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鳥の詩

作者: 古河 聖

「……うわ、最悪」

 梅雨ど真ん中の、6月のある日。昇降口で靴を履き替えた私、高橋(たかはし)(つぐみ)は、絶え間なく降り注ぐ水の滴を前に思わずそんな呟きを漏らした。梅雨だから仕方ないのかもしれないけど、こうも連日雨模様だとさすがに気が滅入る。今朝は晴れ間が見えていただけに余計だ。

 カバンに折りたたみ傘入れっぱなしにしてて助かったなぁ、とか思いながらカバンに手をつっこんで、気付く。

「……あ、昨日使ってから入れなおしてない……」

 そういえば昨日も午後から雨で、入れっぱなしの折りたたみ傘に感謝しながら帰った気がする。

 ……あ、あれ? じゃあ私、今日は傘なしで帰らなきゃいけない?

「……はあ。ほんと、最悪」

 憎き雨雲をしばし睨みつけ、溜息を吐く。さて、どうやって帰ろう。できればダッシュでは帰りたくない。夏服結構薄いし。お兄ちゃんでも召喚しようか。でも、さすがに別の高校に通う兄をわざわざ呼び寄せるのは気が引ける。

「うーん……」

「……あれ、高橋さん? どうしたの?」

 どうしたものかと途方に暮れていると、後ろから声をかけられた。振り向くと、うちの高校の制服を身に纏った男子生徒が立っている。見覚えは特にない。なんで私の名前を知ってるんだろう?

「……えっと、どちらさま?」

「ひどっ! もう2ヶ月以上経つんだし、クラスメイトの名前くらい覚えようよ……」

 まさかのクラスメイトだった。……やばい、全く記憶にない……。

「えっと、今思い出すから待ってね……えーと、佐藤くん!」

「ハズレ」

「じゃ、じゃあ、鈴木くん!」

「ハズレ」

「高橋くん!」

「それはキミだよ」

「なら田中くんでどうかな!」

「……高橋さん、さっきから日本で多い名字を上から言ってるだけじゃない?」

「うぐっ」

 ばれてしまった。

「……ごめんなさい、思い出せません」

「うん、まあ、だと思ったよ。俺は伊藤(いとう)。伊藤(あきら)

「5位!」

「……そうだね。不本意だけど、案外正解には近かったよ」

 もう一つ言っとけばよかった。そうすればクラスメイトの名前も覚えてない子とは思われずに済んだのに。……え? 4回も間違えたらすでに手遅れ? や、やっぱり? どうしよう、伊藤くん怒ってるかな……?

「それで高橋さんは、昇降口で突っ立って何してたの?」

 そんな私の心配をよそに、伊藤くんは特に変わった様子もなく普通に尋ねてきた。……あれ、もしかして怒ってない……? 伊藤くんって、すごく心の広い人だったり……?

「ロスト、マイ、アンブレラ」

 とりあえず質問に答える。少し動揺していたので英語力がにじみ出てしまった。

「失くしたの?」

「ううん、家に忘れてきた」

「じゃあ、ロストじゃなくてリーブだね」

「……!」

 どうやら私ににじみ出るような英語力はなかったようだ。

「まあ、それはさておき。よかったら俺の傘貸そうか?」

「えっ? い、いやいや、そんなの悪いよ!」

 名前も覚えてなかったのに、その上傘まで借りて伊藤くんを傘なしで帰らせるとか、いよいよ私最低人間だから!

「大丈夫だって。俺駅までだし、走ればそんなにかかんないから」

「いやいやいや、それを言ったら私だって駅までだし、私が走るよ!」

「あ、高橋さんも駅なんだ」

「うん」

 駅までダッシュは避けたかったんだけど、この際仕方ない。それ以外の選択肢を選ぶと私の心が申し訳なさで押しつぶされるし。せめて伊藤くんには濡れないで帰ってもらわないと――って、そうか、その手があった。

「じゃあ、一緒に帰ろうよ」

「……えっ?」

「せっかく目的地が一緒なんだし、、駅までその傘一緒に使えばいいんじゃない?」

 それなら私の申し訳なさも少しは軽減されるし。まあ、すごく申し訳ないことに変わりはないんだけど。

「い、いや、でも……その、高橋さんはいいの?」

「なにが?」

「だから、その……男子と同じ傘で帰ったりして。噂とかになったら、困ったりしない?」

「別に気にしないけど」

 そもそも私から傘に入れてほしいって頼んでるんだから、そんなこと気にするわけないのに。

「あ、そ、そう……」

 そう思いながら即答したところ、伊藤くんは肩を落としてしまった。

「……どうしたの? 私、なにか失礼なこと言っちゃった?」

「え? あ、いやいや、全然! 大丈夫だから!」

 ストレートに尋ねると、伊藤くんは少し慌てたようにそう返してきた。……まあ、本人が大丈夫って言ってるならいいか。

「そう? なら、そろそろ行こ。いつまでもここにいてもアレだし」

「あ、そうだね。俺も電車結構ギリギリだし」

 スマホで時刻を確認した伊藤くんがそう言いながら開いた傘に私もお邪魔させてもらい、並んで歩き出す。

「このあとなにか用事とかあるの?」

 もし私のせいでその用事に遅れたりしたら、私いよいよどう詫びたらいいかわからないんだけど。

「ああいや、そうじゃないよ。俺、幸手から通ってるからさ。次のやつ逃すと20分くらい待たなきゃいけないんだ」

「あー。日光線か」

 私たちの通う高校の最寄り駅、春日部駅の東武線下り列車は数分おきにやってくる。ただ、3駅先の東武動物公園駅から伊勢崎線と日光線という2つの路線にわかれるので、行き先は結構バラバラだ。東武動物公園から通う私はどの電車に乗っても帰れるので、1本逃しても数分待つだけで次が来るけど、幸手駅のある日光線はタイミングによっては1本逃すと20分近く待たされる。そりゃ、後に用事がなくてもできれば避けたいよね。

「高橋さんも下り?」

「うん。私は東部動物公園」

「じゃあ、途中まで一緒だね」

「そうだねー」

「…………」

「…………」

 会話が途切れる。同じ傘に入ってかなり至近距離にいるので、沈黙が結構気まずい。こういうときって、なに話したらいいんだろう……? 普段あまり男子と会話をしないのでよくわからない。

「……えっと、高橋さんって英語苦手なの?」

 なにか話さねば、と焦っていたところに、伊藤くんが助け舟を出してくれる。どうやら先のやり取りで私の英語力の低さが露呈したらしい。

「あれができる人類なんていないよ」

「人類⁉ いやいや、イギリス人とかアメリカ人とか、最初から英語話す人いっぱいいるよ⁉」

「……そういえばそうだね」

「気付いてなかったの⁉」

「だって、あの難解な言語がペラペラ喋れる人がいるとか、ちょっと想像できないし」

「いや、英語は結構簡単な部類の言語だから! ……はぁ。高橋さんってどれだけ英語嫌いなの……?」

「毎度テストがギリギリ一桁なくらいには、苦手だし嫌いだけど」

「赤点とかいうレベルじゃない⁉」

 さっきから伊藤くん、よく叫ぶなー。どうしたんだろう?

