離が離れている。さらに恥ずべき事にシンジは震慄に全身を蝕まれていた。
間に合わない彼の代わりに小さな影が現れる。
立ちはだかったのは、レトだった。
「キュウ!」
しつこく纏わり付いていた存在に気付いたネメオスライアーは脚を止め、鼻息で威圧する。湿った風を浴びせられた程度でレトは退かない。
「さっきからちょこまか動いてた変な動物か。モンスターみてえだな。それに……」
深い傷を負った相棒を後ろに、小さな体躯ながらも止めようとレトは吠え続ける。シンジの救助が間に合いそうにない今、フィーリを守れるのはレトだけだ。
だが所詮は小動物と、ロギニは侮る。
「どうでもいいな、そんな事は。おい、さっさとコイツを退けろ」
ロギニが促し、止めんとする障害物に、人の手のような前脚が振り落とされた。
「キュキュ……!!」
レトが乱暴に叩きつけられる。鬱陶しい虫ケラのように。
風前の灯火となった命を守ろうとした獣はバウンドし、偶然にもフィーリに衝突した。
まだ立ち上がろうとするレトだが、殴打の一撃は重い。
かき集めた力は空しくも霧散。凄烈な打撃を受けた身が力尽きていった。
「レト……?」
後に続いてぐったりとしたレトも沈黙する。ロギニ達を威嚇しようとする素振りは一切見せない。その光景もまたシンジを愕然とさせた。
もう誰も彼女達を守る者はいない。シンジを除いては。
レトも倒れ、とうとうシンジだけがこの惨状を覆せる討伐者として残った。
そんな事が出来るはずもないとロギニはほくそ笑み、フィーリの前に立つ。
戦ってもいないのに勝ち誇ったように見下ろすと――片足が動いた。
「オラァッ!!」
これ見よがしにフィーリの横っ腹を思いっきり蹴りつけた。
「調子に乗りやがってよぉ! 良いザマだなあ!!」
爪先をぶつけ、体重を掛けて踏みつける。
金糸を伸ばした頭さえ足を乗せ、存分にグリグリと動かした。
「ぁっ…………ぅ……っ!」
耳を覆いたくなるような鈍い音が連続で生まれる。
敵同士とは言え女性相手でも容赦無くお見舞いするロギニ。意識を失っているフィーリから呻き声が上がり、離れている場所に居たシンジの耳朶にも届いた。
――――やめろ。
助けを求めるような弱々しい苦声が意識を奮い立たせる。
怯みきった精神に鞭打ち、胸の中にエネルギーを宿らせた。
「やめろ……」
ぼわっと点いた火は、怒りを燃料に少しずつ勢いを増していく。
「やめろ……!」
「あぁ? やめるわけねーだろうがよっ!!」
深手を負った者への無慈悲な振る舞いは止まない。
報復を込め、ロギニは行為を繰り返す。
シンジの手が拳を形作る。拳自体を握り潰してしまう程の握力を宿して。
そして――気付けば身体が動いていた。走り出していた。
迎え討とうとするネメオスライアーの攻撃を意に介さず走り抜き、ロギニの直前に到る。
腕を構えるシンジの姿が瞳に映る。ロギニの嗜虐な笑みが崩れた。
「やめろって……言ってんだろっっっ!!!!」
「ぐべぇ!?」
拳がロギニの顔に鋭くめり込む。
握り締めた骨肉を凶器へと変貌させ、全力で殴り飛ばす。
「あがっ、がっ! な、殴りやがった。コイツ……!」
シンジの鉄拳が炸裂し、まともに被ったロギニの表情に狼狽の色が滲む。
殴られた程度でこんなに怯むとは情けない奴だと、シンジは思う。
モンスターを嗾け、自分は戦わず、戦えない重傷者を痛め付けるなどと卑劣な振る舞いをすればなおさらだ。
「何ボサッとしてんだ! さっさとブッ殺しちまえよぉ!!」
卑劣な行為をしでかすロギニが喚き、ネメオスライアーが動く。
頭上に脚が振り下ろされる。が――
「お前もっ!!」
『ガルァアァァァッ!?』
ネメオスライアーに比べると細く枝のような腕が、人間の何倍もの膂力を持つであろう獣脚を押し退けた。
「んな……!?」
澱んだ黒眼に、己の手駒が圧倒される光景が焼き付く。
信じられないとロギニは疑う。大型で討伐者を凌ぐ力を持つ上に自ら強化した手駒が、非力なはずのシンジに打ち負かされるなど一縷も予想出来なかった。
侮った油断が隙を生み、相手に時間を与える。
双眸をシンジの方に戻すと、フィーリとレトを抱えて逃げ去る姿があった。
「ッ……」
遠のき、小さくなる背中。ネメオスライアーは昏倒したままだ。
ロギニ達はまたしても取り逃してしまった。
だが逃した苛立ちよりも違和感がロギニの思考を占める。
「今のは……何だ……?」
周囲の光景に紛れて見失ったシンジの逃げた方向を見て、ロギニは訝しんだ。
ロギニ達から逃げ果せたシンジは樹の陰に隠れていた。
彼に運ばれたフィーリとレトはまだ命を落としておらず、両者とも気を失ったままだ。
「フィーリ、フィーリ! しっかりしろっ」
「…………シン……ジ……」
気付かれないよう音量を抑えた呼び掛けに、フィーリの瞼がようやく開く。
意識を取り戻した事にシンジはひとまず安堵した。
「うあっ、う……! そう、だった……あのモンスターにやられて……」
覚醒した意識に途轍もない激痛が訪れる。
呻き、痛みに耐えながらも、フィーリは己の左腕を見下ろした。
噛み千切られた左腕は紐で縛られた上にシンジの上着が括り付けられていた。
シンジなりの応急処置。適確な処置を知らない彼に出来た最善の対処だ。
