こんな日など無くなってしまえええええ!!!
暗がりの書庫。ひとつの小さな窓から差し込む月明かりを除けば、たった三つの天井から吊り下げてある電球のみで、その書庫は明りを灯していた。
そんな書庫には二つの影が当たり前のように存在していた。
ひとつの影は木で出来たとても装飾がきれいな椅子にまたがっており、もうひとつの影は地べたに座り込み、少し分厚い本を読んでいるようだった。
二つの影はやることがなく、ただ時間を消費していた。二つのうち、椅子にまたがっている方が、本を読んでいる影に向けてどこか気だるげに口を開いた。
「なあ、キイ、暇」
その声は少年のように幼く、青年のようにどこか野太い声だった。どうやらこの影は男らしく、よく見ればからだ全身にきっちりと筋肉がついてとてもさわり心地の良さそうなものだった。
肌は白く、紙は黒く襟足まで伸びている。そして黒い洋服を着て、暗いコートを部屋の中だというのにしっかりとボタンを閉めて着ていた。
そんな男にキイと呼ばれたまるで人形みたいに幼く、かわいい青と黒が混ざったロングヘアをしている少女は読んでいる本から目を離さずに自分に差し出された言葉に答えをのべる。
「寝てみてはいかがでしょうか? キリト様。ほら、寝たら時間なんてあっという間に過ぎてくれますから」
キリトと呼ばれた男は一度ちらっと、小さな窓枠から溢れている月明かりを見てから、それもそうだなといい、目を閉じようとした――時だった。
「寝るにしてはまだ時間が早すぎると思うぞ?」
そんな声が背後から聴こえてきた。
その声は言い方とのギャップに激しく、とてもかわいい幼女の声だった。が、そんな声でさっきまで気だるそうに話していた二人は、まるで時が止まったかのように動きを固まらせ、顔を青くさせた。
キリトはギギギと音が鳴りそうな位、恐る恐るゆっくりと首を軸に後ろに振り向く。
その振り向いた先にいたのはとてもきれいで、どこか偉大なオーラを放っている、妙に丈の短い黒い着物に黒く長い髪を垂らして、黒い下駄を履いた女性だった。その女性はその反応にだらしがないというようにため息を吐きながら、彼らを見下ろしてきた。
「なんだその反応は。まるで化け物でも見るようではないか。我はお前らに何もしていないと思うが」
それに体のすべてを女性のほうに向けることができたキリトが愛想笑いを浮かべながら言葉を返す。
「そうだな、なんでだろうな。なんだかハギナさんの声を聴くだけで自然と体が強張っちゃってしょうがないんですよ。天界に降りていた時のことでも思い出しちゃうのでしょうかね」
キリトと呼ばれる人物は、昔ある罪を犯した。それは彼にとっては死活問題ではあったが、やりすぎということで天界に彼は落とされた。
彼は吸血鬼であり、人間の血を吸うもの。けれど、彼は吸血鬼でありながら普通の食べ物でも生活できる。つまり、血を吸わなくても生きていける吸血鬼なのだ。それなのに、昔の彼は人間の血を大いに好んだ。飲みすぎなほどに、いろんな人間の血を飲み干した。飲み干して、殺した。
死体の山を作り続けた。
彼にとってはそれは過去のことであり、今ではやんちゃ時代、黒歴史と呼んでいる出来事だったが、そんな出来事のおかげで彼は約百年間天界にて生活をさせられたのだった。
「天界はいいところだっただろ?」
そんな彼の出来事を知っているハギナと呼ばれた女性はどこか思考を覗かれていると錯覚するような笑顔をキリトに向かって見せる。
それに彼は呆れるようなそぶりを見せ、溜息をついた。
「いいところじゃねえよ、生き地獄だろあれ、天界じゃねえだろ、地獄だろ」
「そうだな」
「認めるんかい」
あっさりと楽しそうにキリトが言ったことを認めたハギナは、手をぶらぶらと揺らしながらつまらなさそうにキリトを眺める。
「だって、天界の長なんて鬼がやっているんだから、どちらかというとそっちの方になるよなって」
「その長がお前なんだがな」
ニヤリとハギナはその言葉とともに笑みを見せた。
そう、ハギナと呼ばれるものは人間ではない。鬼だ。普段は角は出ていないが、出そうと思えば角も出るし、金棒や刃物をふるう。そうそうしないが。
彼女は基本的に死を望まない。
だから、天界には殺すという概念は存在しない。
せいぜい死なない程度に相手を痛めつける程度だ。
けれど、その死なない程度に相手を痛めつけられるのが苦痛でたまらなく、毎日殺してくれと咽び泣く声が天界に響いている。が、そんなものがかなう日など天界にはやってこない。どうやったって殺しはしないからだ。
もし殺したのならばと思おうかもしれないが、一度天界に入ってしまえば天界から出るまで死というものは存在しなくなる。