「……高橋さん、よくそれで高校入試平気だったね……」

「まあ、英語以外は満点だったからね」

「極端! さっきからいろいろ極端すぎるよ高橋さん! ……ああ、柄にもなくすげー叫んでツッコミいれてたら、喉痛くなってきた……」

 あ、原因私だった。どうしよう、今日はホントに伊藤くんに迷惑かけてばっかりだよ。

「……よかったらこれ飲む?」

 とりあえずお詫びの印に、ペットボトルのお茶を差し出す。

「……え? あ、えっと……」

 しかし伊藤くんはお茶を受け取らず、顔を赤くして黙ってしまった。……あれ? もしかして怒らせちゃった? やっぱり飲みかけを渡すのは失礼だったかな。

「……ごめん。今すぐ新しいお茶を――」

「え? ああいや、違う違う! そういうことじゃないよ! ただ、その……いいのかな、って」

「……? なにが?」

「だから、その……。……まあ、高橋さんが気にしてないならいいのか……?」

「……⁇」

 伊藤くんはさっきから何を気にしているんだろう? よくわからないけど、とりあえずお茶を渡す。伊藤くんはややぎこちない動作でフタを開け、お茶に口をつけた。

「…………あ」

 そこでようやく、伊藤くんがなにを気にしていたのかに思い至る。な、なるほど……そうか、これ、間接キスになるのか。よく天然だと友人たちから言われるけど、まさかこの段階まで気付かないとは。ああっ、私がこんなタイミングで気付いちゃったせいで伊藤くんがどんどん赤く……! やばい本当に申し訳ない。

「……えと、あ、ありがとう……」

「……う、うん……」

 ……あー、さっき以上に気まずい。もうどうしたらいいのこの空気。

 思わず頭を抱えたくなったその時、春日部駅に到着した。

「時間は大丈夫そう?」

「……うん。なんとか間に合いそう」

 それをきっかけに話題をそらせたことで、空気も多少和らぐ。ああ、助かった。

 改札を抜け、ホームに辿り着いたところでやってきた急行南栗橋行きにすべり込む。ふう、なんとか間に合った。

「そういえば高橋さん、電車降りた後はどうするの? 雨、しばらく止みそうにないけど。なんならこの傘持ってく?」

「いやいや、ほんとにそれは申し訳ないから! 家まで大した距離もないし、ダッシュすれば平気だよ」

「そう? 風邪とかひかないように気をつけてね」

「……。……あははっ、心配してくれてありがと」

 まさかそんな心配をされるとは。……うん、確信。伊藤くん、めっちゃいい人だ。……え? 気付くのが遅すぎ? い、いや、薄々感づいてはいたよ?

 などと雑談をしているうちに、乗り込んだ急行は途中の2駅を通過し、あっという間に東武動物公園に到着した。

「じゃあ、私はここで。今日はホント、いろいろありがとね」

「いやいや、大したことはしてないよ。じゃあ、また明日」

「うん。また明日ー」

 軽く手を振り、出発する電車と伊藤くんを見送ってから、階段を上がって改札を抜ける。階段を下り東口に降り立つけど、やっぱり雨は止んでいない。それどころか、若干勢いを増しているような気がする。……でもまあ、仕方ない。傘を忘れた私が悪いのだ。諦めてダッシュしよう。よーい、どん!

 駆け出して10歩も行かないうちに後悔した。しかしたった数歩でも既に全身びしょびしょなので、今更引き返したところでなにも変わらない。せめて1秒でもはやく家にと、出来るだけ全速で走ること5分少々。ようやく家に着く頃には、濡れてない部分がない程びしょ濡れになった。これは多分、傘があってもかなり濡れたに違いない。うん。

 そうやって自分に言い聞かせつつ、玄関をくぐる。

「ただいまー……」

「おかえりー……って、ぶっ! ちょ、おま、なんて格好してんだよっ!」

 入ってすぐ、タオルで髪をふく兄、高橋(すばる)と遭遇した。

「あ、お兄ちゃん。私にもタオル」

「あ、俺の発言は無視ですかそうですか……まあ、どうせお前のことだからあれだろ、昨日使った折りたたみ傘をしまい忘れて傘なしで帰ってきたんだろ?」

「うるさいなぁ。いいからタオル」

「はいはい」

 文句を言いながらも兄が持ってきてくれたタオルで、取りあえず拭けるところを拭く。でも、あまり効果はない。できればすぐにお風呂入りたい。

「ねえお兄ちゃん、お風呂沸いてる?」

「……沸いてるけど」

「やった。じゃあ、入ってくるね」

「……俺が今から入ろうと思って沸かしたんだが」

「なに? こんなにびしょ濡れの可愛い妹ほったらかしにして先に入るつもり? 私が風邪ひいたらどうするの?」

「……はぁ。わかったよ。その代わり、これで俺が風邪ひいたら看病してくれよ」

「やなこった」

 言い捨て、脱衣所に駆け込む。普段から私たち兄妹のやり取りはこんな感じだけど、兄妹仲は別に悪くない。むしろいい方だと思う。ちょっと素直じゃないだけで、お兄ちゃんは結構優しいし。

 湯船でしっかり温まった後は、リビングでお菓子をつまみながら伊藤くんへのお礼について考える。やっぱり、ここまでしてもらったのに感謝の言葉だけで済ませるのはよくないと思う。でも、男子へのお礼ってどうしたらいいのかよくわからない。なにを貰うと嬉しいんだろう。

「ふぅ、温まった」

 悩んでいたその時、私の後でお風呂に入っていた兄が出てきた。……ちょうどいいし、一応聞いてみようか。

「ねえ、お兄ちゃん。男子って、なにを貰うと嬉しいのかな」

「……ど、どうした急に。そういう年頃か?」

「そういうんじゃないよ。今日、かなりお世話になったクラスメイトがいてさ。その人にお礼しようと思うんだけど、どういうのがいいかわかんなくて」

「なるほど……。別に――」

「あ、なんでもいい、っていうのはなしね」

 それじゃ参考にならないし。

「うぐっ……。そ、そうだな……」

 兄が悩み始める。やっぱりなんでもいいって言うつもりだったか。釘をさしといてよかった。

「……あ、お菓子とかどうだ? あんま高いものとかちゃんとしたものだと、こっちも遠慮したり気を遣ったりするけど、お菓子ぐらいなら丁度いいと思うぞ」

「……なるほど」

 兄にしては割とちゃんとした意見が返ってきた。確かに、伊藤くんの性格だと絶対高そうなお礼とか遠慮しそうだし、お菓子くらいが丁度いいかもしれない。

「ありがと、参考にする」

「おう、役に立てたんならよかった」

 兄にお礼をすると、私は早速キッチンに向かって調理を開始した。


 翌日。昨日の雨が嘘かのような青天の中、いつも通りに登校する。教室に入ると、伊藤くんは既に教室にいた。……って伊藤くん、私の後ろの席じゃん。後ろの席の人の名前も覚えてなかったのか、私。我ながらひどいな。

「おはよ、伊藤くん」

 声をかけながら、自分の席に着席する。

「あ、高橋さん。おはよう。昨日あの後大丈夫だった?」

「うん。こちらこそ、昨日はありがとね。これ、昨日のお礼」

 カバンからクッキーの入った包みを取り出し、伊藤くんの机に置く。一応、手作りである。

「そんな、気にしなくていいのに」

「私はするの。だから受け取って。味は平気だから」

 お兄ちゃんにも味見させたし。

「まあ、高橋さんがそう言うなら、ありがたくもらうよ。ありがとう」

「うん」

 無事に受け取ってもらえ、ひとまずホッとする。あとは、味かな。口に合うといいんだけど、今食べてもらうのもアレだし。明日あたりに感想聞いてみればいいかな。席も後ろだから、すぐ聞けるし。

 このことをきっかけに私は、それまで名前も覚えていなかった一つ後ろの席の男子生徒と会話を交わすようになった。



 7月。伊藤くんと話すようになってから大体1ヶ月くらいが経った。といっても、話す頻度や時間はそう多くはない。私にも伊藤くんにもそれぞれ友達はいるし。1日に1度くらい、業間の10分で雑談をする程度だ。

 そして今日も、そんな10分の時間。

「……あづい」

「あはは……まあ、気持ちはわかるよ」

 後ろの席を振り返りながら愚痴ると、伊藤くんも苦笑しながら同意した。教室の中でも窓際に位置する私たちの席は、容赦ない夏場の日差しが突き刺さるため、多分他のクラスメイトの5割増しくらいで暑い。

