第18話 深緑の中
人の手がほとんど入っていない林の中は、木々が日差しを阻んでいて薄暗い。
二人と一匹が獣道を踏みしめる音と鳥の鳴き声、時々吹いてくる風以外に音は存在しなかった。
鬱蒼とした光景は不気味な印象があり、不安が止まない。にも関わらず、フィーリと一匹の小さな生き物は、そんな事はお構いなしと歩を進めていた。きっと彼女達はこの場所に慣れているんだろう。
「なあ、ちょっと聞きたい事があるんだが……」
ここに来てから知りたかった事を、前方を歩いているフィーリに聞いてみる。彼女は歩きながら、「なに?」と返してきた。
「その……この辺りの事あまり詳しくなくてな。ここは一体どこなんだ?」
「ええっ!?」
自分達が今いる場所を聞くと、フィーリは驚きの声を上げる。信じられなーい、とでも言いたそうだ。
「うっそ……本当に知らないの?」
「あ、ああ。よくは知らない……」
「それ本気で言ってる?」
「……割と、本気」
「やっぱりシンジって変わってる。よくそれで旅出来たね。だからあんな所に居たのかも」
フィーリは呆れ、哀れむような痛い目で見てくる。
やはりというか仕方ないというか。こんな事聞けばこうなると思ったけど、良い気分でいられるはずもなかった。
「っ……悪かったな。どうせ方向音痴なんだよ」
「あー、もしかして拗ねてる?」
「拗ねてないっ!」
「やっぱり拗ねてるじゃん。まあまあ、ちゃんと説明してあげるから。ここはパニティア大陸の北方、街の外れにある林だよ」
「パニティア、大陸……」
ほほう、ここはパニティア大陸と呼ぶのか。
パニティア大陸、か。自分が創った世界の大陸に人々が付けた名前があるなんてちょっと感動的だ。
「私たちが目指しているのはリージュという街だよ。わかった?」
「わかった。……それで、この大陸は今どうなっている?」
「どうなっているって、何が?」
「戦争だよ戦争。この大陸じゃ戦争が起きているんだろう? 情勢はどうなっているのか知りたいんだ」
大陸で起きている大きな戦争について、現地の住人であるフィーリに現況を聞いてみる。
しかし、彼女から意外な反応が返ってきた。
「? 何言ってんの? 戦争って何のこと?」
「は?」
何故かフィーリは不思議がっている。戦争の話を知らないようだ。
妙だな。大陸中で起きていると聞いたんだが……。
「知らないのか? パニティアに大きな戦いが起こっているはずだろ?」
「パニティア大陸にそんな有事起こってないよ。ヘリオスフィアは長い間戦争なんてやってないし」
「はい……!?」
答えた彼女の言葉に、驚愕をこぼさずにはいられなかった。
理解が追い付かず、頭の中で混乱が生じる。
戦争が起きていない? そんな事があり得るはずがない。ソールが慌てて助けを求めてくるほどの出来事だったんだぞ。
「……戦争、起こってないのか?」
「起こってないよ」
「え……じゃ、じゃあたくさんの人が殺し合ってるって話は……?」
「ないって。そんな事があったら知らないはずないもの」
尋ねる毎にフィーリは失笑を垣間見せる。そのおかげもあって、だんだんと自信が持てなくなってきた。
おかしいな……話が全然違うぞ。
フィーリが嘘を付いているんじゃないのかと思ったが、様子から見て嘘を付いている様には見えないし、そもそも嘘を付く必要があるとは思えない。
絶対に戦争が起きているはずなのに、「長い間戦争なんてやってない」とフィーリは述べている。
この矛盾はいったい……?