言ってしまえば、天界はどうやったって死ねない場所なのだ。
舌を抜こうが、爪を剥ごうが、歯を抜こうが、臓器をえぐりだそうが、どうやったって死なない場所、それが天界だ。
そんな天界の長であるハギナは笑いながらそうだなと言って見せた。
とても美しく、気を抜くと魂を抜かれてしまうのではないかという笑い顔を浮かべている彼女に、キリトは本題とばかりに、質問を投げかけた。
「で、そんな天界の長であるハギナ様が何の御用でしょうか」
それに今まで怖くてぶるぶると震えていたキイがうんうんと首を振る。声は出なかった。
少女はキリトのように人を食料とするのを昔から好まなかったのでそんなに罪は重くはなかったが、それでもキリトの助太刀をしたとして二十年だけ天界に落とされた。なので、彼女も少なくても地獄の日々を体験しているのだ。
天界に落とされた当初、彼女はまだこの世に生を受けて数十年しかたっていなかった。人間でいうといろんな想像力が芽生える時期。そんな時期に彼女は早くも天界に落とされたのだ。もちろん効果は絶大で、そのころの恐怖心は彼女の神経奥深くに根付いている。
だから、そんな場所の長である女性を見て、平常心でいることなど無理なことだった。
が、そんなことは気にせず、ハギナは着物の裾からあるものを取り出して答えた。
「ああ、さっきマセツから菓子をもらってな、なんでもお供えでもらったがたくさんありすぎて食べたくなくなったって。それでもらった分も結構膨大な量だったもんでな、お前らに消費させようと思ってきたんだよ」
そういって袖から出したキャンディーやらパイやら煎餅やら何でもかんでもお菓子というものを詰め込まれた袋を揺らして見せてくる。
その光景にキイは唖然としてしまい、キリトはとても悲しそうな表情をしながらため息をついた。
「何そのパシリ感、というか、なんでそんな量がそんな袖の中から出てくるの」
「なんでも今日は人間界ではハロウィンというやつでな、人間たちはハギナが化けて出ないうちに先にお菓子を上げて黙らせる魂胆だったらしい」
「おい、話がかみ合ってないぞ」
キリトのそんな言葉に仕方ないなとつまらなそうに彼女は呟き、いいかと言葉を再開させた。
「察しろよ、我たちはハロウィンとか関係ないけどさ、魔族なんて四六時中人間の命を狙ってる馬鹿どももいるってことを知っているし、そんな祭りやったって何もならないと知っている。
だが、貰っちゃったものはしょうがない。で、ハロウィンって人間どもが吸血鬼とか、魔女とかに扮装して悪霊を自分に付かないようにするんだってさ、で、我の知り合いでまともになったそういうやつで一番最初に思いついたのがお前らだったってわけ」
要するに、キリトたちはまだパシリではないらしい。
が、どちらにしても彼たちが彼女に理由がどうであれ、使われるのは確かのようで、彼らはため息を吐きながらも、自分らには恐ろしいことが起こらないとわかったので、顔を見つめながら戸惑う表情を口角を上げ、笑ってその場をたった。
ハギナの前に立つとおずおずとキイが彼女の顔を見て、その手に持っているものに視線を移した。
「えっと、ハギナ様、これ貰ってもいいの……ですか?」
その行動に少し心打たれたハギナは顔を緩ませながら答える。
「いいぞ。はい、ハッピーハロウィン」
「!! ありがとうございます。キリト様どケチだから人間界のお菓子などなにもくれないのです。初めて食べるのでワクワクですよ」
そうさっそくハギナの持っている袋からクッキーを取り出してもぐもぐとほおばりながらキイは毒づいた。
今日は、十月三十一日。高校受験生である凛和は遅くまで塾に行って真っ暗闇の中家の玄関に立っていた……ということはなく、夕方に直接家に帰ってから紺色のセーラー服に身を包んだまま、とあるお菓子屋さんにあるものを買いに行って少し暗くなってしまった玄関の前に立っていた。
そんな凛和はすーはーと呼吸を整える。
彼女が出かける前は兄も兄の友達も誰もいなく、部屋は真っ暗だった。が、今はわからない。誰かが帰ってきているかもしれない。
というか、すこし玄関から光が漏れているところを見て、誰かが帰ってきているのは決定的事項だった。
帰ってきているのならば、とてもじゃないほどの注意が必要だ。そう凛和は扉の前で五分ほど自分に言い聞かせている。
長いと言われるかもしれない。が、この家に入るためにはそれぐらいの心の準備が必要なのだ。いや、これでは少ないかもしれない。だが、彼女はもう自分の家につながる扉に手をかけようとしていた。
行動原理としてはもう凍えそうな寒さの中に身を投じていたくないということだろうか?