「なんか最近の夏は異常に暑いよね。これもアレかな、温暖化的なアレの影響かな……」

「かもしれないね……」

 それに反比例するように私たちの会話のトーンは5割ぐらい低い。すべては夏が暑いのが悪い。

「こんな暑いのに、どうしてうちの学校にはプールがないんだろう……」

「それは本当に困ったよね……」

 我が校には夏場の体育の定番、プールが存在しない。代わりに外で球技とかやったりする。生徒たちを殺す気なのだろうか、この高校は。

「……でもさ、高橋さんは家の近くにプールあるじゃん。そこ行ったらどう?」

「……? ……あっ、東武動物公園か!」

 もちろん駅のことではなく、そのすぐ近くにある遊園地と動物園が一緒になった、駅名と同じ名前のテーマパークのことだ。そこでは、夏場だけプールもやっているのだ。流れるプールや波のプール、ウォータースライダーなどがあって、結構楽しめる施設だと思う。しばらく行ってないのですっかり忘れてた。

「その手があったか! 伊藤くん天才だね!」

「いや、それは持ち上げすぎだと思うけど……」

 ああ、その存在を思い出すと俄然行きたくなってきた。

「で、いつ行くっ?」

「…………え? 俺も行くの?」

「あれ? 違うの?」

 提案してもらっておいて、私一人だけ行って満喫してくるのもおかしいから、そういうことだと思ったんだけど。

「い、いや、まあ、高橋さんがいいなら、行ったこともないしできれば行ってみたいけど」

「じゃ、決まりだね。今週末とかでも平気かな?」

「うん、特に用事はないよ」

「じゃあ、今週の日曜日で」

「了解」

 こうして、2人でプールに行くことになった。


 あっという間の日曜日。幸手から電車で来る伊藤くんに合わせて駅で待ち合わせ。いつも利用する東口ではなく、テーマパークのある西口側で日陰に隠れながら待っていると、たくさんの家族連れや恋人たちと一緒に階段を降りてくる伊藤くんを発見した。やっぱり混むよな~、と思いつつ、大きく手を振って伊藤くんに自分の居場所を伝える。伊藤くんもすぐに私に気付いて、比較的素早く合流できた。

「おはよ、伊藤くん」

「うん、おはよう。いやー、すごい人だね」

「3連休の真ん中だしねー。すぐに合流出来てよかったよ」

「ほんとほんと。今日ははぐれないように気をつけないと」

「だね。じゃ、私たちも行こっか」

 2人で並んで、人ごみに乗るように歩き出す。まあ、みんな目的地は一緒だろうから、このまま歩いて行けば大丈夫だろう。

「今日はどこからまわる?」

「うーん、俺は初めてだからなー。高橋さん的にはどれがオススメ?」

「私は流れるプールを浮き輪で流されるのが好きかなー」

「……え? 高橋さんってカナヅチ?」

「泳げるよっ! でも、流れるプールは浮き輪で流されるのがいいのっ」

 まったく、さすがに私を馬鹿にしすぎだよ。ちっちゃい頃からよくここに来てるんだから、泳げるに決まってるじゃん。……まあ、あんまり得意ではないけど。

「あー、それはなんとなくわかるかも」

「でしょ? あとは、ウォータースライダーも何種類かあって、結構楽しいよ」

「へー。それは楽しみだね」

 そうやって会話に花咲かせているうちにテーマパークの東ゲートに到着。入場料を支払って、西ゲート近くのプールまで遊園地と動物園の間を抜けていく。駅からだとプールまでは少し遠いのでちょっと大変だけど、その疲れはすぐに吹っ飛ぶ。何故ならその先にプールがあるから!

※高橋さんはだいぶテンション高めです

 というわけでプールに到着。それぞれ更衣室で着替えて、中で合流する。

「お待たせ―」

 やっぱり、着替えは男子の伊藤くんの方がはやい。更衣室の出口の傍で待っていた伊藤くんに駆け寄る。

「…………」

 しかし無反応の伊藤くん。

「? どうしたの? 私、なにか変?」

 確かに一昨年くらいの水着だし、デザイン的にはアレかもしれないけど……というか、中二の頃の水着が着れてしまう私って……。

「あっ、いや、そうじゃなくて……。その、なんというか、普段は制服で接してる人が水着でそばに立っているのがちょっと違和感というか……ああいや、もちろん似合ってるけどね」

「…………」

 今度は私が言葉に詰まる番だった。まさか、男子から水着を褒められるのがこんなに恥ずかしいものだとは。やばいな、今絶対顔真っ赤だ……。

「じ、じゃあ、さっそく行こうかっ! まずはどこ行くっ?」

 それを誤魔化すようにやや声を張り上げつつ尋ねる。

「そうだね……じゃあ、まずは高橋さんオススメの流れるプールに行ってみようか」

「おっけーっ。あっちだよ」

 伊藤くんを先導して歩き出す。更衣室を出て左に行ったところに、流れるプールはある。ちなみに浮き輪は入り口近くに置かれている空気入れで既に膨らませてある。

「あ、1周が結構長いね」

「確か、300メートルくらいあるよ」

「へー」

 言いつつ、さっそく着水。あぁ、水が気持ちいぃ。

「あぁ、冷たいけど気持ちいい……」

「ね。やっぱ夏場のプールは最高だよ」

 そんな当たり前のことを改めてしみじみと感じながら、浮き輪を装着して流されていく。伊藤くんはそんな私の隣をゆっくり歩きながらついてくる。

「そういえば高橋さん、期末の英語の追試はどうだった?」

「……せっかくのプールなのに、なんてことを聞くの伊藤くん」

「いや、確か追試の結果が返されるの一昨日だったな、ってふと思い出してさ」

 そのまま忘れててくれてよかったのに。ちなみにだけど、私は期末の英語で見事に8点を取ったので余裕で追試になりました。

「……期末よりはよくなったよ」

「お。何点だったの?」

「……9点」

「ほぼ変わってないっ!」

「おかげさまで夏休みの補習が決まったよ(遠い目)」

「……えっと、嫌なこと思い出させてすいません」

「うん。というわけで今日はそういう話は無しね」

「はい。肝に銘じます」

 せっかくプールに来てるんだし、難解な言語の話なんかなしだよ。

「えっと、じゃあ気を取り直して。高橋さんは、夏休みにどこか行ったりする予定とかある?」

「……学校」

 さっきのやり取りは? という恨みを込めた視線で伊藤くんを睨む。

「あ、いや、そういう意味じゃなくて……その、旅行とか帰省とか、そういうつもりで聞いたんだけど……」

「あ、なるほど」

 勘違いだったみたい。それなのにすっごい睨んじゃって、なんか申し訳ないな。

「んー、今のところそういう予定はないかなー。お兄ちゃんは夏○ミに行くって言ってたけど、私はあんな人ごみには参加したくないし」

「あ、高橋さんってお兄さんいるんだ」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

「初耳」

 てっきりもう話したと思ってたんだけど、意外とお互いのそういう話はしてないのかな。そういえば私も伊藤くんの家族構成とか知らないし。

「1つ上に、昴っていうお兄ちゃんがいてね。別の高校でゲーム制作部に入ってるんだけど、その部でサークル参加してるらしいよ」

 変なボードゲームばっかり作ってた気がするけど。確か『人生ゲーム~借金王に俺はなる!~』とか『人生ゲーム~人生をなめたものたちの末路~』とか、ふざけたタイトルのやつ。それでよく夏コ○に参加しようと思ったよ。

「へー。それは凄いね」

「そうでもないよ。絶対売れないと思うし」

「そうなの?」

「うん。伊藤くんもやってみればわかるよ。あのゲームを気に入るのは多分かなり特殊な感性の持ち主だけだし」

「ひどい言われようだね……」

 そうやって雑談を続けること、流れるプール約3周分。そろそろ小腹がすいてきたので、売店で軽食を購入して別のプールへ行ってみることに。

「じゃあ、今度はスライダーに行ってみようか」

「あ、あっちに見えてるアレだね」

 遠目でもわかるスライダーを目指し、軽食をつまみながら歩いていく。

「高橋さんはああいうの、怖かったりは?」

「しないよー、ちっちゃい頃から結構滑ってるもん。伊藤くんは怖いの?」

「いや、スライダー自体は大丈夫なんだけど、若干高所が苦手というか……」

「ああ」

 スライダーの出発地点って、結構高いよね。まあ、そうじゃないとスライダーにならないんだけど。

「……どうする? なんならやめとく?」

「……いや、せっかくだから行ってみるよ。ただ、ヤバそうになったら支えてほしい」

「う、うん……まあ、いいけど」

 なんか、こんな弱気な伊藤くんは初めて見るかも。不謹慎かもしれないけど、ちょっと新鮮。

 軽食を食べ終え、スライダー乗り場の階段を上がっていく。そして階段を上がる度に伊藤くんが青くなっていく。……若干ってレベルじゃなくない、これ?

