第30話 ロギニの獣
クエストを達成しリージュに戻ってきたが、向かった先はクエスト案内所ではなかった。
どうしても見せたいものがあるとフィーリが言ったからだ。
案内所の代わりに連れてこられた場所は……ソール教の教会だった。
聖堂――外とは一変して神秘的な雰囲気が占め、奥には女性の白亜像がある。あの像はソールか――に居たシスターと会話を交え、フィーリは聖堂の隅を進む。俺は後をただついていくだけだ。
「それで見せたいものって何なんだ?」
「見せたいものはね……これだよ」
足を止め、フィーリはそっと顔を上げる。見上げた壁には一枚の絵画が飾られてあった。
「うっわ、気持ち悪……っ」
絵はまんべんなく黒い塗料で塗られていて、真ん中にいる不定形の怪物みたいなのが一人の人間を頭から呑み込んでいる。
何だこの絵は……すこぶる不気味だ。怪物の目がリアルで今にもこっちを見てきそう。
夜の時間に見たくない絵だな。まさに気持ち悪いの一言に尽きる。
口を滑らせたけど、その感想が出るのを予想してたのかフィーリは「やっぱりね」と言いたげな面持ちだった。
「この絵は『ロギニの獣』。作者は不明なの。裏面に題名が書かれてるだけ」
「獣……?」
「気味が悪いから貰い手がいなくてね、でも捨てるのは勿体無いからお御堂の隅っこに置いてあるの。悪い事をした子供はこのバケモノに食べられるぞって効果的なんだ」
黒い絵を前に、フィーリは見つめたまま語る。
効果的というか、こんな絵見たら子供心にトラウマになると思うんだが……。
「私、この絵がずっと気になってね。何度も観に来てる」
何度もって……こんな作者の精神が気になる絵のどこに観たくなるような要素があるんだ?
「俺にはこの絵の良さがわかんねえや。フィーリは審美眼があるんだな」
「それ程じゃないけど、きっと……私はこの獣と同じなんだと思う」
「同じ……?」
「この獣の気持ちが何となくわかるの。醜い姿で生まれて、捨てられて、悲しくて憎くて……だから獣は自身の創造者である人を呑み込んでる。これはきっとその様をきっと描いてると思うの」
「…………」
「ごめんね。いきなり連れてきてこんな重い話しちゃって」
詫びるフィーリだが、彼女の儚げな背中は黒い絵に向くことはない。
ほとんど人の居ない聖堂には、外から漏れる夕日が差し込んでいた。燃えるような日差しは金糸を精彩な輝きを纏わせ、一方で黒い絵はより影を濃くしていく。
黒い絵に思うところがあったフィーリの言葉が浸透するように響くのは、聖堂の中に居るせいか。
醜い姿をした獣が憎悪を抱き、創造者を呑み込む。フィーリにはそう見えた。
獣の気持ちがわかるとも言った。それは……フィ-リ自身が醜い姿で生まれたからかもしれない……。
片腕の無い状態で生まれ、親に捨てられたフィーリ。片腕の孤児として育ってきたから、この絵の意味が解るんだ。
――私は世界を憎んだ。こんな身体にした神を恨んだ。
頭にこびり付いた昨夜の言葉を思い出す。あれは創世主として胸が痛かった。
未だ黒い絵に視線を預けたフィーリに、俺はあの怨嗟が今も燻り続けてるんじゃないかと気に掛かった。
「ええっと、フィーリは……親の事をどう思っているんだ?」
「どうって?」
「その……親の事は今も憎んでいるのか? あとこの世界とか……神様とか」
ようやく振り向いたフィーリは束の間考え込み、ふっと笑った。
「全然。もう憎んでなんかいないよ。私は今を生きてるのが楽しい。もう十分に幸せだよ」
「……そうか」
屈託無く言い切り、いつもの雰囲気な彼女を見て少しほっとした。
どのような姿で生まれて、どんな苦難があってもそれを越え、喜楽の人生を掴んだフィーリの姿は眩しいものがある。
「ただ……」
ん? ただ……?