彼女が手をかけた扉が、彼女によって開かれる。と、その中からなんだかとても赤い何かが飛び出してきた。
それを見た瞬間、凛和は勢いに任せて扉を閉める。が、別の力によってその扉はあけられてしまった。
「お帰り凛和! トリックオアトリート!」
片手になぜか生卵を構えた私より四歳は年上の凛和の義理の親族である弥生閠は返り血を浴びたゾンビのような恰好をして彼女を心底楽しそうに出迎えた。
そのゾンビの格好は本格的で、特殊メイクまで見事に忠実に施され、これがゾンビですよと言われたのならば、普通に信じてしまいそうなクオリティーである。
このようなクオリティーは年々とランクアップしており、ホラーが平気と言えない凛和にとって喜ばしいことではなかった。だから、玄関の前で凛和はあんなにも深呼吸をしていたのだ。
それでも彼女の心臓は今にも出そうで、その場に目に涙を浮かべて尻餅をついてしまっていた。
「お兄ちゃあん……マジでやめてよお……」
「トリックオアトリート!」
妹の嘆きに目を向けず、閠は片手に握っている生卵を高く上げる。
どうやら本気でお菓子を上げないと何もしてくれないらしい。凛和は呆れながら上体を起こし、さっき買ってきたお菓子を掲げる。
「これを上げるからその手に持っているものを下して、食べ物を無駄にしないで」
それを閠はとてもうれしそうにしながら勢いよくとった。はたから見ればとてもかわいい小学生のおびえている少女から何かの契約とばかりに当たり前のように血肉をいただく化け物のようだった。
「あざます! やはり凛和は準備がいいな! あと大丈夫か!? すまんな、この仮装は下が見にくくってしょうがないんだ」
「うっさい、十九になってまでこんなことしないでよ、というか、去年よりも数段にグレードアップしてるんじゃないよ、マジで怖いよ、鳥肌もんだよ、絶対夢に出るよ、本当にやめてよ」
凛和はつらつらと怒りを並べながら嬉しそうに菓子が入っている箱を見ている兄を眺める。その光景はひどく異様だったが、彼女は悪い気はしなかった。
そして、彼女は自分の家に入った。
そして、忘れていた。
中にはもっとひどいものがあったのが。
「うぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!」
凛和は家に入るや否や早速叫び声を上げ、腰を抜かす。
その体を閠が支えた。が、彼は今ゾンビの格好をしている。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
凛和はほほに塩水の線を浮かべ、またもや叫んだ。もうここは家でも何でもない。お化け屋敷だ。
そして、彼女の喉は明日痛くなることは確定された少女は自力で自分の体を支え、自分の靴をきっちりと脱ぎ、走り出した。が、またもやとある言葉が彼女の耳に届いた。
「トリックオアトリート!」
さっきと違うのはその声の主が二人ということと、女子が独り混じっているということだろうか。
一人はとても傷だらけの魔女、もう一人は毛深い狼男の仮装をしていた。もうクオリティーが高すぎて見た目では誰が誰だかわからない。
が、声で一応だれか分かった少女は大声を上げた。
「葱楽さん、武藏さんこんばんは! お兄ちゃんに買ってきたお菓子を上げたので、それで満足してください! それでは私は怖いので逃げます! じゃあ!」
そういって少女は自室に飛び込んだ。
すると、その少女の自室の中には何やら血糊が付いているフリフリが付いた何かが置いてあった。
その上には紙が置いてあり、『これを着てね♡』と書いてある。
「……絶対嫌だ」
そんな彼女の魂が抜けるような声が、彼女の部屋の中で小さく響いた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ここで出てきたのは本編でもちゃんと出てきております。ここよりももっとおかしなことをやらかしていますので(主に兄)よかったらどうぞ。