「……ほんとに大丈夫?」

「……な、なんとか」

 言った瞬間、伊藤くんが少しふらついた。

「わっ、と」

 慌てて腕を抱えて約束通り支える。

「……あ、ありがと……」

「ううん、それは平気だけど。ホントに大丈夫?」

「……下さえ視界に入らなければ」

「じゃあ、このまま私が先導するから、伊藤くんは下を見ないようにね」

「……りょ、了解」

 というわけで、伊藤くんの腕を抱えたまま階段をなんとか登りきる。このときやたらと周囲の視線が痛いのが気になったんだけど、後から考えたらこのときの私たち、完全にいちゃつくカップルでした。……うぅ、恥ずかしい……。

 待つことしばし。私たちの番がやってくる。とりあえず、限界が近そうな伊藤くんから行かせた。その伊藤くんの着水を待って、私もスライダーに飛び込む。

「ひゃーっ!」

 久々のスライダーに歓声をあげながら滑り落ちる。そして着水。

「……っぷはぁ!」

 やっぱりスライダー最高に気持ちいい。来年からも年1回は来よう。そんな決意を固めつつ伊藤くんの姿を探すと、着水用のプールを上がってすぐのところにいた。

「伊藤くんっ、スライダーはどうだったっ?」

「……やっぱ地面って最高」

「スライダーの感想じゃないっ⁉」


 スライダーをもう何周もする気にはなれなかったので、波のプールにやってきた。すると丁度、15分に1度のウェーブタイムがやってきた。ウォータースライダーで消耗気味の伊藤くんのためにしばらく浅いところで波を楽しんでいたのだけど、やっぱりそれだけでは面白くない。

「ねえ、せっかくだし前の方行ってみない?」

「……そうだね。もうすっかり回復したし、どうせなら」

 ということで、人の合間を抜けて波の発生する場所の近くへ。

「うわ、ほんと目の前だね」

「うん。結構迫力あるよ」

 言ってる間に、波が迫ってくる。

「ひゃあっ!」

「うわっ!」

 2人してその迫力に声をあげながらも波に乗る。やっぱり波のプールはこれが楽しい。

「って、ぅわ」

 波に乗って戻ってきたところで、足がつかなくてバランスを崩す。そういえばここのプールの1番深いとこ、150センチくらいあるんだった。身長が160にも届かなければ水泳も苦手な私には少し厳しかった。そしてバランスを崩しているところへ、次の波が。

「わぷっ!」

 あ、ダメだこれ……。波にのまれながら一瞬諦めかけたけど、なにかが私の腕をつかんで引き寄せた。

「高橋さんっ、大丈夫⁉」

「あっ……」

 目をあけた瞬間に映ったのは、心配そうな顔をした伊藤くんだった。

「ごめん、高橋さんの身長だとこの辺かなりギリギリだよね。ほんと、気付かなくてごめんっ!」

「……ううん、前に来ようって言ったの、私だし……伊藤くんが謝ることじゃないよ……」

 それなのに第1声がごめんだなんて。ほんと、伊藤くんはいい人だよ。それに……さっきから私を掴んでる腕は意外と力強くてしっかりしてるし、身体もがっしりしてるし……。

「………………」

 やっぱり男の子なんだなぁ、って感じざるをえない。どうしよう、それを意識した途端、今までそんなことなかったのに急に恥ずかしくなってきた。

「とりあえず、浅いところに戻ろうか?」

「……う、うん……」

 心配して声をかけてくれている伊藤くんに、ただ頷くことしかできない。どうしちゃったんだろう、私……。

 この日、この瞬間を境に、伊藤くんの存在はよく話す後ろの席のクラスメイトから、少し気になる男の子へと変わった。



 夏休みを挟み、どうにか伊藤くんと普通に会話ができるようになってきた10月のある日。その日に待ち構えているのは、高校の重大イベント、文化祭……なんだけど……。

「……どうしてこうなったの?」

 普段自分たちが使う教室に踊る『人生ゲーム喫茶』という意味不明な文字の羅列を眺め、隣にいた伊藤くんに尋ねてみた。

「どうしてって……まあ、きっかけは高橋さんだろうね」

 その返しに、私は意識を過去に飛ばす。遡ること1ヶ月。ちょうど、文化祭の出し物を考えていた頃の話だ。

「ねえ、高橋さん。高橋さんのお兄さんって、ゲーム作ってるんだよね?」

「まあ、そうだけど……あんまり面白いゲームじゃないよ?」

「どんなゲームなの?」

 暗にそんなこと聞いても時間の無駄だよ、と忠告してみたんだけど、伝わらなかった。

「……ちょっと変わったボードゲームだよ」

 本当はちょっとどころではないけど。

「へぇ、ボードゲームか。じゃあ、学校でもできるかな?」

「……できるけど、オススメはしないよ……? っていうか、まさかやるつもりなの?」

「うん。だって面白そうじゃん。○コミにも参加するくらいだし」

 マジか。あのゲームを、しかも学校でやるつもりなのか。勇者か。

「……まあ、そこまで言うなら、明日いくつか持ってきてみるけど……」

 という流れで翌日、兄の所属するゲーム制作部作の風変わりなボードゲームをいくつか持ってきた。

「一応持ってきたよ。でも、何度も言うけど面白さには期待しないでね」

「そんな謙遜しなくてもいいのに。……へえ、『人生ゲーム~借金王に俺はなる!~』に『人生ゲーム~人生をなめたものたちの末路~』か……結構面白そうじゃん」

「なん……だと……⁉」

 そのタイトル……というか副題を聞いて面白そうって言った人、初めて見た。

「ん? おい明、それなんだ?」

 私が驚愕している横で、伊藤くんの友人A(ごめんなさい、名前が……)が伊藤くんに尋ねる。

「あ、これ? 実は、高橋さんのお兄さんが部活で作ったゲームらしくてさ。面白そうでしょ?」

「……ああ! 副題にすげーセンスを感じるな!」

 まさかの共感⁉ 嘘でしょ⁉

「あ、そうだ。せっかくだからこれも文化祭の出し物に加えねーか? 今喫茶店をやろうかって話になってんだけど、やっぱ普通の喫茶店じゃ面白くないだろ?」

「あ、そうだね。ゲームの順位でサービスつけたりしたら面白いかも」

「それいただき!」

 と、私が驚いて呆然としている間にあれよあれよと話が進んでしまい、いつの間にか文化祭の出し物に正式決定されていた。以上、回想終わり。

「……って、そもそものきっかけは伊藤くんじゃんっ!」

「……あれ? ほんとだ」

「もう、しっかりしてよ」

 言いつつ、店内を見渡す。客の入りは、まさかの上々だ。1ゲームに少々時間がかかるので回転率はさほどではないけど、教室の外の列が絶えない程度には繁盛していた。店のシステムとしては、まず客(1~3人)と店員(1~3人)の計4人でボードゲームを行い、客の順位によって商品半額やドリンクサービス、料理大盛やお冷サービスなどが受けられるというものだ。一応ゲームをパスして料理だけ食べていってもいいのだけど、今のところそういった客はいない。なんやかんやで、あのボードゲームを楽しんでいる。衝撃過ぎてもはや言葉もない。

「おーい、鶫ー。遊びに来たぞー」

 おっと、製作者本人が来店したようだ。隣には何やら美人な女の人もいる。……同じ部活の人かな?