「その嘘話、誰から聞いたの?」
「いや、そんなはずは……」
嘘話だって? んな馬鹿な。
あの戦場の光景が、音が、嘘であるものか。あれはトールキンで確実に起こった、間違いようのない現実だ。
虚構であるはずのない事象……ウソとは思えない住人の証言……。
噛み合わない二つの事実は、やがてある可能性を生んだ。
もしかして、このパニティア大陸は戦争をやってる場所とは別の大陸か? しかし、誕生したばかりのトールキンは、大陸が一つしか存在していなかったはずだが……。
「………………」
今の状況ではどうとも言えない。フィーリが知らないんじゃ話が進まない。
この件は後回しにして、とりあえずは何でも聞いてみるか。そうすれば自ずとトールキンの状況が見えてくるかもしれない。
「どしたの? 難しい顔して黙っちゃって」
「あ? ああ。悪い。よく考えたら俺の勘違いだったかもしれん。さっきの話は忘れてほしい」
「……ふうん」
関心を逸らそうとはぐらかす……が、容易に通るはずもなく、フィーリは怪訝そうな反応を絶やそうとしない。
物騒な話だから簡単に忘れるわけないよな……。
「あー、その……さっき言ってたヘリオスフィアって?」
「うっへぇ! それすら知らないの!? シンジの住んでたニホンってどれだけド田舎なの? こんなに常識が無い人初めて会ったよ」
「……常識が無くて悪かったな」
「それも説明しなきゃいけないんだね……ヘリオスフィアは、このパニティア大陸を治めている国だよ」
大陸を治めている……つまりこのパニティアの端から端までがヘリオスフィアってトコの領地なのか。かなり大きな国なんだな。
「千年ぐらい前は色んな国があったみたいだけど、今は統一されてるんだ」
ん? 千年ほど前……?
途方もない数字が聞こえたぞ。聞き違いか?
「いま千年って言ったのか? それ冗談だろう?」
「冗談じゃないって。来年で千年になるよ」
「ということは……今年で999年?」
ず、随分と長く続いているのな……。
「そ。今年はソール暦999年になるね」
んん? ソール暦? ソール……?
「そういえば、ソールって言葉をさっきも聞いたが……」
「ソール様はソール教の神様だよ。そしてソール教はヘリオスフィアの国教で、大陸中に各地に住んでる人は大体入信しているよ。私も入っているんだ」
「なに……!?」
聞き捨ててはならない話に、俺の心中はざわつき始めた。
あいつが……宗教の神様だって……?
なぜだ? なんで俺が知られてなくて、ソールが人類に信仰されているんだ?
「どうかした?」
「いや、何でも……その神様はたくさんの信者に崇められてさぞご満悦だろうなと思って」
「なんでちょっと不機嫌そうなの?」
「別に……」
「それでね、ソール様は光の女神で太陽の化身とも言われているんだ」
「知ってる」
「えっ、知ってたの?」
「まあな」
知らないはずがない。俺はそのソールを生み出した、より上位の神……創世主だからな。
「それならそうと言ってよ。知らないから聞いたんじゃないの?」
「話を聞いているうちに思い出したんだ。わざわざ説明してくれて悪いな」
「……変なの」
束の間フィーリは口を噤んだかと思うと、独り言のように言い捨てた。
ソールめ、俺の知らぬ間に国中の人間に崇められるような神様に成り上がりやがって。きっと謀ったに違いない。今度会ったら文句を言ってやる。
「シンジは入信してないの?」
「特には何も……」
「ダメじゃない。神様を信じていないなんて良くない事だよ」
「別に無神論を掲げているわけじゃないぞ」
この前、神様の実在を確認したしな。
「だけどな、神を信仰したって腹が満たせるわけじゃないし、世界中の人間を幸せにはしてくれんよ」
「そんなの当たり前じゃん。神は人にとって都合の良い存在じゃないもの。ソール様だっていつも甘やかしてくれるような手緩い神じゃないよ」
「うぐ……」
こ、これは厳しい事を言われたな。道理に思えて反論出来そうにない。
「フィーリは、ソール教にやけに熱心なんだな」
「まあね。ソール様はこの世全ての生命を管する偉大な神様なの」
「!?」
そ、ソールが……!?
