第11話 シンジの異世界転移
小さい頃の俺はどこにでもいる普通の子供だった。
ごく普通に遊び、ごく普通に勉強をする。
小学校の成績はそこそこだけど、頑張ればそれなりの結果は出ていた。
時にはスリルを求めて危ない遊びをして、時にはくだらないことで喧嘩をして。
喜び、怒り、哀しみ、楽しみ……いろんな思い出があったけれど、それはそれで当時の俺は幸福に満ち溢れていたと思う。
……だけど、だんだん大人へ成長するにつれて俺の人生はつまずき始めていく。
俺のつまずきは些細なものだ。
特に何でもない、大したことのないつまずき。
気付かぬ内に俺は他の皆から遅れ始めていた。少しずつ、緩やかに……。
気がついた時には、もう手遅れだった。
変わりゆく環境……将来の目標を作り、道程をしっかりと築く周囲の皆……。
友が、クラスメイトが、少しずつ大人への階段を上ろうとしているのに、俺は特にやりたい事も夢もなかった。
今が楽しければそれで良いと思い続けていた。自由気ままだった。
でもそれは甘い考えだった。間違いだったんだ。
大人になろうとする準備に……しくじっていたんだ……。
人は成長すると、人生には上手く行かない事があるのを経験する。
いわゆる壁とも言えるが、大抵の人間は研鑽し、努力し、それを越えようとするが、俺はそうしなかった。
怖かった。失敗をしてしまう事が。
失敗を犯してしまう事が情けないものだと認識していた……。
だから、なのか。
嫌な事や苦手なものには目を背け、克服することに抵抗を感じるのが当たり前になってしまった。
アニメや小説のような現実離れしたファンタジーに没頭し始めたのはその頃だ。夢中になったのは、上手く行かない現実に辟易していた影響かもしれない。
困難を出来るだけ避け努力することを望まず、だが甘い汁は啜りたい。社会人としての責任がまともに備わっていない奴が真っ当な人生を送れるはずもない……。
待っていたのは、灰色の人生だった。
好調はほとんど無いが、不調は多い色褪せた人生。面白味の薄い人生を現在進行形で送っている。
そしてある時、それをはっきりと理解した。
クソゲー、だとね……。
ライフ・イズ・クソゲー。まさに俺の一生にお似合いの呼称だ。
死ぬように生きるのは簡単だ。すぐに慣れてしまう。
だけど……時々心が痛むことがある。
こんな生き方はもっと嫌だ、と――。
「進児よ……お主は何という事をしてくれたんじゃ……」
様子を見に訪れ、事情を知った神様は、トールキンの内部で起こっている出来事を確認している。神様もさすがに驚愕を隠せない様子だ。
ホログラフィーは、ゲームや映画とはかけ離れた生々しい戦場の光景を映している。冗談ではなく人同士が武器を持って本気の殺し合いを繰り広げていた。
「………………」
最悪の光景を横に、俺はただただ卓袱台の前に座り、戦場から生じる叫喚と鉄のぶつかり合う音を聞き流している。尽きることのない怒号や悲鳴は、映像を通しても鼓膜をびりびりと揺らしてきた。
「なぜ止めなかった!?」
枯れたような声を荒げ、大喝を飛ばしてくる神様。
怒るのも無理はない。顔を知らない、でも確実に何年も生きてきた誰かの命が無駄に潰えたのだから。
ソールに頼まれたあの時に動けば、この結果は回避出来たかもしれない。
事態はもう取り返しがつかなくなっている。何もしてやれない……いや、何もしようとしない俺はただ黙っていることしか出来ない。
「皆本進児!! 答えんかっ!!」
沈黙を貫く俺に、神様は熱を上げたのか胸ぐらを掴み、老人とは思えない腕力で引っ張ってきた。
くぼんだ眼窩から鋭い眼光が飛んでくる。胡散臭そうな雰囲気は全く無い。
目の前にいるのは、畏怖の象徴――神だった。
「っ……痛えな。ジャージが破けるだろ……」
すぐそこにある世界で人が次々と死んでるというのに悲しみも後悔も出てこない。そのうえどうでもいい事を気にしてる、ふざけた自分がいる。感情が、心が、腐敗を始めているのかもしれない。
はは……滑稽だな。今の俺、誰が見ても最悪に最低なんだろうな……。
「お主の罪は重いぞ! 見よ、人同士が長きに渡って戦い続けておる! 無益に殺し合い、死を迎えた者の魂がそこら中から嘆きと憎しみの声をあげておるわ!」
「……こんなの、俺のせいじゃねえよ。あいつが……ソールが言ってたんだ。マーニが戦争を誘発したって。だから俺のせいじゃない。無関係なんだ……」
「お主はこの星の管理者じゃぞ! 行動を起こせば止められたじゃろう! お主の責任でもあるぞ!」
ぎりり、と歯が怒りに軋んだ。
これは俺の責任じゃない。俺のせいじゃないんだ。
「なんじゃと? 皆本進児、お主どういう心積もりじゃ!?」
「管理なんか知るか……! 俺はもう放棄したんだ! トールキンの神は辞めたんだよ!」
「ふざけるでない! お主が何と言おうと、座から離れることはない! この星の神はお主だけじゃ!」
「それでも嫌だ! 神様なんてやるつもりはないんだ!」
ソールがこれを聞いたら、きっとまたショックを受けるんだろうな……。
でも仕方が無かったんだ。苦しい生活で異世界の管理なんてやってられなかったから……っ。
「この……馬鹿者が! 恥を知れ!!」
ひどく呆れた神様は、もうたくさんだと言わんばかりに胸ぐらを離した。
突き飛ばすように離したせいで背中を少し打ってしまった。
「っ……痛……」
「まったく……大陸中そこらで人が争っておる。かなりの規模じゃ。これでは滅亡の道を辿ってしまうぞ。大精神がこれに当たっているが……はて、妙なものが滲み出ておる。これは何じゃ……?」
痛がる俺をよそに神様はトールキンの様子を眺め、眉間に皺を刻んでぶつぶつ言っている。
「これは……このままではいずれ彼らでも手に負えない事態になるかもしれないぞ……」
「はあ……」
話を聞く限りでは不吉なことが起きるらしいが、何もしてやれない無気力な俺は適当に言葉を返すしか出来なった。
だが、しばらくトールキンを凝視していた神様が突然俺を見た。
「仕方ない。かくなる上は……」
「?」
この爺さんはいきなり何を…………ん? んんっ?