「2名様ごあんなーい」

 店内に声をかけつつ、兄たちをテーブルまで案内する。客側が2人なので、店員側も2人……つまり私と伊藤くんで相手をすることになる。

「……ねえお兄ちゃん、そっちの人は?」

 テーブルについてルール説明を終えると、気になっていたことを早速尋ねてみた。

「ああ、この人は――」

「初めまして、妹さん。昴君の彼女の鈴木(すずき)(すず)よ」

「部長⁉ 妹の前でシャレにならない冗談はやめてくださいよっ!」

 あ、やっぱり同じ部活の人だった。そうでもなきゃお兄ちゃんとこんな美人が接点持つはずないし。

「こちらこそ、初めまして、高橋鶫です。愚兄がいつもお世話になってます」

「鶫⁉ 今、兄を目の前にして愚兄って言わなかった⁉」

「お客様、店内ではお静かに」

「あ、すいません……っておかしくね⁉ 今の流れで俺が怒られるのおかしくね⁉」

 ギャーギャーとうるさい兄である。

「あはは……愉快なお兄さんだね」

「うるさいだけだよ。……っと、後ろのお客さんも待ってますので、そろそろゲームを始めますね」

 雑談を打ち切り、ゲームを始める。ボードゲームの種類はテーブルによってランダムで、ここのテーブルのゲームは『人生ゲーム~俺は破壊する。俺以外のすべてを!~』という、とにかくあらゆるものを破壊していき、最終的にその被害総額が1番大きい人が敗北となる、あれ、副題間違ってない? みたいなクソゲーである。ちなみに、各マスのイベントによって生じる被害額は制作者の独断と偏見で決まっているらしく、実際にそのことが現実で起こったときの被害額とは全く関係がないらしいので信用しないように。

 順番決めジャンケンの結果、私から時計回りということになったので、早速ルーレットをまわす。

「お、9。幸先がいいね。えっと『お気に入りのぬいぐるみで遊びすぎてボロボロに。被害額50万』だって。……って、ぬいぐるみ高っ!」

 1体50万⁉ どんだけブルジョワなのこの娘!

「いや、あの……鶫。一応、ゲーム全体で単位は万で統一してるからさ。そういうツッコミは勘弁してくれ」

「………それもそうか。ごめんごめん。じゃあ、次、鈴木さんです」

「了解よ。……っと、私も9ね。『お気に入りのぬいぐるみで遊びすぎてボロボロに。被害額50万』ですって。……って、ぬいぐるみ高っ!」

「……あの、部長? 今の俺と鶫のやり取り聞いてました?」

「聞いてたわよ?」

「じゃあ何故ツッコんだし!」

 ……もっと大人っぽい人かと思ったら、意外とボケるんだ、鈴木さんって。

「ほら昴君。叫んでないで、あなたの番よ」

「誰のせいですか誰の……えっと、5だな。『鬼ごっこ中、隣の家の畑を踏み荒らす。被害額300万』だってさ」

「「サイテー」」

「俺じゃないだろ⁉ このマス作ったやつが悪いんだよ!」

「昴君じゃない」

「……あれ? そうでしたっけ?」

「私の完全記憶能力に間違いはないわ」

「いつからそんなイン○ックスみたいな能力が……ってまあ、それはいいです。えっと、次はあんただな。えーっと……」

「あ、申し遅れました。高橋さんのクラスメイトの伊藤明です。高橋さんにはいつもお世話になってます」

 いや、うちの兄にそんな丁寧なあいさつはいらないよ、伊藤くん。あと、世話になってるのは完全に私だし。

「伊藤君か。うちの妹ちょっと変わってるけど、仲良くしてやってな」

「誰が変わってるか!」

「あはは……」

 伊藤くんの前でなんて失礼なことを言うんだ、この愚兄は。もっと尋常じゃない被害に遭ってしまえ。

「えっと、6ですね。『野球中に家の窓を破壊。被害額200万』

だそうです」

 ああ、よくあるやつ。でも、畑よりは安いんだ……。

 さて、ここから先は印象に残った被害額の大きいイベントを中心に、早送りでお送りしようと思う。何故って? そりゃ、そんなに細かく覚えてないからに決まってるでしょ。だって私、9月になってもクラスメイトの名前を覚えきってないような女だよ? ……まあ、自虐はいいや。とにかく、ここからは早送りでいきまーす。

 2巡目・愚兄

『小学校の校長の像を真っ二つ。被害額500万』

「凄い小学生だね⁉」

 もともとヒビでも入ってたのか、その小学生が化け物なのか。

 4巡目・鈴木さん

『学校中の窓を割って回る。被害額1000万』

「レ○さんだ……」

 なにがあったのカナ? ……カナ?

 4巡目・愚兄

『突然目覚めた異能、超電○砲で手当たり次第に破壊。被害額5000万』

「今度は○琴か……」

 被害額跳ね上がったなー……。

 6巡目・私

『親友の気になっている子を奪う。親友との関係を破壊。被害額1000万』

「物理的破壊じゃなくてもいいんだ⁉」

 このマス作った人ひどいね。兄だったらぶっ飛ばしてやる。

 7巡目・私

『親友から奪った子との関係も破壊。被害額2000万』

「イベントが続いてる⁉」

 なんかゲームの中の私、すごい最低な人間じゃない? もうこのマス作ったのが兄だろうがそうじゃなかろうが、家に帰ったら一発ぶん殴ってやる。

 8巡目・クソ兄貴

『秘儀、引きこもる。すべての人間関係を破壊。被害額5000万』

「うわっ、自分で作ったひどいマスにハマった!」

 自業自得だバーカ。

 9巡目・伊藤くん

『車ドン。被害額4000万』

「いやそんな、壁ドンみたいに書かれても……」

 要するに交通事故じゃん。

 11巡目・クソ兄貴

『福山ロス。精神崩壊。被害額1億』

「「うわ……」」

「そんな目で俺を見るなぁ‼」

 兄の部活の中に誰かファンでもいたのかな?

 12巡目・鈴木さん

『富士山噴火! 被害額2兆5000億』

「もはや自然災害!」

 しかもここだけ被害額がやたらとリアル!

 13巡目・私

『噴石で家が……! 被害額3兆』

「噴火の被害に遭った⁉」

 ちょいちょいイベント続くのやめてよ。前のマスにとまってなかったらなんのこっちゃじゃん。

 15巡目・クソ兄貴

『総理大臣になって国を破壊。被害額1000兆』

「ああっ、面白いかと思って入れた最下位確定マスを自分で踏んだ……」

 またかよ。っていうか、そんなゲームバランスがぶっ壊れるようなマス作らないでよ。

 ……というような感じで、ゲームは終了した。順位は、1位が伊藤くんで被害総額1億3200万、2位が鈴木さんで2兆5002億4050万、3位が私で3兆1億8050万、そして最下位は言わずもがな兄で、1000兆2億5800万。噴火関連と総理大臣のイベントだけ被害額が大きすぎる。やっぱりクソゲーだと思う。

「それでは、鈴木さんが2位だったのでドリンクサービス、お兄ちゃんが4位だったのでお冷サービスですね」

「只今お持ちしますね」

 伊藤くんが席を立って裏に引っこむ。

「……自分たちの作ったゲームで……最下位……」

 兄はこのゲームで最下位だったのが余程ショックなのか、テーブルに突っ伏してブツブツ言っている。

「……ねえ、妹さん」

「はい? なんですか?」

「やっぱり、あの伊藤君って子が好きなの?」

「ふぇっ⁉」

 鈴木さんからの突然の質問に、頭が真っ白になる。

「ど、どどど、どうしてそそそんなことをっ?」

 激しく動揺しながらもどうにかそれだけ返す。

「んー……女のカン、かしら」

 そういって微笑む鈴木さんは、本当に格好いい大人の女の人のようで、私を少し落ち着かせてくれた。

「……正直、まだよくわかんないです。でも、伊藤くんと話してると、ちょっと恥ずかしいけど、すごく楽しくて……もっとお話ししたい、もっと親しくなりたい、とは思います」