「自分がどれだけ哀れな運命を負って生まれたとしても、犯した罪は一生消えない。どれだけの善行を重ねてきても消えることはないの」
罪……罪って、フィーリが過去にやってきた犯罪の数々か。
「そんな事、気にし過ぎだって。杞憂だ」
「いや、これは杞憂じゃないよ。いつか罪を赦してくれる存在が来るまで私は自分の罪の重みに苛まれ続けるんだ」
しゅんと眉尻を下げ、フィーリは聖堂の奥の白亜像を見つめる。白亜像は少し高い位置にあり、よく観察すると慈愛に満ちた眼差しをしていた。
フィーリの罪を赦してくれる存在……。
「それってソール……様じゃダメなのか?」
「ダメみたい。自分は罪を裁定する神じゃないってさ」
「…………」
やはりフィーリは……昔の事を引きずっている。今のフィーリの行動原理は赦される事の無い過去の行いへの清算だ。
そこまで過去の過ちを背負う事は無いのに、昨夜聞いた話に気圧されてどうにも言い返す事が出来ず、悔しい思いがほんのりと立ち込めた。
「ついて来てくれてありがと。もう行こうか」
遠くの白亜像から視線を切り、フィーリはこの場を後にする。
教会から出れば黄昏前の夕日が迎えるも、胸中はどうしようもない感情が悶々と渦巻いていた。
「せっかくだから今日は酒場に寄って行こうよ。シンジはお酒飲める?」
「飲めるが強いのは勘弁してくれ」
クエスト初達成記念に酒代はフィーリが奢ってくれると言う。やったぜ。
「キュ……」
「ごめんね、レト。今日は寄り道するから先に帰っていいよ」
「キュキュー……」
どこか落ち着きのないレトに、フィーリは帰りが遅くなる事を伝える。それを聞くとレトは家がある方へ走り去って行った。
「なんだアイツ……」
「あの子ね、お酒の匂いが苦手なの。だからお酒を飲む時は先に帰らせてるし、あの子の前でお酒は飲まないようにしてるんだ」
ほほう。酒の匂いが苦手とは意外だ。これは良い情報が聞けたぞ。
「噛んでくるからって変な事しないでね」
悪巧みにニヤつく心中を察したのか、フィーリがじっとりと目線を送る。
「しないって」
絶対にしないとは言ってない(ゲス顔)。
「レトとはいつから一緒に?」
「あの子とはねえ、ある日いつも通りにモンスターを討伐していたらいつの間にか居たの」
「いつの間にか?」
「気付いたらこっちをじーっと見てて、移動すると後をついてくるの。街までついてくるものだから結局預かる事にしたんだ」
そういう経緯があったのか。初めて会った人間に警戒心無しで付いてくるとか妙な話だ。どうしてレトはフィーリに付いて来たんだろうな?
見た目も変わってるし、フィーリが犬と言ってもそうは見えないんだよなあ。
「あの子は賢いよね。最初は変わってるなーって思ってたけど、今は良い相棒で……家族だよ」
もはや小さな点すら失せたレトの姿があった方向を、空色の瞳が微笑む。
相棒で家族、ね。表情から信頼の程が何となく読み取れる。ただのペットと主人の関係じゃなく種族の垣根を越えた絆もだ。
羨ましい……とは言わんな。俺にとっちゃレトは噛みついてばかりの嫌味な畜生だ。フィーリ達のように微笑ましい信頼関係が築けるとは思えん。
ま、その予定も無いだろうからどうでもいいが。
「「かんぱーいっ」」
クエスト案内所の近くにある酒場で、俺達は初クエスト達成の祝杯を上げた。
酒は飲んでもバーとか酒の出る店は行ったことが無かったから新鮮で、でも夜のお店の空気は他の利用客の愉しげな喧騒と熱気が占めて、逆に緊張がほぐれた。
気分晴れやかに軽くぶつけたカップの中身を豪快に喉の奥へ流し込む。
おぉっ、これは果実酒か。いやーやっぱり冷蔵庫が欲しくなるなあ。冷たけりゃもっと美味しいはずなのに勿体無い。
「そういえば聞きたいことがあるんだけどさ、『パーティ』って作れるのか?」