身体がおかしい。妙に軽くなっているような……。
「!? なに……わっ、うわっ!」
異変に気付き、常識離れした光景を目の当たりにした。
いつの間にか身体が床から離れ始めていたのだ。
宙に浮いている……! 重力が引っ張るのを止めたみたいだ。
「え!? ええっ!? わっ! 待って! いきなり何!? どうする気だよ!?」
「どうする何も……もう一つの願いを叶えてやろうとしておるのじゃよ。お主が抱いていたもう一つの願いを、のう」
「もう一つ……!? あっ、まさか……!」
トールキンに転移させるつもりか――!
「正解じゃ。良かったの、皆本進児よ。行き掛かりではあるが特別に叶えてやろう。お主は今からトールキンに赴き、お主の手で彼らを救うのじゃ」
それは特別でも何でもないと思う。ただの派遣だ。しかも強制。
「わっ、うわ! やめろ! 離してくれよ! こんな世界、行きたくなんかない!」
「ダメじゃ。駄々をこねるでない」
じたばた暴れて抵抗するも身体は浮いたままで、落ちることも何かに掴まることも出来ない。神様の意思で自由に動かせるらしい。
くっ……逃げられない……!
「なんで俺が行かないといけないんだ!? 何でも出来るアンタが行けば万事解決じゃんか!」
「それでは意味が無い。これはお主が生み出した業じゃ。ならばお主が自分の力でそれを滅しなければならぬ。第一、お主の世界に行ってやる余暇が無いのでの」
「そ、そんなぁ……!」
「事が解決するまで戻ってくるでないぞ」
「戻ってくるなって……俺にどうやって救えって言うんだよ!」
「それは自分で何とかするんじゃな。自分でのう」
すると、足下にあったトールキンが強い輝きを放ち始め、輪を形成する。
生じた光の輪は、人が簡単に入りそうな大きさまで広がってきた。
大きくなった輪の中は何処までも空間があるように見えた。
まさか……俺をこの中に……!?
「さあ――行くがいい」
神様が告げると、それを合図に宙に浮いていた身体が再び重力に引っ張られた。
「わっ!? わっ! うああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――っ!!」
足場にぶつかる、はずだった。
浮力の拘束から解放された身体は光の中に呑まれ、あり得ない事に落下を続けている。
常識では考えられない現象だ。空間が歪みを起こしているんだ。
不思議なことに、どこまでも続く強い光の中は眩しいと感じることがなく、下から風が吹き上げることもない。
見上げると、顎鬚を撫でながら覗いている神様の姿が小さく――かなり遠ざかっている――映っていた。
「精進せよ、皆本進児。これはお主にとって長く途轍もなく……意味のある旅路となるじゃろう」
見えなくなっていく直前、何か喋っていたようだが耳に届くはずもなかった。
いつ終わるか知り得ない光のトンネルの中で、俺は情けない声を上げながら落ちていく。
希望と期待を持って望んでいたはずの異世界転移。それは思いがけない形で果たされてしまった。
以前なら願ってもない奇跡の機会だったと思う。でも実際は甘くなかった。
いつだったか覚えてないが前の俺はこう言った。
もう一つの現実世界だ、と。
確かにその言葉通りだった。そして、少し誤解をしていたようだ。
文化、思想、宗教、技術、娯楽、生態、生活……環境が異なっても、トールキンは現実であることには変わらない。決してただの架空ではない。
ライトノベルのような都合の良い展開がそう簡単に起こるとは限らない。ここから先にあるのは異なる世界での現実染みた冒険譚だ。
ファンタジーの要素はあれど、生温くない困難が待っているかもしれない……。
ビューティフルか、クソゲーか。
明日の我が身をも知れぬ、皆本進児だけの異世界生活が始まろうとしていた……。