 突っ伏す兄に聞こえないよう声量に注意しながら、私は鈴木さんにそう答えた。

「そう。……ふふっ、あなたも立派に恋する乙女ね」

「え、ええっ⁉」

 今の私の回答が、どうしてそうなっちゃうの⁉

「もっと話したい、もっと仲良くなりたい……そう思うってことは、もう好きなんだと思うわ。ソースは私」

「えぇ⁉ じゃ、じゃあ、鈴木さんにも好きな人がいるんですかっ?」

「……ええ。なかなか気づいてもらえないのだけれど、ね」

 鈴木さんはそういうと隣をちらりと見た。……え? い、いやいやまさか、そんなわけ……。

「お待たせしました」

 そのことを尋ねようとしたとき、伊藤くんが裏から戻ってきた。ああっ、ちょっとタイミングが悪い。

 その後は2人が食事を始めたので、尋ねるタイミングを失ってしまった。……まあ、あれは私の見間違いだったことにしておこう。うちの兄があんな美人さんに好かれるわけないし。

 そして帰り際。

「「ご来店、ありがとうございました」」

「おう。結構面白かったし、料理も美味かったぜっ」

 すっかり最下位のショックから抜け出した兄は無駄に上機嫌に感想を言い。

「そうね。今度はうちの学校の文化祭にも来るといいわ。もちろん、2人でね」

 鈴木さんは私を激しく動揺させるようなことを言い。

「それじゃあね。お互い頑張りましょう」

「っ! は、はいっ!」

 最後に、私の背中を押していった。

「……? なにを頑張るの?」

「いっ、伊藤君には関係ない話だよっ。えーとその、アレだよ、女同士のアレ的なアレ」

「あはは……うん、まあ、分かったよ。そういうなら深くは聞かない」

「そ、そうしてくれると助かるっ」

 この時から私は伊藤くんのことを、少し気になる男の子ではなく、好きな男の子として意識し始めた。



 好きだと意識し始めた男の子との会話がなんとかスムーズにこなせるようになってきた12月の中頃。2人揃って何の部活にも所属していないため、お互いの友人が部活でいないときには、時々途中まで一緒に帰るようになっていた。

「んーっ、今日の英語の試験も死んだー!」

「相変わらずの安定感だね……」

 本日は期末試験の最終日。テスト期間で禁止されていた部活が解禁になり、友人たちが軒並み部活へ向かってしまったので、こうして伊藤くんと2人で駅に向かって歩いているのである。

「夏休みに続き冬休みも覚悟かなー、これは」

「あ、既に追試も諦めてらっしゃる……」

 追試だろうとなんだろうと、私が英語のテストで赤点回避できるわけないじゃん。

「……じゃあ、俺が教えようか? 英語」

「……ほんと?」

「うん。得意とまではいかないけど、赤点回避くらいでよければ力になれると思うんだ」

「ぜひお願いしますっ!」

 今までも友人や兄に教わろうと思ったことはあった。でも、友人たちは「アンタ英語以外完璧なんだからそれでトントンだよ」とか意味不明なことを言って相手にしてくれず、兄は高橋家の家系なのか英語の成績が私と大差ないので戦力にならず。でも、伊藤くんなら。これは人生初の赤点回避も見えてきたよ、マジで。

 というわけで早速その日、春日部駅近くでお昼を食べた後、市立図書館へ向かう。ここを訪れるのは初めてだ。

「伊藤くんは来たことあるの?」

「試験勉強で何度かね。じゃあ、さっそく始めようか」

「よ、よろしくお願いします、先生」

「うん。じゃあ、まずは軽い単語テストからいこうか。文法が多少わからなくても、単語さえ知ってればうっすら推測することくらいはできるからね」

 おお、さすが伊藤くん。うちのダメ兄貴とは違うね。

「ば、ばっちこーい」

「じゃあ、1問目。『elect』の意味は?」

「えれくと……ビリビリしてる感じかな」

「……2問目。『keen』の意味は?」

「きーん……あっ、アイスクリーム頭痛で頭が痛いんだ!」

「…………3問目。『impossible』の意味は?」

「いんぽっしぶる……アレだよね、みっしょん的なやつだよね……ヤバいよヤバいよ、って感じ?」

「………………4問目。『dust』の意味は?」

「ごみ」

「……………………5問目。『continue』の意味は?」

「こんてぃにゅー……お金を払えばもう1回!」

「……うん。わかった。今から追試まで、徹底的に英単語を詰め込もうか」

「……あれ? 文法は?」

「そんなことやってる場合じゃないよ。まずはその酷過ぎる語彙力をどうにかしないと」

「そこまでひどいの、私の英語⁉」

 ……え? 満場一致でひどい? ……そ、そっか……。

 というわけで、その日からひたすら英単語を頭に詰め込む作業が始まった。伊藤くんが覚えやすい覚え方を教えてくれたりするので、多少の成果はあがっているけれど、依然として私の英語力は大変残念なままである。

「うあー、疲れたぁー……」

「じゃあ、少し休憩しようか」

 もはや恒例になりつつある春日部の図書館の隅の席で腕を伸ばす。

「そういえば、追試はいつになったの?」

「20日」

「今週末か……どう? いけそう?」

「無理。もうモチベーションが持たない」

 今までは冬休みにまで学校に来るのは嫌だ、という一心で頑張っていたのだけど、そのためにこんな大変な思いをしなきゃいけないのなら、別に補習でもいっかなー、みたいな気になってしまう。

「モチベーションか……つまり、赤点を免れたときに補習回避以外のなにかがあればいいんだよね?」

「まあ、そうかな」

 それなら、もうちょっとは頑張れるかもしれない。

「……じゃあ、さ。もし高橋さんが赤点を免れることが出来たら、どこか遊びに行こうよ。その、俺と遊びに行くのが高橋さんのモチベーションになるのかどうかはわかんないけど」

「……!」

 まさかの、好きな男の子からのデートの誘い。これがモチベーションにならないわけがない。

「……私、頑張る!」

「本当? じゃあ、どこに行くか考えておくね。日付は……」

「24日の放課後!」

「……え?」

「24日は、終業式だから午前中で終わり。で、追試の結果が返ってくるのもそこ。だから、24日の放課後!」

「……わ、わかった。じゃあ、なにか考えとくね」

 ……よし。どさくさでクリスマスデートにできた。これは、これ以上ないモチベーションになる。赤点なんか絶対取れない。

 頑張れ、私!


 24日、終業式後。運命の瞬間。追試の手応えは悪くない。間違いなく、過去最高点だと思う。やれることはやりきった。

 担任からテストを返される。その点数は……。

「さ、31点!」

 ギリギリ赤点超えたっ! 鶫ちゃん大勝利ぃ!