「作れるよー。他人を誘ってクエスト案内所に申請すればパーティの出来上がり。報酬は分割になるけど仲間がいれば高額のクエストも挑めるし、初級討伐者もパーティに入ったらより安全に討伐できるの」
なるほどなあ。メリットが増すって事か。
やっぱりパーティを組んだ方が良いんだな。俺の所持スキル『絆の加護』だって活かせる。
「とは言ってもねえ……報酬額の割合で揉めたり、力の低い討伐者はあまりパーティに入れてもらえなかったりするのよねー」
異世界の事情というやつか。現実的だ。特に後半は俺にも当てはまるから耳に痛い……。
「シンジは……どうしても海へ出るの?」
「行くけど、それがどうかしたか?」
「パニティアは東の海に島々があると聞くけど、向こう側の事はあまり知らないからそこへ行くなんて無謀だと思うのよね…」
そういう事か。パニティアの人間はロンディアの存在をあまり知らないんだ。朝食の時も知らない様子だったな。
「なあに、心配するなって。その時は何とかするさ」
それでも不安の種は消えない。ロンディアを知ってる人が居ないとなると、こいつは骨が折れるぞ。
単独じゃ簡単には出来ない。上手くやるには仲間がやはり必要だ。さらに言えば、共に旅するパーティを作る必要がある。
仲間、か。付いてくれる人が居てくれたらなー……。
「あのさ……フィーリも一緒に来てくれないか?」
「私?」
「おう。フィーリが付いて来てくれたらすっげー助かる。この旅も少しは楽になると思うんだ。フィーリが良ければ……」
パーティの誘いにフィーリは一度考えるも、答えはすぐに返った。
「気持ちは嬉しいけど、ごめんね。私はシンジの旅にはついていけない。この街が好きだから此処にいるよ」
ダメかあ……。
フィーリはエッジボアを倒せる程強いし、パーティに入ってくれれば心強いんだけどなあ。
「でも……誘ってくれて嬉しいな。機会があったらいつか一緒に行ってもいい?」
「え? あっ、お、おう……?」
「シンジが行った場所を、私も見てみたいから……」
隣の席でフィーリがくすっと、暖かい笑みを向ける。まるで旅の成功を祈ってるようだ。
「ああ。いつになるかはわからないけど、期待して待ってくりぇ……っ」
「…………」
照れ臭くなっちゃったせいで舌を噛んじゃったよ……。
「……ぷっ! あははっ! さっ、今日はじゃんじゃん飲もう。お金はたくさんあるから好きなだけ飲んで」
「よっしゃ!」
和気藹々になった雰囲気の中で、異世界の酒を二人で飲み続ける。
どの酒も美味しく、現実世界で経験し得なかった愉快な時間を過ごす事が出来た。
……はずなのだが。
「シンジはさぁ~、故郷に彼女とかいるのぉ~?」
「いないよ」
酒が回り顔の赤くなったフィーリにバシバシ背中を叩かれ、その上耳の痛い話題を持ちかけられる。
時々手に持ったカップが当たって痛い……。
「ふーん。じゃあ昔はいたの?」
「一人もいない……」
「えー、つまんないのー」
酔ってるせいでオブラートに包まれてない言葉が無慈悲に害してくる。
くっ……恋人のいるいないの話題は一人もいなかった俺にはツラい。悲しくなる話だ。
「んん~。それじゃあさ~、私が恋人になってあげようか~?」
「えっ、フィーリが……!?」
「私こう見えて男の一人も付き合った事が無いからねえ~。それどころじゃないと言うか、異性の話になるとリンヴィーがうるさいと言うか~……」
「そ、そうなんだ。意外だな……」
フィーリは美人だし、付き合いの経験ぐらいあってもおかしくないと思ったんだけどな。討伐や街の住人の手伝いに時間を割いてるみたいで、恋愛をしてる暇が無いのか。
「じゃあ…………んっ」
「うぇっ?」
いきなりフィーリが顔面を掴んできて、ぐっと自身に近付けさせた。
こ、これは……何事っ?