聞いてない。ソールはあくまで光の大精神であって、そんな設定なんか無いぞ!
あいつめ、真面目で従順な振りをしてよくも勝手な事をしやがったな! 何の権限があってそんな真似を――
『あのさあ……悪いけどその仕事、お前が代わりにやってくれない?』
『私がですか? 私にそのような権限はありません。我が主がお与えになれば話は別ですが……』
『じゃあ権限与えてやるからさ。お前に任せるよ。これは決定事項な』
「あ……」
記憶の奥から掘り起こされ、脳裏に映し出されるソールとのやり取り。
そういえばトールキンの生命の管理を彼女に任せっきりにしていた……。
開いた口がピクピクとひくつく。
権限も何も、それを与えたのは他でもなく自分だった。
「だから――」
この間、フィーリはソールの尊さを話し続けていたが、それら一切が耳朶に届かず離散していく。
自らが招いた自業に、やるせない気持ちが胸に渦巻いた。
「ふぐぅ……!」
「ど、どうしたのシンジ? 気持ち悪い声出して跪いちゃってさ」
「気にしないでくれ。なんでもないんだ……」
「そうは見えないけど……」
「なんでもない。なんでもないんだが……そら崇拝されますわぁ」
「??」
「キュー?」
一方はトールキンを見捨て、一方は光の神様を務め生命の管理も勤しんでいる。
人望の差は明らかだ。それも、俺の存在が人々に知られていない程に。
「何の事を言ってるのかわからないけど、あともう少しで林を抜けられるよ。ほら、こんなトコで項垂れてないでついて来るっ。ずっと此処に居るとモンスターに襲われるよ」
「あ……おい、ちょっと待ってくれよ……」
フィーリはレトを引き連れ、さっさと先へ進み始める。
まだ落ち込んでいる状態だったが、置いて行かれるわけにはいかず彼女の後を追った。
だが、間もないうちに異変は訪れた。
「――――!」
再び歩んでいた彼女の足がまた止まったのだ。
「? どうし――」
「静かに」
いったい何があったのか聞こうとして、制止される。
フィーリの双眸は人が変わったように研ぎ澄まされていて、ある方向を見つめている。左腕の盾も構えだしていた。
状況がわからず、ふざけてでもいるのかと思ったが、どうやら違うらしい。
割とヤバそうな雰囲気が肌をピリピリと刺激した。
「キュ~~、キュウ! キュウッ!」
既にレトも身構え、何度も吠える。警戒しているようだ。
これは……何かいる。何かが近付いて来ているんだ。
今までに経験したことのない剣呑な空気が辺りを侵食し、フィーリとレトは静かに殺気を立てている。その圧に俺は押し黙ることしか出来ない。
身体が錘を乗せたように重く感じる。そう錯覚したのは、自身の潜在意識が余計な動きをしてはいけないと制限でも掛けているのか。
「――――来る」
しばらくすると、前方に影が生まれ輪郭を広げていく。地面を踏み刻む足音も響いてきた。
大きな影はのっしのっしと緩慢に近付き、一本しか道の無い空間の奥から姿を見せた。
『ブオォ……』
それは白黒のイノシシだった。
だがあの角付きライオンと同じく、現実世界で見る生物とは異なっていた。
実際のイノシシを見たわけじゃないけど、目の前にいる個体は本来のイノシシよりも一回り二回りも大きい。突然変異したようなデカさだ。
下顎から二本の牙が突き出ているが、異常に長く湾刀のような形状になっていた。もはや牙というより刀剣が生えているように見える。
小型のマンモスに見えなくもないが、あの歪な特徴を持ったイノシシなど、これまでに見たことも聞いたこともない。
白内障のような白濁の目が、異常物を捉えてぎろりと睨んだ。
「あれは……」
「あいつはエッジボア。――モンスターだよ」