「やったね、高橋さん!」

「うんっ! 伊藤くんのおかげだよ!」

 いろんな意味で。

「じゃ、さっそく遊びにいこっ。結局なにすることになったの?」

「一応、映画でもどうかな、と思ってるんだけど」

「映画! いいねっ!」

 イブに映画デート。なかなかいい感じなんじゃないかな。

「じゃあ、幸手かな?」

「うん、そのつもり」

 私が映画観るときもいつも幸手の映画館なんだから、幸手在住の伊藤くんは当然そうだよね。

 というわけで電車に揺られて幸手駅まで移動し、そこから15分ほど歩いて映画館へ向かう。道中、映画館のサイトを見ながらどの映画を観るか考える。

「伊藤くんは、どれが気になる?」

「そうだね……この『火星から帰られへんねんけど』っていうのが気になるかな。結構話題になってるし」

「あー……でも、アメリカの映画でしょ? 私、もうしばらく英語には関わりたくないんだけど」

 もう向こう10年分くらい英語頑張った気分だよ。

「あはは……ちゃんと吹き替え版があるから平気だよ」

「あ、そっか」

 まあ、普通あるよね。

「高橋さんはなにか気になるのある?」

「私? 私は、そうだな……この『家康狂詩曲いえやすラプソディ』が気になるかな。どんな映画なんだろう。8回くらいループするのかな?」

「それは笹の葉でしょ」

 ……このネタについてこれるとは。伊藤くん、やっぱり意外とこっち側なのかな。

「あとは、この『iyokan―イヨカン―』とか。観た友達からすごいよかったってもうプッシュされたよ」

「へ~。それはちょっと気になるね」

 伊藤くんも興味を示したので、上映時間を調べてみる。えっと、次の上映時間は――

「あっ、鶫」

「ひゃぁいっ⁉」

 え、な、なな、なにっ⁉ なんで急に、し、下の名前でっ⁉

「……あっ、ご、ごめん! その、今のは高橋さんのことじゃなくて、あそこの鳥のことだったんだけど……」

 伊藤くんは慌てて空を翔けていく鳥の群れを指す。あ、ああ、なるほど、そういうことか。び、びっくりしたぁ……。

「あれが鶫なの?」

 鳥の名前だということは知ってたけど、どんな鳥かまでは知らない。

「多分。冬になると越冬のために飛んでくるんだよ」

「へ~」

「…………」

「…………」

 鳥の話をしてごまかそうと試みてみたけど、無理でした。忘れようとしてもできない、嬉しさと恥ずかしさの混同した気持ちが再浮上してくる。

「……あ、あの、高橋さん」

「……鶫で、いいよ……」

「……え?」

「呼び方。鶫でいいよ。もう話すようになってからかなり経つし、下の名前で呼んだって、いいと思う」

 それに、さっきは突然だったから動揺もしたし、恥ずかしさだってなくなりはしないけど、やっぱり好きな人に名前で呼ばれるのは、嬉しいから。

「……わ、わかった。なら俺も、明でいいよ」

「うん。よろしくね、あ、明くん」

「……うん。よろしく、鶫さん」

 こうしていっそう仲を深めてから、ようやく映画館に到着する。結局、最後にあがった『iyokan―イヨカン―』を観ることになった。上映時間もちょうどよかったし。

 ストーリーはざっくりいうと、10年後の自分から『このままだと大切な人が死んでしまう』という手紙が届き、主人公たちがその未来を変えようと奮闘する青春ラブストーリー。隣に伊と……明くんがいることも忘れて見入ってしまった。これは猛プッシュするすわけだ。泣かずにはいられない。

 上映が終わって。私たちは近くの飲食店に移動して映画について話していた。

「鶫さん、号泣だったね」

「あれで泣かずにはいられないよっ」

 私が号泣だった一方で、明くんは特に泣いた様子はなかった。やっぱり、男の子はあんまり映画とかじゃ泣かないのかな?

「まあ、確かにかなりぐっとは来たよ」

「でしょっ? 正直私、もう1回観ても楽しめると思うな。あの結末を知った上で、もう1回観てみたい」

「あー、それは確かに。また違った意味で楽しめるかもしてないね。でも確か、もうすぐ上映終わるよ?」

「むっ……じゃあ、DVDを待つか。出たら一緒に見ようよ」

「うん、もちろん」

 さりげなく、一緒にDVDを観る約束をゲット。

「さて、この後はどうしようか」

「うーん……」

 ……本当は、今日告白するつもりだった。わざわざ24日を指定したのもそういうことだし、名前で呼び合うようになったりして、追い風は吹いているはずだった。

 でも、明くんと一緒に過ごす時間が楽しすぎて、1つのリスクが重くのしかかってくる。

『もし、告白を断られたら?』

 ……告白前からこんなことを考えるのは、弱気になっているみたいであんまりよくないんだろうけど。でも可能性として、そういう未来がゼロというわけではない。そしてそうなった場合、今の居心地のいい関係に戻ることができるだろうか。いや、私にはできない。振られた相手と変わらず話ができるほど、私は強くない。

 明くんと恋人にはなりたい。でも、今の居心地のいい関係を失いたくはない。

 結局、弱い私は――

「……今日は解散しようか。もう外もだいぶ暗いし」

「……そうだね。じゃあ、駅まで送るよ。俺の家も駅の方だから」

「うん……ありがと」

 ――失うことを恐れて、今を変えることから逃げた。



 1月が過ぎ、2月が過ぎ……。バレンタインにも一応チョコは渡したものの、告白する勇気までは出せずに、季節は3月を迎えた。この時期のクラスの話題は、2年次からの文理選択の話で持ちきりだ。

「鶫さんは、文系と理系どっちに行くの?」

「私? 私は理系だよ。できるだけ英語とは関わり合いになりたくないからね」

「いや、理系でも英語はやると思うけど……」

「あー聞こえなーい」

 実は理系の方が英語の論文とか多いんじゃないかとか、そんな話は知らなーい。英語は文系科目だと、私は信じてる!

「そういう明くんはどっちなの?」

「俺は文系だよ。国語とか歴史好きだし」

「へー、そうなんだー」

 確かに、以前そんなことを言ってた気がする。となると、来年は違うクラスになるのか。こうして前後の机で業間に話すことも、たまに一緒にご飯食べたりすることも、放課の流れで一緒に帰ることも、来年からは…………あれ? 私と明くんの接点、なくなる?

 改めて考えると、私と明くんの接点はほとんど教室だ。クラスが一緒で、その上席が前後だったから、業間に話したり流れで一緒に帰ったりしていたのだ。これが来年、別々のクラスになったらどうなる? たった10分の業間に、わざわざ移動してまで別クラスの女友達と雑談しにくるだろうか。廊下や下駄箱で待ち合わせてまで女友達と一緒に帰るだろうか。それはもう、女友達ではなく恋人ではないだろうか。そして、恋人ではない私は……。

「………………」

「……鶫さん? どうしたの?」

「……え? あ、ううんっ、なんでもない!」

「そう? ならいいけど……」

 タイムリミットは、いつの間にか目の前まで迫っていた。


 その日は家に帰るなり階段を上がって自室に引っこみ、ベッドに身体を投げ出した。

「……はぁ」

 居心地のいい今を失うことを恐れて、今を変えることから逃げ続けてきた私。けれど、私が変えようとしなくとも現実は刻一刻と変化していく。そんなごく当たり前の事実を、今更ながらに思い知った。変わらない今なんてない。私が自分の意志で変えるのか、勝手に変わっていくのかの違いでしかない。いつまでも続く今なんて、そんなのは幻想でしかないんだ。

「…………」

 だとしたら、私はどうする。このまま勝手に変わっていく今に身を任せていいのか。失いたくないものが失われていくのを、座して見ているだけでいいのか。そんな状況でも勇気が振り絞れない程、私は弱いのか。

「……違う……明くんとの、関係は……絶対に、失くしたくない……!」

 勝手に変わっていく今に引き裂かれるなんて、まっぴらごめんだ。それなら明くんに振られる方が、何百倍もマシ。

「……告白、しよう」

 本当に失いたくないものなら、壊れないよう、失わないよう大切にしているだけじゃだめなんだ。絶対に手放さないよう、しっかりつかみに行かなくちゃ、だめなんだ。何ヶ月も迷って、失う寸前になって、ようやく私はその答えに辿り着いた。

 スマホをもって立ち上がる。今から話したいことがあるから、幸手駅に来て。そう告げるために明くんをコールしようとしたちょうどそのタイミングで、スマホがメールの受信を知らせる音を奏で始めた。少し勢いを削がれたような気になりつつ、取りあえず届いたメールを開く。差出人は、今まさに電話を掛けようとしていた相手だった。