「え? えっ? えっ!? フィーリっ? な、何を……!?」
「何って、恋人になってやるんだからキスするのは普通でしょー?」
「ファッ!?」
おいおいおいおいおいぃぃぃぃっ!! 今キスって! キスするって言ったよな!?
ほほ本気か!? 酔い過ぎだろっ!
「待ってくれっ! 急にそれは……ここ酒場だしっ、心の準備が……っ!」
「なんだよ~、腕が片方しかない女とチューするのは嫌なのか~?」
「い、嫌じゃないけどさ……って酒臭ぁっ! 飲み過ぎだって!」
相手からキスを迫ってくるとは逞しいが、強引な上に酒気が鼻腔をくすぐってムードが残念だ。
いくら美人のフィーリでも泥酔状態じゃキスしたくないと抵抗するも……単純な力勝負で負けてしまった。
まさかパラメーターの差がここで出るとは、腕力低過ぎだろ俺……。
「ほら、チューするよー」
瑞々しい唇を尖らせ、フィーリが顔を近付けてくる。酒酔いでぎこちなくも互いの唇は刻一刻と迫った。
あ……ああぁっ! 俺、ファーストキスしちゃうのか!?
異世界で、酒場で、フィーリと!?
近付く程に心臓がドッキドキバックバクと騒ぐ。唇が触れたらパァンと弾けてしまいそうだ。
まさかここでファーストキスとは、今までの自分じゃ予想できる筈がないっ。
良いのか俺!? これで良いのか、皆本進児よっ!?
『…………良いんじゃないかな?』
あっ、そっかぁ……。
異性と接吻する機会なんて今後の人生無いだろうし、フィーリがやってくるから仕方ないね。
って事で……来いやああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
漢皆本進児っ、初めてのチューをフィーリに捧げますっ!
「っ……」
唇同士が触れ合おうとしたその時、フィーリが崩れ落ちテーブルに突っ伏した。
様子を確かめてみると、眠ってるのがわかった。酔いが進み過ぎたらしい。
そ、そんなあ……このタイミングで寝落ち!? これだけ迫っておきながら未遂とかあんまりじゃないか!? 人生最高に期待したのにぃっ!
「お父さん……お母さん……」
「ん?」
微睡ながらも何かを呟くフィーリ。今のは寝言か?
「フィーリ? おーい、起き――」
「……私、を……捨てないで…………お願い、だから……」
起こそうとして、その動きが止まる。彼女の悲痛な訴えを耳朶は逃さなかった。
私を捨てないで、か……。
楽しげな喧騒の中、ただ静かに、紅潮した寝顔を見守る。
結局フィーリは酔いのせいで眠ってしまい、二人だけの祝宴はお開きとなった。
酔い潰れたフィーリを担いで帰った後、家で待ってたメアさんに後を任せて俺は自分の部屋に戻った。
外は既にわずかな灯りの点った漆黒の世界に包まれていた。
「あーぁ、今日は良い酒が飲めたなー」
他人と飲む酒がこんなに良いとは思わなかった。キスを迫られるハプニングがあったが、たまには誰かと一緒に飲むのも悪くないかもな。
「さーてと、そろそろ寝るか。そぉーれぃっ」
「ギュッ!」
「ん?」
ベッドに飛び込むと、身体の下に違和感が。どこか聞いたことのある短い泣き声も聞こえた。
確かめると、ベッドの一部がモコモコ動いていて何かが居るらしい
何だ、この盛り上がってるものは……!?
「キュオォォ……」
「げげぇっ!?」
毛布の中から出て来たのは、レトだ。さっきの鳴き声はこいつのようだ。
な、なんでコイツがベッドの中に潜んでたんだ……!?
「キュゥゥ……キャウキャウゥッ!」
乗っかってきたことに怒ってるのか、レトは歯を剥き出して跳びかかってきた!
「うわっ! 痛でででっ!! 悪かったから、やめっ! うぎゃあぁぁぁぁっ!!」
逃げようとして、酒に侵された状態ではどうにも動けず、全身に歯型を刻み込まれた……。




