彼の地にて
熱ががじりじりと石畳をあぶり、そこに一滴のしずくが落ちた。
出来上がった黒い染みは瞬きの間に消え去る。
それは夏に類似する季節であろうことを知らせた。
深緑のツァルカーンへようこそ。
そう書かれた看板を男が一瞥して通り過ぎた。
しずくの出元である男が額の汗を豪腕とも呼べる腕でぬぐう。
暑さに息を深く吐き吸い込むと暑く湿った空気。
木々の深い緑のむせ返るような臭いが鼻を突く。
その慣れない臭いに鼻頭を数回指で擦るとまた前を見据え歩き始めた。
屈強な山のような男だ。
使い込まれた革鎧。
露出している腕からは猛獣の如き筋肉の塊が伺える。
燃える様な長い赤髪は後ろで結われ、背中の半ばまで伸ばされて。
その目つきは幾多の修羅場を潜り抜けただろう鋭さを湛えている。
しかし最も特徴的なのはその額に生える一本の鋭い角だ。
それは丁重に磨かれ研がれており、太陽の光りを反射し濡れる様な光りを見せた。
熊が直立した。
そう言った表現がしっくりと来る男だった。
そしてその背中には男の身長ほどもある長剣を背負っており。
握り手はその波目模様と深い褐色色から木製で出来ている事が分かる。
しかし刀身は革の鞘に収められ伺うことは出来ない。
もしも男がこの剣を振るったのならば、一瞬にして血の旋風が巻き起こるだろう。
男が立ち止まる。
少し視線を上げると円形の広場にはこの暑さの中、所狭しと並んだ露天が競うように声を張り上げる"ひと"が溢れ返っている。
爬虫類顔の、いや爬虫類の顔をした女のひとが串焼きにした肉を炙りながらその旨さを謳う。
別の露天では敷物の上に様々な色をしたガラスの小瓶が並べられ。
その効能をいくつもの触手を身体から伸び縮みさせる無形のひとが語る。
しかしその声も意識から外すとすぐにざわめきに紛れ、理解できない音の羅列に変わった。
角の男は広場の外周に沿って歩いて行く。
目につくのは軒を揃えて並ぶ木造建築物。
この辺りは木のひとが住む迷いの森が近い。
高い樹齢の木々が有り余っているのだ。
太い木々をくりぬいて作った建物の登頂には、いまだ瑞々しさを保った大きな葉が茂っている。
身の大半を住居として提供しながらも驚くべきことに尚も成長しているのだ。
木の根本では水やりをしている子供が見える。
その共生とも共存とも言える建築様式はこの街特有のものだ。
しばらく歩くと木々の一つ。
天秤を掲げる三本脚に四枚羽の鷲が彫られた看板が掛けられたドアの前に辿り着いた。
その鷹は裁定と伝達、風を司る最果てを征くものの眷族であり、旅人の館の象徴でもある。
いわゆるその日暮しのならず者の集まりだ。
しかし、ならず者の集会所にしては樹皮は丁重に剥がされ。
薬液で磨かれたその木は艷やかな飴色に光っている。
丁重に手入れされているようだ。
角の男は何の躊躇いもなくそのドアを開くと、途端に喧騒が耳を賑やかした。
まず見えたのは木の掲示板に貼り付けられた紙に集る"ひと"達。
張り出されている依頼と報酬に一喜一憂している者。
人数不足からひとを募集している者。
依頼の奪い合いをしている者。
あるいはうなだれるばかりの者。
様々なひとが見て取れた。
次に軽食を出してくれる食堂が併設されたスペース。
地図を広げ予定を立てている集団。
木の枝のような枝虫フライを皿から取り合っている二人組。
装備を机に広げ磨く女などが目に入った。
他にも他の集団に自身の売り込みをかける者も居るし逆も居る。
荒々しくも活気に溢れた光景だ。
角の男は多少の視線を感じながらも、慣れた足取りで掲示板の横ほどにあるカウンターへ向かった。
そこには女の"ひと"がドカリと脚を組みながら椅子に座っていた。
見た目は簡素な麻のぴったりとした服。
袖から見える腕には蔦が絡みついており、肌色は白と緑のグラデーション。
髪の毛は色鮮やかな青色の長髪で途中で小さな花がいくつか咲いている。
”木のひと”だ。
「こんにちは、お嬢さん。
ヌ・ドゥリ家から預けられた品を頂きたいんだが···」
そう角の男が語りかけると、麗しい見た目からは想像がつかないニヒルな笑みを浮かべながら手を差し出した。