『来年クラスがバラバラになって、鶫さんと今までのように楽しく話が出来なくなるのが嫌なので、伝えます。

 好きです。よければ、俺と付き合ってください。そして来年以降も、今まで通りに、今まで以上に仲良くしてください』

 そのメールを見て、私は。

 両想いであることがわかって嬉しく思うのと同時に。

 明くんに、少し失望した。


 翌日。あのメールには『朝7時に学校の屋上に来て。そこで返事する』と返信し、私はまだ誰も登校していない学校の屋上で明くんを待っていた。

 6時50分。鍵の壊れている屋上のドアを開け、明くんがやってきた。

「あ、鶫さん。待たせてごめんね」

「ううん。私のほうこそ、こんな時間に呼び出してごめんね」

 電車通学じゃ、きっと大変だっただろう。まあ、それは私もなんだけど、私は呼び出した側だし。

「いや、気にしないでいいよ。……それで、えっと……」

「……昨日の返事、だよね」

「…………うん」

 神妙な面持ちで頷く明くんに、私は1つ深呼吸をしてから。

「……ねえ、明くん。なんで昨日、メールで告白したの?」

 返事ではなく、質問をぶつけた。

「……それ、は……」

 明くんが答えに窮する。それには構わず、私は続ける。

「私ね。メールとかLI○Eとか、そういうので告白するの、大嫌いなの」

「…………」

 何ヶ月も告白する勇気を持てずにうじうじしてたやつが、たとえメールでとはいえ勇気をもって告白した人に対してなにを偉そうなことを言ってるんだと、そう思われるかもしれない。でもこれは、本気で明くんのことが大好きだからこそ、絶対に引けない一線だから。だから、言葉を重ねる。 

「だってさ、相手には文字しか伝わらないんだよ? その文面を何時間も考えて何度も何度も書き直していたとしても、送信ボタンを押すのにどれだけの勇気と覚悟が必要だったとしてもっ。そんなことは相手には全く伝わらないんだよ!」

 こんな説教のようなことを言って、もしかしたら明くんに嫌われてしまうかもしれない。だけど、明くんを大切に想うからこそ、言葉はとまらない。

「言語は万能じゃないんだよ。文字だけですべての想いを伝えることなんてできないんだよ。視線とか表情とか仕草とか、そういうのを全部含めて『言葉』であり『想い』なんだよっ。絵文字? スタンプ? そんなもので本気の想いが表現しきれるわけないでしょっ! 本気の想いが伝わるわけないでしょっ! 明くんがどれだけ本気でこのメールを送ったんだとしてもっ、その本気が私には微塵も伝わってないんだよっ! たとえ途中で何回つっかえようと、たとえ文法がめちゃくちゃだろうとっ、たとえそのセリフを口にするのに何時間かかろうと! 直接面と向かって告白する方が、よっぽど真剣で本気なのが伝わるよ!」

 本当に明くんが大好きで大切だからこそ、メールなんていう相手のみえないツールではなく、面と向かって直接想いを告げ合って付き合いたかったという思いからあふれ出た言葉。でも端から見れば、明くんを責め立てるような言葉だ。嫌われても、仕方がなかったと思う。でも、明くんは……。

「……そう、だよね……やっぱり、こんな大事なことをメールでしようなんて、俺が間違ってるよね。メールなら断られても冗談で済ませられるかなー、なんて逃げ道を用意しようとした俺が馬鹿だった。まずは謝らせてください。メールで告白なんてしようとして、ごめんなさい」

「……明、くん……」

「それから、改めて。こんな、一度は逃げ道を作って告白した弱い俺だけど、鶫さんへの想いは本物だし、誰にも負けるつもりはないから。……本気、だから。だから……好きです、俺と付き合ってください」

 やっぱり、明くんはいい人だよ。本当に、いい人。

「……ううん。弱いのは私も一緒だよ。振られるのが怖くて、明くんとの居心地のいい関係を失うのが怖くて、たった一言、たった2文字を何ヶ月も躊躇ってたんだから。だけど、このままクラスがバラバラになって、今までと同じように明くんと話せなくなる方が、一緒にご飯を食べられなくなることの方が、一緒に帰れなくなることの方が、よっぽど嫌だから。だから、ちゃんと伝えるよ。……私も、明くんが好きです。大好きです。私でよければ、これからもずっと私と一緒にいてください」

「……うん。こちらこそよろしくね、鶫さん」

「明くん……」

「鶫さん……」

 桜舞う、誰もいない学校の屋上で。私たちは、静かに口づけを交わした。



 あれから季節は流れ、あっという間に2年生になってから3ヶ月。梅雨真っ盛りの6月半ば。ちょうど、明くんと話すようになってから1年を迎えた。

「……そういえば、初めて話したのはここだったね」

 同じことを考えていたのか、明くんが昇降口を見ながら懐かしそうに言う。2年生になってクラスがバラバラになった今、業間に話すことはなくなってしまったけど、その代わりにお昼は毎日一緒に屋上で食べているし、帰りもこうして昇降口で待ち合わせて毎日一緒に帰っている。なんなら日光線を1本見送って、駅で20分ずっと喋っていることもあるくらいだ。……こらそこ、バカップルとか言うな。

「あのときは同じ傘で帰ったよねー」

 今思うとあの頃の私、かなり異性に無頓着だったなー。ただのクラスメイト(当時)と相合傘も間接キスも普通にしてたし。

「うん。それと、俺の名前覚えてなかったんだよね」

「うぐっ」

 そ、そういえばそんなこともあったかなー(汗)。

「……あ、あのとき、やっぱり怒ってた……?」

「いや、別に怒っては。まあ、ちょっとショックではあったけどね」

 そりゃそうだよね。自分の前の席の人に名前覚えられてないんだもん。ほんと、あのときは申し訳なかった。

「でもまあ、今後は忘れられることはなさそうだし。ね?」

「あ、当たり前だよ! 彼氏の名前を忘れるわけないでしょ!」

「本当かなー? ずっと下の名前で呼ばれてるし。俺の名字覚えてる?」

「五位!」

「こら」

「あいたっ」

 ……などと、端から見ればいちゃついてるようにしか見えないでああろうやり取りをしながら、カバンに手を突っ込む。今日も今日とて午後から急に雨が降り出したから、カバンに入れっぱなしの折りたたみ傘が活躍――……。

「……昨日使ってから入れなおすの忘れた……」

 丸1年たっても同じことやらかすとか。成長がないのか私は。

「あはは……鶫さん、よく傘忘れるね」

「突然降り出すのが悪いの。だから雨は嫌いなんだよ」

 服もカバンの中もびしょびしょになるし。面倒事ばっかりだよ、雨は。

「そっかー。俺は結構好きなんだけどな、雨」

「どうして?」

「だって、俺たちが話すようになったのも雨がきっかけだしさ。それにほら」

 明くんはそこで言葉を区切って傘を開くと、私たちの間に差した。

「鶫さんが傘忘れたら、同じ傘で帰れるし」

「……!」

 その彼氏の一言で、私の雨に対する評価はあっさり180度回転した。単純か私は。

「……確かにっ。雨、最高だねっ!」

 テンションMAXで明くんの傘にお邪魔し、雨空の下を歩き出す。恋人だし、遠慮する必要もないので、思いっきりくっついてやった。

「……ふふっ」

「……? どうしたの?」

「いや、なんかさ。いま、すっごく幸せだなぁ、と思って」

 こんな素敵な彼氏、私にはもったいないんじゃないかと時々思う。まあもちろん、だからといって誰にも譲る気なんてないけど。

「……そうだね。これも多分、あの告白のときに鶫さんが怒ってくれたからかな」

「えっ? い、いやいや、そんなことないよ! むしろあの時は私のほうが随分偉そうなことを言っちゃって申し訳なかったというか……!」

「それこそ、そんなことはないよ。もしあの時鶫さんが怒ってくれずに、メールで告白したまま付き合うことになってたら、俺はきっとどこかに後ろめたさを抱えたままだったと思う。そんな状態じゃ、今みたいに鶫さんとの交際を心から楽しんで、本気で付き合うことはできなかったはず。だから、あの時はありがとう、俺を怒ってくれて」

「明くん……!」

 嬉しさのあまり、思いっきり抱き付く。その拍子に明くんが持っていた傘が落ちて、2人してびしょびしょになるけど、私は構わなかった。だって今、私はこんなにも幸せだから。他のすべてがどうでもよくなるくらい、嬉しくて仕方がないから。

「ねえ、明くん」

「なに? っていうか、はやく傘を……」

 落っこちた傘を拾いに行こうとする明くんの顔をロックして。

 周りで同じ学校の人たちが見ているのも意に介さずに。

「私、今、最高だよ」

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