「キツく縛っておいた。これでとりあえず出血は防げるはずだ」
切迫した状況に包まれた中、フィーリを苛む不安と苦痛を和らげようと笑みを口元に浮かばせる。
依然としてフィーリの容態は悪い。何より体力が減少し続けている。最大値の一割を切った体力がさらに減っていた。
それはシンジの視覚に映った彼女のパラメーターが証明している。
このままではフィーリが死ぬ。
目を背けたくなる事態が現実へと変わりゆくのをシンジは感じ取った。
「……シンジ、レトを連れて此処から逃げて」
揺らめく意識の中、自分達を取り巻く状況にフィーリは意を決し、逃走を促す。
ただし、自分自身を除いて。
「は……? なっ、何を言ってるんだよ。お前はどうするんだ?」
「私が……あのモンスターを引き付ける。シンジはその間に逃げるの」
失った左腕の痛みに汗が滲み、声が震える。それらを抑えて、フィーリは己の意思をシンジに伝える。
「囮ってことかよ。そんな事させるか! 自分から殺されに行くのかよ!」
「この状態じゃ長くは持たない。だからせめて役に立てる事を――」
「ふざけんなっ! 本気で言ってるのか!」
「少なくともシンジとレトは助かるよ。シンジ達が助かるなら私はそれでいい」
致命的なダメージを負ってもフィーリは盾となり守る事を貫く。
利他的な犠牲を辞さない姿勢に、シンジはなおも反論した。
「いい加減にしろっ!! 誰かを悲しませるやり方で良いと思ってるのか? もう一回その口から言ってみろ。死にたくないと思うような生き地獄にあわせてやる!」
「っ、シンジ……」
「フィーリは死なせない。絶対に死なせないからな」
「…………う、ぁうっ……ぐ……!」
呻き声を上げ、苦しみもがくフィーリ。腕の傷口が疼いたらしい。
「だ、大丈夫か? すまん、怪我人なのに強く言っちゃって」
「大丈夫……でも、こんな状態じゃ囮にもなれないや……」
何も出来ない自分を皮肉った様子だが、同時にフィーリは自身を犠牲にするのを諦めてくれた。
しかし、それだけで状況は良くならない。
「どうにかしないと八方塞がりになっちゃう……」
哀しげに呟き、フィーリは静かに目を瞑る。
また意識を失ったのかとシンジは慌て、取り越し苦労であったことを確認する。少しでも体力を減らさないように仮眠を取っているようだ。
生かすも死なせるも自分次第。シンジは圧し掛かる運命の重さを嫌でも知る。
迅速に行動しないと、フィーリは命を落としてしまう。
ここから覆す展開は一つも見えない。希望へ至る道は闇に隠されている。
街へ避難すれば一命を取り留めるだろう。だがフィーリを瀕死に追いやったモンスターを撃破できる人間が居るとは思えない。
ロギニに強化されたネメオスライアーの脅威は非常に大きい。災害に等しいのだから駆逐どころか犠牲が出るだろう。
フィーリが死ぬか、街の人が殺されるか。
刻一刻と命がすり減っているのに、何れの行動も絶望が待っている。
そんな最悪の状況の中で、シンジに出来る事は……。
「…………戦うしかない、か」
焦り、恐怖……入り混じる感情達に惑わされながらも、ある選択肢を掴む。
シンジの身が強い意思を持って動きだす。
バックパックから『インビジブルβ』を、己の身から『リカバリーγ』を取り出し、二つのスキルをフィーリに装着した。
フィーリの体力の減少速度が下がっている。『リカバリーγ』の癒しの力が命のすり減りと闘い、緩やかにする。
減少を完全に止める事は出来なくとも少しでも長く生かす事が出来たようだ。
苦しそうなフィーリの表情も少しだけ和らいで見える。
「これで何とか……だな。後は……」
「キュ……キュ?」
ほっと胸を撫で下ろした時、レトが意識を取り戻した。
気が付いてすぐさま動く。偶然なのか怪我はそれほど負ってないようだ。
隣で休むフィーリの酷い有様を見て、落胆したような鳴き声を溢す。
項垂れる背中に、シンジの声が突如刺さった。
「レト、俺はこれからアイツらを何とかする。それまでフィーリを守ってくれ」
「キュ?」
「すぐに戻る」
身を案じるレトの前にシンジが跪く。彼の視線は熱が宿っていた。
「ありがとうな、レト。助けに来てくれて。今度は俺がお前達を助ける番だ」
ふっと笑ったかと思うと、小さな頭に手を置いてくしゃくしゃに撫でた。
煩わしいと感じたレトだが、戸惑いも覚え好きなように頭を触られる。
何かが吹っ切れている。気を失う前の、尻餅をついたままで動けなかったシンジじゃない。
一体彼の中で何が起こっている……?
やがて、殺されかけた時とは著しく異なった雰囲気を放つシンジが立ち上がる。フィーリ達に背を向けて。
「しっかり守れよ。それじゃあな。お前の憎らしい顔がまた拝めるといいな」
それだけ言って、ロギニ達が居た方へ足を進める。
呆然と立ち尽くすレトはただ静かに、去り行く彼の背中を見送った。
スキルとは特性である。
スキルとは特技である。
スキルとは概念である。
個人が持つ特殊能力や特殊効果でもあり、獲得条件は様々である。
そして――精神の変化によってもスキルを獲得する。
〔皆本 進児〕
《追加スキル》
『ライズアップ』
・???
[着脱不可]
精神の変化が新たなスキルを生み出す。
シンジのステータスには、大事な者を守ろうとする意志が芽生えていた。