「アシャルカよ。
はじめましてかしら」
「これはすまない。
はじめまして私はギロシェ。
浮遊都市の本部から出た依頼で来たんだが、連絡は来ているかな?」
角の男、ギロシェはそう挨拶しながらアシャルカの手のひらに乳白色のプレートと依頼内容が書かれた紙を載せた。
アシャルカはニヒルな笑みのまま。
本部から来るなんて、正にならず者エリートねなどと呟いた。
見た目は麗しく可憐だが…。
どうやらならず者たちに毒され、その性格には少々難が出ているようだった。
「あなたが来ることは聞かされてるけど、内容は聞いてないわ。
まぁ巨獣殺しの呼び名を本部から貰った貴方みたいなのが来るんだから…。
たいてい予想つくけど」
ちゃらちゃらと乳白色のプレートを手で弄び。
気だるそうに椅子にもたれ掛かり。
ここが"あそこ"に一番近いから商売繁盛も良いところよと言いながら、天井の木目を見ている。
その視線は既に次の休日に向かっているようだ。
ギロシェが受け持った依頼はおそらくはアシャルカが察する通りで。
光と熱を司る始まりの光輝が住まう星。
それがまだ低い位置にあった頃、突如として現れた新大陸。
そこには星光を遮る金属に奉仕する光無きひとが住まうという。
噂によれば全身が金属で出来ており、闇の中でその双眼を浮かび上がらせるだとか。
別の話では竜の如き咆哮をもつものだとか。
浮遊都市では口封じの達しが出ていたが、その甲斐なくそういった話題が溢れかえっていた。
そして今回の依頼。
光無きひと達との交流を持ちたいという金持ち連中。
そしてこちら側に興味がある光無きひとも居るらしい。
数日の間、光無きひとと行動を共にする。
それがギロシェの受けた依頼の内容だった。
どちらにしろ星の光を遮るなど…。
ギロシェ達にとっては恐ろしい事であり無知で野蛮なことだ。
空に輝く無数の星々には必ず星の主が座している。
それは世界では常識になっており。
その星の輝きを以て信奉するひとびとに加護を与えている。
赤き輝きならば炎熱の、青い輝きであれば水や、氷、冷気のように。
星々の加護なくしてはこの世界で生活などできようもない。
ギロシェはその噂だけで形度られた光無きひとを想像するとごくりと唾を嚥下した。
表情にでていないだろうかと内心思いつつ、依頼主のヌ・ドゥリ家からこの冒険者ギルドへ預けられている品を要求した。
アシャルカは小さくため息をつくと、のたのたと別室の保管所に向かい数分後。
手のひらに乗るほどの黒い小さな木箱を持ってきた。
ヌ・ドゥリ家が用意したお近づきの品と言ったところか。
光無きひとへと。どうにも恩を売っておきたいという心算が見て取れた。
「わかってると思うけど開封は厳禁。
封を望まぬひとが開いた場合こっちで解るようになってるから。
本部から来たあなたがそんな馬鹿なこと言われてもしないとは思ってるけど」
そのようなマニュアル通りの説明を受け、差し出された用紙に受領したというサインをギロシェは記入した。
貴方、図体の割に几帳面な字を書くのね。
などと褒め言葉なのか侮辱なのか分からないことを言われたが。
アシャルカはサインのちょうど真ん中で器用に紙を2枚に切り割り、片方を受取の証明として渡してきた。
「あと、仲間がほしかったら使えそうなロクデナシを紹介してあげる。
薬はここを出て対面にあるウヴァールおばさんのとこがおすすめよ。」
「ありがとう。
しかし今回は依頼内容に一人で遂行することが義務付けられていてね。
薬はその店にいってみるよ」
「そ、じゃあ上手く行くことを祈ってるわ。
星の光あれ」
「星の光あれ」
そう祝福の言葉を交わしてギロシェは旅人の館から去るのだった。
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信頼できる仲間、店や職人、情報源は宝だ。
特に俺達みたいな根無し草にはな。
息の合わないやつらが足を引っ張り合って死ぬのも見てきた。
バカみたいに割高な店にぼったくられるのも。
そして適当な情報に死にかけるのも。
だから、ずっと俺は自分以外信用しちゃいねぇ。
「孤高の ドゥーイナール」